物語性も感じさせる『パラス・アテナ』ですが、この絵は『アレクサンダー大王』を描いたものとされることもあります。今回はレンブラントの傑作『アリストテレス』『ホメロス』他、『甲冑の男』、『聖マタイと天使』と一緒にご紹介します。

『パラス・アテナ』( Pallas Athena ) 1664年-1665年 レンブラント・ファン・レイン グルベンキアン美術館蔵

引用元:『パラス・アテナ』
オランダ出身の巨匠、レンブラント(に帰属)の『パラス・アテナ』です。
緋色の飾りの付いたコリント式兜を被り、手には槍と盾を持っています。手袋もしているようですね。
武具の光沢が実に美しいですね。
巻き毛がこぼれていますが、若い男性の様にも見えます。
アテナは大神ゼウスの娘です。
ゼウスは女神ヘラと結婚する前に、女神メティスと結婚していました。
しかし、「メティスが産む男の子は、ゼウスの王位を奪う」との信託に、ゼウスは妊娠したメティスを呑み込んでしまいます。
ある日、激しい頭痛に苦しむゼウスはヘパイストスに命じ、自らの斧で頭を割らせます。
すると、黄金の鎧と兜をつけた女神アテナが飛び出してきました。
ゼウスによって飲み込まれた筈の胎児(アテナ)は、ゼウスの頭に移動して成長していたのです。(参考:『名画の読解力』. 田中久美子(監修). エムディエヌコーポレーション. p.211.)
という、自分の子を妊娠した妻を飲み込む・飲み込まれても頭に移動して育つ・斧で自分の頭を割らせる・着衣した状態で頭から飛び出す(しかも武装)、非常に壮絶な神様たちとその出生。
現在編集中です。
セクシーな魅力のヴィーナスとはまた違った、凛々しい処女神のイメージのアテナですが、レンブラントのこの『パラス・アテナ』は色調のせいもあってか、冷たく昏い官能性を感じますね。
神話の中のアテナの容姿については、
明るい色(灰青)の目をした金髪の女性。足まである長さの服を着て武装している。
(『古代ギリシャのリアル』 藤村シシン(著) 実業之日本社 P103)
とあります。

絵画の中でアテナを探す時、彼女を見分ける手掛かりになるのは、アテナの「持ち物」(アトリビュート)。胸当ての防具(アイギス)や武器、動物はフクロウ、植物はオリーブですが、女神のニケを従えている時もあります。
神話の中でアテナは勝利の女神ニケを従え、守護者として英雄たちを危難から救ったり、成功の手助けをしたりしています。その中には英雄のペルセウスやヘラクレス、オデュッセウスもいます。また、ポセイドンとアッティカの支配権を争って勝利したため、アテネの守護女神となり、アテネ市にあるパルテノン神殿を中心に、ギリシア中で崇拝されました。レンブラントの《パラス・アテナ》は、神話の通り黄金の兜と鎧で身を包み、兜のクレスト(紋章)にはアトリビュートであるフクロウがかたどられています。
(『名画の読解力』 P211)
ニケ

サモトラケのニケ _ mwanasimba _ CC BY-SA 2.0
NIKE、ニケです。
勝利の女神であるニケはアテナの随神です。有名な『サモトラケのニケ』は、1863年、エーゲ海のサモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発見されました。
前へと向かう姿がカッコいいです。

邦題が見つからなかったので、タイトルを付けるとしたら、『ニケを伴い、ポセイドンと対峙するパラス・アテナ』という感じでしょうか。
19世紀の画家コンスタンティン・ハンセンが描くパラス・アテナは、ニケを伴っています。
このアテナは、羽飾りが無く、シンプルなデザインの「コリント式兜」を被っています。
コリント式兜
下は、古代ギリシアの重装歩兵におけるコリント式兜の着装例です。
この兜を被ると表情が見えないので、向かって来られる敵はとても怖かっただろう…と研究者が言っていました。(youtubeにあった、「テルモピュライの戦い」の戦闘シュミレーション)

