1500年代の首飾りと、その持ち主たち。後半に持ち主たちの所属する王室、婚姻関係の状況をまとめました。
1500年代の男性の装飾品「カラー」
16世紀から18世紀初めにかけて、ヨーロッパでは、真珠や宝石が付いた豪華な首飾りが流行します。
15世紀末から16世紀には、宝石をセットした手の込んだ首飾り「カラー」が、肩から肩へと広くかけ渡されている男性の肖像画が目立つようになる。中世末期には名匠の手になるジュエリーが盛んに作られ、あらゆる分野のデザインに独創性が発揮された。
(『アクセサリーの歴史事典 上』 レスター&オーク(著) 古賀敬子(訳) 八坂書房 P119)
この「カラー」の例として挙げられているのが、下のアーサー・テューダーの肖像画です。
アーサー・テューダー( Arthur Tudor, 1486年9月20日-1502年4月2日)
引用元:アーサー・テューダー
ヘンリー7世の長男、ヘンリー8世の兄、「プリンス・オブ・ウェールズ」。
15歳という若さで亡くなった、アーサー・テューダーの肖像画です。
帽子にも宝石が付いていますね。
イングランド王ヘンリー8世( Henry VIII, 1491年6月28日-1547年1月28日)
引用元:ヘンリー8世
こちらも大きい宝石が連なっていますね。重そうです。
テューダー朝第2代イングランド王ヘンリー8世。
国王エドワード6世、女王メアリー1世、女王エリザベス1世の父です。
中年以降は立派な肥満体となるヘンリーも、若い頃はこんなにスリムだったんですね。
ヘンリー8世 1540年 ハンス・ホルバイン(子)
ヘンリー・ギルフォード卿( Sir Henry Guildford, 1489年-1532年)
引用元:ヘンリー・ギルフォード卿
素晴らしい写実性ですね。金属、布、肌、質感の描き分けが見事です。
ドイツ出身の画家、ハンス・ホルバイン(子)による、ヘンリー8世とその廷臣・ヘンリー・ギルフォード卿の肖像画です。
ホルバインはヘンリー8世に仕え、『ヘンリー8世』『アン・オブ・クレーヴズ』『デンマークのクリスティーナ』や、ヘンリー8世の廷臣たちなどの姿を残しました。
ルネサンスの到来とともに、古代に盛んに着用されたネックレスへの関心が高まった。画家として高名なアルブレヒト・デューラー、ハンス・ホルバイン、ベンベヌート・チェッリーニらは、貴金属や宝石の優れた細工師でもあり、彼らが創出した精緻なジュエリーは、ルネサンスが至高の技を極めた時代といわれる所以である。意匠を凝らした重厚な首飾り「カラー」は紳士の肖像でこれをつけていない者はいないといっていいほどである。
(『アクセサリーの歴史事典 上』 P119)
ホルバインによるジュエリーのデザイン画
引用元:ジュエリーのデザイン画
ハンス・ホルバインによるジュエリーのデザイン画です。
上段左はエメラルド、中央のものにはルビーを配し、下段は真珠とサファイアを組み合わせています。
フランス王アンリ3世( Henri III, 1551年9月19日-1589年8月2日)
引用元:フランス王アンリ3世
フランス王アンリ2世と、カトリーヌ・ド・メディシスの間に生まれた4男、アンリ3世。
フランソワ2世とシャルル9世は兄、『王妃マルゴ』のヒロインで知られるマルグリット・ド・ヴァロワは妹にあたります。
非常に身なりに気を付けていてお洒落。イヤリングなどをフランス宮廷に流行させました。
1500年代前半のイングランドの男性陣の首元はスッキリしていて、自身を大柄に見せる衣装を着けています。
このアンリ3世の肖像画は1500年代後半のもの。
首元はお洒落で高価なラフです。
アンリ3世は1589年、ジャック・クレマンの凶刃に倒れ、ヴァロワ朝は断絶。
次の王はアンリ4世(ブルボン朝)となります。
1500年代の女性の装身具
キャサリン・オブ・アラゴン( Catherine of Aragon, 1487年12月16日-1536年1月7日)
