フランス革命前はヴェルサイユ宮殿に飾られていた『アルルのヴィーナス像』。女神の腕やりんごは17世紀に付けられました。
『アルルのヴィーナス像』( statue ; Vénus d’Arles ) 紀元前350年頃 プラクシテレス
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Rama CC-BY-SA-3.0-FR CC-BY-SA-2.0-FR CeCILL
『アルルのヴィーナス像』( statue ; Vénus d’Arles )
展示場所:シュリー翼、344展示室
気品溢れる麗しい女神像の画像。
細部を見ることができる画像を Wikipedia にアップしてくださった方々に感謝です。引用させていただいたファイルは画像左下に記載しています。
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Following Hadrian CC-BY-SA-2.0 Photographs by Carole Raddato
この女神像はローマ時代に作られた「模刻」です。
オリジナルは、都市テスピアイの神殿に奉納された、古代ギリシャの彫刻家プラクシテレス( Praxitelēs )の作品だとされています。
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Darafsh CC-BY-SA-3.0 Photos by Darafsh Kaviyani
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Marie-Lan Nguyen CC-BY-2.5
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Marie-Lan Nguyen CC-BY-2.5
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Alain.Darles CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Rama CC-BY-SA-3.0-FR CC-BY-SA-2.0-FR CeCILL
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Marie-Lan Nguyen CC-BY-2.5
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Marie-Lan Nguyen CC-BY-2.5
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Alain.Darles CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Alain.Darles CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
プラクシテレスが活躍したのは紀元前4世紀。少年の裸体像や美の女神アフロディテ像を得意としていました。
愛人のフリュネをモデルにした『クニドスのヴィーナス』などが有名ですが、この『アルルのヴィーナス』像はフリュネの依頼だったようです。
『アルルのヴィーナス』が表紙になっています。
ルーヴルで観られるプラクシテレスの作品に基づく彫刻
「間違いなくプラクシテレスのオリジナル作品」とされる作品は現存していませんが、多くの複製が存在しています。
『カウフマンの頭部』( statue ; Tête de l’Aphrodite Kaufmann )
引用元:アフロディテ頭部 通称《カウフマンの頭部》 Gary Todd CC-Zero Flickr images reviewed by FlickreviewR 2
『カウフマンの頭部』( statue ; Tête de l’Aphrodite Kaufmann )
展示場所:シュリー翼、344展示室
カウフマン( Kaufmann )はこの像の元所有者の名前。
紀元前150年頃に作られたこの女神像は、『クニドスのアフロディテ』(または『クニドスのヴィーナス』)の模刻のひとつとされています。
ギリシャ神話の美の女神アフロディテは、ローマ神話ではヴィーナスです。
『クニドスのアフロディテのトルソー』( statue ; Aphrodite de Cnide )
引用元:『クニドスのアフロディテのトルソー』 Jean-Pol GRANDMONT
『クニドスのアフロディテのトルソー』( statue ; Aphrodite de Cnide )
展示場所:シュリー翼、344展示室
『クニドスのアフロディテ』の艶めかしいトルソーです。
『クニドスのアフロディテ小像』( statuette )
引用元:『クニドスのアフロディテ小像』( statuette )
展示場所:シュリー翼、344展示室
脱いだ衣を手に持ち、もう一方の手で前を隠すポーズ。
ローマ時代に作られた小像です。
下の画像は、紀元前4世紀にクニドスで発行されたコインを、20世紀にエングレービングにおこしたものです。
僅かに身をよじり、恥じらうような仕草をする全裸の女神。
クニドスの人々が購入したこの女神像は当時大評判となり、噂を聞きつけた人々が女神像を観に船で押しかけたのだそうです。(私も見てみたいー)
『とかげを殺すアポロン』( statue ; Apollon Sauroctone )
引用元:『とかげを殺すアポロン』 Baldiri
『とかげを殺すアポロン』( statue ; Apollon Sauroctone )
展示場所:シュリー翼、348展示室
元はイタリアのカミーユ・ボルケーゼ侯爵のコレクション。
2006年の『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』で、『アルルのヴィーナス』『カウフマンの頭部』『クニドスのアフロディテ小像』、『酒を注ぐサテュロス』と共に来日しています。
『酒を注ぐサテュロス』( statue )
引用元:『酒を注ぐサテュロス』 Baldiri
こちらもボルケーゼ侯爵のコレクションだったもの。
『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』には、このトルソーは「有名なオリジナルを複製した古代の一連のレプリカに属し、最も完全なコピーからはその身振りを知ることができる」とあります。
『休息するサテュロス』( statue ; Satyre au repos )
引用元:『休息するサテュロス』 Baldiri
『休息するサテュロス』( statue ; Satyre au repos )
展示場所:シュリー翼、348展示室
『休息するサテュロス』は、1864年にローマのパラティーノの丘、皇帝の宮殿から出土しました。
この像のオリジナルは若いサテュロスを表わしたもので、彼は傍らの木に身をもたせかけ、右脚を遊ばせて立っていた。
高階秀爾(監修). 昭和60年7月20日. 『NHK ルーブル美術館 Ⅱ 地中海世界の輝き 古代ギリシャ / ローマ』. 日本放送出版協会. p.60.
