ベリー公ジャンのいとも豪華なる塩入れ「ネフ」

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ランブール兄弟の『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』。「1月」の絵に描かれている「ネフ」についてお話しします。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館

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目次

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) ランブール兄弟

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館

引用元:『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月)

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』( Tres Riches Heures du Duc Jean de Berry )

この『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、高さ22.5 ㎝、幅13.6 ㎝のミニアチュール、細密画です。

時祷書とは、聖職者ではない世俗のキリスト教徒の個人的な礼拝用に作られた祈祷書のこと。

通常は一年の月毎にキリスト教の聖人の祝祭日を表した暦で始まり、そこには各月の行事と星座の十二宮を示す挿絵が描かれます。

神林恒道・新関伸也(編著).2011-12-10.『西洋美術101鑑賞ガイドブック』.三元社.p.37.

ランブール兄弟に制作を依頼したのは、中世フランスの王族であるベリー公ジャン1世でした。

ベリー公ジャン( Jean de Berry, 1340年11月30日-1416年3月15日)

ベリー公ジャン1世(部分)
ベリー公ジャン1世(部分)

引用元:ベリー公ジャン1世(部分)

画面右奥に、ベリー公ジャンが横向きに座っています。

本日のメインゲストは隣の席のお坊さん(シャルトルの司教と推定されているそうです)。  

賑やかな食事風景、宴会の席ですが、楽しみのためばかりでなく、

 中世の封建社会でも、政務や儀礼、社交やもてなし、主従関係などの面において宴会が重要な役割を演じていた。十五世紀初頭、ランブール兄弟が描いた有名な《ベリー公のいとも華麗なる時祷書』の一月の場面には、新年の豪華な宴会の様子が描かれている。画面左には、金の食器が並べられた食器棚があるが、豪華な食器とともに、フランス王の兄弟であった公爵の富を示している。宴会は宮廷のヒエラルキーを視覚化する政治的な場面であった。

宮下規久朗(著). 2007-1-20.『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』. 光文社新書. p.68.

食器にも目が眩みますが、この宴会の出席者の服装やテーブルのリネン、家具、あらゆるものが上等な品ですね。

肉を切り分ける男性たちの身分

宴席で、ナイフを手にしている男性たちがいますね。

中央にお客様、その横で肉を切る男性
中央にお客様、その横で肉を切る男性

引用元:中央にお客様、その横で肉を切る男性

男性たち
男性たち

引用元:男性たち

彼らは肉を切り分ける召使い?

それにしては衣裳がステキ過ぎる気がします。

まず、下段左の男性はミ・パルティ(Mi-Parti)の服を身に着けています。

ミ・パルティは日本語では「片身替わり」といって、日本では室町時代から安土桃山時代の頃に流行しました。

左右異なる布地を使う、色違い(柄違い)のデザインです。

いずれも凝った織文様で色彩も美しい衣装をまとい、左の一人は食卓で肉を切り、もう一人もナイフを手にこれからメインの野鳥のローストらしき料理をさばこうとしています。

大原千晴(著).2012.『名画の食卓を読み解く』.大修館書店.p.4

その、右の男性の足元をご覧ください。

何か飛び出ていますが、これは「拍車」です。

拍車が付いた履き物を履いている、ということは、彼は馬に乗る(身分である)のだということ。

つまり、身分は「騎士」であることを示しています。
 
では騎士である彼らが、何故「召使いの仕事」をしているのか。
 
その理由のひとつは毒殺対策でした。

中世ヨーロッパ関連の本には「止血」「毒殺」の言葉が多く出てきますが、それだけ身近な話だったのだと想像がつきます。

宴席で料理を運ぶ銀盆を英語で「サルヴァ(salva)」と呼びますが、この言葉は「毒見をする」という意味を語源に含みます。毒見の済んだ料理を銀のお盆に載せて運んだことから生まれた呼称です。中世の君主たちは、食べ物や飲み物に毒が盛られることを常に恐れていました。こうした背景から、王侯のおそばで食事のサーブをするのは信頼の厚い家臣の役目、となっていったわけです。

大原千晴(著).2012.『名画の食卓を読み解く』.大修館書店.p.5.

