16世紀のヨーロッパに、新大陸から大量の安価な銀が流れ込んできました。
大富豪だったフッガー家はスペイン王室に貸していた金が回収できなくなったことも重なり、没落します。
その銀の中には、日本が輸入品に支払った銀もあったかもしれません。
倉都康行さんの著書『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』(ちくま新書)から、1500年代の銀の状況を簡潔にご紹介します。
『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』(ちくま新書)
クレオパトラ7世のコイン 大英博物館蔵
引用元:クレオパトラ7世のコイン
「美女」とされたクレオパトラのコインです。
頭に浮かぶのは想像で描かれたエキゾチック美女とは少し異なっていますが、実際のクレオパトラ(7世)は数か国語を自在に操る、頭のいい女性だったそうです。
銀貨の歴史
銀貨の歴史は、古代のメソポタミアやエジプトにまで遡らなくてはならない程古いようです。
その昔、金と銀では銀の方が重んじられました。
砂金などの状態で存在する金の精錬法が無い時代は銀の価値が高かったのですが、徐々に逆転していきます。
紀元前三十世紀頃には、銀の価値は金のそれを大きく上回っていたとされる。金が砂金などの状態で存在するのに対して、銀は鉱石の中から取り出す必要があり、精錬法がない時代には銀の価値が高かったのである。それが次第に逆転していくのは、精錬法の発達に加えて、銀鉱山の発見などによって産出量が増加したことが背景にある。銀に比較すると金の産出はわずかなものであった。
銀がお金として使われ始めたのは紀元前二十四世紀であるといわれている。ハンムラビ法典には銀の貸付利子率が二十%であると定められ、また他の法典には人の鼻にかみついたり顔面を平手打ちしたりした際の罰金が、銀によって規定されている。さらには、銀の重量が他物品の価値を計算する尺度に使用されていたという記録もある。
倉都康行(著). 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』. ちくま新書516. 筑摩書房.
他人の鼻に噛みつく?
罰金の額も気になりますが、実際に噛み付いたひとはいたのでしょうか。
続いて、銀は、
エジプトにおいても商取引の支払い手段として銀が用いられていた。もちろん、その流通はごく限られた社会のなかでの出来事であっただろうが、交易の歴史の上では、金ではなく銀がまず支払手段の主役であったことは間違いない。この銀本位制は、ギリシアやローマの時代をつらぬき、中世の欧州や中国・アジアなどの経済圏、そして各地域を結ぶ交易にも波及する。国際金融の歴史は、金本位制ではなくまず銀本位制から始まったといってよいだろう。
銀をコインとしての、すなわち銀貨としての利用頻度を高めたのはローマ帝国であり、そこでは金貨や銀貨、青銅貨も鋳造された。だが十世紀前後には商取引の活性化で少額紙幣への需要が高まり、銀貨のなかでもとくにペニー銀貨と呼ばれるコインの流通が普及する。さらに十二世紀以降にはザクセン地方やイタリア、ボヘミア、アルプスなどにおいて銀山が発見され、欧州を中心とする経済圏での銀貨の流通を大いに促した。
倉都康行(著). 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』. ちくま新書516. 筑摩書房.
この後、イタリアのメディチ家と並ぶ南ドイツの大富豪、「フッガー家」の名前が出てきます。
フッガー( Fugger )家
フッガー家は14世紀半ば頃から、絹織物の取り引きとアウグスブルクの鉱山経営で大きな利益を得ました。
教皇や皇帝にも貸し付けを行い、当時のローマ教皇が大量に販売した免罪符で得た収入は、フッガー家からの借金の返済に充てられました。
フッガー家はハプスブルグ家との関係も深く、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の崩御で行われた皇帝選挙では、選挙参謀を務めたマルグリット・ドートリッシュを支援しています。
引用元:神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世
マクシミリアン1世の娘でネーデルラント総督・マルグリット・ドートリッシュ。
甥カールの当選を後押しし、ライバルであるフランソワ1世を上回る選挙資金を調達します。
引用元:マルグリット・ドートリッシュ
やがて、新しい大陸から銀が持ち込まれます。
安価な銀の大量流入で、同家が保有していた欧州の銀鉱山での生産は急減し、さらにスペイン王室への貸付の焦げつきも重なって、没落する。
倉都康行(著). 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』. ちくま新書516. 筑摩書房.
フェリペ2世のバンカロータ( bancarrota )
1556年にスペイン王に即位したフェリペ2世は、父のカールから莫大な借金も受け継ぎました。
即位の翌年には最初のバンカロータ(破産宣告)が行われます。
引用元:スペイン王フェリペ2世
厳しい経済状況のスペイン王室。
これを含めて、フェリペ2世の在位中、計4回のバンカロータが行われました。
16世紀の日本が輸入品に支払った銀
宗教改革において、マルティン・ルターが「95か条の論題」を発表したのは1517年です。
引用元:マルティン・ルター
その頃の日本は銀の産出国でした。
ちなみに、一六世紀前後に日本は中国やオランダ、ポルトガルなどから相当の量の生糸を輸入し、その見返りに銀を払った。当時の日本は有数の銀産出国であったが、その多くはこうした交易を通じて欧州に流出したのである。日本は、間接的に欧州の価格革命や銀本位制に影響を与えていた、ということもできるかもしれない。
倉都康行(著). 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』. ちくま新書516. 筑摩書房. p.20.
世界の金融史に「銀」で関わった日本。
欧州の国々と取り引きで、日本の銀は諸外国に渡っていったのです。
著者が書いておられるように、日本は「間接的に欧州の価格革命や銀本位に制に影響を与えていた、ということもできるかも」しれません。
中学の歴史や日本史ではそこまで詳しくやらないかもしれませんが、このような話を読むと、歴史って必ずどこかで繋がっているんだなあと思います。
コメント