オルセー美術館にある、彫刻『蛇に噛まれた女』。この彫刻のモデルである完璧なプロポーションの持ち主はどなた?
『蛇に噛まれた女』( Femme piquée par un serpent ) 1847年 オーギュスト・クレサンジェ オルセー美術館蔵
引用元:『蛇に噛まれた女』 Rama CeCILL CC-BY-SA-2.0-FR
引用元:『蛇に噛まれた女』 Gautier Poupeau from Paris, France CC-BY-2.0
オルセー美術館:Femme piquée par un serpent
薔薇の褥の上、激しく身をよじる女性。
その手首には蛇が巻き付いています。
蛇と美女の組み合わせは古代エジプトの女王クレオパトラを思わせますね。
彫刻家オーギュスト・クレサンジェ( Auguste Clésinger, 1814年10月22日-1883年1月5日)
オーギュスト・クレサンジェ(オーギュスト・ジャン=バチスト・クレサンジェ)はフランスの彫刻家です。クレサンジェはクレザンジェとも表記します。
引用元:オーギュスト・クレサンジェ
作曲家フレデリック・ショパンと交流があり、彼の墓碑の彫刻家としてよく知られています。
クレサンジェの妻は女流作家ジョルジュ・サンドの娘ソランジュでした(後に別離)。
『蛇に噛まれた女』のモデル マダム・サバティエ(1822または1823年4月8日-1890年1月3日)
この彫刻のモデルとなったのは、高級娼婦のアポロ二―・サバティエ(またはアポロニエ Apollonie Sabatier)でした。
引用元:マダム・サバティエ
『北欧版 エロスの歴史 第4巻ヴィクトリア朝時代』では、19世紀(前半?)、
この時期には、だいたい純粋な好色文学が貧弱であったが、好色芸術のほうはなかなか盛んであった。
オーヴ・ブリュセンドルフ・ポール・ヘニングセン(著). 大場正史・宮西豊逸(訳). 1962-7-12. 『北欧版 エロスの歴史 第4巻ヴィクトリア朝時代』. 二見書房. p.127.
と述べ、ジョルジュ・サンドと関係のあったミュッセの『ガミアニ』を挙げた後、
《ガミアニ》と多少とも似ているのは、テオフィユ・ゴティエ(一八八一-七二年。フランスの作家。)の《モパン嬢》(一八三三年刊)や、お上品ぶった階級のエロティシズムをずばりとえがいた《この人あの人ー若いフランスの熱狂的な人たち》(一八五三年刊)であるが、後者は検閲官に押収された。ゴティエはまた《議長への手紙 ー イタリアの旅路》(一八五〇年刊)の作者ともされている。これは「議長」と呼ばれるパリの若い女性あてに、旅路のことをたいへん色好みに語った作品である。
この淑女に、ボードレールも一連の詩をささげている。彼女はマダム・サバティエといって、フロショ街で優雅な暮らしをいとなんでいて、邸へは芸術家たちだけを迎えいれていた。
オーヴ・ブリュセンドルフ・ポール・ヘニングセン(著). 大場正史・宮西豊逸(訳). 1967-7-12. 『北欧版 エロスの歴史 第4巻ヴィクトリア朝時代』. 二見書房. pp.136-137.
マダム・サバティエのサロンの常連には、前述の作家テオフィル・ゴーティエ(ゴチエとも表記) 、小説家ギュスターヴ・フローベール(フロベールとも表記)、詩人シャルル・ボードレールや彫刻家クレサンジュ、画家のマネやドレもいたようです。
マダム・サバティエは恋愛遊戯より、取り巻きが繰り広げる活気に満ちた議論を好んで聞きたがったため、周囲からは「議長」と呼ばれるようになりました。
そしてゴティエの覚え書きから判断すると、彼女はそのあだ名を受け入れ、気品たかく、圧倒的な魅力をたたえていた。
オーヴ・ブリュセンドルフ・ポール・ヘニングセン(著). 大場正史・宮西豊逸(訳). 1962-7-12. 『北欧版 エロスの歴史 第4巻ヴィクトリア朝時代』. 二見書房. p.137.
マダム・サバティエは、一時期ですが、クレサンジェの愛人でした。
作品は、アポロ二―の体から直接に石膏で型を取り、顔のみクレサンジュが古代ギリシア彫刻のヴィーナスふうにアレンジしたという。題名の『蛇に噛まれた女』というのは単なる口実で、花をちりばめた台座の上にそり返るヌードが、性的な絶頂感に身悶えしていることは誰の目にも明らかである。
モデルのアポロ二―が当時知らぬ人のない美貌の高級娼婦で、しかも作者の愛人となれば、この作品の目的は明白。世の男どもが夢見てやまない絶世の美女の、ベッドでの姿を描いてみせること以外にない。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館 名画に描かれた愛と情熱のクライマックス』. マガジンハウス. p.48.
