国王フェリペ4世の愛娘 マリア・テレーサ(マリー・テレーズ)の肖像画。
スペイン王女マリア・テレーサ 三枚の肖像画
『王女マリア・テレーサの肖像』( Portrait de l’Infante Marie Thérèse ) 1653年から1654年の間 ディエゴ・ベラスケスの工房 ルーヴル美術館蔵
引用元:『王女マリー・テレーズの肖像』
, MI 898 Portrait de l’Infante Marie Thérèse
有名な画家による有名な肖像画。インパクトのあるヘアスタイルですね。
描かれているのはスペイン王女、13歳から14歳頃のマリア・テレーサ姫(フランス名マリー・テレーズ)です。
引用元:『王女マリー・テレーズの肖像』
全身像として描かれた他の 2 点の異作(ウィーン美術史美術館、ボストン美術館)と同様に、王女は、何列もの真珠で縁取られ、型押し文様の襟のついた白い胴着を着ており、襟の薔薇色の縁飾りと凝った形に結った髪を飾るリボンの色は見事に調和がとれている。袖やリボン飾りのふくらみをとらえる自由で震えるような筆致は、周囲に溶け込んで、顔貌の柔らかなモデリングを際立たせている。
横浜美術館, 日本経済新聞社(編). 『ルーヴル美術館200年展』. 1993. p.150.
引用元:『王女マリー・テレーズの肖像』
図録によると、本作は、「1863年の売り立て目録によれば、この絵は、マドリードの王宮にあった大きな絵から切り取られ、1814年にフランス軍がスペインから撤退した際にジョゼフ王の将校によってもたらされた。」とのことです。
マドリードの王宮とは、王女の父フェリペ4世によって建てられたブエン・レティーロ宮殿( Palacio del Buen Retiro , フランス語表記 Palais du Buen Retiro )です。
ルーヴル美術館の解説を参考にさせていただくと、この作品は1701年に作成された目録に記載されており、1772年にパレ・ロワイヤルに移送( transféré au Palais Royal, 1772 )。
1808年のナポレオンによるスペイン侵攻後の1811年に作成された目録にも記載されています。
1814年、絵はフランス人将校によって切り出され、ディドコレクションへ。
その後、ルイ・ヴィアルドのコレクション、ラ・カーズ博士のコレクションを経て、1869年にルーヴル入りしています。
『ルーヴル・美と権力の物語』にも本作についての言及があります。
「王女マリア・テレサの肖像」がルーヴル美術館にある。ウィーンにも同題の絵があるが、こちらがベラスケスの真筆で、パリのものはディエゴ・ベラスケス工房が描いたものだ。またルーヴルで見られるベラスケスの「王妃マリアーナの肖像」は、プラド美術館が一九四一年にプッサンの作品と交換したものである。
小島英熙(編). H6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー. p.87.
『マルガリータ王女の肖像』では、ベラスケスが最後の10年間に残した作品が挙げられており、その中にメトロポリタン美術館の『マリア・テレサ王女』(1651 – 1652年)、ウィーン美術史美術館の『マリア・テレサ王女の肖像』(1652 – 1653年)があります。
マリア・テレサ王女の肖像画は、横長の胸像と縦長の胸像が2枚(2枚ともメトロポリタン美術館所蔵)、そして全身像(ウィーン美術史美術館)が残されている。横長の胸像ではマリア・テレサは横に張り出した大きな鬘をかぶり、鬘には蝶の形をした多数の飾りが付けられている。彼女のポーズは体を斜めにして顔をこちらに向けている。愛らしい少女である。
マリア・テレサの全身像は、1653年にフェリペ4世がオーストリア・ハプスブルク家のフェルディナント3世に贈り、現在、ウィーン美術史美術館が所蔵している。この肖像画に描かれたマリア・テレサ王女は14歳で彼女のポーズは伝統に従って右手はテーブルに置き、左手はハンカチを手にしている。彼女のドレスの襞飾りには2つの懐中時計が装飾として紐で吊るされている。ボストン美術館にも同じ図柄の全身像があるが、ベラスケスの真筆ではなく模写である。
柳澤一博(著). 2024-1-15. 『マルガリータ王女の肖像 宮廷画家ベラスケスの栄光とスペイン・ハプスブルク家の落日』. 文芸社. pp.255-256.
