今回は、神話に登場するプシューケーとクピド(アモール)の物語です。主要な絵画作品と、イタリアの巨匠カノーヴァの彫刻を観て行きます。
最初に
紀元前2世紀のアプレイウスによる『黄金の驢馬』の中の挿話、『プシュケーとクピド』。
プシュケー(Psyche)は、プシューケー、プシュケ、プシケー、英語読みではサイキ。
ギリシア神話に登場するエロース(エロス)は、ローマ神話ではアモール( Amor )、アモル、またはクピードー( Cupido )、クピド、英語読みでキューピッド。
彼の母親のアプロディーテーはローマ神話でのウェヌス( Venus )、英語読みでヴィーナス。
主神ユピテル、ユーピテル( Jupiter )は英語読みでジュピター。ギリシャ神話ではゼウスです。
各絵画・彫刻のタイトルは、参考にした書籍に書かれているタイトルをそのまま用い、それ以外では、プシューケー、クピド、ウェヌス、ユーピテルと表記・統一しました。
プシューケーとクピドのラヴストーリー
ある国の王様には3人の王女がいました。
末の王女プシューケーは最も美しく、本来、美の女神・ウェヌスへ捧げられる筈の領民の敬意をも集めてしまうほどでした。
それを面白く思わないウェヌスは、息子である愛の神・クピドに、プシューケーに卑しい男と恋をさせるよう命じます。
いたずら好きのクピドは喜んで母の命令に従います。
しかし誤って自分の胸を愛の矢で傷つけてしまい、彼自身がプシューケーへの愛の虜となってしまうのです。
クピドは、「私の正体を決して見てはいけない」とプシューケーに約束させ、正体を明かさずにプシューケーと結ばれました。
夜が更けてから寝所にやってくる夫。
姿は見えないけれど、彼の素晴らしい神殿での何不自由ない生活が続きます。
しかし次第に家族が恋しくなったプシューケーは渋るクピドに頼み込み、二人の姉を宮殿に招きました。
妹の豪華な暮らしに嫉妬した姉達はこう言ってプシュケをそそのかします。
「夫の正体は実は怪物で、プシューケーを太らせてから食べるつもりだ。夫が寝ている隙に殺すべきだ」、と。
その言葉を信じてしまったプシューケーは、寝ている夫を殺すべく蝋燭を持ってそっと近づきます。
蝋燭の光に照らし出されたのは、美しく凛々しい愛の神の姿でした。
驚いたプシューケーは蝋燭の蝋を落としてしまいます。
その蝋で火傷を負い、目を覚ましたクピド。
妻であるプシューケーの裏切りに怒った彼はその場から飛び去りました。
ここからプシューケーのクピドを探す旅が始まります。
激怒したウェヌスからは無理難題を押し付けられ、プシューケーはその困難に立ち向かうのですが、
「大量の穀類を一粒ずつ分類せよ」→ 気の毒がった蟻の一団がやってきて、手助けしてくれます。
「凶暴な人食い羊から、金の羊毛を取って来るように」→ 川の葦が羊毛の取り方を助言します。
「黄泉(よみ)の川ステュクスの水を汲んで来るように」→ クピドに可愛がられていたユーピテルの鷲が水を汲んで来てくれます。
助けを借りて難題を解決していくプシューケー。
最後に、ウェヌスは、息子・クピドの火傷の介抱で衰えた美貌を補うため、「冥界の王妃ペルセフォネの美の秘密を分けて貰うように」との試練を課します。
冥界に行くため死を覚悟したプシューケーが高い塔の上から身を投げようとした時、その塔が同情し、冥界との行き来の仕方を教えてくれました。
無事に「永遠の美」が入った小箱を持ち帰ったプシューケーでしたが、「開けてはいけない」という警告にも関わらず小箱を開けてしまいます。
「冥界の眠り」に襲われたプシューケーはその場に倒れました。
眠るプシューケーの前に、傷の癒えたクピドが現れます。
クピドの口付けによって目覚めるプシューケー。
クピドは大神ユーピテルにとりなしを頼み、ユーピテルは神々をオリンポスに集めます。
そしてウェヌスにプシューケーを嫁として認めさせるのです。
ユーピテルはプシューケーに不死の酒アンプロシアを飲ませ、神々の仲間入りをさせました。
月満ちて、プシューケーは娘「喜悦」を産みました。
(参考:『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』 井出洋一郎(著) 中経の文庫 「プシュケ―」他)
ちなみに、クピドとプシュケの結婚によって生まれた娘はウォルプタスといい「悦楽」を意味している。単なる快楽ではなく、神との合一にも通じる美徳としての悦楽ともいわれ、古代彫刻に見られる腕を頭の上に回して横たわるポーズは、この美徳としての悦楽を表しているともいう。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館』. マガジンハウス. p.102.