引用元:キャサリン・オブ・アラゴン
キャサリン・オブ・アラゴンはカトリック両王の末娘、姉はカスティーリャ女王フアナです。
イングランドのアーサー・テューダーに嫁ぎますが、アーサーの急死により15歳で未亡人となります。
後にアーサーの弟ヘンリーと結婚し、イングランド王妃となりました。
ヘンリー8世との間に、後のイングランド女王メアリー1世がいます。
この肖像画はヘンリー7世の娘・メアリー・テューダーとの説もあります。
ペンダントは、宝石をちりばめた金のカラーに下げたり、首に二重に巻いたチェーンの長く垂らした方に下げたりして人目を引いた。フランスでは、アンリ3世(在位1574-89)が指輪やネックレスやイヤリングを身につけた。流行を追う男女はこれに倣って、さまざまなアクセサリーを着けはじめた。16世紀の服装の基調はこうした過度の装飾であり、現代から見ると過剰とも思える大量のジュエリーが身につけられた。
(『アクセサリーの歴史事典 上』 P120)
レオノール・デ・アウストリア( Leonor de Austria, 1498年11月15日-1558年2月25日)
引用元:レオノール・デ・アウストリア(エレオノール・ドートリッシュ)
引用元:レオノール・デ・アウストリア(エレオノール・ドートリッシュ)
レオノールはカトリック両王の孫、カスティーリャ女王フアナの長女です。
神聖ローマ皇帝カール5世、フェルディナント1世は弟。
ポルトガル王マヌエル1世の王妃になりましたが死別し、後にフランス王フランソワ1世の王妃となります。
では、下段のレオノールの肖像画と、イサベル・デ・ポルトゥガルの胸元の「ブローチ」を見てみましょう。
男性の間にカラーが流行したのは前述しましたが、女性の間にも、宝石をセットしたチェーンや真珠のジュエリーが流行しました。
オーストリアのエレアノールの首飾りに、当時のジュエリーの嗜好がよく表われている。そのほか、宝石をセットした大きなペンダントつきの重厚なネックレスや、ポルトガル王女イザベルの肖像画に描かれているような、大きなペンダント・ブローチをつけた真珠のネックレスもある。
(『アクセサリーの歴史事典 上』 P119)
イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン( Isabel de Portugal y Aragón, 1503年10月23日-1539年5月1日)
引用元:イサベル・デ・ポルトゥガル
カトリック両王の孫、ポルトガル王マヌエル1世の娘、神聖ローマ皇帝カール5世の皇妃、後のスペイン王フェリペ2世の母。
「イサベル」の名はカトリック両王の、カスティーリャ女王イサベルから取られました。
イングランド女王メアリー1世( Mary I of England, 1516年2月18日-1558年11月17日)
引用元:イングランド女王メアリー1世
イングランド王ヘンリー8世と、スペイン王女キャサリン・オブ・アラゴンの一人娘です。
異母妹に後のエリザベス1世がいます。
熱心なカトリック教徒で、多くのプロテスタントを弾圧、処刑したことから「血まみれメアリー(ブラッディ・メアリー)」と呼ばれています。
父ヘンリー8世が女官のアン・ブーリンに心を移したことで、母キャサリン・オブ・アラゴンは疎まれ、父に溺愛されていたメアリーも一時は庶子同様の扱いをされます。
アン・ブーリンはメアリーに、娘エリザベスに仕えることを要求。
母キャサリン・オブ・アラゴンとも引き離され、アンによるメアリーの殺害計画もあったとされるなど、若い頃から大変苦労を重ねました。
元々メアリーは魅力的な女性だったそうですが、年よりずっと老け込んだ印象だったそうです。
1554年7月20日。メアリーは、同じカトリックの、スペインのフェリペ2世と政略結婚します。
引用元:スペイン王フェリペ2世
フェリペはメアリーより11歳年下、スペインの国益のための結婚でした。
