可憐な白い衣装に身を包み、愛猫を抱く少女。画家シャプランは同じ主題で複数枚制作しています。
『少女と猫』
『少女と猫』( Fillette avec un chat ) 1800年代 シャルル・シャプラン ルーマニア国立美術館蔵
引用元:『少女と猫』 Yelkrokoyade
引用元:『少女と猫』 Sailko CC-BY-SA-3.0
1983年の図録で見て以来、『少女と猫』は「忘れられない一枚」のひとつでした。
ただ、その後、何かの機会で見るたびになんとなく印象が違ったんですよね。
ある時、そう思う原因は少女の表情や眼差しだと気付きました。ああ、同じテーマの絵が何枚か存在するんだーと。
海外のオークションハウスのHPを覗くと、ちょっとずつ表情が異なる「少女と猫」の絵が出品されていることがあります。
私が持っている図録の少女は、上に挙げたルーマニア国立美術館の収蔵品より、もう少し大人びた感じです。
ネコさんを飼っておられる方なら、先にネコさんの違いに気付くのかもしれませんね。
” Der kleine Liebling ” の意味は「小さな最愛のもの」。「最愛の猫」という感じでしょうかね。
引用元:Mädchen mit weißem Tuch und Katze im Arm
” Mädchen mit weißem Tuch und Katze im Arm ” は「白いショールの少女と腕の中の猫」の意味。
こちらのサイトにもまた別の表情を持つ少女が掲載されています
少女と「犬」
” Her Favourite Dog ” は「彼女のお気に入り(の犬)」ですね。
この絵のように、猫ではなく犬を抱いている絵もあります。甘い雰囲気の、可愛らしい表情ですね。
抱かれている猫も犬も、幸せそうに目を閉じています。
画家シャルル・シャプラン ( Charles Joshua Chaplin, 1825年6月8日-1891年1月30日)
引用元:シャルル・シャプラン
英語表記にすると、チャールズ・ジョシュア・チャップリン。
高名な喜劇俳優のチャップリンと間違えられそうですね。
シャルル・シャプランは英国人の父とフランス人の母との間に、ノルマンディー地域圏ノール県のレ=ザンドリで生まれました。
1840年、パリ国立高等美術学校に入学したシャプランはミシェル・マルタン・ドロランから学びました。
共に学んだ仲間に、ポール・ボードリー、ジュール・ブルトン、ジャン=ジャック・エンネルがいます。
シャプランはドロランの弟子として肖像画家、風景画家としてデビューしますが、1851年以降は肖像画に専念。
18世紀ロココの画家フランソワ・ブーシェの影響を受け、官能的な女性像を得意としました。
卓越したデッサン力と, 華やかな色彩を駆使して若い女性の美しさを追求したシャプランは, 「女性を, 18世紀の宮廷画家ブーシェのように優雅に, そしてブーシェより真実味を持って描いた」といわれている。
北海道新聞旭川支社 西武美術館. 『フラゴナールからルノワールへ、フランス近世名作展』. 1983. 西武 旭川.
引用元:『ボードワン夫人の肖像』
画家が娘を描いた作品。次女マリー・エミリー・ブーシェ( Marie-Émilie Boucher )は、ブーシェの弟子ピエール=アントワーヌ・ボードワンと結婚しました。
また、18世紀英国の肖像画家ジョシュア・レノルズ、トマス・ゲインズバラの影響も受けたともあります。( Wikipedia )
He also embraced the tradition of the great English portraitists. He developed his very own style of painting but was inspired by the British painters Joshua Reynolds and Thomas Gainsborough. He used to engrave the works of the Dutch artist Pieter Paul Rubens and gained further influence from his work.
Wikipedia : Charles Joshua Chaplin
(Google翻訳:彼はまた、偉大な英国の肖像画家の伝統も受け入れました。彼は独自の絵画スタイルを開発しましたが、イギリスの画家ジョシュア・レイノルズとトーマス・ゲインズボローに影響を受けました。彼はかつてオランダの芸術家ピーテル・パウル・ルーベンスの作品を彫刻しており、彼の作品からさらなる影響を受けました。)
引用元:『マスター・ヘア』
引用元:『青い服を着た婦人の肖像』
ブーシェやレノルズ、ゲインズバラ好きな私としては何だか嬉しい。
私がシャプランの少女や裸婦像に惹かれる理由は、そんなところにあるのかもしれません。
1886年にフランス国籍を得るまで、シャプランは英国籍でした。
シャプランがローマ賞を得ることができなかったのは、国籍の問題が一因ともいわれているそうです。
1866年、シャプランはパリで女性画家のための美術教室を開きました。育てた弟子にはメアリー・カサットらがいます。
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