引用元:『眠るアリアドネ』 Wknight94 CC-BY-SA-3.0-migrated
絵画
『クピドとプシュケ』( Amor and Psyche ) ヤコボ・ツッキ
引用元:『クピドとプシュケ』
ろうそくの灯りの下、驚いているクピド。
煌々と灯るろうそくの明かりで、堂々とクピドを見下ろすプシュケ。その表情に大きな驚きはなく、むしろ冷静なほど。ここでズッキが描きたかったものは、この逸話を忠実に再現することではなく、ただひたすらに2人の若く美しい裸体を描くことにあったのだ。
『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社. p.32.
『キューピッドからの贈り物を姉たちに見せるプシューケー』( Psyche showing her Sisters her Gifts from Cupid ) ジャン・オノレ・フラゴナール
引用元:『キューピッドからの贈り物を姉たちに見せるプシューケー』
ナショナル・ギャラリー:Psyche showing her Sisters her Gifts from Cupid
ロココ絵画の、みやび過ぎるプシューケー。クピドからのプレゼントが豪華そうです。
黒い雲のようなものは姉たちの妬みとか、嫉妬心でしょうか。(負のオーラ?)
『アモールとプシュケー』( Cupid and Psyche in the nuptial bower ) ヒュー・ダグラス・ハミルトン
引用元:『アモールとプシュケー』
縦2メートルもある大画面に、奥行きのある風景と、人物の肌と周囲の陰からなる強い明暗の対比を作り出している。プシュケ―の手を引いて誘うクピドの表情は、幼い少年ながらもセクシャルな危険さを漂わせている。プシュケ―のとまどいが、弓なりに反らしたポーズによく示されている。アイルランドの画家ハミルトンは、イタリアで学んだ後、その新古典主義的スタイルを厳格に守った。
池上英洋・荒井咲紀(著). 『美少女美術史』. ちくま学芸文庫. p.81.
ハミルトンは、後述するイタリアの巨匠アントニオ・カノーヴァとも交流があり、しばしば彼のアトリエを訪れています。
カノーヴァの工房内の『アモールとプシュケ』を描いた作品もあります。
ハミルトン作『工房のアントニオ・カノーヴァと画家のヘンリー・トレシャム』(1790年頃)は神話のクライマックス場面『アモールのキスで目覚めるプシュケ』(カノーヴァ作)で掲載していますので、ご興味があればこちらにもお立ち寄りくださいませー( ̄▽ ̄)。
『プシュケとアモル』( Psyché et l’Amour ) フランソワ・ジェラール
引用元:『プシュケとアモル』
愛しい人に優しく口づけるアモル(キューピッド)。恋のはじまりの情景ともされ(諸説あり)、神であるアモルの姿は人間のプシュケの目には見えていない。清楚で初々しくも甘美な魅力に満ちている。
海野弘・平松洋(監修). 『性愛の西洋美術史』. 洋泉社MOOK. p.74.
プシューケーの頭上には蝶がいますが、
プシュケが「魂」を意味し、古来から蝶で表されてきたためです。
滑らかな彫像のような肉体を簡素な空間に置き、劇的な場面を描く手法は、師ダヴィッド譲りの絵画表現です。
平松洋(著). 『【名画】絶世の美女 ヌード』. 中経の文庫. p.50.
『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』(筑摩書房)では、この絵を「プシュケーの覚醒の場面」としています。
『アムールとプシュケ』( Cupid and Psyche ) ジャック=ルイ・ダヴィッド
引用元:『アムールとプシュケ』
『ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』、『テルモピュライのレオニダス』、『マラーの死』で知られる新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品です。
ジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子にはフランソワ・ジェラール、ドミニク・アングル、フランソワ=エドゥアール・ピコがいます。
こちらはドミニク・アングルの『グランド・オダリスク』。
『アムールとプシュケ』( Amor and Psyche ) フランソワ=エドゥアール・ピコ
引用元:『アムールとプシュケ』
モローやカバネルら多くの優れた弟子を育てたことでも知られるピコの出世作。夜が明けてプシュケ―が起きてしまう前に、そっと寝床を這い出るアモール。彼は愛する人の寝顔をいとおしそうに眺めている。
池上英洋(著). 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房. p.90.
ダヴィッドの弟子・ピコ。
そのピコの弟子のひとりが、ウィリアム・ブグローです。
『プシュケ―をさらうアモール』( The abduction of Psyche ) ウィリアム・ブグロー
引用元:『プシュケ―をさらうアモール』
目を閉じて身を任せるプシュケーの背に蝶の羽がありますね。
このような官能的な題材を、ブグローがほうっておくわけもなく、いくつかのヴァージョンを描いている。アモールはプシュケ―と再会後、彼女を天にひきあげる。
池上英洋(著). 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房. p.89.