メアリーの従兄であり、フェリペの父でもある神聖ローマ皇帝カール5世は、イングランドの金と軍隊を目当てに、スペインとイングランドの同盟を強く望んでいたからです。
引用元:神聖ローマ皇帝カール5世
しかし、フェリペ2世の肖像画を見たメアリーは、彼に恋をしてしまいました。
一方、メアリー自身は、このことを何も知らなかった。彼女は自分の結婚がすばらしいロマンスになると思っていた。誰かに愛されたくてたまらなかった彼女は、若くてハンサムな夫を見せびらかすのを楽しみにしていた。哀れなメアリーは、フェリペを神からの授かりものと信じていたが、それはすべて幻想に過ぎなかった。
(『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』 ブレンダ・ラルフ・ルイス(著) 樺山紘一(日本語版監修) 高尾菜つこ(訳) 原書房 P168)
絵の中のメアリーは手にイングランド王家を象徴する薔薇を持っています。
「彼女は宝石や上質な錦の織物、繊細なレースの襟飾りをとくに好んだ」(『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』)そうです。
その彼女の胸に下がる大きな宝石、その下にある真珠にご注目ください。
「ラ・ペレグリーナ」(La Peregrina)と呼ばれる真珠
引用元:メアリー1世
こちらもテューダー朝時代の画家によるメアリー1世の肖像画ですが、同じ宝石を着けています。
この大きな洋梨型(Pear-shaped)の真珠は「ラ・ペレグリーナ」。
スペイン語で「巡礼者」の意味です。
(「ペアシェイプ・ダイアモンド」と言うように、ダイアモンドに使われるブリリアント・カットの一種で、「ペアシェイプ」という言い方があります。文字通り、楕円形の「洋梨」の形です)
1500年代半ば、この真珠がパナマで発見されました。
「一粒の真珠がフェリペ2世に献上されるためにパナマから廷臣ディエゴ・デ・テメスによって持ち込まれてきた。この真珠は形といい、良質のマスカダインのようだった」。この真珠の上部は洋梨と同じように長く伸びた形をしていた。底の部分にはちょうど洋梨のような小さなへこみがあった。全体は鳩の卵のように大きく、きれいな球形だった。
(『宝石 欲望と錯覚の世界史』 エイジャー・レイデン (著) 和田 佐規子 (編集) P178)
この真珠はフェリペからメアリーに贈られます。
フェリペは、非常に大きくて「ラ・グランデ」と呼ばれたダイヤモンドを四角にカットし、丁寧に固定して、そこに真珠をぶら下げさせた。フェリペにすっかり夢中になった女王メアリは、この宝石を受け取ってからというもの、描かせる肖像画のほとんどすべてで、ブローチやペンダントとして、この真珠を身につけていた。
(『宝石 欲望と錯覚の世界史』 P178)
フェリペはメアリーにこちらも贈ったようです。
バラの形のテーブルカットのダイヤモンド、マルケス・デ・ラス・ナヴァスを結婚前に送ってきた。1000ダカットの値打ちものだ。
(『宝石 欲望と錯覚の世界史』 P206)
国民が女王メアリーにイングランド人の夫を迎えるように望んでいたにも関わらず、メアリーは、母方の親戚であるスペイン人のフェリペを夫に選びました。
その結果、スペインとフランスの戦争に巻き込まれ、イングランドは大陸に所有していた領土カレーを失ってしまいます。
フェリペとの間の嫡子を熱望していたメアリーは懐妊を喜びますが、想像妊娠に終わり、胎児だと思っていたのは腫瘍でした。
1558年11月17日、メアリー1世は失意のうちに世を去ります。
彼女の後継者は憎い異母妹エリザベス1世でした。
夫だったフェリペは既に彼女を見限り、まだ存命中だというのに、エリザベスに求婚していました。
その後、「ラ・ペレグリーナ」は、巨匠ベラスケスが王家の肖像画のなかでその姿を描いています。
