イタリア統一に貢献?カスティリオーネ伯爵夫人

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19世紀、ナポレオン3世の愛妾だった美貌のカスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニアの写真です。肖像画も一緒に掲載しました。

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン
カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン

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目次

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニの写真( La Contessa Castiglione ) 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン
カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン

引用元:カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1860年 ピエール・ルイ・ピアソン

Scherzo di Follia(『狂気のジョーク』) 1861年-1867年 メトロポリタン美術館蔵
Scherzo di Follia(『狂気のジョーク』) 1861年-1867年 メトロポリタン美術館蔵

引用元:Scherzo di Follia 1861年-1867年

プリントは1930年代。メトロポリタン美術館蔵の解説はこちらです。

ヴィルジニア・オルドイーニ( Virginia Elisabetta Luisa Carlotta Antonietta Teresa Maria Oldoïni, 1837年3月22日-1899年11月28日)

ちょっとナルシスト入ってると思われる19世紀の写真です。

絶対自分の美貌好きだよねと確信します。

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニは、フランスのナポレオン3世の愛妾でした。

ヴィルジニアは、1837年トスカーナ大公国のオルドイーニ侯爵家に生まれ、17歳で12歳年上のカスティリオーネ伯爵( Francesco Verasis, Count of Castiglione )と結婚。

男児をもうけます。

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニの肖像 1862年 ミケーレ・ゴルディジャーニ
カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニの肖像 1862年 ミケーレ・ゴルディジャーニ

引用元:カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニの肖像

『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』 エレノア・ハーマン(著) 高木玲(訳) KKベストセラーズ

『王たちのセックス』は、愛人関係だとか離婚などゴシップ系文化史に興味がおありの方は面白いかもしれません。

表紙はルイ15世とデュ・バリー夫人のツーショット想像絵(歴史画??)です。

イタリア統一運動(リソルジメント)

ヴィルジニアは、サルディーニャ王国首相カヴールによって、ナポレオン3世のもとに送り込まれた女性だったと言われています。

首相、カヴール伯爵カミッロ・ベンソ(1810年8月10日-1861年6月6日) 1864年 フランチェスコ・アイエツ ブレラ美術館蔵
首相、カヴール伯爵カミッロ・ベンソ(1810年8月10日-1861年6月6日) 1864年 フランチェスコ・アイエツ ブレラ美術館蔵

引用元:首相、カヴール伯爵カミッロ・ベンソ 1864年 フランチェスコ・アイエツ

カヴール伯爵カミッロ・ベンソの肖像 1850年-1860年代 ミケーレ・ゴルディジャーニ リソルジメント博物館蔵
カヴール伯爵カミッロ・ベンソの肖像 1850年-1860年代 ミケーレ・ゴルディジャーニ リソルジメント博物館蔵

引用元:カヴール伯爵カミッロ・ベンソの肖像 1850年-1860年代 ミケーレ・ゴルディジャーニ

上はフランチェスコ・アイエツ(後のブレラ美術館館長)、下はヴィルジニアの肖像を描いた画家ゴルディジャーニが描いた首相カヴールです。

アイエツの絵はカヴールの死後のもののようです。

別記事『イタリア統一運動の時代とフランチェスコ・アイエツの『接吻』『瞑想』』内で、1858年7月、フランスに太い人脈を持っていたカヴールは、フランスのナポレオン3世との間にプロンビエールの密約を結んだと書きました。

この太い人脈というのが、カヴールのいとこであるカスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア。

ナポレオン3世の愛人でした。

カヴールは国際社会におけるサルデーニャ王国の地位向上を目的としてクリミア戦争に参加し、イタリア統一のためにフランスと密約を結びます。

サルディーニャ国王に王女をナポレオン公ジェロームに嫁がせるよう圧力をかけ、サヴォワとニースをフランスに割譲してでも、フランスを対オーストリア戦に巻き込むのです。

1856年、皇后ウジェニーが出産のために欠席した舞踏会で、ナポレオン3世に紹介されたヴィルジニアは見事に自分に与えられた役割をこなしました。

『王たちのセックス』では、ヴィルジニアのことを「頭が空っぽ」としていますが、美人には違いなかったようです。

自分で自分のことを「世界一の美女」と公言し、後に「今世紀一の美女」と訂正したそうですが、

だが多くの人々がこの評価に同意した。メッテルニヒ公妃はヴィルジニアの顔を「優しい卵型で、瞳は深緑のビロード、その上の眉は細密画のように繊細で、小さな鼻は…完璧にバランスがとれていて、歯は真珠のよう」と評している。

エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. KKベストセラーズ. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. p.82.

更に、天は彼女に豊かな乳房を与えました。

そして19世紀に女性たちが着けていたコルセットを着けず、「乳房が揺れるに任せていた」ようです。

見せびらかし?