重装歩兵コスチューム Tilemahos Efthimiadis CC-BY-SA-2.0
しかし、これだと命令がよく聞き取れないこともあり(暑かっただろうし)、ローマ時代になってから、耳を出したり開口部を大きく取るなど改善されたようです。
実際の古代ギリシア重装歩兵の鎧の後ろにある兜が気になります。派手なトサカは有りませんが、顔は大きく開いています。

重装歩兵の鎧と兜_ Dr.K. _CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn、1606年7月15日 – 1669年10月4日)
「光と影の画家」レンブラントはバロックの時代に活躍した画家です。
同時期に、フェルメール(同じくオランダ(ネーデルラント共和国)出身)、ルーベンス、カラヴァッジョ、ベラスケスといった画家たちがいます。
1632年生まれのフェルメールは、レンブラントとは26歳の差があります。ちょうどレンブラントの人気が高かった頃に生まれたことになりますね。

たくさんいるレンブラントの弟子のひとりに、カレル・ファブリティウス(1654年没)という画家がいますが、このファブリティウスは、フェルメールの師ではないかと言われている人物です。

下は名作『夜警』、レンブラント36歳の時の作品です。

『ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス』 1653年
1650年代、レンブラントの作品に興味を示したヨーロッパの思想家や収集家たちの中でも、特にシチリア貴族のアントニオ・ルッフォ( Antonio Ruffo 1610年頃-1678年)(ルフォーとも表記)はレンブラントと何度も書簡を取り交わし、レンブラントから版画約200点、油彩画数点を購入しました。
なかでも有名な、《ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス》には、イタリア人画家に支払う8倍の代金を支払った。その後レンブラントは、未完成であるとしてルッフォから送り返された《ホメロス》(マウリッツハイス美術館収蔵)と《アレクサンダー大王》をルッフォのために制作した。《アレクサンダー大王》も、ルッフォが4枚のカンバスをつぎはぎしたものだと文句を言ったので、レンブラントはこれを引き取り新しく描き直した。つまり、レンブラントの《アレクサンダー大王》は2種類存在するのである。
(『レンブラント 光と影を操る者』 昭文社 P100)

抒情詩人ホメロスの胸像に手を置くギリシャの哲学者アリストテレスの姿。
アリストテレスの教え子であるアレクサンダー大王を描いた大メダルが金の鎖から下がっています。一般的にこの場面は、アリストテレスが世俗的な成功に対し、精神的なものの価値を熟考している場面と考えられています。アリストテレスの眉間の陰影が熟考を示唆し、彼が触れているものは物質的、精神的な世界の両方を表しています。シシリアの収集家アントニオ・ルッフォのために描かれたこの作品は、レンブラントの最高傑作のひとつです。
(『メトロポリタン美術館ガイド』 メトロポリタン美術館ミュージアム図書 P264)
注文主のシチリアの美術収集家アントニオ・ルッフォは、この作品と対になる作品をイタリア人の画家グエルチーノに依頼した。
(『『レンブラント 光と影を操る者』 P102)
レンブラントの絵画で、この《アリストテレス》ほど経歴のよくわかるものはごくわずかである。そして、彼以外の画家の絵画で、その所蔵者がこれほど高く評価することも、また数少ない。最初の注文については明らかでないが、 有名な美術収集家であったドン・アントニオ・ルッフォが、1652年頃、レンブラントに油絵の制作を依頼したということが、現在では判明している。この注文は、レンブラントの名が海外にまで届いていためいりょうな証拠である。
1653年に描かれたレンブラントのこの作品は、1654年、オランダ船バルトロメウス号でメシナの港に着いた。ルッフォ家に現在に至るまで保存されている船積み証明書には、レンブラントに支払った金額 – 500フルデン – が記されている。ドン・アントニオ自身が書いているように、その総額は、もっとも有名なイタリアの巨匠の同様の絵に普通彼が支払った金額の4倍であった。ドン・アントニオが、この新しい収集品をどんなに高く評価していたかは、あらゆることからうかがうことができるのである。彼はさらにレンブラントに注文したばかりか、二人の著名なイタリア人画家に《アリストテレス》と組み合わせる絵を描くことを依頼した。彼は遺書で、その収集品のうち《アリストテレス》を含む最良のものをルッフォ家の長男に譲った。不幸なことに、1743年、長男も他の兄弟も伝染病で死に、レンブラントの絵は分家の手に渡り、それも後には売却されてしまった。その後、まずイギリスのエイブラハム・ヒューム卿に、次いでパリのロドルフ・カンといういずれも有名な収集家に買い取られた。そして美術商のジョゼフ・デュヴィーンがアメリカにもたらし、コリス・P, ハティントン未亡人のコレクションとアルフレッド・W. エリクソンを経て、ついにメトロポリタン美術館に入ったのである。
(『レンブラント』 ルードヴィッヒ・ミュンツ(著) 八代修次(訳) BSSギャラリー世界の名画 P90)
『ホメロス』 1663年

