18世紀、パリで流行したカッリエーラのパステル画。ここでは有名人の肖像画を集めてみました。

画家ロザルバ・カッリエーラ( Rosalba Carriera, 1675年10月7日 – 1757年4月15日)
ロザルバ・カッリエーラ自画像

引用元:自画像
ヴェネツイァ生まれのロザルバ・カッリエーラ。
カッリエーラの母親はヴェネツィアンレースの職人でした。
『美術手帖』(1976年5月号 vol.28 no.4)によると、最初カッリエーラは母親のレース編みのための下絵を描いていましたが、画家から絵の手ほどきを受けた後、ジァン・アントーニオ・ラッザリからパステルの画法を教えられたそうです。
当時パステル画はまだ油彩画の複製に用いられていた画材にすぎなかったが、彼女の創意的画法の開発によって、飛躍的な発展をとげることとなった。
大島清次. 『美術手帖』. 1976年5月号. vol.28 no.4. p.89.
1716年、フランスの美術コレクターであるピエール・クロザと出会い、一家でフランスにやってきます。
この事はフランスの絵画史に大きな影響を与えました。
王侯貴族の肖像画
「女帝」マリア・テレジア

引用元:マリア・テレジアの肖像
オーストリアの「女帝」、マリー・アントワネットの生母、マリア・テレジアの若い頃の肖像画です。
柔らかなパステルで描かれ、きらめく装飾品も美しく、優美な絵ですね。
マリア・テレジアの母「白き肌のリースル」

引用元:エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの肖像
神聖ローマ皇帝カール6世の妻で、マリア・テレジアの生母。
愛称は「リースル」。
美しい白い肌の持ち主で、カール6世に愛された女性です。
カッリエーラのパステル画を見て、納得ですね。
マリア・テレジアのいとこ マリア・ヨーゼファ


引用元:ポーランド王アウグスト3世
マリア・テレジアのいとこ、マリア・ヨーゼファは、アウグスト強王の跡取りであるポーランド王アウグスト3世と結婚しました。
アウグスト3世は、ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト2世です。
父アウグスト強王は磁器製作に熱心でしたが、息子のアウグストは絵画収集に熱心でした。
ドレスデンでラファエロやレンブラントなどの名作が鑑賞できるのは、彼の審美眼のおかげということですね。
アウグスト3世の「王妃に枯れない花を贈りたい」ということで、マイセン磁器は可憐な「スノーボール」と呼ばれる花を産み出します。
マイセン磁器の国の王様と王妃様

ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンは、マリア・ヨーゼファとアウグスト3世の長男として生まれました。
生まれつき病弱で片足が不自由だったため、マリア・ヨーゼファはフリードリヒ・クリスティアンの弟を選帝侯位を継がせたかったようです。
父の死に伴い 1763年にザクセン選帝侯となりますが、その 2ヶ月後に亡くなりました。
少年時代のルイ15世

引用元:ルイ15世の肖像
この可愛らしい男の子は、フランス国王ルイ15世です。
ルイ15世は美男で有名でしたが、子どもの頃から可愛かったんですね。
父、祖父を早くに亡くし、曾祖父ルイ14世の崩御で、わずか 5歳で即位しました。
ルイ15世の息子、王太子ルイ・フェルディナンも 30代半ばで病没します。
ルイ・フェルディナンの 2番目の妻で、ルイ16世の母となったのが、マリア・ヨーゼファ夫妻の娘のひとり・マリア・ヨーゼファ・カロリーナ・エレオノール・フランツィスカ・クサヴェリア・フォン・ポーレン・ウント・ザクセンです。
下の皇太子妃マリア・ヨーゼファの肖像画はナティエが描いています。

引用元:マリア・ヨーゼファ・カロリーナ・エレオノール・フランツィスカ・クサヴェリア・フォン・ポーレン・ウント・ザクセン
著名人の肖像画
アントワーヌ・ヴァトー

引用元:アントワーヌ・ヴァトーの肖像
田園に男女が集い、優雅に恋を語らう情景を描いた「雅宴画」のジャンルを確立。
フランソワ・ブーシェらロココの画家に大きな影響を与えましたが、病気のために若くして亡くなりました。
この有名な肖像画はカッリエーラの手によるもの。
ヴァトー自身にも彼の作品のような、儚げな雰囲気が漂いますね。
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ピエール・クロザ

引用元:ピエール・クロザの肖像
フランスの投資家、美術収集家。
1710年、故郷から再びパリに戻ったヴァトーはピエール・クロザと出会います。
ピエール・クロザの所有するヴェネツィア派、フィレンツェ派の絵画・素描を観たヴァトーはそれらを模写。
やわらかく、情感にあふれた画風を自分のものにします。
1716年、クロザと知り合ったカッリエーラはクロザの勧めで一家でパリに移住します。
メルシオール・ド・ポリニャック枢機卿

ルイ16世妃マリー・アントワネット関連で、「ポリニャック夫人」という名前に聞き覚えがありませんでしょうか。
このメルシオール・ド・ポリニャック枢機卿は、「ポリニャック夫人」が結婚していた夫ジュールの大叔父にあたります。
ポリニャック枢機卿の失脚後、ポリニャック家は権力の中枢から遠ざかっていました。
しかし、王妃の寵愛を得たポリニャック夫人は莫大な財産と大きな権力を手にし、ポリニャック一族は再び要職を独占しました。
ポリニャック夫人の肖像
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 1782年の自画像と『ポリニャック公爵夫人の肖像』
『化粧』( La toilette ) 1742年 フランソワ・ブーシェ

