フランス国王ルイ15世の食堂に飾られていた『牡蠣の昼食』。楽しそうに歓談するひとたちのうち、数人の視線が空中のある一点に集中しています。彼らは一体何を見ているのでしょうか。
『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵
引用元:『牡蠣の昼食』
『牡蠣の昼食』では人びとは何を見ているのか?
フランス王ルイ15世の注文を受けて描かれ、かつてはヴェルサイユ宮殿の、小アパルトマンの食堂に飾られていた『牡蠣の昼食』。
話に夢中になっているひとがいる一方で、数人の視線が空中のある一点に集中していますね。
彼らは何を見ているのでしょうか。
答は、「シャンパンのコルク」です。
シャンパンのボトルを手に、見上げている男性が飛ばしたようです。彼の右手にはナイフらしきものが握られています。
牡蠣を運んできた給仕人も一緒に見上げています。
引用元:『牡蠣の昼食』
画面中央ではシャンパンが冷やされ、卓上ではシャンパンのグラスが、ボウルのような器に入れられています。
当時はこんな容器を使用して冷やしていたんですね。
床には殻が散らばっていますが、このトロワの絵に描かれた牡蠣について、『描かれた食卓 名画を食べるように読む』の著者、磯部勝氏はこのように書いておられます。
…、その床の牡蠣を見ると、アサリのような丸い形をしているのがわかる。牡蠣といえば、中ほどがややくびれた細長い形のものが私たちにはなじみ深い。調べてみると、細長いのは日本で生まれた品種で、かつてヨーロッパの牡蠣はすべてアサリのような形をしていたようだ。ただし、今ではヨーロッパ種が病気でほとんど全滅してしまい、日本の種をあちらで養殖したものが主流になっているという。パリの冬の名物オイスターも、今や広島生まれのブルターニュ育ちというわけである。
磯部勝(著). 『描かれた食卓 名画を食べるように読む』. 生活人新書. p.20.
広島産(゚д゚)!
18世紀のヨーロッパ、牡蠣は上流貴族の食卓によく登場する人気の食材でした。
関田淳子氏の著書『モーツァルトの食卓』によると、
彼らヨーロッパ王侯貴族たちが、カキに取り憑かれるようになった火付け役は、フランスのグルメ王ルイ十四世で、フランス宮廷では今日同様、ワインを飲みながら、レモン汁をかけたカキ・パーティーが毎年開かれていた。
関田淳子. 2010-12-25. 『モーツァルトの食卓』. 朝日選書. 朝日新聞出版社. p.120.
とあります。いいですね。美味しいですもんね!
『牡蠣の昼食』と対をなす『ハムの昼食』
『すぐわかる西洋絵画よみとき66のキーワード』(東京美術)でも『牡蠣の昼食』が紹介されていますが、絵のタイトルは『牡蠣の午餐』となっています。
フランス国王ルイ15世がヴェルサイユ宮殿の小アパルトマンの食堂の装飾として注文した作品。二コラ・ランクレの描いた《ハムの午餐》と対をなす。牡蠣とシャンパンで午餐をとる貴族たちが描かれているが、当時の人びとにはモデルが誰なのか、すぐわかったようである。
千足伸行(監). 2008-11-20. 『すぐわかる西洋絵画よみとき66のキーワード』. 東京美術. p.50.
『牡蠣の昼食』と対を成す絵、二コラ・ランクレ( Nicolas Lancret, 1690年-1743年)の『ハムの昼食』です。
『ハムの昼食』( Déjeuner de jambon ) 1735年 二コラ・ランクレ コンデ美術館蔵
引用元:『ハムの昼食』
雅宴画の創始者ヴァトー(ワトーとも表記)に続くランクレは、このような田園のなかの宴会を好んで描きました。
屋外ということもあり、『牡蠣の昼食』の食事風景とはまた違いますが、でも幸せそう。楽しそうに見えます。
地面には割れた皿、と空き瓶がありますね。
ボストン美術館にある『公園での昼食』は、『食べる西洋美術史』(光文社新書)では『ハムのある昼食パーティ』として取り上げられています。
『公園での昼食』( Luncheon Party in a Park ) 1735年 二コラ・ランクレ ボストン美術館蔵
引用元:『公園での昼食』
ある日のルイ15世の食事メニュー
さて、ヴェルサイユ宮殿の祝宴はどんなものだったのでしょう。
ヴェルサイユの祝宴は、宮殿の装飾も王侯貴族の衣装も絢爛華麗なら食卓も豪勢そのものだった。王ひとりが食事をした時の献立なるものがわかっているが、その料理の数と量が多いのに驚かされる(王と家臣が全部喰べたわけでないだろう)。
山本博(著). 2018-3-1. 『ワインの世界史』. 日経ビジネス人文庫. p.202.