元は大型の作品だったが、火事によってこの部分だけ焼け残った。
(『レンブラント 光と影を操る者』 昭文社 P100)
ルッフォは、哲学の象徴としてアリストテレス、詩の象徴ホメロス、そして、活動的な人生の象徴としてアレクサンダー大王を描いた3部作を望んでいたそうです。(参考:『レンブラント 光と影を操る者』 P100)
アリストテレス、ホメロスと来て。
では、アレクサンダー大王は?
『甲冑の男』 1655年

『パラス・アテナ』と同様、甲冑の光沢に見惚れる『甲冑の男』。
『レンブラント 光と影を操る者』では、この絵の説明に、
《アレクサンダー大王》にはこのほかに、リスボンのカローシュテ・グルベンキャン財団収蔵のものがあるが、レンブラントがアントニオ・ルッフォに送ったのはこちらの作品だと思われる。
(『レンブラント 光と影を操る者』 P101)
とありますが、『甲冑の男』というタイトルなのに、解説には『アレクサンダー大王』となっています。
ここで言われている「リスボンのカローシュテ・グルベンキャン財団収蔵のもの」とは、最初に挙げた絵画で、現在『パラス・アテナ』と呼ばれているものを指しているのかと思われます。
Wikipedia の「レンブラント」の「ギャラリー」に掲載されている『パラス・アテナ』の絵の下の説明文に、「アレクサンダー大王、1663年 カルースト・グルベンキアン美術館」とありました。
この画像をクリックしていただき、次に右下の「詳細」を押すと、英文の説明付きのものに変わります。
絵画のタイトルは「Pallas Athena 」パラス・アテナと出、年代は「1655年頃」と出てきます。
『名画の読解力』では1664年頃となっていますが、これだと約10年の開きがありますよね…。
『アレクサンダー大王』は現存していないのか?
「レンブラントの歴史的肖像画 - ルフォーの委嘱による三部作 ー」(岡部紘三氏 東洋大学名誉教授)( file:///C:/Users/Owner/Downloads/jfge7_1(1)%20(1).pdf )、
( repository.lib.tottori-u.ac.jp › files › public › jfge7_1(1) )によると、
レンブラントが送った『ホメロス』と『アレクサンダー大王』の絵は1661年の秋に港に到着しました。
しかし届いた『アレクサンダー大王』に満足しなかったルフォー(ルッフォ)は、62年11月にオランダに帰国する領事に託して不満を述べている、とあります。
ルフォーの不満に対しレンブラントは怒り、描き直す場合の費用と、ルフォーの元に送った絵を費用を負担して送り返して欲しいと言っています。
はたして第二の《アレクサンダー大王》の図が制作されたかどうか、残念ながら分らない。ヘルドが推測するように、ことによるとルフォーは、このレンブラントの強い態度に接して描き直しは至難と考え、入手した第一の《アレクサンダー大王》の図をそのまま保持したかもしれない。
1848年に起きたルフォー家の火災で、『ホメロス』も被害に遭い、一部が焼け残りました。
『アレクサンダー大王』は焼けてしまったのかもしれません。一般にはそう考えられているそうです。
ちょっと気になりますよね。
『アレクサンダー大王』は本当に現存していないのでしょうか。
以下はP16-P17からです。(読んでいただき易いように、注釈は外させていただき、記号等は変更しています。原文をご確認ください。)
さて、ルフォーの依頼による《アレクサンダー大王》の図は現存しないとみるのが通説だが、それに擬せられる作品が二点あるので、最後にそのことについて補足的に触れたい。
