ミレーの『塔の中の王子たち』

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石の階段を降りてくる人影…。若い王子たちを待ち受ける運命とは。

『塔の中の王子たち』( The Princes in the Tower ) 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵
『塔の中の王子たち』( The Princes in the Tower ) 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵
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『塔の中の王子たち』( The Princes in the Tower ) 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵

『塔の中の王子たち』( The Princes in the Tower ) 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵
『塔の中の王子たち』 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵

引用元:『塔の中の王子たち』

ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校The Princes in the Tower

『オフィーリア』で有名なジョン・エヴァレット・ミレーの『塔の中の王子たち』。

シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』にインスピレーションを得て描かれた作品です。

寒々しい石造りの塔の中、不安そうな表情で寄り添うふたりの少年(国王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード)。

ふたりの背後、階段の上からは忍び寄る暗殺者の影が…。

『塔の中の王子たち』( The Princes in the Tower ) 1878年 ジョン・エヴァレット・ミレー ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校収蔵
『塔の中の王子たち』 ジョン・エヴァレット・ミレー

引用元:『塔の中の王子たち』

国王エドワード4世の王子たちはそれぞれロンドン塔へ連れてこられました。

1483年の夏までは、庭で遊ぶ姿を目撃されていましたが、その後ふたりは姿を消してしまいます。

一体、王子たちは何処へ行ってしまったのか…。

シェイクスピアの戯曲では、叔父にあたるグロスター公リチャードがふたりを殺害させたことになっています。

エドワード5世から王冠を奪ったリチャードは、国王リチャード3世として即位しました。

ミレーの『塔の中の王子たち』について、1992年の美術展の図録から引用します。

 この作品の制作過程については, J.G.ミレーが父の『伝記』(1899)の中に記している。「父が《ロンドン塔幽閉の王子》に着手したのは1878年の初めの頃で, この作品のために, 父はすでにバーナム(バース州)にあるセント・メアリー塔の陰鬱な階段を描いていた。背景が, 「血生臭い塔」の中の, 二人の少年が暗殺されたとされる場所のように見えないのに不満を持ち, 次の3日間たて続けに私をそこに行かせて, 内部を鉛筆でスケッチさせた。そのスケッチを見て階段を小さく描きすぎたこと, そしてまた, 方向を逆に描いたことが分かり, 自分で出かけていってドローイングした。それから, すでに手をつけていた作品を放棄し, 新しい, もっと大きいカンヴァスで制作を始め, 暗殺された王子たちの死体が発見された場所の様子を正確に描いた」。

 ミレーがこの物語に心を引かれたことは確かだ。彼が得意としていた主題である子供を描くことができたからである。前にミレーのためにモデルを務めたことのあるプロのモデルの息子たちが王子役になった。エドワード王がガーター勲章を身につけているが, これは衣裳史家のJ.R.ブランシェの時代考証によっている。

河村錠一郎(監修). 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 東京新聞. p.132.

階段を「小さく描きすぎ」たり、向きを「逆に」描いたりと、有名な絵画の制作秘話?が興味深いですよね。

1992年のチラシだけですが、別館に掲載してます

少年たちが失踪してから約200年後。

工事中のホワイト・タワーから、人骨のようなものが出てきました。

1674年、チャールズ2世の時代にホワイト・タワーの階段を再建していた際、塔の下で二人の子どもの骨が発見された。後に骨はウェストミンスター寺院に納められ、1933年の調査により、絞殺された14歳と10歳前後の子どもの遺骨だと鑑定された。骨壺には動物の骨も混ざっていたそうで、王子の骨だと証明されたとまでは言えないが、この骨が発見されて以降、ブラッディ・タワーでは幼い王子たちの幽霊が目撃されるようになった。彼らは白い寝間着姿で手をつないで現れるという。彼らの魂が、監禁されていた場所からまだ出られていないのだとしたら悲しい。しかし、少なくとも、兄弟は今も二人一緒にいるようだ。

織守きょうや(文). 山田佳世子(イラスト). 2023-4-27. 『英国の幽霊城ミステリー』. 株式会社エクスナレッジ. pp.53-54.