現代では、映画俳優リチャード・バートンが、妻で女優のエリザベス・テーラーに贈ったものとして有名です。
エリザベス・テイラーの真珠のネックレス、9億円超で落札 2011/12/15
www.afpbb.com › articles › modepress
肖像画に描かれた人びと
この先は、今回登場していただいた王家の皆様の婚姻関係をざっくりと整理するためのものです。
改めて見てみれば、案外興味深い発見もあるかもしれません。
「興味はあるけど、名前が似ていて、脳が拒否する」方もよろしければ、参考程度にどうぞ。
スペイン王家(カトリック両王以降)
引用元:カスティーリャ女王イサベル1世
カトリック両王、カスティーリャ女王イサベル1世と、アラゴン王フェルナンド2世。
ふたりの間には5人の子どもがあります。(イサベル、フアン、フアナ、マリア、カタリナ)
引用元:フアナ
3番目のフアナはカスティーリャ女王を継承し、末娘カタリナ(英語名はキャサリン)はアーサー・テューダーとの死別後、ヘンリー8世の王妃となります。
フアナは、兄や姉の死で母イサベルからカスティーリャ女王を継承。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子、フィリップ美公との間に6人の子どもがいます。(レオノール、カルロス(カール)、イサベル、フェルナンド(フェルディナンド)、マリア、カタリナ)
カスティーリャ女王フアナの子どもたち(6人のうち、レオノール、カール、カタリナ)
引用元:ポルトガル王妃カタリナ
ポルトガル王家(マヌエル1世以降)
引用元:ポルトガル王マヌエル1世
ポルトガル王マヌエル1世の王妃になった女性たちです。
イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャはカトリック両王の長女で、最初の結婚は政略結婚でしたが幸せなものでした。
夫と死別後修道院に入ろうとしましたが、再び政略結婚でマヌエル1世と結婚します。
マヌエル1世との間にミゲルという男児が生まれますが、イサベルは産褥死。
ミゲルも幼くして亡くなります。
カスティーリャの王位継承権は、イサベルとミゲルの死によってフアナに移りました。
イサベルの死後、マヌエル1世はイサベルの妹マリアと再婚。
ふたりの間にはジョアン3世(後のポルトガル王)、イザベル他多くの子どもが生まれました。
マリアの死後、カトリック両王の娘フアナの長女レオノールが輿入れしますが、マヌエル1世は死去。
レオノールは未亡人となります。
マヌエル1世とマリアの息子(ジョアン3世)と娘(イサベル)
マリアの息子ジョアン3世は、フアナの娘で従妹であるカタリナと結婚します。
その娘はマリア・マヌエラ。フェリペ2世の最初の妃です。
夫妻の息子ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガルも、神聖ローマ皇帝カール5世と妃イサベルの次女フアナと結婚しますが、16歳で死亡しました。
引用元:ポルトガル王ジョアン3世
マリアの娘で、ジョアン3世の妹、イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン。
イサベルは従兄にあたるカールと結婚し、フェリペら5人の子どもたちの母親となります。
引用元:フアナ・デ・アウストリア
フェリペ2世の妻
最初の妻、ポルトガル王女マリア・マヌエラ
マリア・マヌエラは従兄であるフェリペ2世の最初の妃になりますが、産褥死します。
息子はドン・カルロス・デ・アウストリアです。
2番目の妻、イングランド女王メアリー1世
3番目の妻、フランス王女エリザベート・ド・ヴァロワ
引用元:エリザベート・ド・ヴァロワ
3番目の妻でフランス王女、エリザベート・ド・ヴァロワ。
アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの娘、アンリ3世の妹、『王妃マルゴ』の姉にあたり、オペラ『ドン・カルロ』のヒロインのモデルになった女性です、
