パステル画家モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥールのポンパドゥール侯爵夫人の全身像。そこに描き込まれた百科全書についても。
『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』( Portrait en pied de la marquise de Pompadour ) 1752年 – 1755年の間 モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール
引用元:ポンパドゥール夫人
, INV 27614, Recto(※グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Portrait en pied de la marquise de Pompadour
読書家。ファッションセンス良し。歌唱力有り。宝石彫刻や版画も上手。才色兼備と謳われた、国王の公式の愛人 ポンパドゥール女侯爵(1721年 – 1764年)の肖像画です。
彼女自身が「(女)侯爵」ですが、ここでは、広く知られている「ポンパドゥール(侯爵)夫人」を採用しています。
貴族ではなく、ブルジョワ階級の出身でしたが、政治に関心の薄い国王に代わって政治に介入しました。
177.5 × 131 cm という等身大の作品ですが、これ、紙にパステルで描かれているんです。
肌、衣装、紙の質感がスゴ過ぎでは。
「輝く美貌と才知豊かな女性の魅力をあますところなく描いたこの絵を、画家はパステルが油彩に劣らないことを示すために描いたとされる。」(『ルーヴル・美と権力の物語』)とありました。
はい、パステルが油彩に劣らないことを見事に証明しています。
描いたのは、パステル画の名手といわれたフランスの画家 モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥールです。
ポンパドゥール夫人の机の上には、百科全書の第4巻(ディドロ、ダランベール)、『アンリヤード』( Henriade ヴォルテール)、『法の精神』( De l’esprit des lois モンテスキュー)、『忠実な羊飼い』( Il Pastor Fido )、地球儀などが置かれています。
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』 Sailko CC-BY-3.0
ポンパドゥール夫人は、ディドロらがまとめた百科全書がイエズス会に発刊を妨害されたとき、出版長官のマルゼルブとともに出版を助けたことが知られています。
啓蒙思想の蔵書以外に、「ポンパドゥール」の署名入りの版画、足許にあるスケッチ挟み、手にしている楽譜、背後に置かれた楽器などが、ポンパドゥール夫人の興味が絵や音楽にも向いていることを示しています。
椅子や机などの家具、絨毯も趣味が良い。
絵の中のポンパドゥール夫人の衣装は、デコルテが大きく開いたローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風衣装)。
コール・ア・バレヌ(コール・ア・バレーヌ)と呼ばれる下着で下から乳房を持ち上げています。
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』 Sailko CC-BY-3.0
『世界服飾史のすべてがわかる本』によると、ポンパドゥール夫人はドレスの下に、パニエとコール・ア・バレヌ( Corps à baleines )を着用しています。
引用元:A pair of stays Ludi Ling CC-BY-SA-3.0
張り骨の入った部分に何本もステッチをし、細く削った鯨の髭が1本ずつ挿入されているコール・ア・バレネ。張り骨の長さや方向はその人の動作や筋肉の動きによって決められた。
能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社. p.93.
魅惑的な胸元を作るコルセット。
ディドロとダランベールの百科事典にも掲載されています。
引用元:Diderot corsets
「18世紀半ばのコルセットのパターンとモデル」としてWikipediaに掲載されている画像には、「ディドロとダランベールの百科事典の補遺彫版図第22版(1767年)」と説明がありました。
ポンパドゥール夫人は、常に自分が周囲にどう見られているか細心の注意を払っていました。
ルーヴル美術館の解説に、「夫人はおそらくラ・トゥールに、自分が着ていた豪華なフランス製のドレスを貸したのでしょう。」とあります。
ルーヴル美術館 Portrait en pied de la marquise de Pompadour
手触りの良さそうなシルク。光沢が眩しいですね。
夫人は画家に蔵書を描き込ませることにより自分の知性や先見性を示し、このような上等なドレスによって、自身のファッションセンスや、絹織物やレースなどの品質の高さを見せつけています。
袖は高級レースを重ねた「アンガジャント」で、3列のバランシエンヌレースまたはアランソンレースのようです。
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』 Miguel Hermoso Cuesta CC-BY-SA-4.0
こちらはブーシェのポンパドゥール夫人の衣装
フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』 Sailko CC-BY-3.0
履き物はロココ貴婦人の定番 ミュールでしょうか。
18世紀のミュールを掲載
ロココ貴婦人のミュールとジャン・オノレ・フラゴナールの『ぶらんこ』
ラ・トゥールが本作を完成させるまでには数年の月日がかかりました。
ルーヴル美術館には、ラ・トゥールによる、準備用のデッサンも収められています。
『ポンパドゥール夫人』( Préparation présumée pour le visage de Madame de Pompadour ) 1751年頃 モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール
引用元:『ポンパドゥール夫人』
