画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

サド侯爵、ローマでベルニーニの聖女とステファノ・マデルノの『聖チェチリア像』を観る。

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18世紀後半。ローマを訪れたサド侯爵が観たベルニーニの作品『聖テレサの法悦』『聖ビビアーナ』『福女ルドヴィカの法悦』と、ステファノ・マデルノの『聖チェチリア像』。

サド侯爵の感想付きで鑑賞して参りましょう。(一部性的な表現を含んでおります。)

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

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目次

マルキ・ド・サド( Marquis de Sade, 1740年6月2日-1814年12月2日)

「サディズム」という言葉の元となった、18世紀フランスの貴族で作家、サド侯爵(マルキ・ド・サド)。

正式名をドナティアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド(Donatien Alphonse François de Sade)と言います。

虐待と放蕩の罪で刑務所や精神病院へ送り込まれたり、あのバスティーユ牢獄に入れられたりしたこともあります。

サドの数々の著作はこれらの獄中生活で生まれました。

サド侯爵 1760年 シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー画
サド侯爵 1760年 シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー画

引用元:マルキ・ド・サド

画家シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー( Charles-Amédée-Philippe van Loo, 1719年-1795年)

画家ヴァン・ロー一家のひとり・シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ローによる、若い頃のサド侯爵です 。

シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ローはフランス王ルイ15世妃マリー・レクザンスカの肖像画を描くなどしましたが、後にベルリンのフリードリヒ2世の宮廷画家となりました。

サド侯爵の父、ジャン=バティスト・フランソワ・ジョゼフ・ド・サド伯爵の肖像

サド侯爵の父、ジャン=バティスト・フランソワ・ジョゼフ・ド・サド伯爵 1750年頃 ナティエに帰属 個人蔵
サド侯爵の父、ジャン=バティスト・フランソワ・ジョゼフ・ド・サド伯爵 1750年頃 ナティエに帰属 個人蔵

引用元:サド侯爵の父

サド伯爵は、外交官、宮廷人、放蕩者、そして文学者であった。この複雑で魅力的な人物は、息子の教育と成長において重要な役割を演じた。とにかく進歩的な伯爵は、まだ年若い息子ドナティアンが快楽の追及に浸るときの冷静さと熱狂、几帳面さと激高との混淆ぶりに、当惑しぞっとせざるをえなかった。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 シャンタル・トマ(著) 田中雅志(訳) 三交社 P18)

サド伯爵は王妃マリー・レクザンスカやポンパドゥール夫人の友人であり、話し相手でもありました。 

王妃マリー・レクザンスカ 1748年

王妃マリー・レクザンスカ 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿
王妃マリー・レクザンスカ 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿

引用元:マリー・レクザンスカ

画家ジャン=マルク・ナティエ(Jean-Marc Nattier、1685年3月17日-1766年11月7日)

ジャン=マルク・ナティエは、ルイ15世の時代に肖像画家として活躍しました。

大変優美な画風で知られ、女神に扮したルイ15世の王女たちの絵は特に有名です。 

サド伯爵の肖像画は「ナティエに帰属」とWikipediaにありますが、『サド侯爵 新たなる肖像』では「ナティエ画」となっています。 

シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ローやジャン=マルク・ナティエのような画家がいる環境に身を置いているサド侯爵。

一流品に囲まれ、審美眼も更に磨かれて行くんですね。

1763年、七年戦争が終わり、サドの軍隊生活は終わりを告げます。

同じ年に結婚しますが、その後も放蕩は止まず、10月には不信心行為と度を超した放蕩のかどで、ヴァンセンヌ監獄に拘留されます。

1764年、最初の子供が誕生後間もなく亡くなり、1767年1月にわずかな遺産を遺し、父のサド伯爵が死去。

8月に長男ルイ=マリーが生まれます。

ルイ=マリーは1805年『フランス国民史』第一巻を刊行。1809年に暗殺されました。

1768年4月3日「アルクイユ事件」

1768年4月3日復活祭の朝、「アルクイユ事件」が起きます。

サドはヴィクトワール広場でローズ・ケレルという女性に声を掛け、彼女をアルクイユに連れて行きます。

そこで衣服を脱がせ、鞭で打ち、部屋に監禁。

脱出した彼女は警察に訴え、サドはリヨン近郊のピエール・アンシーズ要塞に拘留されました。

11月に釈放され、領地での謹慎を命じられます。

1769年5月、自由の身になったサドはパリに舞い戻ります。

6月には次男が誕生しました。 

1769年9月25日から10月23日にかけて彼はネーデルラントを旅行し、『書簡体によるオランダ紀行』を執筆します。

フランス古典主義の作家ゲ・ド・バルザックや哲学者デカルト以来、オランダ訪問はフランスの知識人たちにとって不可欠の巡礼行であった。サドは次男が誕生したすぐあとの1769年にオランダ訪問を果たす。いっぽうイタリアは、1772年の夏に義妹のアンヌ・プロスペール・ド・ローネーとともに訪れたのが最初である。サドは彼女とともにヴェネチアやその周辺の都市を見てまわった。マルセイユのスキャンダルののちのこの逃避行は、人目を忍んで続けられた。エクス=アン=プロヴァンスでサド侯爵の人形(ひとがた)が焼かれているときに、彼はヴェロネーゼやティツィアーノの絵画を鑑賞する。肖像画芸術についてのサドの見解は、尋常ではない状況におそらく影響されて豊かになっている……。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 P39)

1771年4月、長女が誕生。9月には債務不履行で監獄に入れられています。

1772年6月、今度はマルセイユで事件を起こします。

4人の娼婦と従者のラトゥールと共に、鞭打ち、肛門性交、催淫剤のカンタリス入りボンボン使用といった性倒錯行為に、更に同日夜、別女性と同じ行為に及びます。

その後マルセイユの女性たちから毒殺未遂で告訴されたサド。

7月、妻の妹と共にイタリアへ向かいます。 

アンヌ・プロスペール・ド・ローネー(1751年-1781年)の肖像 画家不詳
アンヌ・プロスペール・ド・ローネー(1751年-1781年)の肖像 画家不詳

引用元:アンヌ・プロスペール・ド・ローネー

妻ルネ=ペラジー・ド・モントルイユ(Renée-Pélagie Cordier de Launay、1763年-1810年)の妹です。

12月、妻の母の要請で、サルディーニャ王国官憲によって逮捕されます。

1773年4月、トイレの窓から脱獄。

その後フランスに戻ったり、一時イタリアに住んだりしました。

今度は1775年、使用人の親たちから裁判所に訴えられ、再びイタリアに向かいます。

一年をそこで過ごし、1776年夏、『イタリア紀行』の執筆を構想。

1777年逮捕、その後投獄…。

出たり入ったりと結構忙しい侯爵です。

『サド侯爵 新たなる肖像』に年表がありますので、執筆と事件と逮捕と投獄の歴史をお楽しみください(^^)