『アモールとプシュケー、子供たち』( Amor and Psyche, children ) ウィリアム・ブグロー
愛(アモール)と魂(プシューケー)の交合を、幼い男女の「無垢」なキスで表していると言われています。
物語の内容からすれば、クピドとプシューケーは(ある程度)成熟した男女の姿で描かれるものかなと思いますが、本作のように幼い男女の姿で描かれたものもあります。
別名の『ファースト・キス』( The first kiss )としても知られていますが、可愛らしい作品ですよね。
『プシュケを発見したアモール』( Cupid Finding Psyche ) エドワード・バーン=ジョーンズ
画像:WIKIART 『プシュケを発見したアモール』(Public domain)
幻想的・装飾的な作風で知られるバーン=ジョーンズ。神学者を目指していた彼は、ウィリアム・モリスとロセッティに出会い画家に転身。イタリア旅行では、ボッティチェリの作品などに深い影響を受けた。本作品は、深い眠りに落ちているプシュケをクピドが発見したところだ。プシュケは一度ならず二度までも「知りたい」という欲求に打ち勝つことができなかったわけだが、これは人間の心の弱さを表しているのだろう。
『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社. p.33.
衣裳を着けたふたりが何故か新鮮。この絵には別ヴァージョンもあります。
画像:WIKIART 『プシュケを発見したアモール』(Public domain)
『パンとプシュケ』( Pan and Psyche ) エドワード・バーン=ジョーンズ
引用元:『パンとプシュケ』
慈愛に満ちた眼差しの半神半獣の牧神パンとプシューケー。
パンはプシューケーを慰め、励まします。
特に解説はありませんが、『ヌードの絵画史』(辰巳出版)に掲載されています。
『プシュケーの結婚』( Psyche’s Wedding ) エドワード・バーン=ジョーンズ
引用元:『プシュケーの結婚』
『水浴するプシュケ』( The Bath of Psyche ) フレデリック・レイトン
引用元:『水浴するプシュケ』
ヌードを描くためにプシュケという題材をもってきたとしか思えない、古典主義の画家レイトンの作品。
『ヌードの絵画史』. 辰巳出版. p.106.
プシューケーが冥界から持ち帰った小箱。
それを開けてしまったプシューケーは昏睡状態に陥ります。
絵画では、昏睡状態の彼女をクピドが助ける傍らに箱(壺)が描かれ、レイトン卿の絵のように、単に持物(アトリビュート)としても描かれるようです。(参考:『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑 KADOKAWA.)
『クピドの庭に入るプシュケ』( Psyche Entering Cupid’s Garden ) ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
引用元:『クピドの庭に入るプシュケ』
『黄金の箱を開けるプシュケ』( Psyche Opening the Golden Box ) ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
引用元:『黄金の箱を開けるプシュケ』
ギリシア語で「魂」を意味するプシュケは、2世紀ローマの文人アプレイウスの『黄金のロバ』のなかで、クピドに愛される美しい王女として語られる。これはウィリアム・モリスの物語詩『地上楽園』(1868~1870年)の題材となり、それにもとづいてバーン=ジョーンズが一連の絵を描いている。《黄金の箱を開けるプシュケ》はウェヌスの命令で冥府から黄金の小箱を持ち帰ったが禁を破って箱の蓋を開けてしまう場面、《クピドの庭に入るプシュケ》は物語の初めのほうで、西風ゼビュロスによってクピドの館の入り口に運ばれたプシュケがおそるおそる戸を開ける場面が描かれている。
川端康雄(監修・著). 加藤明子(著). 2015-3-31. 『ウォーターハウス 夢幻絵画館』. 東京美術. p.117.
『キューピッドを探すプシュケ』( Psyche Searching For Cupid ) ピエール・アンリ・ド・ヴァランシエンヌ
引用元:wikigallery 『キューピッドを探すプシュケ』( Psyche Searching For Cupid )
風景画家として有名なヴァランシエンヌのプシュケ。
風景に溶け込んでよく見ないとわかりません…が、これはこれで好きな絵です。
彫刻
『アモール(クピド)とプシュケー』( Amore e psiche ) ローマ時代の模刻
引用元:『アモール(クピド)とプシュケ―』 Sailko CC-BY-3.0
肉付きの凹凸表現が見事なこの優雅な大理石像は、少年少女のクピドとプシュケ―がキスをしている場面をとりあげている。もともとギリシャ彫刻として知られていたオリジナル作品を、ハドリアヌス帝時代にローマで模刻したもの。他にも類似作例があり、ふたりとも羽をつけているタイプのものがベルリンにある。ナポレオン軍によって持ち去られ、1816年に返還された。
池上英洋・荒井咲紀(著). 『美少女美術史』. ちくま学芸文庫. p.78.