それでは、ベラスケスの真筆であるウィーンの美術史美術館のものと、オーストリア大公に贈られたボストン美術館の肖像画をどうぞ。 ベラスケスの工房の作品『王妃マリアーナの肖像』は最後にあります。
『王女マリア・テレーサの肖像』 美術史美術館蔵
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
美術史美術館蔵 Infantin Maria Teresa (1638-1683)
マリア・テレーサの肖像画というと、この美術史美術館の絵が一番有名かと思います。
この作品がベラスケスの真筆です。
美術史美術館の解説には、この肖像画は1653年、ウィーン、パリ、ブリュッセルの宮廷に贈られたうちのひとつだとあります。
それらの宮廷の貴公子の中からマリア・テレーサの結婚相手となったのは、いとこであるフランス国王ルイ14世でした。
スペインの宮廷画家ベラスケスは、王女の結婚式の準備にも関わっています。
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
『王女マリア・テレーサの肖像』 ボストン美術館蔵
引用元:マリー・テレーズ・ドートリッシュ
In portraying the royal family, Velázquez generally painted a bust-length portrait from life, which he and his assistants would use as a model in creating full-length versions. The freshness of the colors and brushwork in this painting stress the desirability of the fifteen-year-old princess, and suggest that Velázquez was closely associated with its production.
https://collections.mfa.org/objects/31928/infanta-maria-theresa?ctx=718a6314-f52d-4706-a058-f3aa856f7411&idx=57
(Google翻訳:ベラスケスは王室を描く際、通常、実物の胸像を描き、それをモデルにしてベラスケスとその助手が全身像を描きました。この絵の色彩と筆遣いの鮮やかさは、15歳の王女の魅力を強調しており、ベラスケスがこの絵の制作に深く関わっていたことを示唆しています。)
切り取られてしまって見ることができないルーヴル美術館のマリー・テレーズ(マリア・テレーサ)の手部分は、こんな感じだったのでしょうか。
ドレスの光沢に、薔薇の花飾りが美しい。モデルの可憐さを引き立てています。
ボストン美術館による解説
ボストン美術館の解説では、スペイン国王フェリペ4世は王女の肖像画を三枚製作させ、それらを「潜在的な求婚者」のいる宮廷に贈っています。
1653年12月、マドリードに駐在していたヴェネツィア共和国大臣クエリーニは、王女の肖像画が神聖ローマ皇帝フェルディナンド3世(ウィーン)と、その弟でレオポルト・ヴィルヘルム大公(ブリュッセル)に送られていることを報告。
ボストン美術館の作品は、オーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム( Leopold Wilhelm von Österreich, 1614 – 1662)に向けたものであると考えられており、美術史美術館の肖像画は、フェルディナンド3世の息子 レオポルト1世( Leopold I, 1640 – 1705)が相続したものだとされています。
三枚目の肖像画はフランス国王ルイ14世に送られ、現在ルーヴル美術館が収蔵しているものだとのこと。
A third portrait was sent to Louis XIV, whom the Infanta married in 1660; this is at the Musée du Louvre, Paris.
