イタリア、チェラージ礼拝堂におけるカラヴァッジョとアンニ―バレ・カラッチの夢のコラボです。
カラヴァッジョがほめた絵画 カラッチの『聖マルガリータ』
※カラヴァッジォ、カラヴァッジョなどと表記されますが、この記事内では「カラヴァッジョ」としています。
『聖マルガリータ』( Santa Margherita ) 1599年 アンニーバレ・カラッチ
引用元:『聖マルガリータ』
カラヴァッジョはこの絵が公開されたとき、見に来て長時間眺め、「自分の時代に真の画家を見ることができてうれしい」と述べたという。
宮下規久朗(著). 2009-12-20. 『もっと知りたい カラヴァッジョ』. 東京美術. p.39.
アンニ―バレ・カラッチとカラヴァッジョ。どちらもバロックの時代を代表する巨匠です。
バロックの語源はポルトガル語の barroco 。「歪んだ真珠」を意味するといわれています。
当時台頭してきたプロテスタントに対抗し、勢力の巻き返しを図ったカトリック側。
プロテスタントが否定した宗教美術を、読み書きができない人びとにとっての「聖書」とし、誰が見ても理解できるような「わかりやすさ」「高尚さ」を宗教美術に求めるようになりました。
イタリア出身の画家カラヴァッジョは強い明暗の効果を用い、それまでは理想的な聖性を以て描かれていた聖人たちを、庶民のようなリアルな姿に描き出します。
カラヴァッジョの絵は多くの画家たちに影響を与え、カラヴァジェスキと呼ばれる多くの追随者を産み出します。(英語ではカラヴァジェスティ、The Caravaggisti )
この革新的なバロック美術に対し、古典的なバロック美術も同時に生まれました。
『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』(東京美術)では、「古典(規範)」とはラファエロのことで、その第一人者がカラッチである、とあります。
引用元:『聖マルガリータ』
アンニーバレ・カラッチ( Annibale Carracci, 1560年11月3日-1609年7月15日)
イタリア、ボローニャを中心に活動した「ボローニャ派」の画家。
画家「カラッチ一族」のひとりで、兄にアゴスティーノ、従兄にルドヴィーコがいます。
1585年頃に設立した画学校からは、グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノなど後世に名を残す画家たちが出ました。
引用元:自画像
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ( Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571年9月29日-1610年7月18日)
引用元:カラヴァッジョの肖像画
カラヴァッジョはミラノで生まれました。
バロック期に活動し、強い明暗対比表現(キアロスクーロ chiaroscuro )は、ジェンティレスキ、ルーベンスなど多くの画家に影響を与えています。
その一方でカラヴァッジョの私生活は、殺人、逃亡など、暴力と犯罪に彩られたものでした。
写実的な画風と同じく、歯に衣着せぬ率直な物言いの(口が悪い)カラヴァッジョでしたが、カラッチの『聖マルガリータ』を観て、「自分の時代に真の画家を見ることができてうれしい」と言ったそうです。
ただでさえ素晴らしい『聖マルガリータ』が、さらに有り難く見えてきました(^^;。
このカラッチとカラヴァッジョは、ローマにあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のチェラージ礼拝堂で「共演」しています。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 チェラージ礼拝堂
引用元:チェラージ礼拝堂 sailko CC-BY-SA-3.0
奥にカラッチの『聖母被昇天』、その左右にカラヴァッジョの絵画があります。
引用元:チェラージ礼拝堂内
1600年、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂の『聖マタイ伝』を手掛け、公式デビューを果たした29歳のカラヴァッジョ。
『聖マタイ伝』は評判となり、その後まもなくサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のチェラージ礼拝堂の作品の注文が来ます。
この礼拝堂の装飾は、アンニ―バレ・カラッチが手がけて中断したものであった。カラヴァッジョはカラッチによる正面の祭壇画《聖母被昇天》に影響され、人物の比重の大きい構図を生み出した。ローマの二大守護聖人の殉教と回心を扱った《聖ペテロの磔刑》と《聖パウロの回心》である。後者は最初に描いたヴァージョンがなぜか設置されず、描き直され、「キリスト教美術史上、最も革新的」といわれる第二作が設置されている。
宮下規久朗(著). 2009-12-20. 『もっと知りたい カラヴァッジョ』. 東京美術. p.36.
『聖母被昇天』( L’Assunzione della Vergine ) アンニーバレ・カラッチ
引用元:『聖母被昇天』 © José Luiz Bernardes Ribeiro / CC BY-SA 4.0
人の子として地上に生まれた聖母マリアが、両手を広げ、喜びに満ちた表情で天に昇っていく様を描いています。
死後三日目、聖母は土に還ることなく、神によって聖母の魂と肉体は天に召されます。
墓に集まっていた使徒たちはその奇蹟を目の当たりにして、驚き、感動しています。
聖母マリアに関する物語は、聖書にはほとんど記事がないため、聖母信仰が高まった中世以降、外典福音書などに基づいて、さまざまな形に発展した。死後栄光に包まれて天に召されたという「被昇天」の物語も、中世以降高まった聖母信仰を反映している。
千足伸行(監修). 2009-4-20. 『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』. 東京美術. p.126.