例えば、太陽王ルイ14世はとても食欲旺盛だったことで知られています。
1744年の、ある日のルイ15世(当時28歳)の献立を見てみましょう。
- 老いた去勢雄鳥のスープ、しゃこ(青物つき)、鳩の濃厚スープ、鶏のとさかのブイヨン。
- (オードブル)去勢雄鳥の焼肉、やまうずら(扁豆つき)、プラルド詰物、去勢雄鳥の細切り。
- (アントレ)こうし、鳩のパイ、鶏のフリカッセ、しゃこの細切り。
- (小オードブル)やまうずらの煮物、焼パイ、七面鳥(雌)のあぶり焼、松露風味づけプラルド、鶏のシチュー。
- (焼物)肥えた去勢雄鳥、若鶏、鳩、しゃこのパイ、たしぎ、仔鴨、しゃこ。
フリカッセはホワイトクリームで煮こんだもの。うずら、たしぎ、しゃこなどの野鳥は、本来猟の獲物として珍重された。ルイ15世は専用の台所と料理道具を持っていたし、ソースやラグー(肉と野菜の煮込み)を作るのが上手で、コーヒーを自分で入れて臣下たちにすすめた。
『Theあんてぃーく Vol.12 食卓がある風景』. 読売新聞社. p.110.
引用元:ルイ15世の肖像
美男の国王ルイ15世。
後に華麗なるロココ文化を牽引するポンパドゥール夫人が公式寵姫となるのは、この翌年(1745年)でした。
引用元:ポンパドゥール侯爵夫人
ポンパドゥール夫人「酔って美貌を損なわないのはシャンパンだけ」
ルイ14世の御用達となったのは、ブルゴーニュの「ニュイ」というワインでした。
次のルイ15世の時代。
ポンパドゥール夫人には手に入れたいと願う「ある畑」がありました。
この畑が売りに出るという情報がヴェルサイユに流れた。誰が手に入れるかということをめぐる暗躍とその帰趨について多くの真偽定かならぬ挿話があるが、とにかく結果的にこの畑を狙ったルイ十五世の寵姫ポンパドゥールの鼻をあかすように大金を積んで手に入れたのがコンティ公だった。そのため寵姫の恨みを買い、外務大臣の地位を失脚したという伝説まで生れた。つまりワインが政治的話題にまでなり、ヴェルサイユの認知がワインの地位を左右する時代だったのである(この畑に「ロマネ・コンティ」という名がついたのはフランス革命時の競売の時である)。
山本博(著). 2018-3-1. 『ワインの世界史』. 日経ビジネス人文庫. p.207.
手に入れられずに終わったブルゴーニュの畑。
この一件を恨みに思うポンパドゥール夫人は、「酔って美貌を損なわないのはシャンパンだけ」という名セリフでシャンパンを称えたと言います。
ポンパドゥール夫人は、1755年頃からシャトー・ラフィットも愛飲しました。
ロマネ・コンティを手に入れそこなったため、それに負けない名酒を求めていたポンパドゥール妃が見つけたのがシャトー・ラフィットだった。
山本博(著). 2018-3-1. 『ワインの世界史』. 日経ビジネス人文庫. p.211.