サド侯爵の『イタリア紀行』

フィレンツェでヴェロネーゼやティツイアーノの絵画を堪能したサド侯爵。

1775年10月21日土曜日午後3時にフィレンツェを発ち、10月27日午前11時、ローマに到着します。

サドは虚構の人物である「伯爵夫人」に宛て、このように書いています。

最初に見たのは、サン・ピエトロ大聖堂です。その正面(ファサード)は荘厳というよりもむしろ劇場のように見えましたし、想像していたほどびっくりさせられはしませんでした。とはいえ、この建物の広大さたるや信じ難いほどですし、その各部分のプロポーションが実に見事なために建物の巨大さにもあまり仰天しなくてすむのです。

(『イタリア紀行 Ⅰ』 マルキ・ド・サド(著) 谷口勇(訳) ユーシープランニング P139)

サドが見た「ベルニーニによるローマ」。

ここではベルニーニの3つの彫刻作品と、マデルノの『聖チェチリア』を取り上げます。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini、1598年12月7日-1680年11月28日)

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:『聖テレサの法悦』 Vassil CC-Zero

サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂、コルナーロ礼拝堂の『聖テレサの法悦』は、イタリアの巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって制作されました。

ベルニーニの代表作のひとつであるばかりでなく、バロック彫刻の演劇的絵画的理念を典型的に示す傑作である。礼拝堂の空間そのものが小さな劇場として構想され、中央で行われる奇蹟場面を両脇のギャラリー席から寄進者(ヴェネツィア出身のコルナーロ枢機卿)の一族が眺めるという設定になっている。場面は天使の矢によって射られ、キリストと神秘的な合一をとげる聖女テレーサ(1515~82年、スペインの聖女で跣足カルメル会の創始者)のヴィジョンを表わす。矢を持つ陽気な天使は愛の使者アモルのようであり、失神に近いテレーサの精神的法悦は官能的法悦と区別しがたい。大理石をろう細工のように扱うドレイパリーの表現はベルニーニのヴィルトゥオジズモ(名人芸)の極致を示している。

(『NHKルーブル美術館 Ⅴ バロックの光と影』 高階秀爾(監修) 日本放送出版教会 P48) 

ドレイパリー(drapery}とは「衣襞」のこと(『NHKルーブル美術館 V』 P46)。 

反宗教改革の偉大な聖人の一人であるアビラのテレサは、天使が燃える金の矢で彼女の胸を刺し貫くさまを次のように記述している。「その苦痛は非常に大きかったので、私は大声で叫んだ。しかし同時に限りない甘美さを感じ、その苦痛が永遠に続いてほしいと願った。その苦痛は身体にもある程度及んだとはいえ、肉体的ではなく、霊的なものだった。それは神によるもっとも甘美な魂の愛撫なのであった。」

(『西洋美術の歴史』 H.W.ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン(著) 木村重信、藤田治彦(訳) 創元社 P296)

「アビラのテレサ」は、イグナティウス・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、フィリッポ・ネリと共に、ローマ教皇パウルス5世によって列福されています。

「伯爵夫人」に宛てたサドの書簡です。 

 再びローマ市へ戻ると、フェリーチェの泉の脇に、マドンナ・デッラ・ヴィットーリアと呼ばれているカルメル会修道者たちの小さな教会が見えます。この教会は、ローマで最も贅を尽くした、最も装飾を凝らした教会の一つです。全体が大理石と金で覆われており、まるで壁画はほとんど消えているかのように見えます。左手の礼拝所はヴェネツィア出身のコルナーロ家に属するものですが、この礼拝所には天使から傷つけられんばかりになっている有名な恍惚の聖女テレサの彫像があります。これはベルニーニの傑作です。この作品は、それを特徴づけている迫真的雰囲気からしても至高なものです。けれども、これを眺める際に、聖女が描かれているのだということだけは肝に命じておかねばなりません。なにしろ、顔を炎に包まれたテレサの恍惚状態の様子から、これを勘違いし易いであろうと思われるからです。つまり、天使は愛神エロスとして、またテレサはエロスの母親として、つまりキューピッドの邪心の美しき犠牲者として、解釈されても一向にかまわないでしょう。それはともあれ、この彫像は賞賛に値します。ただ私には、聖女の紋表現に少々行き過ぎが目につき、また天使が矢をつがえている様子にはあまりに気取りすぎた点があるように見えます。ですが、過度の凝り方がベルニーニに持ち前の欠点であることは周知のところなのです。そうは言っても、この彫像の置き場所をもっと良くしたらよいのに、と望まれるところでしょう。あまりに高く、しかもあまりに奥まったところにあるため、この作品を鑑賞するのに骨が折れるのです。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 P161)
『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:天使 Benjamín Núñez González CC-BY-SA-4.0

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:天使の矢 Benjamín Núñez González CC-BY-SA-4.0

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:聖テレサ Benjamín Núñez González CC-BY-SA-4.0

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:聖テレサ Sailko CC-BY-3.0

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:指先 Sailko CC-BY-3.0

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:足元 Sailko CC-BY-3.0

『聖テレサの法悦』(ギャラリー)
『聖テレサの法悦』(ギャラリー)

引用元:ギャラリー Jastrow

天使と、法悦の極みにある聖テレサ。

ベルニーニはその瞬間を目撃する観客たちもつくりました。

礼拝堂の両側面には劇場の桟敷席に似たバルコニーが設けられ、そこには私たちと同様に聖女の法悦を目撃するコルナーロ家の一族の大理石像が配されている。

(『西洋美術の歴史』 P297) 

ヴェネツィア共和国で最も権力を持つ一族出身のフェデリコ・コルナーロ枢機卿はこの礼拝堂に、今日の貨幣価値にして約50万ドルの大金をかけました。(参考:『ベルニーニ その人生と彼のローマ』 P238)

フェデリコ・コルナーロ枢機卿 1640年頃 ベルナルド・ストロッツィ カ・レッツォーニコ
フェデリコ・コルナーロ枢機卿 1640年頃 ベルナルド・ストロッツィ カ・レッツォーニコ

引用元:フェデリコ・コルナーロ枢機卿 Didier Descouens CC-BY-SA-4.0

フェデリコ・コルナーロは向かって左側の集団の一人
『聖テレサの法悦』(フェデリコ・コルナーロは向かって左側の集団の一人)