https://collections.mfa.org/objects/31928/infanta-maria-theresa?ctx=718a6314-f52d-4706-a058-f3aa856f7411&idx=57
(Google翻訳:3枚目の肖像画は、1660年に王女が結婚したルイ14世に送られました。これはパリのルーブル美術館にあります。)
と、ここまでが美術館による解説を参考にしたものです。
ルーヴル美術館の肖像画が、ブエン・レティーロ宮殿に在った肖像画から「切り出された」ものであることは前述しました。(『ルーヴル美術館200年展』図録)
ということは、ルイ14世の元(フランス)へ贈ったものが、その後ブエン・レティーロ宮殿(スペイン)に移り、しばらくそこに在った後切り取られてフランスへ持ち帰られた、ということですかね。
調べてみましたが、この辺りは今一つよくわかりませんでした。また何か判りましたら追記します。
その他の肖像画
『王女マリア・テレーサの肖像』 ヴィクトリア&アルバート美術館蔵
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
Infanta Maria Teresa ヴィクトリア&アルバート美術館蔵
ヴィクトリア&アルバート美術館によると、この絵は『マリア・テレーサの肖像』全身像の上部を模写したもので、三つのバージョンが有るとのこと。
制作年代は18世紀のものと思われるが、正確な年代を特定するのは難しいそうです。
王女は、「17世紀半ばのマドリード宮廷の典型的なファッションである、豪華なバロック調のドレスと堂々とした頭飾りを身にまとって描かれて」います。
『王女マリア・テレーサの肖像』 メトロポリタン美術館蔵
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
María Teresa, Infanta of Spain メトロポリタン美術館
こちらは17世紀半ばの作品。
『王女マリア・テレーサの肖像』 メトロポリタン美術館蔵
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
María Teresa (1638–1683), Infanta of Spain メトロポリタン美術館
この髪飾りも豪華。手が込んでいますよねえ。
本作はおそらく失われた半身像の頭部で、14歳前後の姿であろう。華美な鬘は、この時期の一連の王家女性肖像によく見られるタイプのもので、蝶型の白いリボンを闊達なタッチで処理している。顔はまだ少女のイメージを留めつつ、少し突き出した唇や顎にはハプスブルク家の特徴もうかがえよう。
大髙保二郎、川瀬祐介(著). 2018-2-10. 『もっと知りたいベラスケス 生涯と作品』. 東京美術. p.77.
メトロポリタン美術館の解説にも「蝶のリボンのついたかつら( a wig with butterfly ribbons )」とあります。どのくらいの重さなんだろ?
『ディエゴ・ベラスケス』( TASCHEIN )にもこの絵画が掲載されています。
『王女マリア・テレーサの肖像』 フィラデルフィア美術館蔵
引用元:『王女マリア・テレーサの肖像』
Portrait of the Infanta Maria Teresa フィラデルフィア美術館
メトロポリタン美術館の、失われてしまった部分はこんな感じだったんだろう、と想像。装飾がすごい。
ルイ14世妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ( Marie Thérèse d’Autriche, 1638年9月10日 – 1683年7月30日)
フランス名 マリー・テレーズ・ドートリッシュ、スペイン名 マリア・テレーサ( María Teresa de España )は、国王フェリペ4世と、フランス王女のイサベル・デ・ボルボンとの間に生まれました。
母イサベルとは幼い時に死別しますが、父フェリペはマリア・テレーサに惜しみない愛情を注ぎます。
フェリペが散歩に行く時にはいつもマリア・テレーサが一緒にいました。
厳格なカトリックの教育を受けたマリア・テレーサでしたが、おとなしいだけの少女ではなく、乗馬や銃の扱いも上手だったそうです。
引用元:『フラガのフェリペ4世』
引用元:イザベル・ド・ボルボンの肖像
王妃イサベルのフランス名はエリザベート・ド・ブルボンといいます。
イサベル(エリザベート)は、フランス国王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの娘で、ルイ13世の妹です。
引用元:ルイ13世
ルイ13世の妃は、スペイン王フェリペ4世の姉 アンヌ・ドートリッシュ。
マリア・テレーサとルイ14世は、父方と母方の両方でいとこ同士ということになります。
引用元:アンヌ・ドートリッシュ
イサベルとアンヌはマリア・テレーサとルイの結婚を望み、ふたりの女性の間で書簡が往復しました。
フランスのマザラン枢機卿によってルイ14世の妃に選ばれたマリア・テレーサは、1660年にルイ14世と結婚します。
引用元:ルイ14世
スペインの宮廷画家ベラスケスは、宮廷の祝典を取り仕切る王室配室長の要職に就いていました。
マリア・テレーサの婚儀もベラスケスの差配の下で執り行われましたが、婚礼から約ひと月後、ベラスケスは病に倒れて亡くなります。(過労死?)