フェリペとの間に娘2人をもうけますが、後に産褥死しました。
4番目の妻、アナ・デ・アウストリア
アナ・デ・アウストリアの父は聖ローマ皇帝マクシミリアン2世、フェリペとは従兄弟同士です。
アナの母はフェリペの妹、カール5世の娘マリア・デ・アブスブルゴ・イ・アビスです。
イングランド王家(ヘンリー7世夫妻以降)
引用元:エリザベス・オブ・ヨーク
薔薇戦争を勝ち抜き、テューダー朝初代のイングランド王となったヘンリー7世と王妃エリザベス・オブ・ヨークです。
才色兼備の王妃エリザベスは、自身の出身であるヨーク家の象徴の白バラを手にしています。
夫妻の8人の子どものうち成人したのは4人でしたが、長男アーサーはカトリック両王の娘キャサリン・オブ・アラゴン(カタリナ)と結婚後病死します。
未亡人となったキャサリンはアーサーの弟ヘンリーと再婚し、メアリー1世が生まれます。
しかしヘンリー8世はキャサリンを離婚し、2番目の妻アン・ブーリンとの間にエリザベス1世をもうけます。
引用元:メアリー・テューダー
こちらはヘンリー7世の娘メアリー・テューダー。
ヘンリー8世の命ずる政略結婚で、フランスのルイ12世の3番目の妻となりました。
ルイ12世と死別後はイングランドに戻り、元恋人と再婚します。
メアリーの孫がレディ・ジェーン・グレイ。メアリー1世によって処刑される「9日間女王」です。
フランス王家(ルイ12世以降)
引用元:ルイ12世
引用元:アンヌ・ド・ブルターニュ
ヴァロワ朝第8代のフランス王ルイ12世と、2番目の妻アンヌ・ド・ブルターニュ夫妻。
ふたりの間には娘クロードとルネがいます。
アンヌと死別していたルイ12世はメアリー・テューダーを妻にしますが、結婚後数か月して亡くなりました。
引用元:クロード・ド・フランス
ルイ12世王女クロードは親戚のフランソワと結婚し、フランソワはヴァロワ朝第9代のフランス王フランソワ1世となります。
引用元:フランソワ1世の肖像画
私の中でフランソワ1世は、神聖ローマ皇帝カール5世と戦い、イングランド王ヘンリー8世と会見し、レオナルド・ダ・ヴィンチら芸術家をフランスへ招き、ミイラの粉を常備薬として服用していた、好きモノの王様です。
クロード亡き後のフランソワ1世には愛人もいましたが、神聖ローマ皇帝カール5世との和睦のため、カールの姉レオノールがフランソワ1世の妻となります。
ルイ12世の次女ルネは、教皇アレクサンデル6世の孫であるフェラーラ公エルコレ2世・デステと結婚します。
引用元:フェラーラ公妃ルネ・ド・フランス
ルネ(イタリア名はレナータ)の宮廷も大変進歩的なものとして知られていました。
ルネは1572年のサン・バルテルミの虐殺ではユグノーを助ける側に回ります。
この虐殺の先頭に立っていたのは孫のギーズ公アンリでした。
引用元:アンリ2世
引用元:カトリーヌ・ド・メディシス
フランソワ1世の息子アンリ2世はイタリアのカトリーヌ・ド・メディシスと結婚し、 息子たちのうちフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世が国王になります。
娘エリザベートはフェリペ2世の妻に、マルグリット(『王妃マルゴ』のヒロイン)はブルボン朝のアンリ4世の妻になります。
他に、クロード、オルレアン公ルイ、アンジュー公フランソワがいます。
引用元:王妃マルゴ
引用元:アンジュー公フランソワ
アンジュー公フランソワとイングランド女王エリザベス1世の間には縁談もありました。
エリザベスは彼に「カエルちゃん」とあだ名を付けて親しんだようですが婚姻には至らず、1584年、アンジュー公フランソワは亡くなります。
それを聞いたエリザベスは非常に悲しんだとのことです。
取りあえず、四王家分でした。すっごく入り組んでますねえ。ほぼ親戚同士の結婚?