サテュロス像の前の所有者はナポレオン3世。
引用元:ナポレオン3世
ここに掲載した彫刻群が掲載されています。
彫刻家フランソワ・ジラルドンによる女神像の修復
ルイ14世に女神像を献上
『アルルのヴィーナス』像は、1651年、南フランスのアルルに在る古代劇場跡から出土しました。
断片で発見された彫像は修復され、その後30年間アルルの町の市庁舎を飾ります。
引用元:アルルの古代劇場(2本の柱の残る劇場跡) CC-BY-SA-3.0-migrated
1683年11月、女神像は、アルルの町の評議会により、当時のフランス王ルイ14世に献上されました。
翌年の5月、パリに到着した女神像は、王直属の彫刻家ジラルドンによって修復されます。
2メートルを超える高さの女神像は、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間、その北の入り口の装飾に飾られました。
引用元:フランソワ・ジラルドンの肖像
『フランソワ・ジラルドンの肖像』( Portrait de François Girardon, sculpteur (1628-1725) )
the Louvre’s Prints and Drawings Study Roomで予約して閲覧可
引用元:ルイ14世騎馬像 CC-BY-SA-2.5
ルイ14世騎馬像( Louis XIV à cheval (1638-1715), roi de France )
展示場所:リシュリュー翼、105展示室
引用元:ルイ14世胸像 G.Garitan CC-BY-SA-4.0
引用元:『ニンフたちから身繕いを受けるアポロン』 CC-Zero
庭園に置かれた彫刻はジラルドンとルニョダンの共作。ルニョダンはフランスの彫刻家 Thomas Regnaudin (1622-1706)です。
※ここでは『ヴェルサイユ見学ガイド』(1997)の「ルニョダン」を採用しましたが、「レグナウディン」と表記されている場合もあります。
引用元:フランソワ・ジラルドンによる「アポロンの間」の彫刻 Faqscl CC-BY-SA-4.0
1680年当時、ルーヴル「宮」には宮殿の管理を行う管理官や芸術家たちが住んでいました。
壮麗なヴェルサイユ宮殿にかかる出費がクール・カレ(中庭)の工事を中断させ、ルーヴル宮は中途半端な状態に置かれていました。
あれほど力を入れたはずのコロナ―ド翼など、屋根も床もまだない状態だった。もっとも空き家になったわけではない。宮殿の管理官や芸術家、職人が住み続けていた。一六八〇年にルーヴルに住んでいたのは画家のコワペル、装飾家具師 C・A・ブール、ジャーナリストのテオフラスト・ルノードーらで、宮廷画家のヴァン・ルーはアポロンの間に住み込んで描いていた。彫刻家のジラルドンとクストウは二十四人の仲間とグランド・ギャラリーにいた。
小島英熙(著). 平成6年1月20日. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー. p.97.
ルーヴル宮に住み着いた人たちは勝手に改装したり、クール・カレには雑多な小屋まで立っていたそうです。
ルーヴル美術館を舞台にした美の歴史。聞いたことがある人名がたくさん出てきます。
上に書いた「ルーヴル宮に住み着いた人たちが勝手に改装した」というところが妙に印象に残った(笑)。
女神像の腕、りんご
ジラルドンは女神像に両腕を付け、表面を削ったそうです。
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Mbzt CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Alain.Darles CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
彼は、挙げた手を支えるように右腰の部分につけられていた支えをとり、右肩の部分のそれを髪を結ぶリボンの端に替え、おそらくは胴体の嵩に手を加えた。そして、彼は像の右手にりんごを持たせ、左手に把手付鏡をつけることで、「パリスの審判」における女神の勝利を示し、その像を、はっきりと愛と美の女神に変えたのである。
『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』(2006) . p.174.
把手付鏡だというのは、ぱっと見、判りづらいですが、右手に持つのはりんご。
黄金の林檎(りんご)は「パリスの審判」の中で、「最も美しい女神」に与えられるアイテムです。
愛と美の女神アフロディテ(ヴィーナス)が登場する絵画にはりんごが一緒に描かれていることがありますよね。
他に真珠、ホタテ貝、鳩、薔薇なども、アフロディテの持ち物(アトリビュート)です。
アルルの町の市庁舎に飾られていた時、この像はアフロディテではなく「女神ディアナ」とされていました。
ジラルドンは像の左腕のブレスレットに着目。
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Jean-Pol GRANDMONT CC-BY-4.0
下の画像は、上の画像の腕輪部分を拡大したものですが、一部楕円形に凹んでいることがわかります。
引用元:『アルルのヴィーナス像』 Jean-Pol GRANDMONT CC-BY-4.0
これはカボションカットをされた宝石がはめ込まれていたあとですね。
(『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』の図録やルーヴル美術館の公式サイトだと更に判りやすいです)
このことから、ジラルドンはこの女神像をアフロディテと見なしたようです。
こうした装身具の要素は、他のアフロディテの像に見られるものである(例えば、ルーヴル・慣用番号Ma2184の《クニドスのアフロディテ》タイプを参照)。
『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』(2006) . p.174.
Ma2184の《クニドスのアフロディテ》は、本記事内に掲載した『クニドスのアフロディテのトルソー』のこと。この像の左腕にも腕輪の痕が見られます。
引用元:『クニドスのアフロディテのトルソー』 Jean-Pol GRANDMONT
ヴァチカン美術館にあるヴィーナス像(アフロディテ像)の腕にも腕輪があります。
引用元:『クニドスのヴィーナス』
彫刻についての書籍って少ないように思います。私が知りたい古代ギリシャ、古代ローマものに特化してはいませんが、近代のものも含めて広く見てみたい方には一読の価値があるのでは。
ほんとはもっとたくさん見たい・知りたいですね。特に彫刻に関しては図録は教科書のようなものです。
古代彫刻の写真多めで解説もわかり易い。『アルルのヴィーナス』も掲載されています。
- 高階秀爾(監修). 昭和60年7月20日. 『NHK ルーブル美術館 Ⅱ 地中海世界の輝き 古代ギリシャ / ローマ』. 日本放送出版協会.
- 小島英熙(著). 平成6年1月20日. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー.
- 『ルーヴル美術館展 ー 古代ギリシア芸術・神々の遺産 ー』(2006) .
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