ろうそくを前にもの思いにふける「夜の絵」と対照的な、今悪事を働こうとするいかさま師たちの絵。他に『聖ヨセフ』、『灯火の前のマグダラのマリア』なども掲載しました。

『いかさま師』( Le Tricheur à l’as de carreau ) 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵

引用元:『いかさま師』
シュリー翼912展示室 , RF 1972 8 Le Tricheur à l’as de carreau
今まさにカモられようとしている若者。
中央の女の合図で、悪事が始まる瞬間です。
グルの給仕女と手前の実行犯の顔は陰になっており、彼らが「良からぬ人種」であることを示しているようです。
男は袖でさりげなく稼いだ金を隠しています。
腰のベルトには隠していたダイヤのエースが…。

引用元:『いかさま師』
袖の長い飾りも、若者からの目隠しの役割りを果たしていると思われます。
この時代のカードにはまだキングやクイーンの図柄、K、J などのアルファベットも描かれていませんね。


引用元:『ダイヤのエースを持ついかさま師』 CC-BY-2.0

中央の女が持つカードの裏面も白地です。
ここに爪で傷をつけたり故意に汚れをつけるなどして、いかさまの目印に使う、というわけですね。
登場人物の衣装
この頃、袖というのは服(ボディス)に留めて使用する、着脱可能なものでした。
中央の女性の袖にはスラッシュが入っていて、ボタンで服本体に留められているのが判りますね。

引用元:『いかさま師』
右側の青年が着ている豪華なベストには、美しい刺繍が施されています。
手触りの良さそうなシルクの袖は、華やかな色のリボンで留められています。

引用元:『いかさま師』
『怖い絵』の著者、中野京子氏もこの若者の身に着けているものについて仰っています。
凡庸さをカバーするかのように、若者は美々しく着飾っている。といっても、誰もが身分家柄にふさわしい衣服を身につけることが求められていた時代なので、彼が必要以上に派手にしているというわけでもない。高位貴族か、大商人の息子ならごくふつうの、だが庶民からすれば贅を凝らした装いである。鮮やかなオレンジ色に染めた大きな羽根付き帽、金糸銀糸で刺繍模様をほどこしたサテン地のベスト、赤いクラバットと肩袖の飾りは艶のある絹製だし、たっぷりした白地の袖のカフス部分は手の込んだ金糸銀糸で華麗に縫い取りされている。
中野京子(著). 『怖い絵』.角川文庫. p.17.
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無表情を装う給仕女の頭には羽根飾りがありますが、『「世界の名画」謎解きガイド』(PHP文庫)によると、これは後世に「描き加えられた」とあります。

引用元:『いかさま師』
有名なラ・トゥールの絵が、中野京子氏の本によって更に有名になりました。もしまだお読みでないなら、一読されることをお勧めします。衣装やトランプのカードについても言及されています
三つの誘惑「賭博」「酒」「淫蕩」
ギャンブルが流行し、公営の賭博場もあったという17世紀のパリ。
本作は当時の道徳論において「最も重大な誘惑」とされた、賭博・酒・淫蕩の三つが描かれています。
賭博は今やっている真っ最中。
給仕女がワインを差し出し、中央に座る女は娼婦といったところ。
誘惑に身を委ね、オトナの世界にデビューした若者は、手元のカードに自分の勝ちを確信しているようです。

引用元:『ダイヤのエースを持ついかさま師』 Ferdine75
彼の前にはそれまでに獲得した金が。

引用元:『ダイヤのエースを持ついかさま師』 Ferdine75
今開始されようとするいかさまに「気をつけて!」と彼に言ってあげたいか、またはオトナの世界の洗礼として、「カモられる場面を見てみたい」と思いながら観るか…どちらでしょう?
もうひとつの『いかさま師』
『クラブのエースを持ったいかさま師』( The Cheat with the Ace of Clubs ) 1630年 – 1634年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール キンベル美術館蔵

The Cheat with the Ace of Clubs, c. 1630-34 キンベル美術館
ルーヴル美術館の「いかさま師」によって使われているのは、「ダイヤのエース」です。
それに対して、キンベル美術館のいかさま師の手にあるのは「クラブのエース」。
他にも、給仕女のターバンには羽根飾りはありませんし、若者の衣装も異なりますね。
いわゆる「ダチョウの卵」と呼ばれる、中央の女性の顔かたち。その表情も若干違っています。
また、卓上にある女のカードは完全に伏せられていますが、ルーヴル美術館版では少し立てられていますよね。
女は手元のカードをちらりと見て確認し、今この瞬間に悪事の決行を決めたかのように見えます。

引用元:『いかさま師』
ところで、『モチーフで読む美術史 2』にはこの『いかさま師』について、このような記述もあります。
カモの青年の持つ札にも違いがあり、平泉千枝氏によれば、キンベル美術館の作品のほうでは、青年がこれから大逆転するチャンスも示されているという。
宮下規久朗(著). 『モチーフで読む美術史 2』. ちくま文庫. p.200
大逆転とは、ギャンブルの世界は奥が深い…。
「いかさま」というテーマ
『トランプ詐欺師』( いかさま師、The Cardsharps ) 1595年頃 カラヴァッジョ キンベル美術館蔵

引用元:『トランプ詐欺師』
The Cardsharps, c. 1595 キンベル美術館
『女占い師』( Good Luck ) 1594年頃 カラヴァッジョ カピトリーノ美術館蔵