フォンテーヌブロー城のための絵画
『狩の食事』( Le Repas de Chasse’ aussi dit ‘Le déjeuner de Chasse ) 1737年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ ルーヴル美術館蔵
引用元:『狩の食事』
『美食の歴史』(創元社)にカラーで掲載されている、ド・トロワの絵画。
フォンテーヌブロー宮の王の小さな居室の食堂を飾るために制作されました。
『狩猟の合間の昼食』( Halte de chasse ) 1737年 シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー ルーヴル美術館蔵
引用元:『狩猟の合間の昼食』
シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー(カルル・ヴァン・ローとも表記 Charles-André van Loo, 1705年-1765年)の作品。
貴族が外で食事をするのは、貴族の最大の遊びである狩猟のときである。カルル・ヴァン・ローの『狩猟の合間の昼食』には、狩猟の合間に食事をとる貴族の男女が生き生きと描かれている。陶器の皿やワインのグラスがあり、大きな肉のパイを切ろうとする者、ローストした何種類もの肉が見える。画面左には黒人の給仕が描かれている。
この作品はフォンテーヌブロー城の食堂を飾るために描かれたものだが、風景は単なる書き割りのように類型的で、宮廷の延長のような食事風景である。ジャン・フランソワ・ド・トロワの同じ主題の作品では、白い布をかけたテーブルまで持ち出され、本格的な宴席となっている。森の中ではあるが、画面右には別荘のような建物から使用人が出入りしており、そこで調理されているのがわかる。
宮下規久朗(著). 2007-1-20. 『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』. 光文社新書. p.194.
前述の『牡蠣の昼食』にはモデルとなった人物がいたそうですが、このような雅宴画は当時の貴族のありのままを描いたというより、「こうありたい」という理想の風景を描いたもので、場所も人物も特定のものではありません。
カトリックと美食
この前の時代、フランスはカトリックとプロテスタントに二分され、争いや混乱が続きました。
アンリ4世、ルイ13世の治世を経て、ルイ14世の絶対王政の時代を迎えます。
フランスは再びカトリックの国となりました。
一般に大陸のカトリック教国では、おいしいものへの愛や執念が、キリスト教文明の善き作法、趣味の良さとして許容されました。これは、プロテスタントの国であるドイツやイギリスではなく、カトリックのフランス、スペイン、イタリアで「おいしいもの」の追求がさかんなことと関係しています。
池上俊一(著). 2015-10-5. 『お菓子でたどるフランス史』. 岩波ジュニア新書. 岩波書店. p.82.
教会は、過度に豪奢で洗練された食べ物を、あまりに快楽をともなって食べるのはいけないが、それも社会身分、年齢、性によって異なるとしました。また、カトリック教会では、社交、礼儀も重視されましたから、食卓はその教育の場になるとも考えられたのです。
池上俊一(著). 2015-10-5. 『お菓子でたどるフランス史』. 岩波ジュニア新書. 岩波書店. p.82.
その「カトリックのエリートの奔放な食卓」風景として、質素なプロテスタントの食卓とは真逆な、『牡蠣の昼食』が挙げられています。
奔放とも思えますが、『牡蠣の昼食』には陽気さ、生きる楽しさが溢れているように見えませんか。
ジャン=フランソワ・ド・トロワ( Jean François de Troy, 1679年1月27日-1752年1月26日)
引用元:自画像
フランスの画家ジャン=フランソワ・ド・トロワは、1679年パリに生まれました。
歴史画家だった父から絵を学び、イタリアに遊学。
帰国後はアカデミーの会員となり、パリの美術アカデミー教授を経て、ローマのフランス・アカデミー会長に就任します。
最後はローマで亡くなりました。
- 磯部勝(著). 『描かれた食卓 名画を食べるように読む』. 生活人新書.
- 千足伸行(監). 2008-11-20.『すぐわかる西洋絵画よみとき66のキーワード』. 東京美術.
- 『Theあんてぃーく Vol.12 食卓がある風景』. 読売新聞社.
- 宮下規久朗(著). 2007-1-20.『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』. 光文社新書.
- 池上俊一(著). 2015-10-5. 『お菓子でたどるフランス史』. 岩波ジュニア新書. 岩波書店.
- アントニー・ローリー(著). 池上俊一(監修). 2007-6-10. 『美食の歴史』. 創元社.
- 山本博(著). 2018-3-1. 『ワインの世界史』. 日経ビジネス人文庫.
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