1983年に開催された「華麗なる女性像 フラゴナールからルノワールへ フランス近世名作展(1983)」から、ピエール・アンリ・ド・ヴァランシエンヌの解説です。
ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ(Pierre-Henri de Valenciennes, 1750年12月6日 – 1819年2月16日)
1983年の図録では、「ピエール・アンリ・ド・ヴァランシエンヌ」表記。
華麗なる女性像 フラゴナールからルノワールへ フランス近世名作展(1983)
展覧会の概要
- 会期: 1983年9月23日(金) – 10月10日(月)
- 会場: 旭川西武
- 主催: 北海道新聞旭川支社、西武美術館
【図録内容】
- あいさつ
- 色彩図版
- フランス絵画の二世紀 瀬木慎一
- 白黒図版
- フランス絵画の黎明と発掘 飯田昌平
- 作品目録・作家略歴 飯田昌平
- 年譜
ピエール・アンリ・ド・ヴァランシエンヌ

ルーヴル美術館Portrait de l’artiste
「Ⅱ新古典主義とロマン主義」より、
「風景画のダヴィッド」という異名をとったヴァランシェンヌは, 18世紀の後半から19世紀の初頭にかけて活躍した画家であり, 多くの弟子を育成した理論家でもあった。彼の弟子のひとりであるミシャロンはコローに多大な影響を与えた画家であり, ヴァランシェンヌは, 作品においても, 理論においても, 19世紀フランス絵画風景画の先駆者であった。1800年に刊行された彼の理論的指導書『実践的遠近法原論』の中で, 彼は当時の画学生徒達に革命的な提案をしている。その中で, 彼は, 空気遠近法の基礎となる色の諧調をつかむために油絵具によるエスキース(粗描)で制作すること, しかも自然をあるがままに捉えるためにできるだけ素早く描くこと, そのために多くても 2 時間, 日の出, 日没を描くには30分と時間を限定すること, などを提案している。コローは実に多くの油絵によるエスキースを残しているが, あたかもヴァランシェンヌの主義を忠実に実行しているかのようである。さらに彼は, 同じ場所をいくつかの違った方法で描くことができると主張しているが, すでに印象派の画家たちの出現を暗示していたといえるであろう。
『華麗なる女性像 フラゴナールからルノワールへ、フランス近世名作展 1983』
※ジャック=ルイ・ダヴィッド (Jacques-Louis David, 1748 – 1825) フランスの新古典主義の画家。

引用元:『自画像 (ダヴィッド)』
ルーヴル美術館Autoportrait

引用元:『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』
ヴァランシェンヌは1750年12月6日, トゥールーズに生まれた。トゥールーズで基本的な教育を受けた後, パリにやってきて, ドワイアンの弟子となった。その後イタリアに赴き, 主にクロード・ジュレやプッサンの作品を研究した。パリに帰ってくるとすぐに, 彼は熟達した風景画家としての名声を得た。彼は「古典的風景画」という派を起こし, 多くの弟子を集めた。1789年王立アカデミーは革命の会員の選ばれるが, 王立アカデミーは革命の後, 1793年議会によって廃止された。1800年『実践的遠近法原論』を刊行し, 風景画に関心を持ち始めていた当時の若い画家たちに多くの影響を与えた。1816年, 彼はローマ賞の中に「歴史的風景画」の部門を創設した。その第 1 回の受賞者はコローの師, ミシャロンは1822年に夭折している。1819年2月16日, 彼は風景画の機運がますます高まっていく中で, 69歳の生涯を閉じた。
イタリア時代の彼の活動はほとんど知られていなかったが, 1930年ルーヴルで, ルイ・ド・クロア王妃の寄贈品によるヴァランシェンヌの展覧会によって広く知れわたるようになった。さらに1976年ルーヴルで「ヴァランシェンヌの風景画展」が開催され, ヴァランシェンヌの研究も進んできている。
『華麗なる女性像 フラゴナールからルノワールへ、フランス近世名作展 1983』
ヴァランシエンヌの周辺
ガブリエル=フランソワ・ドワイアン(Gabriel-François Doyen, 1726 – 1806)
ヴァランシェンヌの師 ガブリエル=フランソワ・ドワイアンはフランスの画家です。シャルル=アンドレ・ヴァン・ローに学びました。
賞を逃し、自殺を試みたダヴィッドを、審査員のひとりだったドワイアンが思いとどまらせたということもあったようです。