読んで下さった方、有難うございました。 お疲れ様でした。
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- 『宝石 欲望と錯覚の世界史』 エイジャー・レイデン (著) 和田 佐規子 (編集)
- 『イギリス史』 山川出版社
コメント
コメント一覧 (22件)
Pちゃん (id:hukunekox)様。嬉しゅうございます。
お忙しい中有難うございます
ハイ、教科書や資料集などで、またはこのブログ内の何処かで、今まで何となく出て来た人たちが集合しております。婚姻関係、血脈によって、富や権力が集まる様が伝わればいいなと思って並べてみました。
多分、デカい宝石は現代までにほぼ掘り尽くしたかと思います。肖像画のものも本当にそのサイズであったかはわかりませんが、王侯貴族が持つにふさわしいサイズのものが発見されれば献上され、このような豪華な装飾品になったのでしょうね。
ブラディ・メアリなど、カクテル本で名前の由来を見るのも面白いですが、この場合は完全にブラック・ユーモアにしか思えませんね。
ホンモノのブラディ・メアリ(メアリ―1世)はまた出てきます(・∀・)。
ぜひまたよろしくお願い致します。
有難うございました。
ハンナさん☺️✨
遅ればせながら、拝見しております💦
今まで見てきた方々が勢揃いされてる感じで見応えありますね😲✨
メアリーさんがやはり一番気になるというか、、宝石も大変お好きだったみたいで、、やはり当時は富の象徴だったのでしょうか、男性もジャラジャラつけてますね😲ブラッディメアリーはカクテルにも名付けたんでしょうか、昔、なんでこんな名前なんだろうと不思議でしたwそんな、程度の私ではありますが昔は大きな宝石が取れたんだろうなぁと変なところで感心してましたw失礼いたしました
だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
コメント有難うございます。
はい、「血まみれメアリ」のトマトジュースベースですね。ネーミングセンスがすごいよねって話のタネになるやつ。
私は今ではすっかりトマジュー専門。
やっぱ装飾は「権威」に直結しますからね。わかりやすい。古代からそうですもんね。
ワインも飲み過ぎなければ百薬の長。
丁寧に美味しく飲んであげてくださいませ( ̄▽ ̄)。
ブラッディーメアリー(ブラッディーマリー)だけ知ってます。カクテルにあるんです。
この人のイメージのカクテル(トマトジュースの赤色だけど…)僕はトマトジュース好きなので良く飲んでました。
ネックレスや宝石は男の人がジャラジャラしてたんですねぇー。
本当に…。すごい装飾の時代だったんですね。
いいもの食べていいワイン飲んでる感じ!
僕も今日はワイン飲もうかなぁー。
ことぶ㐂(ことぶき) (id:lunarcarrier)様
読んでくださったんですか( ゚Д゚)有難うございます(≧◇≦)。
私、書いてて途中でイヤになりましたよ。
めんどくさくなったのもありますが、書いてて、ああ、これだけ血が近いと危ないなあなんて、やりきれない気持ちになりました。
「法務省に出す書類」の所では噴きましたがwww
今回も読んで下さって有難うございました。
またお願い致します。
蝶々 (id:miko1221)様
遅くなってごめんなさい。
コメント有難うございます。
そしてなんて嬉しいお言葉!!