引用元:『化粧』
ヴァトー、フラゴナールと、ロココ期の重要な画家のひとり、フランソワ・ブーシェの絵画『化粧』です。
舞踏会にでも行くのでしょうか、貴婦人が身繕いをしています。
室内には当時流行のオリエンタル気分の調度品が多いですね。
さて。女性たちの後ろに置かれた日本風の屏風をご覧くださいませ。
上に、ちらりと覗く絵がありますよね。
それがこちらの絵、パステルで描かれたカッリエーラの自画像です。

引用元:Artsy
ブーシェの、ロザルバ・カッリエーラに対するリスペクトを感じます。
パリで大成功を収めた後、カッリエーラは1721年にヴェネツィアに戻りました。
1730年に神聖ローマ皇帝カール6世に招かれ、半年間ウィーンに滞在します。
そこでカール6世から注文や支援を受け、この時皇女だったマリア・テレジアに絵を教えたと言われています。

引用元:自画像
個人的に好きな自画像です。自信と力強さを感じます。
カッリエーラは1750年代に白内障で失明。
1757年にヴェネツィアで亡くなりました。
カッリエーラはパリには約1年程滞在したようですが、ちょうどルイ14世の治世が終わり、世の中は雅(みやび)で華やかな「ロココ」文化に向かっていました。
そんな空気と相まってか、
軽妙で多彩で繊細なパステルの彩調が、そのままヴァトーの雅宴画の世界に共通し、さらにフランス第一流のパステル画家クァンタン・ド・ラトゥールの出現をも促すところになった。
大島清次. 『美術手帖』. 1976年5月号. vol.28 no.4. p.89.
パステル画の名手 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール( Maurice Quentin de La Tour, 1704年9月5日 – 1788年2月17日)

Maurice Quentin de La Tour ピカルディー美術館蔵
パステル画といえば、この画家の名前が挙がります。
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、フランス北部出身の画家です。
パリで大流行していたカッリエーラのパステル画に感化されたラ・トゥールはパステル画の技法を確立。
晩年は精神を病みましたが、素晴らしい作品を残しました。
弟子にジョゼフ・デュクルーがいます。
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引用元:ポンパドゥール夫人
Portrait en pied de la marquise de Pompadour ルーヴル美術館
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引用元:ルイ15世
Portrait de Louis XV (1710-1774); roi de France. ルーヴル美術館
- 『美術手帖』. 1976年5月号. vol.28 no.4.
- 諸川春樹(監修). 2006-7-25. 『西洋絵画史 WHO’S WHO』. 美術出版社.
コメント
コメント一覧 (2件)
ぴーちゃん様
私もwebや画集で見ると、ぱっと見よくわかりません。
自分が見る分には「美しければナンデモイイ」のが正直なところなのですが、パステルでこんな表現ができるというのはやっぱりすごいですよね。できれば今すぐ間近で、紙の上の画家の筆致、痕をがっつり観たいです。
他の少女時代のマリア・テレジアの絵を見ても、彼女は綺麗だったと思います。威厳に満ち、貫禄のある姿が印象に残っていますから、嬉しい驚きですよねえ( ̄▽ ̄)。
はい、男性の髪はかつらだったと思います。
『ウィリアム・ホガース 18世紀の『当世風の結婚』(ファッションで見る『第一場』、室内装飾で見る『第二場』)』 https://hannaandart.com/entry/2020-02-15-121352
この記事でも少し書きましたが(お暇があったら覗いてみてくださいませ)、1740年代のロココ期に活躍した英国人画家ホガースの絵に出てくる「父親たち」が似たようなかつらを着けています。
(ちなみに、このちょっと前の時代のルイ14世は人前で絶対にかつらを取らなかったそうです。)
おおげさなかつらを取った状態のアウグスト3世は別記事で見ていただくことができます。
ラ・トゥールの自画像に描かれている髪型はバッグウィッグといいまして、束ねた髪を後ろで黒い袋に入れています。
ベルばらに出てくる男性貴族は確かリボンで結わえていたような(笑)。
ぴーちゃんの疑問は私の疑問です。
私はあのヘアスタイル、地毛だとずっと思っていましたもん。
昔、他大学に聴講に行った際、専門家の教授が映画でもって説明してくれました。
確かにロココの男性貴族はお洒落の仕上げにばふばふと髪粉を振りまき、情事の際にはかつらを取っていました。(衝撃!)
中国の辮髪、我が国の月代、彼の国のモヒカン、地球上には様々な髪型、考え方が存在するんだと改めて思いました。
かつらの歴史なんて知らなくても生きて行けますが、今まで私がひとり面白がって調べていたことを、他の「知りたい」誰かに届けば嬉しいなあと思って書き続けているブログです。
私の知っている範囲のものでしたらお答えしますので、ぜひお知らせください。
Wordpressに移行したとき崩れてしまったレイアウトの編集を、一年近くかけてまだやっています。修正しながら、更に補足したり、画像を足したりして、元記事より読み易いようにすることを心がけています。
ホガースの記事ももう少し手を加えるつもりでいますが、ぴーちゃんの教えてくださった疑問も参考にさせていただきます。
今回も読んでくださって本当に有難うございました。
hannnaさん、こんにちは。
パステル画…柔らかな優しい色調ですね。
イメージとして、クレヨン画みたいと思っていましたが、遠目に見ると油絵との違いが分かりません。
そして、今回ご紹介くださった数々の絵。
みんな、なんて肌のきれいなことでしょう。
マリア・テレジアは、晩年は歩くのも大変なほど肥満していたと聞いているので、こんな美しい人だったのだとつくづく見入ってしまいました。
ところで、男性のソバージュを長めにした髪型はかつらでしょうか。
自分の髪だと、パーマでないと無理じゃない?と思ったら、かつらかなと、思ってしまうのですが。(笑)
何も知らない人の疑問と思って、呆れないでくださいね。