魅力的なハーレムの女性たちの絵で知られるフランスの画家、ジャン=レオン・ジェロームの歴史画『灰色の枢機卿』です。

『灰色の枢機卿』( L’Eminence Grise ) 1873年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵

引用元:『灰色の枢機卿』
階段を降りてくる修道士に、恭しく頭を下げる貴族たち。
緋色の衣の枢機卿もいますね。
修道士は読書(聖書?)に熱中しており、人々には目もくれません。
まるで映画のワン・シーンに見えます。
身分ある人びとがこのように帽子を取って頭を下げているのだから、この質素な身なりの修道士は、大きな力を持っているのだということが想像できます。

引用元:『灰色の枢機卿』
踊り場の壁に掛かる大きなタペストリー。
この柄は17世紀の権力者、リシュリュー枢機卿の紋章です。

引用元:リシュリュー枢機卿の紋章 Tom Lemmens CC-BY-SA-3.0
さらに、「こんな特大のタペストリーが掛かってるって、一体何処の宮殿?」と思いますよね。
リシュリュー枢機卿はパリの、パレ・カルディナル( Palais-Cardinal )と呼ばれた城館に住んでいました。
リシュリュー枢機卿の死後パレ・カルディナルはルイ13世のものになり、後にルイ14世が移り住んだことによって「パレ・ロワイヤル」( Palais-Royal、王宮)と呼ばれるようになりました。
たぶん、ここですかね。
リシュリュー枢機卿

引用元:リシュリュー枢機卿
枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシー( Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585年9月9日-1642年12月4日)はカトリック教会の聖職者ですが、ルイ13世の宰相を務めた人物です。
『灰色の枢機卿』ではこのタペストリーで、階段を降りてくる修道士の後ろ盾がリシュリュー枢機卿であることを暗示しているのです。
それでは、この修道士とはどんな人物なのでしょうか。
フランソワ・ルクレール・デュ・トランブレー( François Leclerc du Tremblay, 1577年-1638年)
カプチン・フランシスコ修道会の修道士で、別名を「ジョゼフ神父」「灰色の枢機卿」、リシュリューの腹心で重要な助言者でした。

リシュリューとは1612年頃からの付き合いだったようで、1627年から1628年にかけて行われた対プロテスタント戦、「ラ・ロシェル包囲戦」( Siege of La Rochelle )ではリシュリューを支援しています。
19世紀に描かれた他の歴史画にもジョセフ神父の姿があります。

引用元:『ラ・ロシェル包囲戦』

引用元:『枢機卿の余暇』
この二枚の絵の主役はリシュリュー枢機卿。
リシュリュー在る所にジョゼフ神父在りといった感じですが、ジェロームの歴史画には特大タペストリーのみでリシュリューの姿はありません。
『灰色の枢機卿』という言葉がフランス語で「影の実力者」「黒幕」といったことを指すようになったのは、このジョゼフ神父がきっかけだったといわれています。
東京都美術館様の2020年5月13日のTwitterでもつぶやかれています。
本作は2022年のボストン美術館展で来日しました。やっぱり画像より実物の方が良いですね。
ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)
枢機卿が着る緋色の衣に対し、地味な色の僧服のジョゼフ神父。
この神父にお辞儀をする貴族たちとの対比が興味深いです。
実際にあったのではないかなと思える場面ですよね。
当然ながら、この『灰色の枢機卿』は好評を得ました。
作者であるジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)はフランス出身の画家であり彫刻家です。