ふたりの王子たちは本当に「殺されて」しまったのでしょうか。

『英国の幽霊城ミステリー』には、塔の窓から外を眺める少年たちの可愛い後ろ姿が描かれています。

『若きイングラド王エドワード5世と弟のヨーク公リチャード』( Édouard V, roi mineur d’Angleterre, et Richard, duc d’York, son frère puîné (1483), dit Les enfants d’Édouard ) 1830年 ポール・ドラローシュ ルーヴル美術館蔵

ミレーより前に、ロンドン塔で過ごす王子たちの不安そうな様子を、フランスの画家ドラローシュも描いています。

 この幼きプリンスたちの「塔」での生活を、フランスの画家ドラローシュが描いているのは有名で、漱石の『倫敦塔』もその絵を参考にして描かれたふしがある。天蓋つきの「王者にふさわしい」寝床の端に、兄エドワード王が腰を下ろし、その脇に弟のヨーク公が寄りそい、兄のひざの上に聖書らしき書物がひろげられている。

出口保夫(著). 1993-7-25. 『ロンドン塔 光と影の九百年』. 中公新書. p.84.

『ロンドン塔の若き王と王子』 1831年 ポール・ドラローシュ ルーヴル美術館蔵
『若きイングラド王エドワード5世と弟のヨーク公リチャード』 1830年 ポール・ドラローシュ ルーヴル美術館蔵

引用元:『ロンドン塔の若き王と王子』

ルーヴル美術館Édouard V, roi mineur d’Angleterre, et Richard, duc d’York, son frère puîné (1483), dit Les enfants d’Édouard

ルーヴル美術館にあるドラローシュの作品『殉教の娘』『エドワード5世とヨーク公』ドラローシュの歴史画(ドゥノン翼)

ドラローシュの有名な絵画ポール・ドラローシュ 最後の作品『若き殉教者』

ミレーとドラローシュの作品は『名画で読み解く イギリス王家 12の物語』(光文社新書)で見ることができます

戯曲『リチャード三世』の中のふたりの王子たち

戯曲『リチャード三世』をざっくり一言でいうなら、この言葉がいいかなと。

「敵のみならず身内をも次々に血祭りにあげて王座にく悪党リチャードの物語」(『シェイクスピア ハンドブック』(三省堂))

舞台は15世紀後半のイングランドです。

ランカスター家との「薔薇戦争」に勝利したヨーク家が歓び祝う裏で、世の中に不満を持つリチャードは、悪党となり自らが王位に就くことを宣言します。

敵だけでなく、次兄も暗殺するリチャード。

リチャードは長兄エドワード4世の子どもたちは全て私生児であるとの虚偽の情報を流し、ふたりの王子たちを亡き者にしようとします。

リチャードの命を受け、抱き合って眠る王子たちに近づく暗殺者たち…。

『ロンドン塔の王子殺害』 ジェイムズ・ノースコット 1786年
『ロンドン塔の王子殺害』( Murder of the Princes in the Tower ) 1786年 ジェイムズ・ノースコット ナショナル・トラスト蔵

引用元:『ロンドン塔の王子殺害』

戯曲のなかで、ふたりの王子たちを殺害したのは、ダントンとフォレストという悪党たちとなっています。

 暗殺者たちの話によると、そのとき二人の少年は、互いに抱き合い、頬と頬をすりよせて、無邪気そのものの寝顔ですやすや寝入っていたといいます。その唇はふくいくと咲くバラの花びらのよう、そして一冊の祈禱きとう書が枕元にぽつんと置かれていました。さすがの暗殺者たちも思わずほろりとしましたが、仏心を振り切って、哀れな二人の少年をあっというまに絞め殺してしまったのです。

桐生操(著). 2000-11-5. 『きれいなお城の呪われた話』. ワニ文庫. p.100.

リチャード3世が王子たちをロンドン塔に入れたこと。婚外子である彼らに王位継承権はないと主張し、自らが王位に就いたこと。王子たちがロンドン塔内から消えたこと、は史実。

しかし、「反リチャード3世」側の作家シェイクスピアの『リチャード三世』にはフィクションの部分も多く、「歴史家からは疑義が多い」(『名画で読み解く イギリス王家 12の物語』)

リチャード3世は本当に王子たちを暗殺させたのでしょうか。

リチャード3世(在位:1483年6月26日 - 1485年8月22日) 1520年頃
リチャード3世(在位:1483年6月26日 – 1485年8月22日) 1520年頃

引用元:リチャード3世

戯曲ではリチャードの姿は「醜悪」とされています。

上の肖像画はリチャード3世が亡くなった後に描かれたものですが、生前のリチャードの姿に基づいているという話があります。

いや、醜悪じゃないじゃん。それどころか、むしろ賢そう。いっそ凛々しくない?