これは当時の人びとの度肝を抜いたことでしょうね。

自分の美貌にしか興味がない

やっぱりね、という感想を持ってしまうほど、ヴィルジニアの関心は自分の美しさにしか向いていませんでした。

二〇歳の頃、ヴィルジニアは自分の若さと美しさを存分に謳歌していたが、彼女の捨てられた夫は当時こんなことを予言している。きみの最大の友である鏡は、いつの日かきみの最大の敵になるだろう。

 皇帝と別れたあとも、ヴィルジニアは富と権力を併せ持つ男たちと次々に関係をもった。それによってかなりの資産を手にした彼女は、上品なヴァンドーム広場界隈に居を定めた。政治に口をはさみ、外交官と会合をもち、政治家に緊急の書簡を送り、自分には実際よりも大きな政治力があると思い込んだ。

エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. KKベストセラーズ. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. p.334.

元夫の予言通り、老いは確実にヴィルジニアに忍び寄って来ました。

まず、息子が成長した姿で自分の年齢を思い知らされます。

その後自分の歯を一本折り、ヘアアイロンを落としたことで折った足の指を切断してしまうという不運に見舞われます。

かつて完璧を誇った美貌に亀裂が生じました。

そうして次第にエキセントリックになっていき、40歳になったときには住居の壁と天井を黒一色に塗りつぶしました。

窓にはすべてかんぬきをかけ、鏡は全部裏返してしまったそうです。

同性の友人はおらず、限られた男性の友人とだけ会いました。

暗闇のなか、ヴィルジニアは全盛期の古いドレスを持ち出し、

当時の思い出に浸るのだった。ヨーロッパ情勢の形成に自分が重要な役割を果たしたという思い出だ。「わたくしがイタリアをつくったのよ!」とヴィルジニアは叫ぶ。「わたくしが教皇猊下をお救いしたのよ!」

エレノア・ハーマン(著).高木玲(訳).2005-12-30. KKベストセラーズ.『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. p.335.

心にあったのは、1858年7月の「プロンビエールの密約」に、自分が一役買ったという思いだったのでしょうか。

その後、ヴィルジニアが屋敷の外に出るのは夜の時間だけ。

ついには自室に引きこもり、ドアを破った召使いたちが部屋に入ったときには、ヴィルジニアはゴミのなかで息絶えていました。

62歳でした。

遺書では、天に召されるときは、初めて皇帝と結ばれたときに着ていたレースのドレスをまとい、「黒と白の真珠をつないだ有名な9連のネックレスとブレスレット」を身に着けるよう命じていたようですが、宝石は彼女の借金の清算のためにオークションにかけられました。

カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1856年-1857年 ピエール・ルイ・ピアソン メトロポリタン美術館蔵
カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1856年-1857年 ピエール・ルイ・ピアソン メトロポリタン美術館蔵

引用元:カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ 1856年-1857年 ピエール・ルイ・ピアソン

主な参考文献
  • エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. KKベストセラーズ. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』.
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ぴーちゃん様

    見て下さって有難うございました。
    ヴィルジニアの写真、一番有名そうなものを載せてみました。
    知らなければ、プロのモデルさんみたいですよね。
    撮られた写真は400枚以上だそうで、当時の基準でもすごい量だったのではないかと思います。

    確かに肖像画とかなり近いと思いますが、まあ元が美人ですしね。
    実は、この女性とイタリア統一運動とウジェニー皇后の話で投稿しようと、手持ちの資料をひっくり返していたところでした。
    ぴーちゃんさんのお言葉で肖像画と写真の比較の企画を思いつき、ウジェニー皇后はそれなりに有名なので、今回はナル写真のヴィルジニアさんにしてみました。

    「40歳」というのは若いですよね。今なら子育ても仕事もまだまだやれる。体力もある。
    キャリア形成はこれから、または真っただ中でしょう。
    恋に仕事に趣味にと充実した生活を送っておられる方も多いと思います。
    ヴィルジニアのように美人過ぎて、それを拠り所にし過ぎると、美や若さを失うというのは絶望でしかないのでしょうかね。ワインのように熟成した良さ、美しさもあるというのに。
    やっぱりほどほどが平和かな(笑)。

    今回も有難うございました。

  • ハンナさん、こんばんは。
    ヴィルジニアの肖像画は、なかなかリアルですね。
    写真と、あまり変わらない気がしました。
    このような肖像画も、時代が下るにつれて…例えばエリザベス一世の時代の肖像画と比べて…とてもリアルになっていくんのですね。

    ところで、ヴィルジニアがショックを受けて家にこもったという年齢が40歳ですって?!
    今ならば40歳なんて、まだまだ女盛りじゃないですか!
    あまりに容姿に執着すると、不幸ですね。
    ほどほどが一番いいと痛感しました。(笑)

    今日も深い記事をありがとうございました。

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