, RF 54682, Recto(※グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Préparation présumée pour le visage de Madame de Pompadour
本作は「おそらく、ポンパドゥール夫人の全身像を描いた大きなパステル画の準備」(Google翻訳)ということです。
モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥールの作品を多く収蔵しているアントワーヌ・レクイエ美術館にも、ポンパドゥール夫人の全身肖像画のためのデッサンが収められています。
全身肖像画用のためのデッサン(アントワーヌ・レクイエ美術館)
引用元:ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』
, LT 12 Portrait de la marquise de Pompadour
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』
, LT 71 Portrait de la marquise de Pompadour
Portrait de la marquise de Pompadour に、「頭部を切り取って、背景を形成する紙に貼り付けられている。」「頭だけを左に4分の3回転させ、青い目を左に向けており、粉をつけた髪と裸の襟を示している。」とありました。
髪の色が灰色に見えるのは、当時振られていた髪粉のせいだったんですね。
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人』
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール( Maurice Quentin de La Tour, 1704年9月5日 – 1788年2月17日)
Maurice Quentin de La Tour ピカルディー美術館蔵
フランス北部出身の画家、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールは、1724年頃、パリに出て活動し始めました。
イタリアの女性画家 ロザルバ・カッリエーラのパステル画に刺激を受けてパステル画を描き始め、その技法を確立します。
引用元:ルイ15世の肖像
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ラ・トゥールは、国王ルイ15世やその家族の肖像画も描いています。
ルーヴル美術館の解説に、ラ・トゥールは「ルイ15世からポージングセッションを数回受けた稀有な肖像画家の一人でした。これはめったに与えられない稀な栄誉でした。」(Google翻訳)と書かれています。
引用元:ルイ15世の肖像
, INV 27615, Recto(グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Portrait de Louis XV (1710-1774); roi de France.
1745年と1748年に、ラ・トゥールは国王の肖像をサロンに出品。
現存しているこの作品が、1748年にサロンに出品されたもののようです。
甲冑の光沢が素晴らしいですね。 鉄そのものを貼り付けてるんじゃないかと思ってしまうほどです。
誇り高いラ・トゥールは、王がモデルとして座る部屋が気に入らず文句をいうと、王が「ここなら誰にも邪魔されないと思った」と弁解した、というエピソードがあります。
(『ルーヴル・美と権力の物語』、『NHK ルーブル美術館 Ⅳ フランス芸術の華』など)
ラ・トゥールのポンパドゥール夫人の肖像画は、1755年の美術サロンに初めて出品されました。
おそらく、ポンパドゥール夫人が弟に宛てた手紙の中で、画家の筆ののろさに少しばかり愚痴をこぼしていた肖像画とは、この作品のことであろう。
一八三〇年に批評家のサント=ブーヴは、ポンパドゥール夫人に関する評論の中で、といっても正確にいうとオーセ夫人の回想録の書評であるが、ラ・トゥールの肖像画のためにポンパドゥール夫人みずからが、舞台監督さながら適切な小道具を選んだその周到ぶりに感服している。本のタイトルまできちんとわかるように描かれており、『百科全書』四巻、十六世紀後期の有名な牧歌喜劇『忠実な牧童』、それから、かのモンテスキューが政治や社会の問題を鋭い洞察力で描き出した『法の精神』が置かれている。ヴォルテールの初期の叙事詩『アンリヤード』まである。ポンパドゥール夫人は手に楽譜を持っており、宝石職人ジャック・ギュエとの創作を思わせる素描もみられる。つまり、この肖像画は、彼女の知的生活の縮図ともなっているのである。
マーガレット・クロスランド(著). 廣田明子(訳). 2001-12-1. 『侯爵夫人ポンパドゥール夫人 ヴェルサイユの無冠の女王』. pp.209-210.
さすがポンパドゥール夫人、演出もぬかり無し。
ルーヴル美術館の解説に、「1752年に描き始めたこのパステル画は、1755年のサロンに出品するためにようやく完成した」とあります。
完成まで、結構時間がかかったんですね。
一部引用します。
Sans doute commandé à Delatour dès 1751, commencé en 1752, le pastel ne sera achevé que pour figurer au Salon de 1755. L’artiste n’avait consenti à faire ce portrait qu’après de longs pourparlers avec le Marquis de Marigny, directeur des bâtiments du Roi et frère de la Marquise. Seule la tête dut être exécutée devant le modèle, ce qui explique qu’elle soit dessinée sur une feuille de papier rapporté. La Marquise est représentée ici auprès de divers attributs symbolisant la littérature, la musique, l’astronomie, la gravure et évoquant son rôle de protectrice des Arts.