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下は『リチャード三世』でボズワースの戦いに敗北するリチャード。

英国の画家ホガースが、リチャード3世を演じる名優ギャリックを描いています。

『リチャードⅢ世を演ずるデイヴィッド・ギャリック』( David Garrick as Richard III ) 1745年 ウィリアム・ホガース ウォーカー・アート・ギャラリー蔵
『リチャード三世を演ずるデイヴィッド・ギャリック』 1745年 ウィリアム・ホガース ウォーカー・アート・ギャラリー蔵

引用元:『リチャード三世を演ずるデイヴィッド・ギャリック』

ウォーカー・アート・ギャラリーDavid Garrick as Richard III

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ドラローシュの王子たちは天蓋付きのベッドで身を寄せ合いますが、ミレーは薄暗く殺風景な場所で立ち尽くすふたりを描いています。

背景にはほとんど何の小道具も置かず、ひんやり薄暗い牢獄の地下を暗示することで、少年たちの寄るなさが強調される。彼らを殺した真犯人へのほのめかしもない。ミレイの時代には研究も進み、リチャード三世はわずか二年の治世ちせいではあったが善政を敷き、甥を殺したのではないとの説も有力になっていたからかもしれない。

中野京子(著). 2017-11-10. 『名画で読み解く イギリス王家 12の物語』. 光文社新書. p.20.

もしふたりが殺されていたとしたら、真犯人は…。

殺害を命じたのがリチャード3世でなかったなら、他に容疑者として名前が挙がるのが、ボズワースの戦いでリチャードを破り、王冠を手に入れたヘンリー7世です。

イングランド王ヘンリー7世(Henry VII, 1457年1月28日-1509年4月21日) ネーデルラントの画家、作者不詳  1505年 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵 1505年 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
イングランド王ヘンリー7世(Henry VII, 1457年1月28日 – 1509年4月21日) ネーデルラントの画家、作者不詳  1505年 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:『ヘンリー7世』

ナショナル・ポートレート・ギャラリーKing Henry VII

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ランカスター家の流れを汲むヘンリーは王の座を確かなものにするため、エドワード4世の娘でふたりの王子たちの姉にあたるエリザベスを妻に迎えました。

後世の肖像画ですが、エリザベスはヨーク家のシンボルである白薔薇を手にしています。

エリザベス・オブ・ヨーク(1466年2月11日-1503年2月11日) 16世紀末 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
エリザベス・オブ・ヨーク(1466年2月11日 – 1503年2月11日) 16世紀末 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:エリザベス・オブ・ヨーク

ナショナル・ポートレート・ギャラリーElizabeth of York

実際のリチャードは、兄のエドワード4世から厚い信頼を得ていたそうです。

『きれいなお城の呪われた話』によると、少年王エドワード5世がロンドン塔に移ったのも、「当時のロンドン塔は王宮のひとつで、その一隅に牢獄や処刑場があっただけのことなので、周囲の者たちも別に変には思わなかったよう」だとのこと。

そして「!」と思うのは、リチャード3世と王位の間には10人近い障壁が横たわっていたという話。

じゃあ、リチャードが少年王を殺しても、すぐに王になれるわけでは…。

詳しい話は

失踪した王子は何処へ

王子たちは一体誰に、何処で殺害されたのか。

幽霊も目撃されているしそれっぽい骨も出て来ているし、…「殺された」んだよね?

ふたりが1483年夏以降「姿を消した」のは事実ですが、発見された骨が彼らのものであるという調査結果は出ていません。

この王子たちがどうなったのか、私たちも興味ありますよね?

多くの考察がなされ、書籍などもたくさん出ています。以下に一部を掲載しました。

少年王エドワード5世は、ロンドン塔で殺されたのではなく、叔父リチャード3世によって保護され、田舎で余生を送った可能性もあるとされています。

それはそれで面白くないですか?

シェイクスピアとは別のミステリーが書けそうです。

主な参考文献
  • 織守きょうや(文). 山田佳世子(イラスト). 2023-4-27. 『英国の幽霊城ミステリー』. 株式会社エクスナレッジ.
  • 出口保夫(著). 1993-7-25. 『ロンドン塔 光と影の九百年』. 中公新書.
  • 桐生操(著). 2002-11-5. 『きれいなお城の呪われた話』. ワニ文庫.
  • 中野京子(著). 2017-11-10. 『名画で読み解く イギリス王家 12の物語』. 光文社新書.
  • 河村錠一郎(監修). 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 東京新聞.
  • 河村錠一郎, 小林章夫(訳). 2010-7-10.『シェイクスピア ハンドブック』. 三省堂.
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