引用元:向かって左側の集団 Nina-no CC-BY-SA-2.5

フェデリコ・コルナーロは向かって左側の集団の一人です。

『聖テレサの法悦』 1647年-1652年 ベルニーニ作 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂
『聖テレサの法悦』 サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア聖堂

引用元:『聖テレサの法悦』 Nina-no CC-BY-SA-2.5

アビラのテレサ

聖テレサが法悦の体験をしたのは44歳の時とされています。

『ベルニーニ その人生と彼のローマ』によれば、彼女がまだ存命中に描かれた肖像画というのは、「どちらかといえばずんぐりとした品格ある中年の修道女」で、ベルニーニの作品に描かれているような若い乙女ではなかったようです。

彫刻の聖女が身に着けているものも、裕福で世俗的な貴族女性の衣裳のようだ、と著者は書いています。

確かに、たっぷりとした布が、豪華なガウンのようにも見えます。

16世紀に描かれたアビラのテレサ Fray Juan de la Miseria
16世紀に描かれたアビラのテレサ Fray Juan de la Miseria

引用元:16世紀に描かれた聖テレサ

『聖女ビビアーナ像』 1626年

『聖女ビビアーナ像』 1626年 ベルニーニ サンタ・ビビアーナ教会
『聖女ビビアーナ像』 1626年 ベルニーニ サンタ・ビビアーナ教会

引用元:『聖女ビビアーナ像』 WikiPaintings CC-BY-SA-3.0

教皇ウルバヌス8世に依頼された聖ビビアーナ像。

聖ビビアーナは、4世紀のユリアヌス帝の治世、初期キリスト教の殉教者です。

『教皇ウルバヌス8世の肖像』 1625年 ベルニーニ 国立古典絵画館蔵
『教皇ウルバヌス8世の肖像』 1625年 ベルニーニ 国立古典絵画館蔵

引用元:『教皇ウルバヌス8世の肖像』

この肖像画もベルニーニの作です。

この聖ビビアーナ像に対し、ベルニーニの息子ドメニコは後年、ベルニーニの伝記のなかでこう書いています。

「その優しさと、あふれ出すような信仰心の双方において、これは芸術の奇跡である」とし、彼の父親が語ったこととして「私がこの彫刻を作ったのではなく、聖ビビアーナ自身がおいでになり、彼女の姿を大理石に刻まれたのだ」と記している。

(『ベルニーニ その人生と彼のローマ』 フランコ・モルマンド(著) 吾妻靖子(訳) 一灯舎 P160)
『聖女ビビアーナ像』 1626年 ベルニーニ サンタ・ビビアーナ教会
『聖女ビビアーナ像』 サンタ・ビビアーナ教会

引用元:『聖女ビビアーナ』 Sailko CC-BY-3.0

『聖女ビビアーナ像』 1626年 ベルニーニ サンタ・ビビアーナ教会
『聖女ビビアーナ像』 サンタ・ビビアーナ教会

引用元:足元 Sailko CC-BY-3.0

サドはサンタ・ビビアーナ教会を訪れます。

その近くにあるサンタ・ビビアーナ教会は、この聖女が住んでいた場所に建っていると言われています。教会を取り囲んでいる小さな庭に入ると、聖女が使用していたまさにその井戸を見ることができます。この教会は4世紀のものですが、17世紀に建て変えられました。祭壇の上の聖女の彫像はベルニーニの傑作と言われており、賞賛に値するものです。その紋は実に軽快かつ優美でして、この巨匠の作品にしか見られないものです。その石膏模造品は、ローマのフランス・アカデミーの若い画家たちにモデルとして役立っています。このようにモデルに選ばれたことは、いかなる賛辞にも勝るものでしょう。

 数々の教団のうちでも最も聖なる女性に対して悪ふざけをする人びと、若く美しい殉教者の血もポンチ1杯分より興味を引かぬような鈍感な心の持ち主たちの一人、要するに一人のイギリス人が、彼女の手にしたシュロの葉を責め具と勘違いして、彼女を鞭打つための鞭を彼女に集めさせるとはあまりにひどい、と言い張りました。ですが、この推理は彼女の心をも、彼女の良心をも害していた以上、道理のないものです。なにしろ、そんな取り違えはなし得ないことですし、また同じ不幸に苦しむ人びとともに表現されているビビアーナは、仲間たち同様に、シュロの枝を我慢強さの褒賞として手にしているのですから。

(『イタリア紀行 Ⅰ』 P187ー188)

祭壇の下の、アラバスタ製の石棺の中には、「ビビアーナ以外に、彼女の姉妹と母親の遺体が納められている」そうです。

しかし、サドは、

実際、体刑の後で遺体はテーヴェレ川に投げ込まれるのがほとんど常だったのですから、これら殉教者の遺体が、この石棺におけるように、二人の姉妹とその母親が一緒にこうして同じ家におれるようにさんざん配慮して集められているなどという、可能性がどうしてあり得ましょうか。伯爵夫人さま、貴女さまのように哲学的精神をお持ちの方なら、こんな絵空事はお認めになり難いでしょう。白状いたしますと、私とてもこんな事を事実と想像することはほとんどできませんし、そんな事を信じている人びとの不条理さたるや、私に言わせれば、奇跡以上にもっとむかつかせます。

(『イタリア紀行 Ⅰ』 P188)
『若き殉教者』 縦74 cm ×横60 cm 1853年 エルミタージュ美術館蔵
『若き殉教者』 縦74 cm ×横60 cm 1853年 ポール・ドラローシュ エルミタージュ美術館蔵

『若き殉教者』 ポール・ドラローシュ

上の絵画は、フランスの画家ポール・ドラローシュの作品『若き殉教者』(1853年 エルミタージュ美術館蔵)です。

ルーヴル美術館には別のヴァージョンがあります。

ディオクレティアヌス帝の時代、偶像崇拝を拒否した彼女は、両手を縛られ、ローマ人によってティベリ川に突き落とされます。

暗がりの中、溺死した彼女の遺体はふたりのキリスト教徒によって発見される…という情景。

このように誰かに見つけて貰えれば埋葬されることもあるでしょうが、ほとんどの場合そうではなかったことでしょう。

川に突き落とされたキリスト教徒たちの遺骸を回収、しかも母親とそのふたりの娘の遺体を集めて一つの墓所に安置する、というのは非常に難しいことだと思います。

サドは続けます。 

 同じ教会の扉の近くには、赤大理石による小さな円柱が一本置かれてあり、言われているところでは、体刑の際、この上で聖女が縛られたとのことです。このことに関しては、おそらく事実、この円柱が支柱として役立つことを否定する理由はありませんし、人がこれを見て感じる心は、美しくなくとも、ただその古さだけでいつも感銘を与える、古代の遺跡を見るときと同じなのです。 