天井画 インノチェンツォ・タッコーニ
引用元:インノチェンツォ・タッコーニによる天井画 Sailko CC-BY-3.0
ボローニャ出身のインノチェンツォ・タッコーニ( Innocenzo Tacconi, 1575年-1625年)による天井画です。
タッコーニはルドヴィーコ・カラッチの甥で、アンニーバレ・カラッチの弟子。ローマで亡くなりました。
礼拝堂入り口 ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチ
引用元:ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチによる礼拝堂入り口のフレスコ画 Carlos Goulão CC-BY-SA-2.0
ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチ( Giovanni Battista Ricci, 1537年頃-1627年)はイタリアのノヴァーラ出身で、マニエリスム後期からバロック初期に活躍。
主にローマで活動し、ローマで亡くなりました。
『聖ペテロの磔刑』( Crocifissione di san Pietro ) カラヴァッジョ
引用元:『聖ペテロの磔刑』
引用元:『聖母被昇天』 Allan CC-BY-SA-2.0
黙々と、あるいは淡々と、作業する人びとによって、今まさに磔にされています。
頭を下方にされた聖ペテロが上半身を起こしています。
こちらにお尻を向けている作業員の足の裏が汚れて真っ黒ですね。
カラヴァッジォの絵画『ロレートの聖母』で、こちらに背を向けて膝をつく巡礼者を思い出します。
彼の足の裏も真っ黒に汚れていました。
当時の労働者や巡礼者、この絵を観る人びとの足裏の多くがこうだったのでしょう。
とてもリアルです。
引用元:『ロレートの聖母』
『図説 イタリア・ルネサンス美術史』(河出書房新社)では、この『聖ペテロの磔刑』と『聖パウロの回心』、『聖マタイと天使』の三作品に共通する特徴として、「突出効果」を挙げています。
例えば《聖ペテロの磔刑》では、逆さ十字に架けられる聖人は短縮法を用いて頭部を奥に、足を前方に置いて描かれている。そして十字架の土台の部分がふたりの刑吏によって支えられ、ひとりは思いっきり上半身を前に傾け、もうひとりは臀部を突き出し、泥で汚れた足の裏を見せている。
松浦弘明(著). 2015-3-30. 『図説 イタリア・ルネサンス美術史』. 河出書房新社. p.155.
ぱっと見、刑吏の突き出たお尻が印象に残ります。
そして暗い背景から浮かび上がるような聖ペテロの肌の色も。
こうしたポーズをとる彼らの白い肌が暗褐色の背景とコントラストをなし、まるで画面から浮かび上がってくるように見える。手前の刑吏の右ひじやシャベルの先端にハイライトを当て、目立つように表現していることも、こうした「突出効果」を高めるための工夫だろう。
《聖ペテロの磔刑》が置かれているチェラージ礼拝堂は幅がせまくて薄暗い。大型作品を設置するには恵まれているとは言えないこの環境を、カラヴァッジョは逆手に取り、描かれた人物像があたかも壁面から見る側の方へ迫ってくるように表現したのである。
松浦弘明(著). 2015-3-30. 『図説 イタリア・ルネサンス美術史』. 河出書房新社. p.155.
画集やWEB上の絵からでも、引き上げられようとする十字架の緊迫感は充分に感じられますが、実際にこの絵を観た時には刑吏の突き出た臀部から、「こちらに向けて」半身を起こすような、奥の聖ペテロに視線が移動します。
カラヴァッジョは、礼拝堂という限られた空間の中、230 ㎝ × 175 ㎝ という画面を最大限に活かしたのだといえましょう。
『聖パウロの回心』( La conversione di San Paolo ) カラヴァッジョ
引用元:『聖パウロの回心』
引用元:『聖母被昇天』 Colin Hepburn CC-BY-SA-2.0
異教徒のパウロが回心する場面。
キリスト教徒迫害の急先鋒としてダマスカスに向かっていたパウロ(ヘブライ語ではサウロ)は、突然神の声を聞きます。
回心(英語では conversion)とは、「宗教的意味で,罪人の神への帰還,平凡な生活からキリスト者の生活に転じること,あるいは不信や迷信から真の信仰に改宗することをいう。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)。
カラヴァッジョが最初に制作した絵はこちらでした。
引用元:『聖パウロの回心』
巨匠ミケランジェロ、タッデオ・ツッカリの作品でも、「天から神が姿を見せ、人々が驚き慌てる情景」となっています。
引用元:『聖パウロの回心』
引用元:『聖パウロの回心』
ツッカリの影響か、カラヴァッジョの二作目ではパウロは馬から落ちた格好で両手を広げています。
しかし、登場人物は少なく、一作目や上の絵画に見られるような神や天使、パウロの仲間はいません。
描かれているのは、馬と馬丁とパウロだけです。
一瞬パウロが「馬に踏まれている( ゚Д゚)」ように見えますが(私だけ?)、大丈夫。踏まれていません。
馬の立派なお尻に目が行きます。(私だけ?)
