マルグリット・ドートリッシュ– tag –
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16世紀、日本の銀が欧州に影響を与えたのかもしれない 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』
16世紀のヨーロッパに、新大陸から大量の安価な銀が流れ込んできました。 大富豪だったフッガー家はスペイン王室に貸していた金が回収できなくなったことも重なり、没落します。 その銀の中には、日本が輸入品に支払った銀もあったかもしれません。 倉都康... -
ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(後)~1529年「貴婦人の和約」締結
ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュの最大の功績と称えられる「貴婦人の和約」に至る道のりを見て行きます。 マルグリット・ドートリッシュ(1480年1月10日ー1530年12月1日) 1518年 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵 画像... -
ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(前)
今回は前編です。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘で、ネーデルラント17州総督を務めたマルグリット・ドートリッシュの前半生をご一緒に見て参りましょう。 マルグリット・ドートリッシュ 1490年-1491年 メトロポリタン美術館蔵 画像の上でクリッ... -
ヴェルディの『ドン・カルロ』ヒロインのモデル、エリザベート・ド・ヴァロワ
ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』のヒロインのモデル、フランス王女、エリザベート・ド・ヴァロワ。 偉大な画家たちが描いたエリザベート・ド・ヴァロワの姿と、『ドン・カルロ』のモデルとなった人びとの史実の話と一緒に見ていきます。 途中、教科書... -
19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ「狂女王」フアナ
神聖ローマ皇帝カール5世の生母、15~16世紀のカスティーリャ女王フアナを描いた19世紀の絵画で、その人生を辿ります。 『狂女王フアナ』 1877年 フランシスコ・プラディーリャ プラド美術館蔵 画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出ます... -
神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世皇后エレオノーレの衣裳
豊かなポルトガルから神聖ローマ皇帝のもとに嫁いできた、王女エレオノーレの衣裳についてです。 エレオノーレ・ヘレナ・フォン・ポルトゥガル 1468年以降 ハンス・ブルクマイアー 美術史美術館蔵 画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出... -
アン・ブーリンはレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を見掛けたか?
ルーヴル美術館の超目玉・レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』。いつ行っても人だかりの印象です。 イタリアの巨匠のこの絵が、なぜフランスのルーヴル美術館にあるのでしょうか。 そして同じ時期に、後にヘンリー8世妃となり斬首されることになるア... -
ヘンリー7世 「冬の王」のお見合い肖像画
薔薇を手にして笑みを浮かべるイングランド王。 16世紀初めに描かれたこの肖像画は、現代でいうお見合い写真のようなものでした。 これは誰に向けて描かれたものなのでしょうか。 そして、彼が着けている首飾りにはどのような意味があったのでしょう。 イ... -
狂女王フアナの子供たち、と孫娘『デンマークのクリスティーナ』
「狂女」または「狂女王」と呼ばれた15世紀~16世紀のカスティーリャ女王フアナ。 フアナとフィリップ美公との間に生まれた6人の子どもたちと、イングランドで活躍したハンス・ホルバインが描いた肖像画『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』との関... -
アン・ブーリン マルグリット・ドートリッシュの私設学校への留学
イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃となったアン・ブーリンはフランス語に堪能でした。 10代でネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュの宮廷に留学し、後にフランス宮廷に移ります。 "Portrait of a Lady, called Anne Boleyn" 1532年-153...
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