(『イタリア紀行 Ⅰ』 P188)

【聖ビビアーナの薬指の欠損事件】2018年、美術館に貸し出されていた聖ビビアーナの右の薬指が欠けていることがわかりました。 「事件」に関してはこちらをご覧くださいませ。  2018.09.10 23:00 名作ゆえに起こる悲劇!?リスクある世界の旅をやめられない美術品の宿命 Text by Discovery編集部

 しかし、サドはおのれの無神論のために「イエズス会の豪華さ」が嫌いになることはない。彼はイエズス会学校のもと生徒であり、そこで芝居に熱中した。宗教的迷信とその迷信の流布を促す華麗さとを同じように非難したフィロゾーフたちとは違って、サドは迷信にたいしてだけしか戦わない。舞台装置においては、迷信を信じる愚かさだけしか非難しないのである。サドは初めてサン・ピエトロ大聖堂に足を踏み入れたとき、まるで劇場のなかに入ったかのように思った。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 P55)

フィロゾーフ (philosophe) ですが、「フランス語で「哲学者」を意味する言葉であるが、特に18世紀の啓蒙時代において、啓蒙思想の担い手であった知識人を指す。実際に哲学者であった者は少なく、哲学のみならず、歴史、科学、政治、経済、社会問題などの多くの領域において、理性を主張して公的な活動をおこなった知識人たちがフィロゾーフと称された。(Wikipedia)」

すべての過剰なるものがサドの賞賛を得、逆に、粗さや無味乾燥さは嫌悪感を抱かせるカテゴリーである、と『サド侯爵 新たなる肖像』では述べられています。

サドは手紙の中で、デューラーのある作品を「堅苦しい」、ナトワールの作品には「デッサンも不正確」との評価を与えています。 

『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』

『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 1622年-1625年 ベルニーニ サン・フランチェスコ・ア・リーバ聖堂
『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 1622年-1625年 ベルニーニ サン・フランチェスコ・ア・リーバ聖堂

引用元:『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 Photographs by User:Sailko CC-BY-3.0

『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 1622年-1625年 ベルニーニ サン・フランチェスコ・ア・リーバ聖堂
『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』

引用元:福女ルドヴィカ ho visto nina volare CC-BY-SA-2.0

『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 1622年-1625年 ベルニーニ サン・フランチェスコ・ア・リーバ聖堂
『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』

引用元:手元 ho visto nina volare CC-BY-SA-2.0

ルドヴィカ・アルベルトーニ(Ludovica Albertoni、1473年-1533年)

ルドヴィカ・アルベルトーニはアヴィラの聖テレサと同様、奇跡を起こし、空中浮揚や恍惚を体験した女性苦行者でした。

貴族アルベルトーニ家に生まれ、貴族の夫ジャコモ・デッラ・チェテーラ(Giacomo della Cetera)と結婚します。

夫と死別した後、貧しい人びとに対する献身から「貧しい者たちの母」と呼ばれます。

1671年、ルドヴィカは福者に列せられました。

時の教皇クレメンス10世はアルベルトーニ家と縁戚関係にありました。

ベルニーニに像の制作を依頼したのは、ルドヴィカの末裔であるアルベルトーニ枢機卿だったのです。(参考:『世界史リブレット77 バロック美術の成立』 山川出版社 P83)

実際のルドヴィカ

『聖テレサの法悦』では、44歳の中年女性だったテレサは若くほっそりとした女性として彫られていますが、福女ルドヴィカも実際とは違っていました。

ベルニーニはルドヴィカを「皺のない柔らかな肌に覆われた完璧に整った顔と、優美でふっくらした手の持ち主として」描いていますが、実際のルドヴィカは、

長い期間にわたる絶食や極端な肉体的消耗によって、宗教に関わるようになってからは急激にやつれて衰弱していったと思われる。だから、死を迎えた60歳のときに彼女がどのように見えたかは想像に難くない。だが誰がベルニーニを責められるだろう。飢えで痩せ衰えた遺骸よりも、恍惚に身を捩じらす、完璧な白い肌をしたバロック期の豊満な美女を見たいと思うのは誰も同じである。

(『ベルニーニ その人生と彼のローマ』 P471)

ベルニーニは、ルドヴィカのこの像を無報酬で仕上げることを、ルドヴィカの玄孫であるパルッツォ・パルッツィ・アルティエーリ・デッリ・アルベルトーニ枢機卿に約束しました。

そして、ベルニーニは半年で像を仕上げます。

パルッツォ・パルッツィ・アルティエーリ・デッリ・アルベルトーニ枢機卿
パルッツォ・パルッツィ・アルティエーリ・デッリ・アルベルトーニ枢機卿

引用元:パルッツォ・パルッツィ・アルティエーリ・デッリ・アルベルトーニ枢機卿

その裏側には、ベルニーニの弟ルイージの性スキャンダルがありました。

この話は『ベルニーニ その人生と彼のローマ』に詳しく載っていますので、ご興味のある方は是非お読みください。 

福女ルドヴィカ
福女ルドヴィカ

引用元:福女ルドヴィカ Torvindus CC-BY-SA-3.0-migrated _ CC-BY-SA-2.5,2.0,1.0

アルティエーリ礼拝堂
アルティエーリ礼拝堂

引用元:アルティエーリ礼拝堂 Sailko CC-BY-3.0

下の色大理石はルドヴィカの棺、その上に白大理石のルドヴィカ像、その上に目をやると、聖母子と聖アンナを描いた絵、というように、

下から上にいくにつれ、肉体から魂、罪から救済というように、個別から普遍という変遷を示している。

(『世界史リブレット77 バロック美術の成立』 P83)

ローマを訪れたサドもこの教会に行き、同じようにこの彫刻を見、上を見上げたことでしょう。 

サドがベルニーニ作の福女ルドヴィカ・アルベルトーニの彫刻に関して述べた批評によって、彼の審美的欲求を窺い知ることができる。つまり、芸術作品の優美さはその作品の力強さに役立つものでなければならないということである。

 顔の表情はまさに憔悴そのものです。この芸術家はなぜ、残りのすべてにおいても同じように正確に従うことをしなかったのでしょうか。頭部を支えている二つの枕は、驚くほど真実味があります。しかし、両手の位置は凝りすぎています。人は息絶えるとき、これほど優美に両手を置いたりしないものです!いずれにせよ、これはマデルノ作の《聖女チェチリア像》に見られる驚くべき真実味とは雲泥のちがいです。