『アモールとプシュケ』( Amor and Psyche ) オーギュスト・ロダン
引用元:『アモールとプシュケ』
『考える人』のロダン作。別ヴァージョンの『アモールとプシュケ』もあります。
『アモールとプシュケ(アモールのキスで目覚めるプシュケ)』( Psyché ranimée par le baiser de l’Amour ) アントニオ・カノーヴァ
引用元:『アモールとプシュケ』 Jean-Pol GRANDMONT CC-BY-4.0
深い眠りに落ちたプシューケーにクピドが接吻し、プシューケーは目覚めます。
クピドの頭をかき抱こうと、プシューケーが伸ばす腕。
巨匠カノ―ヴァは、「愛」と「魂」の結合のその瞬間を彫刻にしました。
上半身を起こし、恋人の姿をそこに見たプシュケ。「もう二度と離れませんように」と伸ばされた腕は、やさしく恋人の首にまわされ自分のほうへと抱き寄せる。そこには若々しく甘美な空間が漂い、見る者の心を奪う。大理石で、これほどになめらかな肌を表現できる彫刻家は、カノ―ヴァだけではないだろうか。V字に開かれた大きな翼が、場面に躍動感を与えている。
『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社. p.32.
アントニオ・カノーヴァ( Antonio Canova、アントニオ・カノヴァとも表記。1757年11月1日-1822年10月13日)は、新古典主義の代表するイタリアの彫刻家です。
多くの優れた彫刻を生み出しましたが、ナポレオン・ボナパルトによってフランスに送られた美術品のイタリア送還にも尽力しました。(1815年)
先に挙げたカピトリーノ美術館の彫刻、『アモール(クピド)とプシュケ―』もフランスに持って行かれましたが、後の1816年にイタリアに返還されました。
カノ―ヴァのクピドとプシューケーを描いた作品は、
ナポレオンの祖国侵攻の少し前の1793年、国内最高の彫刻家の地位に登りつめた30代なかばの代表作。ヴィンケルマンの教えに従い、ギリシア彫刻を忠実に模倣して理想化された人体を描きつつ、古代彫刻には見られない繊細なポーズと甘美な哀愁を加味して、絶妙な味わいをかもし出している。
西岡文彦(著). 『絶頂美術館』. マガジンハウス. p.96.
ヨーハン・ヨーアヒム・ヴィンケルマンとは18世紀半ばのドイツの美術考古学者で、「古代ギリシア美術ほど完全な造形は存在しないため画家彫刻家はひたすら模倣するべし」と主張、新古典主義芸術に大きな影響を与えました。
下はカノーヴァの作品、『勝利のヴィーナスとしてのパオリーナ・ボルケーゼ』です。
モデルはナポレオン・ボナパルトの実妹。ボルケーゼ侯爵夫人となったポーリーナ(パオリーナ)の像です。
360度、どの角度から見ても美しいカノ―ヴァの『アモールとプシュケ』ですが、やっぱり正面がいいかな。
引用元:『アモールとプシュケ』 Jörg Bittner Unna CC-BY-3.0
引用元:『アモールとプシュケ』 sailko CC-BY-SA-3.0-migrated CC-BY-2.5
伸ばす腕のラインが綺麗。
引用元:『アモールとプシュケ』 Gautier Poupeau CC-BY-2.0
引用元:『アモールとプシュケ』 Kimberly Vardeman CC-BY-2.0
羽根が透けてる!すごい!
プシューケーの顔
見えにくいプシューケーの表情ですが、ルーヴル美術館のサイトで見ることができます。(ルーヴル美術館『アモールとプシュケ』)
- 『禁断の西洋官能美術史』 宝島社
- 井出洋一郎(著). 2011-6-26. 『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』. 中経の文庫.
- 『性愛の西洋美術史』 海野弘・平松洋(監修) 洋泉社MOOK
- 『美少女美術史』 池上英洋・荒井咲紀(著) ちくま学芸文庫
- 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』 池上英洋(著) 筑摩書房
- 『ヌードの絵画史』 辰巳出版
- 『【名画】絶世の美女 ヌード』 平松洋(著) 中経の文庫
- 川端康雄(監修・著). 加藤明子(著). 2015-3-31. 『ウォーターハウス 夢幻絵画館』. 東京美術.
- 『絶頂美術館』 西岡文彦(著) マガジンハウス
- 平松洋(著). 2015-9-28. 『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』. KADOKAWA.
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