これには役職名も付いていて、

この役職をフランス語で ” écuyer tranchant ” (前半は「侍臣」、後半は「刃」という意味)と呼び、彼らは料理の種類に応じて大中小三つのナイフを使い分けてしサーブし、ナイフには王家の紋章が刻まれているのが通例でした。英語では文字通り ” carver ” (肉を切り分ける者)と呼ばれ、ルネサンス後期のイタリアでは当時早くもその作法と技術を教える専門教師が誕生し始めていたというから驚きです。

大原千晴(著).2012.『名画の食卓を読み解く』.大修館書店.p.6.

「王侯のおそばで食事のサーブをする」ことは、大変名誉な仕事なのですね。

食卓に見られるもの

この絵で私が気になるのは、食卓の上です。
当時、現代のような陶磁器はまだ食卓にはありません。

それなら、一体どんなものが置かれていたのか?とすごく気になりませんか?え、私だけ( ゚Д゚)?

皿・ナイフ

ぱっと見、お皿はあります。

しかし現代の私たちが想像するような陶磁器のお皿ではありません。

この当時、料理を盛るために「パン」が使われました。

料理を盛るため、肉を切るためのパン、または、それに代わる木製の板皿(フランス語でトランシュワール、英語でトレンチャー)が正式の食卓で使われたのです。

肉を切るのに使われたパンには肉汁が染みていますので、後で食べられました。

フォークはありませんが、古代ローマ時代にはスープ用スプーンはありました。(しかし、その後のゲルマン民族の到来以来、スープは皿から直接すするようになります。(参考:『中世ヨーロッパを生きる』 東京大学出版会 p.129.)

肉を切り分けるためのナイフもありました。

 ナイフについては、フォーク、スプーンよりも早く登場し、食卓に一~数本、大皿に乗せてある肉類を切り分ける(男が女のために、また専門の肉切り分け人が会食者に)ときに使用していました。個人用の食べる道具としては、パンを切るほか、手で食べられないような熱い固形物に使われました。当初は両刃であり、先が尖って刺せるようにもなっていました。ナイフは中世も早い時期の写本挿絵などにも書き込まれていますが、一五~一六世紀のイタリア絵画には、パンや肉・果物を切るための個人用ナイフが頻繁に描かれているので、そのころには十分普及していたのでしょう。食事に招待されてもナイフだけは自分で持参する習慣が、中世から近年まで広まっていたといいます。

甚野尚志・堀越宏一(編). 2008-4-18.『中世ヨーロッパを生きる』.東京大学出版会. p.128.

ヨーロッパ人は肉をよく食べたため、切り分け用の大きなナイフだけは早い段階から用意されていた。当初、肉の切り分けはその場の最高権力者の仕事だった。平等に切り分けることが、統治能力と同一視されていたためである。また中世後期には「プレザントワール」という、肉を載せて席まで運ぶのに便利な幅広ナイフも登場した。

『図解 食の歴史』.新紀元社.p.190.

ベリー公の前の人物が持つナイフが、若干幅広く見える気がするのですが、もしかして、その「プレザントワール」の前身??

食卓に載る舟形の容器・ネフ( nef )

ベリー公ジャンの前に、何やら大きな舟形のものが置かれています。

これは「容器」、「入れ物」なのです。

よく見ると、中に何か入っていますよね。

これはベリー公の財産目録上 ” Salière de Pavillon ” の呼称で登場する「金の塩入れ」ではないか、との推定がなされています。こうした船形の銀器(金製は極めて異例)は、フランスでは古く「ネフ( nef )と呼ばれ、もともと諸侯クラスが食卓で使うナイフやスプーン等の食器や調味料・スパイス類を入れたもので、地位と権力の象徴でした。後世このネフが塩入れの代名詞となっていき、食卓で最も重要な銀器の一つとして広く欧州の宮廷で用いられるようになります。精巧な帆船の模型を思わせる凝った作りのものが多く、宮廷宴席ではそれが置かれる位置で食卓の最重要人物が誰かを判断できるという象徴的な存在でした。この絵では、その形状と中に入れられている皿らしきものが二枚見えるところから、塩入れとしてではなく、いまだ初期のネフの使い方が踏襲されていたと考えられます。