丸天井のもとでは、すべてが豪奢なる苦悩に彩られている。サドは、いまわの際の聖人や聖女たちがしっかりと緊縛され、血の気が失せ、瞳に涙を潤ませているさまに目を注ぐ。彼は犠牲者にして処刑人であり、闘技場で絶命する受刑者にして、饗宴の終わりに楽しみにやって来る皇帝なのだ。

 「そのうえを歩みながら、当然ながら、『皇帝たちも私と同じようにかつてここに来たことがあったのだ!』と言ってよいのです」

 サドがローマについて記した箇所は、異教世界がカトリック教会によって破壊されたことへの長い哀悼の言葉となっている。サドは訪れるどの教会についても、教会が古代の建造物を消し去っていることに言及している。 

 聖母マリアやらがらくたやらで、貴重な建造物が埋め尽くされてしまっているのを目にするのは、じつに嘆かわしいことです。

 しかし、サドは当世のローマをくまなく歩きまわりながら、面影が残るだけとなってしまった異教世界を絶えず心の中で復元し続ける。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 P56-P59)

『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ

『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会
『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会

引用元:『聖チェチリア』 Sailko CC-BY-3.0

聖セシリア、セシル、 カエキリア (Caecilia) とも呼ばれる、2世紀頃の女性です。

汚れなき乙女にしか聴こえないという「天上の音楽」を聴くことができたチェチリアは、音楽の守護聖人。

そのため彼女を示すアトリビュート(持ち物)は楽器です。

禁教時代に生きた人だが、キリスト教徒として育てられ、結婚はしたが性交渉なしという条件を相手に認めさせている。

(『美少女美術史』 池上英洋・荒井咲紀(著) ちくま学芸文庫 P121)

その夫もまた、妻の影響でキリスト教徒となりました。

ふたりはやがて捕らえられます。

釜茹でにされたところを天使が救いますが、最後には夫婦そろって首を斬り落とされました。

 ローマにあるサンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会は、その名でわかる通り彼女に捧げられており、9世紀に地下墓所(カタコンベ)から彼女の棺が移されていた。そして1599年に、棺のなかから彼女の遺骸が発見されたのである。

(『美少女美術史』 P122)

伝説では、 処刑人が3度首を切りつけても首が離れなかったそうです。

 遺体は伝説通りに首が切り離された状態で、頭部は布にくるまれていた。その状態から復元想像した姿を、1600年にマデルノが大理石像にしているが、そこでも首には切断痕がつけられている。

(『美少女美術史』 P122)

発見された当時チェチリアの遺体はまだ白骨化していず、彫刻家ステファノ・マデルノはその姿をスケッチし、作品を制作したそうです。 

ベルニーニは、『福女ルドヴィカ』像制作にあたり、

死にゆく女性の姿を祭壇上におくこの構成について、ベルニーニはそこからほど近いサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂にある前述のステファノ・マデルノによる聖チェチリアの祭壇を参照したのであろう。

(『世界史リブレット77 バロック美術の成立』 P84)
首に切断痕『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会
首に切断痕『聖チェチリア』

引用元:頭部 Warburg CC-BY-SA-3.0

『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会
『聖チェチリア』

引用元:手元 Maderno CC-BY-SA-3.0

『聖チェチリア』 1600年 ステファノ・マデルノ サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会
『聖チェチリア』

引用元:聖チェチリア Miguel Hermoso Cuesta CC-BY-SA-4.0

サドの書簡。

サンタ・チェチリア教会。この教会の最も美しい作品は疑いもなく、ステーファノ・マデルノの手になるこの聖女の寝像でして、それは主祭壇の飾り天蓋の下に置かれています。まさしく咲き始めるや刈り取られた一輪の美しい花の感がします。チェチリアはごく若くして結婚させられ、そしてこの結婚の初期に浴室で暗殺されたのでした。その負傷の跡はき出しになった美しい首の上に認められます。彼女が三回切り付けられた剣の跡が見えます。そこからは血がしたたっておりますし、彼女が倒れて、疑いもなくこの非業の死で息絶えるに至った様子は、この芸術家の把握したとおりのものに違いありません。少なくとも、彼女がサン・セバスティアンのカタコンベで見つかったときと同じままに写し取られていることは確かです。彼女が浴室で身につけていたのと同じ下着が彼女を覆っています。それが形づくっている繊細な紋やその輪郭を垣間見させている巧みな手法は、まことに崇高の一字に尽きます。チェチリアは小柄で華奢きゃしゃでしたが、描くには掛け替えのない人物だったのです。芸術家はこのモデルのすべての優美な点を保持しましたし、彼女をかじかませる死は、こう言ってよければ、彼女をなお一層尊敬に値する者にしているかのようです。顔はたんなるハンカチーフで包まれたまま、やや無理な姿勢で地面のほうを向いたままですが、最期の苦悶いかばかりだったかはそこに感知できます。彼女の華奢きゃしゃな両手は前に垂れており、何本かの指は突然のひどい断末魔のせいででもあるかのように、悴んでいます。その場に投げ出された死体ながら、そこには、17ないしは18歳の、しっかりしていると同時に愛らしい少女の繊細さとしなやかさがそっくり今でもありありと現れています。この聖なる作品にはあまりにも真実味が際立っているために、人はこれを見て感動を覚えずにいられません。

(『サド侯爵 新たなる肖像』 P302)

感想はこの後もまだ続きます。

そして更にベルニーニが手掛けた市中の作品も見て回るのですが、 美術に関するサドの感想を読むと、彼がとても教養のある人物だったことがわかります。

彼の熱心なガイドをナマで聴いてみたい気がします。

建築家カルロ・マデルノ

ベルニーニやフランチェスコ・ボッロミーニを育てた初期バロックの建築家、カルロ・マデルノ(Carlo Maderno、1556年- 1629年)は、 『聖チェチリア』の制作者、ステファノ・マデルノ(Stefano Maderno、1576年頃-1636年) と兄弟だといわれていましたが、ふたりが兄弟であるという確かな証拠はないようです。

