フェルメールの37作品中、黄色いマントは6つの作品に登場します。この高級マントを身に着け、真珠のイヤリングにネックレスと、身繕いをする若い女性。視線の先には鏡があります。この絵が暗示するのは「虚栄心」なのでしょうか。
『真珠の首飾りの少女』( Junge Dame mit Perlenhalsband ) 1662年-1665年頃 ヨハネス・フェルメール
引用元:『真珠の首飾りの少女』
ネーデルラントの画家ヨハネス・フェルメールの作品にしばしば登場する、黄色い上着。
現存しているフェルメール作品の絵画37点のうち6点で使われ、フェルメールが亡くなった後の財産目録にも記載されているそうです。
引用元:『手紙を書く女』
引用元:『女と召使』
このマントは、イタチ科のオコジョの毛を使った最高級品でした。
オコジョの毛皮は王侯貴族に愛用され、ロシアから輸入されていたため値段も高かった。純白になる冬毛がもっとも好まれ、ところどころに斑点があるのは、1年中色が変わらない尻尾の毛。
小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版. p.30.
フェルメールといえば、ラピスラズリを砕いて使用した「フェルメール・ブルー」がよく知られています。
エキゾチックな青いターバンを巻いた少女の絵が有名ですね。
引用元:『真珠の耳飾りの少女』
『真珠の首飾りの少女』で印象に残るのは、明るい印象の黄色です。
フェルメールが多用したこの黄色の顔料は、インドのベンガル地方の特産で、15世紀ごろからヨーロッパに輸入されはじめました。ちなみにその原料は、マンゴーの葉だけを餌として与えられた牝牛の尿を蒸発させて精製したもの。オランダやフランドル(ほぼ現在のベルギーにあたる)の画家たちは、このインディアンイエローを、陽光を表現する際に好んで用いています。
小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版. p.26.
当時の女性の衣服は、少し前の時代の主流だったコルセットから、ゆったりとしたスタイルへと移っていました。
鮮やかな色の生地がインドなどから輸入されていたそうです。
首飾りを身に着ける
引用元:『真珠の首飾りの少女』
ステンドグラスの横には鏡が掛かっていて、女性は鏡に映る自分にうっとりしているように見えますね。
引用元:『真珠の首飾りの少女』
若い女性は鏡に向かい、身繕いの真っ最中。
机には化粧用ブラシが置かれています。
髪には赤いリボン、耳には大粒の真珠のイヤリングが着けられ、真珠のネックレスは最後の仕上げといった感じでしょうか。
今日では当たり前のように在るネックレスの留め具ですが、発明前は目測で紐の長さを調節して結んでいました。
この女性もそうしているのでしょう、両側から紐の端を前に持ってきて長さを合わせて結び、首の後ろへ回すのです。
海外貿易で栄え、黄金期を迎えたオランダには、世界中から多くの高価な品物が国内に入ってきました。
このヒロインの周りにもさまざまな「物」があふれている。首飾りもそうだが、ピアスも真珠で、しかもかなり粒が大きい。最高級品アーミン付きガウンは普段着ではなく、特別な機会に身につけるもの。すでにメイク済みなのは、溶いた白粉を入れる容器と特大の化粧刷毛がテーブルの上に見えることでわかる。
中野京子(著). 2019-8-20. 『欲望の名画』. 文藝春秋. p.139.
フェルメールに関する著書で知られる小林賴子氏は、『フェルメール 作品と生涯』のなかで、
髪を結い、リボンと耳飾りをつけてテーブルの前に立つ女性は、最後に真珠の首飾りの長さを調節し、身繕いを終えようとしているところのようだ。「ようだ」と書いたのは、身繕いにしては鏡があまりに小さく、しかも遠く暗いところに掛けられているからだ。オランダでは一七世紀の半ば前後頃から女性の身繕いの様子を描く風俗画が人気を呼んだが、背景にベッドがあったり、身繕いを手伝う女中がいたり、大きな鏡や照明用と思われるロウソクがテーブルの上に置かれていたりと、いささか説明的な描写になるのが普通だった。フェルメールは、窓辺の女性の単身像を描くに際し、はやりの主題を借りてきたが、叙述的な細部は見事なまでに切り捨てている。
小林賴子(著). 2018-10-25. 『フェルメール 作品と生涯』. 角川ソフィア文庫. 角川書店. p.122.