馬と馬丁はパウロの様子に気付いていないようです。
静かに瞳を閉じているパウロ。
劇的な回心劇は閉じたパウロの瞳の中でのみ起こっており、場面は静寂が支配している。この絵も描き直された跡があり、当初パウロは半身を起こしていたことがわかる。初夏などには教会の高い窓から光が差し込み、この絵を右上から横切ってパウロの手に受け止められているのを見ることができる。画家はこうした効果を見て書き直したのではないだろうか。
宮下規久朗(著). 2009-12-20. 『もっと知りたい カラヴァッジョ』. 東京美術. p.36.
カラヴァッジョがこの絵を描き直した理由ははっきりしていないようです。
『もっと知りたい カラヴァッジョ』では、カラヴァッジョが常に鑑賞者の視点の位置を考慮して画面構成をしていたとありますので、上に引用させていただいた宮下氏のお考えは正しいのだろうなと思います。
依頼主 ティベリオ・チェラージ( Tiberio Cerasi, 1544年-1601年5月3日)
引用元:ティベリオ・チェラージ(チェラージ礼拝堂内の胸像) Sailko CC-BY-3.0
ティベリオ・チェラージは、イタリアの高位聖職者であり銀行家でした。
引用元:契約書の、公証人の写し
八ヶ月以内に、チェラージ礼拝堂のための『聖ペテロの磔刑』と『聖パウロの回心』を仕上げるという旨の契約書、の写しです。
報酬は 400スクーディでした。
カラッチの『聖母被昇天』は既に完成していましたが、カラッチは他の仕事にかかっており、カラヴァッジョに仕事が回ってきたというわけなのです。
この礼拝堂のおかげで、ティベリオ・チェラージ氏の名は後世に残ることになりました。
アンニ―バレ・カラッチのその後
カラッチはファルネーゼ枢機卿の庇護を受け、ファルネーゼ宮殿の天井装飾を手がけます。
引用元:枢機卿オドアルド・ファルネーゼ(1573年-1626年)の肖像
※ファルネーゼ枢機卿の肖像画は Wikipedia の説明欄では「アンニ―バレ・カラッチ」となっていますが、ルーヴル美術館の説明では「アゴスティーヌ・カラッチ」となっています。
ドメニキーノやグイド・レーニら才能ある弟子たちを動員して制作した大作だったにもかかわらず、この仕事に対する報酬は低いものでした。
このことが原因でカラッチはうつ病になってしまったといわれています。
カラヴァッジョが称えたカラッチは1609年に亡くなり、カラヴァッジオも翌年1610年に亡くなりました。
これらチェラージ礼拝堂の絵画についてもっと詳しく知るなら
- 宮下規久朗(著). 2009-12-20. 『もっと知りたい カラヴァッジョ』. 東京美術.
- 千足伸行(監修). 2009-4-20. 『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』. 東京美術.
- 松浦弘明(著). 2015-3-30. 『図説 イタリア・ルネサンス美術史』. 河出書房新社.
コメント
コメント一覧 (2件)
ハンナさん、こんにちは。
バッハに代表されるバロック音楽はよく聴きますが、バロック美術は恥ずかしながら、初めて知りました。
歪んだ真珠ですか…絵画を見た感じでは、重々しい暗い印象を受けますね。
尤もキリスト教関係の宗教画では、明るい印象のものは少ないのでしょうけど。
「聖ペテロの磔刑」は、その後が想像されて、なんか胸がドキドキしました。
リアルすぎる!!
ギリシャ神話は良く知られていますが、イエス・キリストもしくはキリスト教の歴史は実はあまり知られていないのでは?
背景がよく分かると、宗教画の鑑賞はより楽しく?(だって暗い絵が多いんですもの…)なるだろうな…とつくづく思いました。
凡人の独り言を書くけど、聞き流してください…
やせこけていないキリストは、あまり悲壮感を感じません…m(__)m
ぴーちゃん様
コメント有難うございます。
私の中の「バロック芸術」とは、「なんかよくわかんないけど、なんかすっごいというのはわかる」です。しょぼい印象で申し訳ありません。
若い頃は、ルネサンス、荘厳・華麗・派手なバロック芸術、その後の恋愛遊戯・軽薄なロココ芸術は好きではなく、退廃的な世紀末芸術が大好きでした。
それが段々好みが変わってきたようで、どれも良いなあと思うようになってきました。背景や意味がわかると新たな発見、面白さがありますよね。
クリスチャンではないのでその信仰の表面くらいしか理解できませんが、当時の人びとはこれらの絵を見てとても感動したことだろうなと思います。そこにすごく興味を覚えます。
確かに、キリスト教の歴史というのはあまり見かけない話題ですね。
キリスト教圏のひとにとっては当たり前なことでも、私にとっても興味深いものです。
昔、欧州の田舎の教会に寄った時、すごく凄惨な姿のキリスト像に慄いたことがありました。
それまでに見た像の中で最も痛そうでした。
後で見たCGで復元したキリスト像とは全く違っていますが、やはりイメージとしては、痩せた、流血の姿の男性が浮かびますね(;・∀・)。