「1751年にデラトゥールに注文され、1752年に開始されたが、このパステル画が完成したのは1755年のサロンに出展するためだった。画家は、国王の建物の監督者であり、侯爵夫人の兄でもあるマルキ・ド・マリニーと長い交渉を経て、この肖像画の制作を了承した。肖像画の頭部のみがモデルの前で描かれたため、その部分が別の紙の上に描かれているのが特徴である。侯爵夫人は文学、音楽、天文学、版画を象徴するさまざまな属性のそばに描かれており、彼女の芸術保護者としての役割がうかがえる。」( Copilot翻訳)
ルーヴル美術館 Portrait en pied de la marquise de Pompadour
名前が挙げられているマリニー侯爵はポンパドゥール夫人の実弟です。 建築長官を務め、ルイ15世からも「弟」と呼ばれて可愛がられました。
多忙なポンパドゥール夫人のことだから、モデルとして時間を作ることも大変だったのでは、と思っていたら、解説中に、
「一部の美術史家は、ラ・トゥールが侯爵夫人の面前でパステル画を描いたのではないかと想像させました。これは決して事実ではありませんでした。というのは、まったく単純に、侯爵夫人が望んで与えた作業セッションの目的は、ラ・トゥールが彼女の顔の特徴を修正できるようにすることだけでした。全身肖像画は、間違いなく 1754 年を通じて、そして翌年の初めに工房の静寂の中で制作されましたが、この巨匠は以前から大きな需要があったのです。 」(Google翻訳)
との説明や、ポンパドゥール夫人がモデルになっているところへ入室してきたルイ15世に文句を述べる件(くだり)もあり、ラ・トゥールの仕事ぶりを垣間見ることができます。
ラ・トゥールについて、『フランス絵画史』では、
相貌の特徴を正確にとらえる卓越した表現力とともに、モデルの性格や心理を生き生きと伝えるその鋭い洞察力は、まさしく人間の世紀を代表する藝術家にふさわしいものである。彼自身、「人は皆、私が顔の特徴だけをとらえていると思っている。しかし私は、彼らの心の内部まではいり込んでいって、そのすべてを引き出してくるのだ」と語っているが、それは必ずしも単なる自負だけではない。
高階秀爾(著). 2019-9-9. 第29刷. 『フランス絵画史』. 講談社学術文庫. p.146.
とあり、自信に満ちた自画像やポンパドゥール夫人、ダランベールらの顔を見ると納得します。
, RF 54298, Recto(※グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Autoportrait à l’index.
ダランベールとディドロの肖像
, RF 3893, Recto(※グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Portrait de Jean Le Rond d’Alembert ( 1717-1783).
ジャン・ル・ロン・ダランベールは、フランスの哲学者、数学者、物理学者です。 ドゥニ・ディドロらとともに、百科全書の編纂に携わりました。
下は、ルイ=ミシェル・ヴァン・ローによるドゥニ・ディドロです。 知人だったダランベールの協力を得て、百科全書の編纂に尽力しました。
引用元:ドゥニ・ディドロ
シュリー翼928展示室 ; RF 1958 Denis Diderot (1713-1784), écrivain
王室コレクション公開
1750年10月14日、リュクサンブール宮で、王室コレクションの展示が始まりました。
ディドロらの要請やサロンからの圧力により、ルイ15世は所有する油彩画のうち、居室に飾られていない110点を選び、公開展示させたのです。
この時が、入口で解説カタログを売る美術館形式で王室コレクションを見せた欧州で最初の例となった。
展示は成功し、一七七七年まで開かれた。マリニー建築長官は一七六八年、ルーヴルに王室コレクションを移し、展示するため、ルイ十五世にルーヴルの改修を提言し、計画案は認可を得たが、財政難で実現しなかった。ディドロは百科全書の「ルーヴル宮」の項目で、グランド・ギャラリーを美術館に改装し、王室コレクションを予約制で一般公開するよう提案して、世論に訴えた。
小島英熙(著). 平成6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー.p.124.