いやいやいやいや…、と思いながらもウレシイ(≧◇≦)
私もひとが集まる所はコワくて行けません。もしかしたら今年は美術館に行くことを諦めなければならないかと思っていますが、そう仰っていただいてとても光栄です。
今回も読んで下さって有難うございました。
うり まさる (id:urimasaru)様
遅くなってごめんなさい。
コメント有難うございました。
以前記事内で書いたのですが、不老不死(?)の万能薬と信じられて、ミイラを粉末にして飲んでいた時代もあったんですねえ(;’∀’)
フランソワ1世はそれを持ち歩き、飲んでいたんですって~。
今回も読んで下さって有難うございました。
えんちゃんぐ (id:ennchang)様
深いお言葉です。
どんなに多くの家臣にお世話されても明日もそれが続くとは限らないし、後継ぎを産むことを強く望まれ、嫌な相手と不幸せな結婚生活かもしれません。国が負ければ殺されるかもしれない。
私はやっぱり現代の方が「幸せ」と思えることが多い気がします。
絵の中の宝石1個でいいから欲しいですが、余計な責任や重圧がかかってくるくらいなら、ここから見ているだけでいいやと思いますね(・∀・)。
今回も読んで下さって有難うございました。
まーたる (id:ma-taru)様
遅くなってごめんなさい。
コメントも有難うございました。
西洋史、東洋史、東欧史…「世界史」ってほんとに難しいです💦
英国史に関しては、このテューダー朝くらいしか興味が無い(!)のであまり詳しくないのです。骨董コレクションの対象は入手しやすいヴィクトリア朝、エドワード朝ではあるのですが。
いつもながら細かい所まで見て下さって有難うございます。
肖像画自体は私には難解なのですが、若い頃から肖像画に描かれた高位の人々の衣裳、アクセサリーにとても興味があり、これを勉強したくて大学の聴講や宝石学校まで通いました。
重厚なデザインがまたとても素敵ですよね。重量も結構有りそうです。
家系図(?)はもうね、必要なとこ優先で。
まだハンガリーやスコットランド、神聖ローマ帝国が残っています。今回めんどくさくて死にましたが、大雑把に分かっていると理解が違うかなと思いまして。
お付き合い下さって有難うございました。
またよろしくお願い致します。
id:kagenogori様
コメント有難うございます。
家系図(?)、やってて途中でめんどくさくて投げたくなりました。
それでもまだハンガリーとかスコットランド、神聖ローマ皇帝のお宅を飛ばしています。
…。
あ、でもヘンリー8世、メアリー1世、もちろん大事です。また出ますのでその際はヨロシクお願い致します。
今回も読んで下さって有難うございました。
ko-todo (id:ko-todo)様
遅くなってごめんなさい。
コメント有難うございます。
ホルバインの描く人物、「ああ、こんな人いたんだろうなあ」と簡単に想像がつくほどリアルですよね。更に、セレブと一緒に描かれている毛皮や布地、宝石類がまた豪華で、それがビシバシと伝わってくる…。この時代、真珠も流行っていますが、当然ながら天然ですもの、相当お高かったでしょうね。総額は一体おいくら億円だったのでしょう。その重さに首も痛くなりそうです。
近親婚の繰り返しって、やっぱり危ないんだなと思わせる血の濃さにちょっと引きますよね。当時だって分かっていたのでしょうけどねえ…。ほんとはもっといろいろなにかあったんじゃないかなという気がしてなりません。
今回も読んで下さって有難うございました。
id:kainaomichi様
遅くなってごめんなさい。
コメント有難うございます。
「肖像画」自体はそんなによくわからないのですが、ホルバインはすごく好きで、何度も取り上げてしまいます。
質感の描き分けも素晴らしいのですが、人物が身につけている豪華な衣装や宝石に特に目が行きます。
今回も読んで下さって有難うございました。