大原千晴(著).2012.『名画の食卓を読み解く』.大修館書店..p.9

肉料理の味付けだけでなく、塩は私たちの生活には欠かせないものです。

塩入れが、その宴席の最重要人物の前に置かれる意味がわかりますね。

フランス王シャルル5世の宴会風景 1370年代 フランス国立図書館
フランス王シャルル5世の宴会風景(部分) 1370年代 フランス国立図書館

引用元:フランス王シャルル5世の宴会風景(部分)

こちらはシャルル5世の宴会を描いたものですが、王侯たちの前にあるネフは、ベリー公ジャンの隣にあるものに似ていますね。

聖ウルスラの身廊、トー宮殿(フランス) 1500年代
ネフ(聖ウルスラの身廊) トー宮殿(フランス) 1500年代

引用元:ネフ(聖ウルスラの身廊) Dguendel CC-BY-4.0

ネフが派手になってきましたね。

地位や権力を表し、それ自体高価なネフには、君主用のスプーンやナイフ、爪楊枝などの貴族専用の食卓の必需品や、胡椒、ナツメグなど、やはり高価な香辛料も入れられました。

『フランス食卓の宝物展』(1988年)の図録の解説には、「解毒剤」も入れられたとあります。

毒殺におびえ、解毒剤の効能を信じていたこの時代を反映したものと言えるでしょうが、「試薬」、つまりカエルの頭や蛇の舌から取ったといわれるガマ石(クラポディンヌ)などの解毒剤です。このような「試薬」は毒に触れると変色すると言われていました。

『フランス食卓の宝物展 1988年』.p.24

…相当「毒殺」を恐れていたのですね。

実際には食あたりや食中毒だとか偶然(別の死因)、銀の性質故の変色などもあったのではないかと思いますが、いろいろなことが「毒」のせいになっていそうですね。

ネフに入れられた解毒剤には、「アザラシや魚の歯の化石や一角獣の歯から作った」ものがあったとのことです。

ベリー公ジャンの財産目録に関して、このような記述もあります。

珊瑚のお守りは、王侯貴族の食卓上の塩壺につけられるときがある。「ひと枝の珊瑚と蛇舌石のついた塩壺」という記載が、一四世紀にベリー地方を治めたフランス王弟ジャンの宮廷の帳簿にあるからである。蛇舌石とは文字通り langue de serpent と記されている石であるが、実際は不明である(ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』にこの石を書き込んでいる)。「かえる石」と呼ばれるトードストーンを指しているのかもしれない。この石はサメの歯が化石化したものであることが今日では知られているが、中世ではヒキガエルの頭の中にあり、毒を見分けるちからがあると信じられていた。近くに毒があると、この石に触れている指が熱くなるのだと鉱物誌は言う。

いずれにしても、これらの石は毒避けであり、珊瑚にも同じ効果が期待されていたということである。

徳井 淑子 (著).2006.『色で読む中世ヨーロッパ』.講談社選書メチエ.p.75.

肖像画の人物が魔除け(病気除け)として赤珊瑚を身に着けて描かれていることもあります。

赤が血を思わせることから、赤い珊瑚は出血を止める効能があると考えられていたようです。

聖ウルスラの身廊、トー宮殿(フランス) 1500年代
聖ウルスラの身廊、トー宮殿(フランス) 1500年代

引用元:ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵のネフ sailko CC-BY-SA-3.0

豪華なネフですが、ルネサンス期になると実用品としての性格は薄れ、食卓を彩る装飾品になっていきます。

この時代、装飾品を前に、王侯貴族は何を使って食事をしていたのでしょう?