と仰っています。
では、一旦描かれたにも関わらず、結局「不必要なもの」として『真珠の首飾りの少女』から取り除かれたものとは。
『真珠の首飾りの少女』から消されたもの
壁の地図
『真珠の首飾りの少女』と構図がよく似ている『青衣の女』。
引用元:『青衣の女』
ゆったりとした衣裳を着て、手紙を読む女性の絵です。
その後ろの壁には地図が掛かっています。
最初、『真珠の首飾りの少女』の壁にも地図がありました。
『フェルメール 作品と生涯』には、オートラディオグラフィーで撮影した写真が掲載されていますが、それを見ると、黄色いマントの女性の上半身はその地図のなかに「収まるように」描かれています。
また、手前のたっぷりした布地はもう少し短く垂れていて、テーブルの下の床の大理石が見えていました。
フェルメールの作品に詳しい小林賴子氏の著書。ひとつひとつ詳しく解説されています。読むと教養豊かになった気になれます。
実物を観る前に必読です。
手前の椅子の上のリュート
リュートも消されたもののひとつでした。
リュートはギター、マンドリンに似た弦楽器で、フェルメールの『リュートを調弦する女』にも登場しています。
引用元:『リュートを調弦する女』
リュートを調弦する女性の背後にもやはり地図がありますね。
書籍『欲望の名画』では、『真珠の首飾りの少女』の椅子(スパニッシュチェア)の上には「リュートが置かれていた」という記述がありますが、『フェルメール 作品と生涯』掲載のオートラディオグラフィー写真では今ひとつよく判りません。(もう少し大きく、カラーで見たいな(^^;)
最初フェルメールはスパニッシュチェアの上に楽器のリュートを、正面の壁に地図を描いていた(後世のエックス線検査で明らかになった)。恋のシンボルたるリュートと、旅を暗示する地図があれば、これは久しぶりに帰ってくる恋人に会うためお洒落をする女性の姿という、絵解きしやすい作品となったろう。だがフェルメールはその二つを塗りつぶしてしまった。するとどうなったか?
中野京子(著). 2019-8-20. 『欲望の名画』. 文藝春秋. p.139.
『恋文』の女性もリュートを持っています。
引用元:『恋文』
引用元:『ギターを弾く女』
リュートはマンドリンに似た弦楽器で、複数の弦を弾いて和音を出すことから、人間関係、とくに「恋人」のシンボルとされていた。リュートがイスの上に描かれたままであれば、少女がこれから恋人の元へ向かおうと身支度を整えている場面だと想像できたのだが、フェルメールはこれを消してしまった。
小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版. p.31.
恋人の存在を匂わせる小道具、地図やリュートを消してしまった理由が、ちょっと気になってきますよね。
余計なものの一切を排除することで、女性の上半身、窓から差し込む光や空間に、鑑賞者の視線を集めようとしたのでしょうか。
この絵の意味は「虚栄」?
引用元:『真珠の首飾りの少女』
真珠は純潔のシンボルですが、宝飾品や鏡が表すものは「虚栄」「虚栄心」だといわれます。
この女性が裕福な階級に属するということは、着ている上着や大粒のイヤリング、室内の家具などからも想像できますよね。
『フェルメールへの招待』では繰り返し登場する黄色いマントについて、
かつては貴族のものだった毛皮を着せることで、庶民が着飾った姿を揶揄し「虚栄心」や「自己愛」への戒めを暗示したとも言われる。
小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版. p.26.