引用元:ディエゴ・ベラスケス自画像
ルイ14世夫妻は六人の子どもに恵まれます。
しかし成人して子孫を残すことができたのは長男ルイだけ。そのルイも若くして亡くなってしまいます。
夫の浮気に心を痛め、修道院を訪れて涙を流したマリア・テレーサでしたが、やがてフランス王妃としての威厳を身につけ、ルイからの信頼・尊敬を得ます。
マリア・テレーサは父フェリペの言葉について、このように語ったそうです。
「結婚のとき、お父様であるスペイン王が私に言われたことを忘れはしません。《もし二つの王国のあいだで戦争が起こったら、お前はスペイン王女だったことを忘れなければならないよ。そして、フランス王妃であることだけを思い出しなさい》。」
阿河雄二郎・嶋中博章(編). 2021-3-1. 『フランス王妃列伝 アンヌ・ド・ブルターニュからマリー・アントワネットまで』. 昭和堂. pp.204-205.
中には結婚しても実家のために尽くすことを求められた妃もいただろうな、と想像しますが、この父は愛する娘にそんなふうに言って聞かせたんですね。
カトリーヌ・ド・メディシス、マリー・アントワネットに比べれば、知名度も派手さも…と思っていましたが、マリア・テレーサ(マリー・テレーズ・ドートリッシュ)の人生もやはり興味深いです。さすが大国の王女様。
マリア・テレーサは明るく素直な性格で、周囲から好かれたそうです。肖像画からもその良さが伝わってくるようですよね。
『ルーヴル・美と権力の物語』でもこのように書かれています。
ところで王妃マリ・テレーズと王の仲は、政略結婚とは思えないほど睦まじいものであった。彼女があどけなく、明るく、誰からも好かれる性格で、王に対して深い愛情を捧げていたことが大きかろう。一六八三年に彼女は死ぬが、王は「共に生活した二十年、彼女は私に何一つ迷惑をかけず、また私の意志にも逆らわなかった……これが妃の私に与えた初めての悲しみである」と嘆いている。
小島英熙(編). H6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー. p.107.
40代半ばで亡くなったのか…まだ若かったんですね。
つい、「王の物言いってさ…」と思ってしまいますが、まあ、大国同士の、平和のための政略結婚ですから、まだ良い方、なのかな??
ただ、姑=伯母だったのはマリア・テレーサにとっては良かったのかもしれませんね。
引用元:アンヌ・ドートリッシュとマリー・テレーズ・ドートリッシュ、王太子
ルイ14世の母であり、父フェリペの姉 アンヌと王太子ルイ。
アンヌとマリア・テレーサはどちらも大のチョコレート好きでした。(当時、チョコレートは飲みものです)
ルイ14世はチョコレートが好きではなかったので、マリア・テレーサは隠れて飲んでいたそうです。
フェリペ4世妃マリアナ・デ・アウストリア 1652年と1653年の間 ベラスケスの工房 ルーヴル美術館蔵
引用元:マリアナ・デ・アウストリア
ドゥノン翼733展示室 , RF 1941 31 La reine Marie-Anne d’Autriche (1634-1696)
フェリペ4世に嫁いだ、神聖ローマ皇帝の皇女マリアナ。
マリア・テレーサとはわずか4つ違いの「継母」です。
マリアナの母 マリア・アンナは、アンヌ・ドートリッシュとフェリペ4世の妹。
似たような容姿やドレス姿で、マリア・テレーサの肖像画と混同されたこともあったそうです。
プラド美術館、美術史美術館にも同じ形式の肖像画がありますが、ベラスケスの真筆はプラド美術館の所蔵品です。
コラムに、ルーヴル美術館所蔵のベラスケス(工房作)作品と、ルイ14世夫妻の家系図が載っています
- 大髙保二郎、川瀬祐介(著). 2018-2-10. 『もっと知りたいベラスケス 生涯と作品』. 東京美術.
- ノルベルト・ヴォルフ(著). 『ディエゴ・ベラスケス』. 2000. TASCHEIN.
- 阿河雄二郎・嶋中博章(編). 2021-3-1. 『フランス王妃列伝 アンヌ・ド・ブルターニュからマリー・アントワネットまで』. 昭和堂.
- 小島英熙(編). H6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー.
- 柳澤一博(著). 2024-1-15. 『マルガリータ王女の肖像 宮廷画家ベラスケスの栄光とスペイン・ハプスブルク家の落日』. 文芸社.
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