画家アングルの愛弟子で、ドラクロワからも強い影響を受けたテオドール・シャセリオー。『テピダリウム』などの絵画に描かれた、彼の恋人アリス・オジーの姿です。
『泉のほとりで眠るニンフ』( Nymphe endromie près d’une source ) 1850年 テオドール・シャセリオー カルヴェ美術館蔵
引用元:『泉のほとりで眠るニンフ』
古代の彫刻や、ジョルジョーネのヴィーナスを連想させる、眠る裸婦の姿です。
引用元:『眠れるヴィーナス』
小さな画像だとわかりにくいですが、ニンフの側には薔薇色のドレスと一緒にアクセサリーも「脱ぎ捨てられて」います。
ニンフの美しい顔から、上げた腕、そしてその脇を見ると、うっすらと腋毛が。
引用元:『泉のほとりで眠るニンフ』
神様やニンフには「毛」はありません。
ですので、タイトルに「ニンフ」とあっても、これは生身の女性を描いているのだということがわかります。
かつて、ヌードを描く場合、モデルがヌードである「言い訳」が必要でした。
この女性はヴィーナスだから裸なんですよ、とか、聖書の貞淑な人妻スザンナが水浴している場面だから裸でもおかしくないんですよ、ですね。
2017年のシャセリオー展の図録に従い、ここでは『泉のほとりで眠るニンフ』としましたが、Wikipediaの英語・フランス語タイトルでは『泉のほとりで眠る浴女』(フランス語のタイトル: Baigneuse endormie près d’une source )となっています。
シャセリオー展の図録によると、
本作は1850年12月に開かれた1850-51年のサロンには、神話画の枠組を曖昧にして、《泉のほとりで眠る浴女》というタイトルで出品された。モデルが女優のアリス・オジーであることも明白であり、批判を招く要素をさまざまに持っていたにもかかわらず、裸体の見事な表現と古代彫刻を結びつけた好意的な批評が多く、大きな話題を呼ぶことはなかったとされる。1851年の『ラルティスト』にはこれを賛美する詩も出された。多くの芸術家たちが讃えた名高き美女であり、舞台女優であったことが一種のヴェールとなり、その挑発的側面を隠したのだろうか。
ヴァンサン・ポマレッド. 陳岡めぐみ(監修). 『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』.2017. p.137.
とあります。
『泉のほとりで眠るニンフ』とのタイトルは、1851年8月に内務省からアヴィニョン美術館へ送られた際に付けられたものだそうです。
描かれているのが「生身の女性」ではなく、「ニンフ」である方が都合が良かったのでしょうね。
アリス・オジーの肖像( Portrait of Alice Ozy ) 1849年 テオドール・シャセリオー カルナヴァレ美術館蔵
引用元:アリス・オジーの肖像
1849年頃から約2年間、テオドール・シャセリオーの恋人だったアリス・オジー(1820年-1893年)です。
人気の舞台女優だったということですが、
ドーマル公爵やヴィクトル・ユゴー父子、ゴーティエ、ルイ=ナポレオン・ボナパルトなど同時代の多くの有名人と浮名を流した高級娼婦でもあった。数々の詩人が彼女を称える詩を捧げ、数々の画家が彼女の姿を絵画に残している。
ヴァンサン・ポマレッド. 陳岡めぐみ(監修). 『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』.2017. p.135.
アリスは「パリで最も美しい体を持つ」と称えられたほどでした。
皇帝ナポレオン3世(シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト Charles Louis-Napoléon Bonaparte, 1808年4月20日-1873年1月9日)
テオドール・シャセリオー( Théodore Chassériau, 1819年9月20日-1856年10月8日)
引用元:自画像
早熟の画家シャセリオーは、ドミニカでフランス人と現地の地主の娘の間に生まれました。
11歳頃、新古典主義の巨匠ドミニク・アングルの弟子になります。
アルジェリア旅行を経て、アングルのライヴァル、ロマン主義のウジェーヌ・ドラクロワの影響を強く受けて行き、アングルとの師弟関係は後に解消されました。
シャセリオーと画家ギュスターヴ・モローは親しい友人として交流しましたが、1856年に37歳という若さで病死します。
シャセリオー展の図録にはアルフォンス・マッソン( Alphonse-Charles Masson )の描いたシャセリオーの横顔が掲載されています。
『オリエントの室内』( Orientalist Interior ) 1851年頃 テオドール・シャセリオー 個人蔵
引用元:『オリエントの室内』
建築家ヴォードワイエ( Léon Vaudoyer, 1803年-1872年)が評した「ギリシアの肉体にパリの顔」を持つアリス・オジー。
オリエンタリズムあふれるハーレムや古代の浴場に、アリスの美しい姿が描かれています。
『テピダリウム』( The Tepidarium ) 1853年 テオドール・シャセリオー オルセー美術館蔵
引用元:『テピダリウム』
引用元:『テピダリウム』(部分)
ただただ見事なプロポーションです。眼福。
「テピダリウム」とは、古代ローマの公衆浴場にあった温気浴室、微温浴室のこと。
シャセリオーは1840年夏、ポンペイやヘラクラネウムなど、古代遺跡を訪れています。
『新生オルセー美術館』では、この『テピダリウム』について、
シャセリオーの作品は実際に訪れたポンペイで見た浴室の遺跡をモティーフにして描かれました。彼の作品はアングルみたいな古典的なプロポーションを保持しつつ、色彩はドラクロワみたいに、深く、なまめかしい。
髙橋明也(著). 2017-1-30. 『新生オルセー美術館』. とんぼの本. 新潮社. p.121.