フランス宮廷でのフォークの登場は、1533年のカトリーヌ・ド・メディシスの輿入れを待たねばなりません。

というわけで、使っていたのは、手。

しかしせっかく?入ってきたフォークはその後使われなくなり、ルイ14世は手づかみで食べていたのです。

では、最後に。

このベリー公の時祷書ですが、持ち主が様々に変わります。

そのうちのひとりが、ルネサンスの女傑のひとり、マルグリット・ドートリッシュ。

彼女の人生もぜひご覧になってください。

主な参考文献
  • 神林恒道・新関伸也(編著). 2011-12-10.『西洋美術101鑑賞ガイドブック』. 三元社.
  • 宮下規久朗(著). 2007-1-20.『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』. 光文社新書.
  • 甚野尚志・堀越宏一(編).2008-4-18.『中世ヨーロッパを生きる』.東京大学出版会.
  • 大原千晴(著).2012.『名画の食卓を読み解く』.大修館書店.
  • 『図解 食の歴史』.新紀元社.
  • 徳井 淑子(著).2006.『色で読む中世ヨーロッパ』.講談社選書メチエ.
  • 『フランス食卓の宝物展  1988年』
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ぴーちゃん様

    見て下さって有難うございました。嬉しいお言葉も有難うございました。

    ほんとはもっと情報が詰まっている絵なのですが、これ以上は激長になるため、ネフだけにしました(´;ω;`)。また改めてやりたいです。

    塩が貴重品というのはその通りです。香辛料もですね。
    それにまつわる話、またはそこから派生した、砂糖も含めての卓上装飾の話、食器や爪楊枝の話、胡椒の話、教科としての「世界史」も面白いですが、人間の生活に密着した品々の歴史はもっと面白いですよね。
    私は元々骨董屋になりたくて勉強していましたので、食器や家具、宝石の話になると、話が止まりません。

    今それで思い出しました。
    私事で恐縮ですが、骨董を扱う仕事を始める前に、ちょっと別のことを計画しています(器専門のブログから始める予定です)。

    しかし勤め先の仕事も忙しくなりそうで、そっちもこっちもではこのブログの更新や返信の速度が更に落ち、私の楽しみがストレスに変わってしまいます(/ω\)
    そこで、まず、「書庫」に書いた約20程の記事を「art」に移して管理することにしました。
    試しに今日三つを移してみました。
    ・天を仰ぎ見る美しい瞳、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの『聖女ジョウン』
     https://hannaandart.com/entry/19c-saint-waterhouse
    ・ディアナよりニンフに目が行く、ドメニキーノの『狩りをする女神ディアナ』
     https://hannaandart.com/entry/17c-diana-domenichino
    ・忘れられない、アルノルト・ベックリンの『見棄てられたヴィーナス』
     https://hannaandart.com/entry/19c-venus-bocklin

    既存記事の方も、レイアウトを直しながら少し書き足したりして、投稿時とは異なっているものもあります。

    ぴーちゃんさんもお忙しいと思いますので、コメント等はどうぞお気遣いなく。
    お暇な時にでも見ていただければ有り難いです。

    さて、病人生活も今年で10年になりました。
    現在まで生かされていることに感謝しながら人生の最後に後悔しないように、副業からですが、今年こそ骨董店の店長と名乗ってみようと思います。

    後ほどブログの方にお邪魔しまーす。

  • ハンナさん、こんばんは。
    小さな絵のように思えますが、よくよく観察すると色んなことがわかるのですね。
    一見穏やかな食事の場ですが、まだ毒殺を恐れ恐れなければいけなかったような時代…
    心から食事を楽しむことができませんね。
    塩を最重要人物のところに置くというのが面白いです。
    いかに塩が貴重なものだったかを感じます。
    そういえば、大航海時代は香辛料を求めて海へ出て行ったと聞いたことがあります。
    私は健康のため、あまり香辛料とか塩を使わない食事を心掛けてます(笑)が、当時はこれらが富の象徴だったのでしょうね。

    今日も興味深い記事をありがとうございました。

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