引用元:ジャン=レオン・ジェローム Art Renewal Center
ジェロームは若くしてパリに出て、ポール・ドラローシュに師事しました。


引用元:『若き殉教者』
ドラローシュの描く歴史画は真に迫っていて、まるで実際に起こった出来事をそのまま目撃した気になります。
しかし、『レディ・ジェーン・グレイの処刑』では実際の処刑は屋外で行われており、より劇的な効果を高めるために史実とは異なった見せ方をしています。
『ボストン美術館の至宝 19世紀ヨーロッパの巨匠たち』展(1995)では、『灰色の枢機卿』を挙げ、
絵を本物そっくりに描くことは、つくりごとの情景に大きな信頼性を与えた。これはドラロッシュの弟子のジェロームが深く心に留めた教えでもあった。事実に基づく出来事の一見客観的な表現のために、歴史書の挿絵にまでなったドラロッシュの絵と同じく、ジェロームの絵も、古代や、アンシャン・レジーム下のフランス宮廷における日常生活の、一見説得力のある正確な表現とみなされた。
『ボストン美術館の至宝 19世紀ヨーロッパの巨匠たち』(1995). そごう美術館. 朝日新聞社. p.22.
とあります。続けて、
一般に、絵画について、特に19世紀の絵画について語る時には、「イリュージョニズム(illusionism)」という語を強調するのが最良である。この語は絵画の技法を表しており、意味するところは、なめらかで判別できない筆触、絵の具の透明性、額の中のつくりごとの空間の連続性などによって、絵画に実物らしさを与える方法のことである。それで、ほぼ一世紀の間を置いて、ボワイーとジェロームの二人は共に「イリュージョニスティック」であると呼ばれる。彼らは、絵を見る者が、描かれた主題全体のリアリティを信じるように仕向けるからである。
『ボストン美術館の至宝 19世紀ヨーロッパの巨匠たち』(1995). そごう美術館. 朝日新聞社. p.22.
同じボストン美術館にはこちらの絵もあります。

引用元:『ムーア人の浴場』
さすがジェローム、背中からヒップのライン、肌やタイルの質感が最高ですね。
この情景は現実に在ったものなのでしょうか?
在っても無くとも、もう「実物を見た気」になってしまいませんか。
この実物っぽさから、「彼の地のハーレムってこんな感じなんだ」と思ってしまいます。
しかし、ジェロームは実際にこのような女湯に足を踏み入れたことはなく、旅行先から持ち帰った小物などを用いてパリのアトリエで制作していたそうです。
アトリエで描かれたと知って逆に驚く私。
既にジェロームのイリュージョンにかかっているようです。
- 『ボストン美術館の至宝 19世紀ヨーロッパの巨匠たち』(1995). そごう美術館. 朝日新聞社.
コメント
コメント一覧 (2件)
ぴーちゃん様
コメント有難うございました。
そうでーす、リシュリュー枢機卿の存在に気付いていただけました(笑)?
オリエンタリズムの絵画で有名なジェロームの、(割りと地味?な)歴史画でしたが、リシュリュー枢機卿といえば『三銃士』ですよねえ。こっそり狙ってました。
「ラ・ロシェル包囲戦」の話にはあのバッキンガム公も出てきますが、長くなるのでここでは省いてしまいました(/ω\)。
昔はバロックやロココ時代があまり好きではありませんでしたが(象徴主義とか世紀末芸術に傾倒していました)、今改めて見てみると、ルイ13世にアンヌ・ドートリッシュにマリー・ド・メディシスにチャールズ1世にルーベンスに…と、興味深いキャラ続出で、実に面白い時代だと思います。
『若き殉教者』は『オフィーリア』の影響を受けているそうですもんね。
初めてルーヴルで観たのが20歳の時…。絵の意味、タイトル、作者、何の知識も無くただ観ているだけでしたが、静謐な世界がずっと忘れられませんでした。
今回も有難うございました。
ハンナさん、こんにちは。
最初の偉そうな修道士をみて、リシュリュー枢機卿を思い出したのですが、その後、リシュリューの名が。
的外れでない想像が、うれしかったです。(笑)
リシュリュー枢機卿は、小説の「三銃士」で、絶大な権力を持つ人として描かれていますが、本当に修道士の偉い人は、権力を持っていたのですね。
宗教はキリスト教の独壇場だったし。
それから、「若き殉教者」をみて、ハムレットの「オフィーリア」が、流れていく絵を思い出しました。
頭の方向は逆だけど、どっちも水面に浮かんでいるので。
今日も、興味深い記事をありがとうございました。