下はカルロ・マデルノによるサン・ピエトロ大聖堂のファサードです。

サン・ピエトロ大聖堂のファサード
サン・ピエトロ大聖堂のファサード

引用元:サン・ピエトロ大聖堂 CC-BY-SA-3.0-migrated

サド家の紋章

サド家の紋章
サド家の紋章

引用元:サド家の紋章 User:Spedona CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0

意外と強そうな紋章でした。

主な参考文献
  • 『サド侯爵 新たなる肖像』 シャンタル・トマ(著) 田中雅志(訳) 三交社
  • 『NHKルーブル美術館 Ⅴ バロックの光と影』 高階秀爾(監修) 日本放送出版教会
  • 『西洋美術の歴史』 H.W.ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン(著) 木村重信、藤田治彦(訳) 創元社
  • 『イタリア紀行 Ⅰ』 マルキ・ド・サド(著) 谷口勇(訳) ユーシープランニング  
  • 『図説バロック 華麗なる建築・音楽・美術の世界』 中島智章(著) 河出書房新社
  • 『ベルニーニ その人生と彼のローマ』 フランコ・モルマンド(著) 吾妻靖子(訳) 一灯舎
  • 『世界史リブレット77 バロック美術の成立』 宮下規久朗(著) 山川出版社
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コメント

コメント一覧 (22件)

  • Pちゃん (id:hukunekox)様
    超!超!遅くなってごめんなさい!コメントしてくれたこと、覚えてますか??
    ほんとに遅くなりました。
    私の中ではサド侯爵ってフランス革命期の重要人物のひとりなんです。こいつがあの時余計なこと言わなきゃ…(ちっ)的な印象も持っています。これ、また改めてやりたいです。
    Pちゃん、やっぱりいい妄想しますねー。
    私も専門家ではないからわかりませんが、大雑把に言って、色気って大事ですよね。
    ベルニーニは、観る人たちが「エロ!」と感じることをちゃんと狙っていたと思います。
    仰るように、あの指、あの足、私なんて、あれはチラリズムの極致にしか思えませんもん。
    「法悦」、調べてくれたんですか!お手数かけてすみません、でも有難うございます!
    あのタイトル、昔は「恍惚の聖テレサ」となっていたと思います。「法悦」なんて言葉、厳かな感じはするけど、普段使わないですし。
    また、日本語では「法悦」、「恍惚」ですが、英語では「エクスタシー」です。
    あと、サド侯爵が訪れていたのは「教会」なんですね(^_-)
    偉大な画家の絵は金持ち層が自分の邸に飾ってあったりして(ご先祖様が描かれているとか、コレクションとして購入したりして)、身分がそれなりにある人は招かれたときにそれらを見ることができました。
    サドも侯爵だから、食事に招待された先で見たということもあった筈…。今ぱっと思い出せないけど、読んだ気がする…。
    うろ覚えですみません💦
    えっ、ミュージアムとな(゚д゚)!
    わーい!
    いつの日か、どこかで実物に出会ったときにちょこっとでもこれらの話を思い出していただけたら超光栄で嬉しいです。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
    書いたものが消えてしまっていたので【再送】です。
    返信遅くなって申し訳ありませんでした。
    「キリスト教徒のオフィーリア」、『若き殉教者』ですね。
    異教の神、偶像崇拝を拒んでの殉教。もはや血の気の無い娘を取り巻く、ただ静謐な世界です。ミレイの『オフィーリア』に霊感を得て描かれたそうですが、こちらも印象的な絵ですよね。
    サドの『聖ビビアーナ』の話を読んでこの絵を思い出しました。
    ベルニーニの作品が、サド侯爵が言うように「大げさ」な表現であっても、むしろそれでこそバロック、と私は単純に喜んでしまいます(笑)。
    昔は宗教絡みはあまり好きでは無かったのですが、彫像そのものはやっぱり素晴らしい。
    作品の背景を知ればより深い感動があるものですが、そんなの知らなくても、偉大な作品にはひとを感動させる力があるとも思うのです。
    私なんか『聖チェチリア』を見て、死体か(゚д゚)!と思ってしまいました。
    真に迫り過ぎです(/ω\)
    ホントにつまんない感想ですみません。
    美術解説本も目は通すのですが、実はあまりよくわかっていない気がします。
    どんなにこれはこんなに凄いんだよと言われても、結局最後は「好み」なんだと思います…。
    あと、自分の信仰も関わってくるかな。私はキリスト教徒ではないため、例えばキリストやマリア像を見ても、深い部分で胸に迫って来ないのです。文化史的に、「これとこれがこうリンクしてるのが面白い」という楽しみに多く重点を置いているからかもしれませんね。
    ほんとにつまんない感想ですね…。
    今回も付き合ってくださって有難うございました。

  • だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
    今見たら、昨夜書いた返信が消えていました!!ないよ!!すみません、寝ながら消してしまったかも!!
    後程改めて書かせていただきます!

  • 佐馬鷹 (id:coatsofarms)様
    返信遅くなって申し訳ありません。超申し訳ありません。
    佐馬鷹さん、あの侯爵様の後輩でいらっしゃる!!
    長い歴史をお持ちですもの、そりゃあいろんな方がいらっしゃいますよね。侯爵様のような反逆の精神をお持ちになった方もひとりくらいはいたかもしれませんね。
    侯爵様の仰った英国の方のように、不真面目な方もたまにはいらしたんでしょう。なんかちょっと興味深いです。
    紋章、少々興味が出てしまいました。
    サド家のものが予想に反して「強そう」だったのでビックリ。
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またどうかよろしくお願い致します。

  • まどろみ (id:madoromi-life)様
    返信遅くなって申し訳ありません。
    コメント頂戴して以来、バロックの巨匠の顔がオイタをした彼にしか見えなくなってしまいました。
    一刀両断のお話もぜひ伺いたい…いやいや(笑)それは置いときまして。
    『若き殉教者』、「キリスト教徒のオフィーリア」ですね。「静謐」という言葉が本当に似合う絵画です。
    サドの、『聖ビビアーナ』に対する感想を読んでいたら、これを思い出してしまいました。
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またお付き合いくださいませ。
    よろしくお願い致します。

  • schun (id:schunchi2007)様
    返信遅くなって本当に本当に申し訳ありません。
    『聖テレサの法悦』は写真ではよく見るのですが、両隣にいる人々が載ることってあまりないですよね。言及されることも少ないですし。
    実はこれらの像制作の裏には様々な事情もあるのですが、今回は最小限にしてしまいました。
    サド侯爵、ベルニーニやマデルノの作品に対する感想(解説)、「まともじゃん」「ふつーじゃん」て感じですよね。『イタリア紀行』はとっつきやすく読みやすいので好きです。
    今回も付き合ってくださって有難うございました。
    またよろしくお願い致します。