グラスゴーの美術館所蔵のレンブラントのサインと1655年の年記のある作品は、その主題として「アレクサンダー大王」「マルス」「パラス・アテナ」「聖ミカエル」等々の人物名が上っているが、なお決定をみていない。かってレーノルズはこの絵を「アキレス」の表現とみなしていた。甲冑で身を固め赤いマントを羽織った人物が、左手に楯を持ち、右手に剣を握って立っている。身体を斜めに構えているが、顔はほぼプロフィールで剣を持つ右手を見ている。フクロウらしき頂節りのある兜は、一般に「パラス・アテナ」の象徴とみなされるけれども、必ずしもそう断定することはできない。この人物は耳飾りをしているが、顔は男のようで、「アテナ」より「マルス」か「アレクサンダー大王」の表現とみた方がよかろう。
ルフォーが1661年に《アレクサンダー大王》の図を受取ったとき、四片の画布の継ぎ目がはっきり見えたために、頭部に画布をつけ足して半身像に仕上げたのではないかと不満を述べているが、実は本図も画布が継ぎ合されている。 しかし、その箇所は画面全体でわずかの部分だし、しかも明らかにレンブラント以後に他の人によってなされたものである。またルフォーの目録には大王を「着座」と記しており、本図の人物の姿勢とは異なる。1655年の年記があるため、もしこれを《アレクサンダー大王》の図とすれば、レンブラントはメッシーナに送るまで6年間放置していたことになる。それはどうも考えられない。以上のことを考え合せると、この作品をルフォー委嘱の《アレクサンダー大王》の図と同一視することは無理のように思われる。
ところで、リスボンのグルベンキアン・コレクションに、もう一点同じような絵がある。年記がないけれども前作と類似の描写であるので、ほぼ同時期の制作と一般にみなされている。右手に剣を、左手に楯を持った恰好は共通であるが、前作よりも人物を至近距離から捉えている。カールした長い髪、フクロウの頂節りのある兜、ゴルゴンの頭部のある楯、女性的な顔など、一般には「パラス・アテナ」の表現と推測されている。しかし兜のフクロウや楯のゴルゴンの頭は、必ずしもアテナに限ったアトリビュートではない。また長い垂髪に兜をかぶった姿は、すでに述べたように、古代貨幣のアテナを誤解してルネッサンス期に図像学上の決定をみた、アレクサンダー大王の表現でもある。ケネス・クラークは、この美しい顔は男か女か決め難いとして、「ミネルワ」のほかに「マルス」「アレクサンダー大王」の名を挙げている。
なお、この人物のモデルとみなされるのはレンブラントの子タイタスである、とヘルドは述べている。《聖マタイと天使》(1661年,ルーブル美術館)における天使はタイタスがモデルだと思われるが、この天使の顔とよく似ているというのが、その根拠である。とすれば、本図の制作年代は1655年頃ではなくて64年頃となり、この図がルフォーの依頼による《アレクサ ンダー大王》とも考えられるのである。ルフォーが《大王》の図を受取ったとき、その「頭部」に注目しているから、比較的頭部が大きく描かれていたと予測されるが、そうとすれば、上述の二作品中ではグルベンキアン・コレクションの絵画の方にその可能性が高い。本図においては、目録の記述どおり「着座」の人物像とみることもできる。 しかし、だからといって、それがかってルフォー所有の《大王》の図であると確認することはむつかしく、なお今後の研究を待たねばならない。
《アレクサンダー大王》の図が現存しないと仮定して、その図を想像してみるなら、やはリグルベンキアン・コレクションの絵画に類似した、ゴールド・イエローに輝く甲冑や剣や楯で身を固めた若き英雄の描写であったろう。なお、《大王》の図における武具の表現は、それと同時期の作である《バタヴィア人の謀議》 (1661年,ストックホルム国立美術館)の甲冑や剣の描写と、かなり類似性があったと想像される。レンブラントの老熟した技法が遺憾なく発揮された作品だったと思われるが、ただ10年前の《アリストテレス》の図に比べ、画面構成はますます単純化していただろうから、ルフォーがその絵を充分に理解できなかったのは容易に推察しうることである。
絵のモデル
下は『聖マタイと天使』、横の天使が画家の息子ティトゥス・ファン・レインと言われています。