引用元:『女占い師』
『女占い師』( La diseuse de bonne aventure ) 1596年頃 カラヴァッジョ ルーヴル美術館蔵

引用元:『女占い師』
ドゥノン翼712展示室 , INV 55 ; MR 105 La diseuse de bonne aventure
無垢でうぶな若者から指輪を抜き取り、いかさまトランプに引きずり込んでカモにする。
このような「ひとを騙す」主題の風俗画を描いた、イタリア出身の画家・カラヴァッジョ。
『もっと知りたいカラヴァッジョ』(東京美術)によると、カラヴァッジョが『トランプ詐欺師』を描いた当時のローマでは、この主題は大変珍しかったそうです。
その後この主題は流行し、ラ・トゥールも『いかさま師』を完成させます。
さらに、ラ・トゥールはカラヴァッジョの絵画にはいなかった犯罪の黒幕を登場させました。
仲間同士の目配せが、強く印象に残ります。
『女占い師』( The Fortune Teller ) 1630年 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール メトロポリタン美術館蔵

引用元:『女占い師』
悪い女たちの餌食にされている、育ちの良さそうな青年。
メトロポリタン美術館の解説に、「銘文には彼が住んだロレーヌ公国の町、リュネビルの名前が確認できます。」とあります。
ルーヴル美術館にあるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画を堪能する
「夜の画家」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール( Georges de La Tour, 1593年3月19日 – 1652年1月30日)
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはロレーヌ地方のパン屋の家に生まれました。
1617年に裕福な新興貴族の娘と結婚。
1620年、妻の出身地リュネヴィルに移り住み、ロレーヌ公アンリ2世の庇護を受けます。
その後ロレーヌがフランスの支配下に入るとラ・トゥールはパリに出て、1639年にフランス国王ルイ13世の「国王付画家」となりました。
初期には風俗画を多く描きましたが、やがてろうそくの光を効果的に用いた宗教画を手掛けるようになります。
カラヴァッジョを思わせる明暗の効果ですが、ろうそくによって照らし出された人物の横顔が、自らの心の内を覗き、深いところで対話をしているようです。
静謐さの中に深い精神性を感じさせることから、ラ・トゥールは「夜の画家」「夜の巨匠」とも呼ばれます。
このような「夜の絵」に対して、『いかさま師』は「昼の絵」とされます。
別館『hannaと美術館』で、ルーヴル美術館所有のラ・トゥール作品を掲載
『聖ヨセフ』( Saint Joseph charpentier ) 1642年頃

引用元:『聖ヨセフ』
シュリー翼912展示室 , RF 1948 27 Saint Joseph charpentier
『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』( Saint Sébastien soigné par sainte Irène ) 1649年頃

シュリー翼912展示室 , RF 1979 53 Saint Sébastien soigné par Irène
『灯火の前のマグダラのマリア』( La Madeleine à la veilleuse dite La Madeleine Terff ) 1640年 – 1645年頃

引用元:『灯火の前のマグダラのマリア』
シュリー翼912展示室 , RF 1949 11 La Madeleine à la veilleuse dite La Madeleine Terff
ラ・トゥールは同じ主題を繰り返し描いています。
例えば、『灯火の前のマグダラのマリア』は、ルーヴル美術館以外にも、メトロポリタン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館にあります。
生前国王付きの画家の称号まで手にしたにも関わらず、ラ・トゥールは200年もの長い期間忘れられていました。
彼の生きた時代は、30年戦争があった戦乱の時代でした。
彼の作品は失われ、現存しているのは約40点余りです。
深い精神性を感じさせる絵を描きながら、ラ・トゥールという人物はかなり「イヤなヤツ」だったとそうです。
成金、傲慢、乱暴、世渡り上手…、この巨匠について知れば知るほど作品のイメージとは真逆の人物像が浮かびあがります。恨み疎まれ、裁判まで起こされ…、生きざまもカラヴァッジオのようですが、ラ・トゥールの活躍した時代は戦乱の世。生き抜いて自分の道を貫くには仕方がなかったのかもしれません。
有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社. p.171.
『名画のすごさが見える 西洋絵画の鑑賞事典』にもありますが、「周囲の人々とたびたびトラブルを起こすなど、静謐な画風とはおよそ結びつかない」人柄だったようです。
いや、でも、きっと、彼の本質は、たぶん…。
youtube の解説動画『 APPRENEZ À TRICHER – Georges de la Tour, le tricheur à l’as de carreau ! 』
Sous la toile 様の動画です。間近で(かぶりつきで)観ているような気分になれます。他の絵画も出てきますので、ぜひ。
- 有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社.
- 大友義博(監修). 2014-10-12. TJMOOK 『一生に一度は見たい ルーヴル美術館BEST100』. 宝島社.
- 宮下規久朗(編著). 2011-10-30. 『不朽の名画を読み解く 見ておきたい西洋絵画70選』. ナツメ社.
- 佐藤晃子(著). 2016-01-10. 『名画のすごさが見える 西洋絵画の鑑賞事典』. 永岡書店.
- 中野京子(著). 『怖い絵』. 角川文庫.
- 宮下規久朗(著). 『モチーフで読む美術史 2』. ちくま文庫.
ルーヴル美術館所有のラ・トゥール作品一覧

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