  • ko-todo (id:ko-todo)様
    返信遅くなって申し訳ありません。
    いつもご来店有難うございます。
    ぽるのな感じの小説とは違ってとっつきやすい『イタリア紀行』、初めて読んだ時は「え?これ、サド?」みたいな感じでした。あれ、まともじゃんみたいな。フッツ―に教養ある貴族の感想じゃん、と。
    私もこんな感想でスミマセン。
    『福女ルドヴィカ』政策の裏には、ベルニーニの弟の醜聞に対する恩赦のようなものがあり、なかなかに生々しく、私など、枢機卿や法王たちの世俗臭、フトコロ具合に目眩がしそうです(笑)。
    ただ、彫刻はどれも素晴らしい出来栄えだなと感動するのみです。
    また次回もお付き合いくださいますよう、お願い致します。
    有難うございました。

  • ハンナさん☺️✨
    こんばんは〜(´∀`=)いつも色々とありがとうございます😭どこで感謝を表せばいいのやら、そしてコトドさんや沢山の優しい方々にも感謝です✨
    さて、サド侯爵ときて驚きましたw🤣この方多分並々ならぬ頭のよい人なんだろうなぁと勝手に想像はしてましたが、残酷すぎて、ずっと逃げ回りながらも悪いことをしてたのですね、逃げてる時に美術館に行ったりしてて驚きです💦
    法悦という言葉初めて聞きまして、調べてみました
    信じてる方にとってそんな現象があるのですね、
    表情が恍惚としててエロティズムさえかんじますね😲
    手足がどれもリアルに作られてて、、他の肌は出さない分、手足に力を入れたのかななんて妄想してました
    いつもながら、お目にかからぬ画像と解説本当に素晴らしくて、ミュージアムを解説受けながら回ってるかのようでした☺️✨今日もありがとうございます😊✨

  • 相続についての記事にコメントをありがとうございました!その後、あまりにも個人的すぎて「きょうだいに見られたら・・・」と思い、すぐに削除してしまいました。相変わらずはてなブログの使い方が良く分からずにやっとコメントを見つけ出しました(簡単なのに/涙!)弁護士も交代していただき「半年後には解決する」の言葉をいただきました。ま、先は長いですが、母の残したものは”棚からぼた餅”くらいに思って、まずは自分らしく自分を楽しもうと思います。
    早く解決して、こんなに美しい絵画の現物を見に行けるようになりたいです。
    ピカソのゲルニカは、大迫力で凄かったです!!!

  • どんぐり (id:saki-compass)様
    コメント有難うございました。遅くなって本当にすみません。
    彫刻、スゴイですよね。これだけ見ても素晴らしいと思うのですが、フランス革命の少し前にサド侯爵がローマに行き、同じものを見ている。私にとってこれは大きな浪漫です。
    聖チェチリア像に関しては、背景に信仰絡みの事情もあるのですが、ここでは長~くなってしまうので止めました(-_-;)(いずれ記事にするかもしれません)
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またどうかお付き合いくださいませ。よろしくお願い致します。

  • 手をしばられて水に入れられ、命を落とした乙女。「若き殉教者」を暫く眺めていました。オフェーリアとの類似…川に突き落とされて溺死かぁ。
    綺麗な姿で天に行ける事がせめてもの救いなのでしょうか?
    なんでしょうか?この絵の魅力は、例えようがない絶望なのに…それを美しいと思ってしまう。「死」には「美しさ」も存在しているってことなのか?
    不思議な絵ですね。
    そしてその死をそっと見守る人影
    本題はここじゃ無いのに…目を奪われてしまう僕です。
    ポール・ドラローシュの所へ飛んで暫く絵を眺めていました。
    福女ドヴィカは手は何を訴えているのか?貧しい人たちの苦しみを自分の中に取り込んだのだろうか?
    左手から右手に持ち上がる….そして胸に迫る恐怖に似た苦しみ。
    それが顔の表情になって口から流れ出る浄化されたため息
    自分の体を使って、人々の苦難をろ過している様に見て取れます。
    素晴らしい作品ですねぇ~。
    言葉に出来ない事を表現するなんて、やっぱり一流の芸術家は指の先まで上手く表現できるんですね。
    ステファノ・マデルノ作「聖チェチリア」は「死」そのものの表現なので、僕にはグッとくるものが少なかったです(僕の観察眼が無いだけかも…)
    残酷の描写をそのまま受け取っていいのかどうか?そこも良く分かりません。表情を想像させるための伏せる顔面なのか?完全に息絶えている感じを死してなお感じさせないのは何故だ?
    そこがサドの理解しにくい部分なのでしょう。苦しみが長い方が、喜びも多いと思える人なのでしょう。指を観るだけでもかなり恐怖を味あわされた感じに仕上げてあるし…十分楽しんだものをさらに楽しもうとするのはかなりの常軌を逸してますね。
    何処までが芸術なんでしょう?
    たまに分からなくなります。
    幼い疑問ですいません。
    このような芸術作品を見慣れていない所為で…幼稚な表現になってしまい申し訳ないです。
    今回もじっくり読ませてもらいました。楽しい時間をありがとうございます。

  • ハンナさん、ごめんなさ〜い😫
    すっかり遅れてしまいました。
    それにしてもサドとは!
    何とも大変な人物を取り上げましたな。
    しかも、びっくりしたことが一つ。
    >彼はイエズス会学校のもと生徒
    ええ〜っ!!!
    実は、私も高校がイエズス会系だったんです。
    さ、サドが先輩?!
    受け継いでませんよ、変な趣味とか。
    聖女ビビアーナのシュロの葉を間違えたイギリス人は何だかなぁ、と思います。
    教会に一年も通えばシュロの葉のエピソードくらい教わりそうなものです。
    不真面目だったんでしょうなぁ。
    元信者が言える立場ではないかもしれませんが。
    おお、紋章も載せてくださったのですか!
    八芒星にも何か意味がありそう。
    ありがとうございます。
    初めて見ました。
    私もルターの紋章とか記事にしてみようかなぁ。

  • ハンナさん、こんにちは!
    サド、サディズムはナルシスト・サイコパスに共通する点もあり「怖っ」と思います。
    私は今回は『若き殉職者』に目が行っちゃいました。
    いけにえを捧げる事を拒否した彼女は、正に清廉潔白と言わんばかりの聖なる光の輪まといながら静かに浮かび、血の気の引いた目元からは、迷いを感じない強さの様なものも漂っている、そんな画だったと思います。
    画の枠もまるでイコンを思わせる形状。より一層の「聖女」を表現しているかのようで、様々な観点から存分に楽しめる素晴らしい作品でしたよね。
    前にハンナさんが紹介したオフィーリアも思い出します(*´▽`*)
    ベルニーニ、肖像画を見ると、10年前、私の事が好きで好きでたまらなかった人が、私にかなりのオイタをしてしまい、一刀両断された人にそっくりです。言ってしまったぁ~💦