との解説があります。
でも、この絵の中で微笑む女性の表情からは「うぬぼれたっぷり」虚栄感はあまり感じられません。
美しく着飾る喜び自体はあるかもしれませんが、むしろ「恋人とお出掛け」または、やってくる「恋人をお出迎え」する喜びの方を感じます。
「受胎告知」という説
壁の絵を塗りつぶした結果、白い空間が拡がりました。
彼女の前方に広い空間があき、ガウン、カーテン、窓から差し込む光が黄色のグラデーションを綾なす。いや、黄色というより美しい黄金の雨だ。それがうっすらと笑みをたたえた彼女に降り注ぎ、椅子の鋲を金色にきらめかせ、画面全体に至福が満ちる。生き生きした日常のリアリティが、ふいに現実ばなれする。
それゆえだろう。本作を隠れカトリック画家による「受胎告知」ではないかとの説も出てきた。窓辺の彼女は虚栄心の強い女でも恋する少女でもなく、神の恩寵に恍惚とする現代版聖母マリアではないか、と。
まんざら荒唐無稽でもない気がしてくるのが、フェルメール・マジックだ。
中野京子(著). 2019-8-20. 『欲望の名画』. 文藝春秋. p.140.
そう言われてみれば、差し込む光が神様からの何らかの「啓示」に見えてくる、ような…。
「受胎告知」はキリスト教絵画における重要なテーマのひとつですが、「黄金の雨」といえば、ゼウスとダナエが結ばれる物語。
確かに、キリスト教ではないけれど、黄金の雨に変身して娘の元へやってくる主神が登場しますね。
フェルメールはプロテスタントでしたが、カトリックだった妻との結婚に際し、カトリックに改宗したと言われています。
小林賴子氏は、「改宗はなかった」と考えておられるようです。(参考:『フェルメール 作品と生涯』)
色塗り
最後に、「部屋を包むように降り注ぐ光」、「やわらかい肌を照らす光」、「黄色の布を輝かせる光」について『フェルメールへの招待』では、
それぞれ、下地に塗る色を白、クリーム、茶などに塗り分けたり、仕上げに不透明な白を小さく置いたりして微妙に描き分けられており、「光の魔術師」と呼ばれる画家ならではの技術が発揮されている。
小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版. p.29.
とあります。
美しく柔らかな光。
言葉も要らない静謐な世界が展開する中、光り物も大好きな私は、つい、眩しい真珠の照りに目が釘付けになってしまいました。
- 小池寿子(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆). 2012-2-29. 『フェルメールへの招待』. 朝日新聞出版.
- 中野京子(著). 2019-8-20. 『欲望の名画』. 文藝春秋.
- 小林賴子(著). 2018-10-25. 『フェルメール 作品と生涯』. 角川ソフィア文庫. 角川書店.
- 千足伸行(監修). 株式会社タミワオフィス(編集・執筆).2018-10-15. 『フェルメール展 公式ガイドブック』. 朝日新聞出版.
コメント
コメント一覧 (1件)
ハンナさん、こんにちは。
「真珠の首飾りの少女」を取り上げてくださってありがとうございます。
この絵を初めて見た時、最初の印象が、ものすごく小さいなぁという事でした。
ポスターのデザインに採用されていたのでど~んと、大きい絵と思ったのですが。(笑)
黄色い上着は、モデルさんに着せる上着だったのですね。
あるものをそのまま書くのでなく、ドラマのセットみたいに服からコージネートしているのが、面白いですね。
「虚栄心」をあらわす…という評があるようですが、これは、男の人の評ではないかと思います。
お洒落した自分の姿を喜ぶ…当たり前の反応すぎて、女性なら絶対そのようなことは言わないと思います。
嫌な事のために、お洒落をするなら、暗い顔にもなるでしょうが。
「HANNAの書庫」の動画も見させていただきますね。
今、私の住んでいる所では、美術館博物館は今は、予約制で大勢を入れないようにしています。
だから、押すな押すなとは程遠く、ゆっくり見られるようになっています。
時間指定の予約は面倒ですが、通常に戻ってもこういう見方はありかな…と思ったりします。
が、あちらも稼がねばならないでしょうから、無理でしょうね(苦笑)
コロナがまだまだ続きそうです。
どうぞ、ご自愛くださいませ。
今日も、興味深い記事をありがとうございました。