引用元:マダム・サバティエの胸像 PRA CC-BY-SA-4.0
『ヴィーナスの誕生』( Naissance de Vénus ) 1863年 アレクサンドル・カバネル オルセー美術館蔵
引用元:『ヴィーナスの誕生』
アレクサンドル・カバネルの『ヴィーナスの誕生』は、『蛇に噛まれた女』の15年後に制作されました。
『絶頂美術館』著者の西岡氏は、同じオルセー美術館にあるカバネルの絵画『ヴィーナスの誕生』を挙げ、クレサンジェの彫刻をこのように仰っています。
古代ギリシア・ローマの彫刻にならって理想化されるのが通常であった当時のヌードの常識を破り、生身の女性のリアルな官能性を描写、一世代後輩のカバネルが活躍することになる一九世紀なかばのパリ画壇の作風の先駆けとなっている。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館 名画に描かれた愛と情熱のクライマックス』. マガジンハウス. p.48.
作者が見せたかったのは、「生身の女性のリアルな官能性」だったのでしょうか。ほのめかす、という程度ではなく。
初代のナポレオンが活躍した一九世紀初頭の美術は、「新古典主義」と呼ばれ、古代ギリシア・ローマの彫刻のように理想化された非現実的なまでに美しくなめらかなヌード表現を好んでいる。クレサンジュはこの二つの帝政期の間に位置する彫刻家で、新古典主義を学んだうえで、ナポレオンの死後の七月革命・二月革命の激動期に活躍したドラクロワらに代表される「ロマン主義」の激情的な表現も取り入れ、やがて到来することになる第二帝政期の古典に名を借りた煽情的な作風を予見していたことになる。
この彫刻がとった大評判は、一世代後のカバネルも知っているはずなので、『ヴィーナスの誕生』のポーズ等に直接の影響を与えている可能性もある。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館 名画に描かれた愛と情熱のクライマックス』. マガジンハウス. p.49.
クレサンジェの一世代後に活躍するアレクサンドル・カバネルは、19世紀のフランスの画家です。
画家アレクサンドル・カバネル( Alexandre Cabanel, 1823年9月28日-1889年1月23日)
引用元:自画像
カバネルの『ヴィーナスの誕生』では、空中にキューピッドがいることで絵の女性は人間ではないことがわかります。
白い裸身のほの赤さと、こちらに向ける眼差しが何ともセクシーなのですが、言及されているのが、このヴィーナスの爪先です。
全体的に気だるい感じが漂うのにも関わらず、緊張状態にあるような反りかえった爪先。
この意味するところ、それは、
画面の表向きの主題を生まれたばかりの美の女神としながらも、生まれたばかりとも思えぬ意味ありげな流し目で描く表情も、そのことを裏付けている。
女神ヴィーナスの誕生というテーマとはうらはらに、この絵は明らかに成熟した女性の性的なエクスタシーを描いているのである。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館 名画に描かれた愛と情熱のクライマックス』. マガジンハウス. p.30.
クレサンジェの『蛇に嚙まれた女』を見るとカバネルの『ヴィーナスの誕生』が浮かぶ理由は、カバネルが少なくない影響を受けているせい、なのかも。
当時のフランス皇帝ナポレオン3世はコレクションのために『ヴィーナスの誕生』を買い上げています。
カバネルはナポレオン3世のお気に入りの画家でした。
この時期のフランス美術は、カバネルの絵画のような甘美な作風が好まれました。
引用元:ナポレオン3世
アカデミーの重鎮となったカバネルは、サロンでマネ(印象派の画家)の絵を展示することを拒否します。
『ヴィーナスの誕生』が評判を取った1863年のサロンでエドゥアール・マネは落選し、マネの『草上の昼食』は落選作を集めた「落選展」で展示されました。
引用元:『草上の昼食』
しかし、その後マネやモネ、セザンヌたちの作品が近代美術史の「本流」になり、カバネルやウィリアム・ブグローたち「サロン勢力」は次第に忘れ去られていきました。
クレサンジェ、カバネルと同じ19世紀の作品に関する記事
- オーヴ・ブリュセンドルフ・ポール・ヘニングセン(著). 大場正史・宮西豊逸(訳). 1967-7-12. 『北欧版 エロスの歴史 第4巻ヴィクトリア朝時代』. 二見書房.
- 西岡文彦(著). 『絶頂美術館 名画に描かれた愛と情熱のクライマックス』. マガジンハウス.
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