とあります。
また、ポンペイのテピダリウムですが、
引用元:『テピダリウム』 Aleksandr Zykov CC-BY-SA-2.0
実物も素敵です。シャセリオーの絵画と同じように、古代の人々はここでくつろいだのでしょうかね。
シャセリオーとアリスの関係は二年で終わりを告げますが、シャセリオーの絵の中のアリスは今も若く美しいままです。
特徴的な「柳眉」を持つその顔は、ハーレムの表象とポンペイの古代遺跡を混合させた独自の幻想的な古代世界を描いた1853年の《テピダリウム》をはじめとする後期の作品の数々に面影を残した。なかでも彼女の「ありのまま」の姿を描いた《泉のほとりのニンフ》は、サロン発表当初のタイトルは《泉のほとりで眠る浴女》であり、裸婦を描く「口実」としての神話の文脈はより曖昧であった。しかも公的な展覧会で発表される作品で女性の腋毛をこれほど明瞭に描いた例はめずらしいだろう。この写実的な視点は少し後にサロンにクールベが送り始める多くの裸婦や、何よりもマネの《草上の昼食》に連なるレアリスムの感覚が示されている。
ヴァンサン・ポマレッド. 陳岡めぐみ(監修). 『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』.2017. p.20.
引用元:『草上の昼食』
マネの『草上の昼食』は、「現実の裸体の女性」を描いたことが「不道徳」とされ、出品したサロンに落選しています。
『水浴のスザンナ』( Susanna bathing ) 1839年 テオドール・シャセリオー ルーヴル美術館蔵
引用元:『水浴のスザンナ』
多くの『水浴のスザンナ』の絵があるなか、シャセリオーの絵はその光、色遣いのために、とても印象的です。
スザンナの背後には水浴を覗く老人たちがいますが、スザンナの裸体の神々しさに目を奪われて、すぐには存在に気づかない程。
スザンナにだけスポットライトを当てたように描き、彼女の水浴をのぞき見る長老たちは画面右上の奥、暗がりに追いやられている。
池上英洋(監修). 池上英洋・川口清香・荒井咲紀(著). 2013-2-12. 『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社. p.44.
この絵が描かれたのは1839年。シャセリオーの初期の作品です。
モデルはアリスではありませんが、アリスはこの『水浴のスザンナ』を入手。
1884年にルーヴル美術館に寄贈しています。
引用元:アリス・オジー
引用元:アリス・オジーの肖像
服を着ても着ていなくても美人ですが、この横顔にシャセリオーの愛が見えるような気がします。
個人的にはこの「ヌードでなく」「正面向きでもない」絵が好きです。
- ヴァンサン・ポマレッド. 陳岡めぐみ(監修). 『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』.2017.
- 池上英洋(監修). 池上英洋・川口清香・荒井咲紀(著). 2013-2-12. 『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社.
- 髙橋明也(著). 2017-1-30. 『新生オルセー美術館』. とんぼの本. 新潮社.
コメント
コメント一覧 (2件)
ハンナさん、こんにちは。
アリス・オジーって、美人だし、きれいな体をしているのですね。
美しいヌード…なる程と思います。
ヌードを描くのに、まだ神話などの意義づけが必要だった時代なのですね。
ルネッサンスで、裸体解禁というイメージがあったのですが、まだまだ、普通に人を描くには、キリスト教の禁忌として考えられていたのかもしれませんね。
他には、「水浴のスザンナ」の陰影が印象的です。
今日も、興味深いお話を、どうも、ありがとうございました。
ぴーちゃん様
返信遅くて本当にすみません。
今回も読んでくださって有難うございました。
現実に生きる生身の女性のありのままの姿を描いてしまうと炎上( ゚Д゚)という時代を経て、現代があるのですよね。
時代によって豊満むっちりが美しいとされたり、スレンダーな肢体が「運命の女」のイメージにぴったり、とされたり、ヌードと一口に言うけれど、奥が深いよなあと思う今日この頃です。
宗教的、社会的な背景をわかっていればより楽しめるのかもしれませんが、私は単純に「美しいなあ。好きだなあ」というシンプルな感情で見てしまいます。
古代彫刻であれば、「当時のひとたちはこういうのを美しいと思っていたんだな」と思いながら。
文化や時代が違っても、それが持つ美や想いはこころに響いてくるのだと思います。
ルネサンスという言葉を学校の歴史で習ったときにはあまりぴんと来なかったのですが、ようやく今になって「それってすごいことだったんだ!」とわかってきました(遅)。
「ハダカ」にばかり目が行きますが、歴史担当の先生にはここのところチカラを入れて生徒さんに教えてあげて欲しいです。キリスト教の教義、ギリシャ神話、社会的モラル…。興味は尽きません。
今回も有難うございました。
またどうかお付き合いいただければと思います。