チェッリーニが1543年にフランス王フランソワ1世のために完成させた、黄金の塩容れ「サリエラ」です。
サリエラ( Saliera ) 1543年 ベンヴェヌート・チェッリーニ 美術史美術館蔵
引用元:サリエラ Jerzy Strzelecki GFDL CC-BY-3.0
2003年に盗難に遭い、2006年に発見された黄金の塩容れです。
『すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術』の著者、山口遼氏によれば、作者のベンヴェヌート・チェッリーニは「今日のジュエリー・デザイナーの走り」だそうです。
金に七宝のみ、宝石はない。
山口遼(著). 2005. 『すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術』. 東京美術.
えっ、宝石なしなんだ (゚д゚)! と知った時の私の反応。
それにしてもゴージャスですね。
ローマ神話に登場する豊饒の女神または地母神でもあるケレスと、海の神ネプチューンが向かい合っています。
食卓用ですが、横幅約 30 cm と結構大きい。
最初はイッポーリト・デステ枢機卿のためのものだったそうですが、1543年にフランスのフランソワ1世のために完成されました。
引用元:イッポーリト・デステ(枢機卿)
イッポーリト・デステは、マントヴァ公妃イザベラ・デステ、フェラーラ公アルフォンソ・デステの弟です。
ベンヴェヌート・チェッリーニ( Benvenuto Cellini, 1500年11月3日-1571年2月13日)
引用元:自画像
波乱万丈の人生を送った芸術家。ちょっと自信満々なカンジの自伝も残しています。
まぁね、これだけの才能や腕前を持っていて、それを存分に発揮できる場所があればね(予算も潤沢だし)…。人間的にはちょっとアレでも、天才だしね…。…。
それでは、まばゆい黄金の塩容れ、チェッリー二の素晴らしい技術をお楽しみください。
引用元:サリエラ Gaspar Torriero CC-BY-SA-2.0
引用元:神殿(胡椒容れ) Cstutz CC-BY-SA-4.0
引用元:塩容れ Cstutz CC-BY-SA-4.0
引用元:サリエラ 反対側 Cstutz CC-BY-SA-4.0
引用元:女神ケレス Vassil CC-Zero
『図説 金の文化史』(原書房)によると、「ある推定によれば、中世ヨーロッパの金細工職人の作品のうち、現存しているのはその一%の半分にも満たない。ルネサンス期の金細工も同じようなものだ。」なのだそうです。
案外少ない。稀少なんですね。いや、奇蹟かも。残っててくれてありがとう!というべきか。
長い歴史の中で、経済的に困窮した持ち主や泥棒たち、征服者たちによって溶かされてしまったようなのですね。
技術の披露という意味で、ベンヴェヌート・チェッリー二ほど優れた金細工職人はいなかった。彼が一六世紀に作った黄金の塩入れ-幸運にも破壊を免れた数少ない作品のひとつ-は、西ヨーロッパの非宗教的な金細工品のなかでも逸品に数えられる。その塩入れがふたたび世界の注目を集めたのは、二〇〇三年にウィーンの美術史美術館から盗まれたときだった(二〇〇六年に無事回収)。もとはフェラーラの枢機卿イッポリト・デストのためにデザインされたこの「塩入れ(サリエラ)」は、最終的にはフランス王フランソワ一世の依頼によって制作された。これは塩と胡椒の両方を入れられるようになっており、そこには表現された人物は塩と胡椒の源がそれぞれ海と大地であることを表している(海神ネプチューンと大地母神キュベレが対面する形で配置され、彼らのさまざまな産物が表現されている)。今日、塩や胡椒はごく平凡な日用品で、これほど贅沢な容器に入れるには不釣り合いなように思われるが、当時は強力なシンボルだった。食卓塩はフランスの富の象徴であり、同国は大西洋岸で採取される塩から大きな利益を得ていた。また、塩は冬など収穫が乏しい時期の食料の保存に不可欠だった一方、胡椒は東洋のエキゾティックな商品として、贅沢な輸入品の代表だった。
レベッカ・ゾラック, マイケル・W・フィリップス・ジュニア(著). 高尾菜つこ(訳). 2016-11-28. 『図説 金の文化史』. 原書房. p.152.
高価な塩胡椒を納めるに相応しい、この豪華な塩容れ。国王のプライドをどれだけ満たしたことでしょうか。
サリエラ発見時のニュース
自信満々のイケメン・チェッリー二が登場。サリエラ誕生の話が読めます。
フランソワ1世( François Ier, 1494年9月12日-1547年3月31日)
引用元:フランソワ1世
お洒落な衣裳のフランス国王フランソワ1世。
フランソワ1世の食卓も、さぞ豪華なものだったのでしょうね。
フランソワ1世は芸術の保護にも熱心でした。
イタリア遠征に出たフランソワ1世はすっかりイタリア芸術・文化の虜になってしまいます。
1516年にはイタリアの偉大なる芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招き、1540年頃ベンヴェヌート・チェッリーニを招いています。
フランソワ1世はヴァロワ朝の王
『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』( Francis I Receives the Last Breaths of Leonardo da Vinci ) 1818年 ドミニク・アングル
引用元:『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』
史実ではありませんが、19世紀フランスの画家アングルはフランソワ1世の腕のなかで息を引き取るレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を描いています。
西岡文彦氏の『モナ・リザの罠』(講談社現代新書)では、
ダ・ヴィンチが亡くなった時、フランソワ一世がフランスにいなかったことがはっきりしているからです。
西岡文彦(著). 2006-4-20. 『モナ・リザの罠』. 講談社現代新書. 講談社. p.95.
とあり、レオナルドは朝、お気に入りの弟子によって亡くなっているのを発見されたようですが、
しかし、この描かれた場面が真実であってもおかしくないほど、幼くして父親を亡くしたフランソワ1世は、レオナルドのことを父のように尊敬すると同時に慕っていました。アンボワーズ城からこの巨匠が暮らした館クロ・リュセまで、王自らが地下通路を歩いて会いに来ていたほどだったのです。
木村泰司(著), 2015. 『名画は嘘をつく』. ビジュアルだいわ文庫. 大和書房. pp.128.-129.
フランソワ1世のレオナルドに対する思い入れが伝わるようですね。
引用元:アンボワーズ城 Quality Images by Martin Falbisoner CC-BY-SA-3.0
引用元:クルー城 Nadègevillain CC-BY-SA-3.0
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