脳が拒否するのを無理やり読みました(^-^;
法務省に出す書類が大変そうやなと(^-^;
今は、コロナの影響で美術館にもなかなか行けなくて、辛い思いしてるんですけど、ハンナさんのブログを見ていたら美術館に行くより価値があるかも😆🎉
ミイラの粉か~💦
なんか、パワーが出そうですね(●´ω`●)✨
500年も前、こんなにも素敵な装飾品を身にまとい生活していた方達がいるんですよね。
どんな時代に生きていたかったかを考えたりします。
で、今がどんなに大変でも、結局は今ここにいることを幸せと思います。
キラキラは、こうやって目で見て素敵だなぁと楽しむのがまた楽し♪
いつも、ありがとうございます😊
こんばんは(о´∀`о)
世界史は詳しくはないのですが、ヘンリー8世の時代は映画にもなったりしていてすごく興味深い時代です。
ちょっとでも隙を見せるとあっという間に蹴落とされてしまいますね。
アン・ブーリンをはじめロンドン塔に送られた人々のことや、ヘンリー8世を取り巻く人間模様が衝撃的すぎるんですが、なぜか興味をひかれてしまいます。
ジェーン・グレイの絵画は胸に迫るものがあって、見ているとちょっと苦しく感じるほどです。
技術も素晴らしくそれぞれの人物の表情がリアルで、目を逸らしたいけど釘付けになってしまうんですよね。
それにしても宝石のデザインも大きさもすごいですね❗️
肩や首が凝りそうなくらいずっしりした感じが見受けられます。
男女問わず半端なくオシャレな時代だったんだな〜と改めて思いました。
この時代は好きですが複雑にも感じるので、丁寧な説明になるほど〜と勉強になりました❗️
素晴らしい見応えです(*´꒳`*)
ありがとうございますヽ(*^ω^*)ノ
なかなかに複雑ですねぇ、ヨーロッパ王家の歴史。
とりあえず、印象に残ったのはブラディ・メアリーとヘンリー8世(あの悪名高い王様ですよね、たしか)でしょうか。
何回か繰り返し読んでから、また出直してきます(^_^.)
高価で豪華な装飾品…
この頃は、養殖真珠とか無かったから、貴重だったよね…。
全身で何億になるのだろう…などと、庶民は下世話な事を考えてしまいます^^;
でも、そういうものを着こなせてしまえる王侯貴族も凄い。
こういう肖像画って、実際に見ると凄いですよね。
布の質感から小さなヒダ・レース等、緻密にまんまな感じで描かれていて…。
(肖像画にあまり興味が無くて、そんな所にばかり目が行きます^^;)
婚姻関係は、やっぱ複雑で…。
やっぱ、回り回って血が濃い感じで…。
そりゃ、たま~に、超劣勢遺伝起きるよね…。
まぁ…
勢力争いで尾ひれがついた濡れ衣も有ったのだろうけれど…。
ただ…
稀に生まれる超絶優性遺伝が歴史を変えてきたんだろうな…と。
全ての絵が写真ではないかと思えるくらい、もしくは写真では科持ち出せない雰囲気を出していて圧倒されますね。自分が良く知らない分野(美術)に接すると楽しいです。ありがとうございました。
schun (id:schunchi2007)様
今回も有難うございます。
衣裳も宝石も素敵ですよね~。
世界史だと、「国益や政策のためにメアリー1世とフェリペ2世が結婚した」くらいの記述かと思うのですが、宗教、血縁など、実際にはもっと多くのことが絡んでくると思うのです。
メアリー1世の肖像画がスペインのプラド美術館所蔵というのも、彼女がフェリペに贈ったものなのかなと想像します。
ある程度背景を知っているともっと面白いかなと思って、なるべくコンパクトにしてみました。
読んで下さって有難うございました。
前回の関係といい、今回の関係といい、かなり複雑ですね。
病死されちゃう方や早くに亡くなられる方も結構いらっしゃるんですね。
また装飾品もやっぱり、素敵なものばかり。
デザイン画も精巧で本物と見間違っちゃいました(笑)。
やっぱり、高貴な方はつけるものも高貴ですね~~~。と改めて感じましたo(_ _ )o。