ティトゥス・ファン・レイン(Titus van Rijn (1641年9月22日 – 1668年9月4日)(名前はタイタスとも表記)はレンブラントの息子で、幼い頃から父の絵のモデルになったり、成人してからは父の仕事を助けました。
ティトゥスは1668年2月に結婚しますが、9月に急死します。
レンブラントは困窮の中、翌1669年10月に亡くなりました。彼の遺体は2人の妻たちとティトゥスが眠る教会に埋葬されました。


レンブラントの『パラス・アテナ』は非常に中性的ですよね。「アテナ」=「女神」と思っているため「女性」に見えるのですが、半分こちらを見ているアテナの目のあたりが、なんとなくティトゥスに似ているように思えます。いかがでしょうか。
同時代のバロックの芸術家、ベラスケス、ベルニーニ、フェルメールに関連する記事
主な参考図書
- 『名画の読解力』 田中久美子(監修) エムディエヌコーポレーション
- 『古代ギリシャのリアル』 藤村シシン(著) 実業之日本社
- 『レンブラント 光と影を操る者』 昭文社
- 『メトロポリタン美術館ガイド』 メトロポリタン美術館ミュージアム図書
- 『レンブラント』 ルードヴィッヒ・ミュンツ(著) 八代修次(訳) BSSギャラリー世界の名画
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コメント
コメント一覧 (6件)
石山藤子 (id:genjienjoy)様
連日の夜勤で返信遅くなってしまいました。申し訳ありません。
コメント有難うございました。
『パラス・アテナ』、カッコいいですよね。中性的で、男か女かほんとのところは判らない…。
でも素敵。
同じ想いで良かった(≧◇≦)
神話は大体びっくり仰天エピソード満載ですよね。日本の神話だって、出産時に大火傷、って怖すぎです。
今回も読んで下さって有難うございました。
森下礼 (id:iirei)様
ハイ、段々女神の口元が青く見えて来ましたよ(笑)
レンブラントの絵が焼けてしまったなんて勿体さなすぎます。実は「パラス・アテナ」が『アレクサンダー大王』だったという結論でもいいので、残っていて欲しいです。
書き損じでも未完成でもいい、私もレンブラント1枚欲しい…。アリストテレスや自画像の、あの重厚な、内省に向かう眼差しが、差し込む真理のような光がとても好きです。
興味のないひとから見れば、「壁に老人の絵を掛けて何が楽しいのか」と思われそうですが。
今回も読んで下さって有難うございました。
schun (id:schunchi2007)様
コメント有難うございます。返信遅くなって申し訳ありません。
ニケの実物大のレプリカ(゚д゚)!!!!
みったーい!!!
レンブラントの光、色調は画家の内面を表していそうですよね。複雑にして厳か。レンブラントは全てが素晴らしいです。
今回も読んで下さって有難うございました。
は~、パラス・アテナ凛々しく格好いい…
彼女が誕生した神話は知っていましたが、
改めて読んでみるとハチャメチャですね😅
妻を飲み込んでしまうとか、胎児が頭に移動するとか…
日本神話でも、子どもが天の神の子か確かめるために
炎の中で妻が出産する話とかあります。
どこの国でも、神話ってハチャメチャなのかも😅
最初に出てくる「パラス・アテナ」には、口の上になにやら青いものが見えるのですが(つまりヒゲの剃りあと)、これこそ失われた「アレクサンダー」のようにも見えます。(←珍解釈)。
それにしても、今回貴ブログのレンブラントは、充実していますね。むかし芥川龍之介が言った「絵は大きければよいのではない、私はミケランジェロの”最後の審判”より、レンブラントの”自画像”を、より愛している。」(大意)・・・を、思い出しました。
こんばんは。
レンブラントの光ってホントに光っている感じですよね。
鎧の光かたもすごいo(^o^)o。聖マタイの髪の毛もo(^o^)o。
こういう光方ってどうやって描かれるのかホント不思議です。
ニケの像を見て大学に昔実物大のレプリカがあったなぁ~なんて思い出しました。(笑)。