  • おはようございます!!
    サド侯爵の人生は、波乱ですねぇ〜(^◇^;)
    サディストの語源だけにすごい人生観の持ち主だったんでしょうね。
    聖テレサの法悦にギャラリーがいたとは知りませんでした(笑)
    天使とテレサの写真は結構見るんですが、ギャラリーは新鮮でした。
    ベルニーニのモデルが実在とは違うのも、
    作家さんのこだわりもあるんでしょうね。
    それにサド侯爵の見方も面白い。
    こういう広角的に作品を見たことがなかったので、
    今回もお勉強になりました。

  • あの有名なサド侯爵…
    優れた審美眼をお持ちなのに…
    どこでどう間違えば、あんなど変態になってしまったのか…。
    悲鳴や血しぶきに「美」を感じていたのかしら…。
    ご紹介のどの作品も、大理石とは思えない程繊細で美しいけれど…。
    聖テレサが一番すきかしら…。
    表情も指先から足の先まで美しい…。
    福女ルドヴィカは、サド氏に1票って感じです^^
    あ~また、こんなトンチンカンなコメントでかたじけない_(._.)_

  • ちょっと難しかったのですが、みんな綺麗な彫刻ですね!彫刻も絵画も何も知らないとただの置き物ですけど背景を知ると隅から隅まで見どころ満載になりますね♪
    ハンナさんのおかげでちょっとずつちょーっとずつですが見どころが増えてきました(^-^)
    聖チェチリアは、そんな状態を生々しく彫刻に残してしまうのかと驚いてしまいました!

  • 森下礼 (id:iirei)様
    今回も読んで下さって有難うございました。
    さすが、いろいろご存知ですねえ(*’▽’)
    20歳で読んだサドの小説は難しく、更に「何だコイツ」と思いましたが、あの邦訳はどなたのものだったのだろう…。澁澤龍彦さんではなかったかと思うのですが…。
    アルフレッド・ジャリ、名前は知っていますが読んだことがありません。
    でも「フランス人」「ヘンタイ」というキーワードが共通しているのならそうかもしれませんね。頑張って読んでみようかな…。
    教えて下さって有難うございました。

  • マルキ・ド・サドと言えば、翻訳者として名高いのが澁澤龍彦さんですね。彼は20世紀初の奇人:アルフレッド・ジャリも翻訳していますが、その「超男性」の、主人公の名前が、たしかアルクイユだったような・・・そうだとすれば、ジャリはサドを踏まえていたのかも。・・・変態同士。

  • id:kagenogori様
    そうなんですよ、サド侯爵の人生年表をざっと見ただけで、さすが「サディズム」の由来になっただけのことはある(笑)。こんなひと、外に出しておいたらイカンですよ(でも閉じ込めておいても面白くない)
    文学作品以上に、その所業に「はあ?」と正直思いますし、「彼の奥様、大変だっただろうなあ」と思ってしまうのですが、きっと私のような凡人にはわからない何かがあるのでしょう。魅力的な人物であることは私にもわかります。
    この『イタリア紀行』は割りと好きで、がっつり全部語れないのが残念です。載せ切れず、ある程度量を減らしたのに、引用含めて1万文字を軽く突破しました。
    『聖女テレサ』、私はベルニーニは「狙ってた」と思っています。でなければ、あんなに美しく色気のあるテレサ像を彫れないと。で、ひとが誤解したところで、「え、聖女ですよ聖女。神の愛を感じてるだけですよ」と言いそう(笑)。サド侯爵、感想がフツーにまともな感じでした。
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またよろしくお願い致します。

  • まーたる (id:ma-taru)様
    読んでくださって有難うございます。
    「女」という性から見た時にサド侯爵の文学というのは正直「うーん」というところもありますが(しかも鞭打ちなどの虐待!)、ベルニーニの作品やその他の芸術作品について語る部分はとても好きです。なるほど~と思い、共感もできます。
    今回はサド侯爵に解説して貰いましたが、ベルニーニの『聖テレサの法悦』はバロック芸術の最高峰だと思います。仰々しいけど、教会の権威、神の愛・神への愛、荘厳さが実にわかり易い(笑)。そして美しい。
    若い頃、自分ではこうした美術をすごく勉強したつもりでしたが、やっぱり足りないと今改めて思います。
    あの時の自分が知りたかったこと、これからも覚えておきたいことをちまちま書いていた記録を形にして、まーたる様にそう仰っていただいて本当に嬉しく、光栄です。
    まーたる様も体調にはくれぐれもお気をつけて。
    どうかまたお付き合いください。
    有難うございました。

  • サド侯爵、トンデモないヤツですね( ゚Д゚)
    マゾ侯爵であるワタシ(笑)など及びもつかないド変態ぶり(笑)。
    当時の侯爵だから教養があったのは当たり前として、アタマも相当切れたんでしょうね。
    しかしワタシは当時の官憲にモノ申したい。
    「こんなヤツ世に放つなよ(。-`ω-)」と。
    『聖テレサの法悦』もなかなか強烈ですね。
    聖テレサの表情、手先・足先の表現を見るに、性的・官能的法悦(エクスタシー)に見えますが、それを見つめる天使の表情と言ったら(^▽^;)
    しかもそれを「かぶりつき」で見つめるオッサンたちの像。
    「ベルニーニ、オヌシなかなかやるの♡」
    などとくだらぬことを考えていたら、サド侯爵のほうが十枚も二十枚もウワテでしたね^^;
    「それはカンチガイである。これは聖女なんですゾ」と。
    ワタシはサイテーなんだろうか(笑)。
    話題を変えて(笑)、聖チェチリアの像は痛々しいですね。
    こういうのまでリアルな彫像にしちゃうんですね。
    信仰の力といいますか、ワタシたちの理解を越えた境地にあるんでしょうね。

  • おはようございます(о´∀`о)
    サド侯爵の名前は聞いたことがありましたが、波乱万丈な方だったんですね❗️
    そしてこちらで紹介されている像のなんて素晴らしいこと❗️
    表情はもちろん、指先から足先、衣類のシワに至るまでの精巧な表現力には目を見張ります。
    特に『聖テレサの法悦』には釘付けになりました。
    ハンナさんのブログはとても素敵な芸術書ですね(*☻-☻*)
    わかりやすく説明してくださっているから、素人でも読みやすくてこんなに素晴らしい芸術があったのかと、新たな世界を知ることができて本当に嬉しい限りです(*´꒳`*)
    ありがとうございます(*☻-☻*)
    コロナがまだまだ油断大敵ですが、体調には気をつけてお過ごしくださいね(*´∀`*)

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