ヴェルサイユ宮殿Louis XVI reçoit à Reims, après son sacre, les hommages des chevaliers du Saint-Esprit, 13 juin 1775
ドワイアンはヴィジェ=ルブランの父の友人でもあり、父を亡くしたヴィジェ=ルブランを励ましました
フラゴナールの傑作『ぶらんこ』。最初に依頼されたのはドワイアンでした
ドワイアンの師 シャルル=アンドレ・ヴァン・ローによるポンパドゥール夫人
クロード・ロラン (Claude Gellée, dit le Lorrain, c.1600 – 1682)
フランスのバロック・フランス古典主義絵画の画家。ロランはその生涯の大半をローマで過ごしました。
本名はクロード・ジュレといい、出身地がロレーヌ地方であることから「ロラン」と呼ばれました。

引用元:Claude Gellée, dit le Lorrain

引用元:踊るサテュロスとニンフのいる風景
国立西洋美術館踊るサテュロスとニンフがいる風景
二コラ・プッサン (Nicolas Poussin, 1594 – 1665)
「哲人画家」とも称されるプッサン。
プッサンはフランス出身の画家ですが、彼も人生の大半をローマで過ごしました。

引用元:『自画像』
ルーヴル美術館Autoportrait

引用元:『アルカディアの牧人たち』
ルーヴル美術館Les Bergers d’Arcadie
アシール=エトナ・ミシャロン (Achille-Etna Michallon, 1796 – 1822)
20代の半ばで早世した、ヴァランシエンヌの弟子。父は彫刻家クロード・ミシャロン、叔父は彫刻家ギヨーム・フランサン。
アシール=エトナ・ミシャロンは、バルビゾン派の画家カミーユ・コローの師でもあります。

オルレアン美術館Portrait of Achille-Etna Michallon (1796-1822)
ダヴィッドやヴァランシエンヌに学び、1812年にサロン・ド・パリにデビュー。
1817年、風景画の分野でローマ賞を受賞。
1818年、ローマのフランス・アカデミーに留学。その修行のなかで、南イタリアを旅し、ポンペイやシチリアを訪れます。
1821年にパリに戻ってスタジオを開き、ジャン=バティスト・カミーユ・コローらを教えますが、1822に肺炎がもとで亡くなりました。25歳でした。

ルーヴル美術館La Femme foudroyée
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー (Jean-Baptiste Camille Corot, 1796 – 1875)
カミーユ・コローは、19世紀のフランスの画家、バルビゾン派の創始者の一人。
アシール=エトナ・ミシャロン、ジャン=ヴィクトール・ベルタン(1767 – 1842。ヴァランシエンヌの弟子)に師事しました。

引用元:Self-portrait

ルーヴル美術館Souvenir de Mortefontaine (Oise).
ヴァランシエンヌの作品

引用元:Rome: maisons dominées par un dôme
ルーヴル美術館Rome: maisons dominées par un dôme

引用元:The Ancient City of Agrigento
ルーヴル美術館L’ancienne ville d’Agrigente

引用元:Cicero Discovering the Tomb of Archimedes CC-BY-SA-4.0 Didier Descouens
トゥールーズ・オーギュスタン美術館Cicéron découvrant le tombeau d’Archimède – tableau

ルーヴル美術館A Rocca di Papa: montagnes cachées dans les nuages

リール美術館Paysage historique

トゥールーズ・オーギュスタン美術館Eruption du Vésuve arrivée le 24 août de l’an 79 de J.-C. sous le règne de Titus – tableau

引用元:Paysage historique avec Démetrius et Mithridate
トゥールーズ・オーギュスタン美術館Paysage historique avec Démetrius et Mithridate – Colloque d’Archelaos et de Sylla – tableau

引用元:Farm-buildings at the Villa Farnese: the Two Poplar Trees
ルーヴル美術館Fabriques à la villa Farnèse: les deux peupliers

引用元:Vue à Nemmi Éditer sur Wikidata
ルーヴル美術館Vue à Nemi
旭川西武版はルノワール作品が表紙でした
「歴史的風景画」について言及あり