ルーヴル美術館史における重要な1ページですね。 公開された絵画を観に行った人たちの感想を聞いてみたいです。
また、ここでもポンパドゥール夫人の弟 マリニー侯爵の名がまた出て来ました。
ポンパドゥール夫人にも興味がありますが、このマリニー侯爵というひとにもとても興味がありますので、名前が出てくるとつい注目してしまいます。
百科全書解禁
その出版に対し、イエズス会から圧力を受けていた百科全書。
ポンパドゥール夫人は百科全書を擁護し、刊行を支援しますが、国王ルイ15世は政治にも書物にも関心は薄い。
ルイ15世には、この事業の「価値」がわからなかったようです。
百科全書の発禁が解かれた経緯について、マックス・フォン・ベーン著『ロココの世界 十八世紀のフランス』(飯塚信雄(訳). 三修社.)、『侯爵夫人ポンパドゥール夫人 ヴェルサイユの無冠の女王』を参考にご紹介します。
トリアノンでの、ある晩餐の席のこと。 待客の間で、射撃の火薬の調理法(調合?)が話題にのぼります。
読書家で、教養のあるラ・ヴァリエール公爵が、もっと良い割合での作り方を披露します。
ニヴェルネ公爵が、「そんなことを知らなくても、私たちは毎日狩りに出かけられるではありませんか」というと、ポンパドゥール夫人が「絹靴下はどのようにして作られるのでしょうか」と訊ねました。
「そのようなことは全書にみな書いてあります」とラ・ヴァリエール公が答えます。
王は書斎から本を持ってこさせ、皆で「火薬」の内容を確認すると、ラ・ヴァリエール公が正しかったことが判りました。
ポンパドゥール夫人が、「王様はご自分だけが何でも知っておられたいばっかりに全書をお禁じになさったらしゅうございますわね」というと、王は王権について全書にあらゆることが書かれているのを読み、感心しながらも、「中には間違いもたくさんあろう」といいます。
すると、コワニー伯が、「今日の夕食にできそこないのラグー(シチュー)が二種類出ましたが、結構食べられました。すぐに窓から放り出すようなことはいたしませんでした」と答えました。
全書の発禁はこうして解かれたということです。
こちらも参考になります
ポンパドゥール夫人の死
1764年4月15日。
以前から健康が悪化していたポンパドゥール夫人は、その夜、自室で息を引き取りました。
葬儀の日、王は涙を流し、王妃は素っ気無かったと伝えられています。
友人 ヴォルテールは、夫人の死を悼んでいます。
引用元:ヴォルテールの肖像
ヴォルテールは亡くなった友人を心から悼み、侯爵夫人は人の助けになることを願い、いつも公正な人だったと、デュ・デファン夫人に宛てて書いている。そして、ポンパドゥール夫人は啓蒙思想家だったとくりかえし述べた。しかし悲しいことに、その啓蒙思想家のひとりディドロは夫人を理解せず、彼女がなすことをすべて批判し、とりわけ七年戦争における彼女の行為を非難した。彫刻家のブーシャルドンが彼女を愛の女神とみたてて彫った彫像、ギュエが夫人と共同で制作した宝石細工の数々、ヴァン・ローによる肖像画、ラ・トゥールが描いた現在ルーヴル美術館所蔵のパステル画 ― これらのものすべてをディドロは軽んじて、夫人のことはさらにとるにたらない存在とみなしていたことは、実に残念である。
マーガレット・クロスランド(著). 廣田明子(訳). 2001-12-1. 『侯爵夫人ポンパドゥール夫人 ヴェルサイユの無冠の女王』.原書房. p.250.
文中に出てくるヴァン・ローは、『女庭師に扮したポンパドゥール夫人』を描いた、夫人お気に入りの画家 カルル・ヴァン・ローかと思います。
カルル・ヴァン・ロー、ブーシェによる肖像画はこちらに掲載
フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装
『百科全書』をかばい、世に送り出すことに一役買った夫人を、そっかー。ディドロはそんな風に思ってたんだー、という感想。
今回、かつて歴史の授業で習った「啓蒙思想」や「法の精神」、ディドロ、ヴォルテールなどの名前が出てきましたが、ラ・トゥールの作品のなかでも有名な絵をもうひとつ挙げたいと思います。
教科書にも載っているフランスの思想家 ルソーの肖像です。
引用元:ジャン=ジャック・ルソー
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ラ・トゥールの名前を知るよりずっと早く、この肖像画を見ていました。
誰が描いたかなんて、その頃は気にもしていませんでした。
ですので、かなり後になってから、「あ、この絵って、ポンパドゥール夫人を描いたのと同じ、ラ・トゥールが描いてたのか」と思いましたね。
平民から王家まで、多くの人びとの肖像画を手掛けたラ・トゥール。
晩年は精神を病み(老人性認知症?)、家族が故郷のサン・カンタンに連れて帰りました。
そして1788年2月永眠。
サン・カンタンには、ラ・トゥールのパステル画や美術品を納めたアントワーヌ・レクイエ美術館(またはアントワーヌ・ルキュイエ美術館 Musée Antoine-Lécuyer )があります。
- 能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社.
- マーガレット・クロスランド(著). 廣田明子(訳). 2001-12-1. 『侯爵夫人ポンパドゥール夫人 ヴェルサイユの無冠の女王』.原書房.
- 高階秀爾(著). 2019-9-9. 第29刷. 『フランス絵画史』. 講談社学術文庫.
- 小島英熙(著). 平成6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー.
- 高階秀爾(監修・責任編集). 昭和61-3-20. 『NHK ルーブル美術館 Ⅵ フランス芸術の華 ルイ王朝時代』. 日本放送出版協会.
- マックス・フォン・ベーン(著). 飯塚信雄(訳). 2000-11-10. 『ロココの世界 十八世紀のフランス』. 三修社.
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