オリエンタル気分満載、J・F・ルイスの『コーヒーを運ぶ人』

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コーヒーの載ったトレイを持ち、魅力的な微笑みを向ける女性の絵。

19世紀英国の画家ジョン・フレデリック・ルイスの、『コーヒーを運ぶ人』です。

『コーヒーを運ぶ人』 30.4×19㎝ 1857年 ジョン・フレデリック・ルイス マンチェスター市立美術館蔵
『コーヒーを運ぶ人』 1857年 ジョン・フレデリック・ルイス マンチェスター市立美術館蔵

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目次

『コーヒーを運ぶ人』( The Coffee Bearer ) 1857年 ジョン・フレデリック・ルイス

『コーヒーを運ぶ人』 30.4×19㎝ 1857年 ジョン・フレデリック・ルイス マンチェスター市立美術館蔵
『コーヒーを運ぶ人』 30.4×19㎝ 1857年 ジョン・フレデリック・ルイス マンチェスター市立美術館蔵

引用元:『コーヒーを運ぶ人』

強い光が降り注ぐ戸外、一歩こちらへ向けて足を踏み出す若い女性。

可愛らしい口もとからこぼれる笑みと、トレイのコーヒー・セットに目が行きますね。

彼女の背後をよく見ると、後ろに在るのはヒミツの「禁断の園」か。

アーチ路越しには、立ち入ることのできない陽のあたる庭がのぞいている。こうした目の保養となるイメージは、東洋的な主題を扱った作品の典型であり、カイロで描きためた鉛筆や水彩によるスケッチを基に、ルイスが1851年の帰国後に制作したものである。画面には、ハーレムの内部を想像させようという画家の意図が感じられる。(中東に滞在中の)画家たちが、そうした場所に出入りする機会などなかったにせよ、彼らは、自国の人々がハーレムを描いた作品に大いに関心を寄せていることに気づいていた(人々は絵画を通じ、あくまで鑑賞者として美しい娘たちを褒めそやすことができたのである)。ちなみに、ハーレムを主題にした作品のモデルとしてユダヤ人が頻繁に登場するのは、彼女たちが絵画に描かれることを禁じられていなかったためである。

監修・テキスト:クリストファー・ニューアル、河村錠一郎. 永山多貴子(訳).『ラファエル前派展』. 2000. p.126.

19世紀初頭から世紀末にかけて、ヨーロッパの芸術家たちはエキゾチックな「オリエント」に強い興味や憧れを抱きました。

フランスの画家ドラクロワもオリエンタルなものを題材に絵画を制作していますし、ドラクロワのライヴァルのアングルも、後宮の愛妾「オダリスク」の姿を描いています。

澄ました感じのオダリスクと違って、『コーヒーを運ぶ人』の笑顔の女性がとても好きです。

特に、黒髪や東洋的な顔立ちに強い親近感を覚えます。

この絵の作者であるルイスは旅行で訪れただけではなく、実際にカイロに住み、現地の風景や人びとを描きました。

ジョン・フレデリック・ルイス( John Frederick Lewis, 1804年7月14日-1876年8月15日)

William Boxallによるジョン・フレデリック・ルイス 制作年不詳 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
William Boxallによるジョン・フレデリック・ルイス 制作年不詳 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:William Boxallによるジョン・フレデリック・ルイス

ジョン・フレデリック・ルイスは英国の画家。

スペイン旅行から北アフリカに渡り、鉛筆と水彩による膨大な数のスケッチをしました。

その後マドリード、パリを経て、イングランドに戻ったルイスは、旅で書き溜めたスケッチを描き直し、『ルイスのアルハンブラのスケッチ素描集』などにまとめます。

1837年に再びイングランドを離れ、1840年末頃カイロに到着。1850年までカイロに住み、街や人びとを描きます。

1851年にイングランドに戻り、それらを水彩画に仕上げました。

後にアカデミー会員に選出され、ジョン・エヴァレット・ミレーに会って意見を交わしています。

『ラファエル前派展』(2000年)

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