16世紀、カスティーリャ女王イサベル1世、マルグリット・ドートリッシュの宮廷に仕えた画家ミケル・シトウ。彼が手掛けた肖像画を掲載しました。

イングランド王ヘンリー8世の妹 メアリー・テューダー?( Mary Rose Tudor (1496-1533), Schwester Heinrichs VIII. von England (?) ) 1514年頃 ミケル・シトウ 美術史美術館蔵

Mary Rose Tudor (1496-1533), Schwester Heinrichs VIII. von England (?) 美術史美術館
画家はエストニア生まれのミケル・シトウ( Michael Sittow, 1468年頃 – 1525年/1526年)。
タイトルは「イングランド王女メアリー・テューダー(?)」となっていますが、スペイン王女で、ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴン説もあります。
美術史美術館には、同じタイトルの「ミケル・シトウにちなむ」女性像が収められています。
イングランド王ヘンリー8世の妹 メアリー・テューダー?( Mary Rose Tudor (1496-1533), Schwester Heinrichs VIII. von England (?) ) 16世紀初頭 ミケル・シトウにちなむ 美術史美術館蔵

引用元:Mary Rose Tudor (1496-1533), Schwester Heinrichs VIII. von England (?)
Mary Rose Tudor (1496-1533), Schwester Heinrichs VIII. von England (?) 美術史美術館
メアリー・テューダー( Mary Tudor, 1496年3月18日 – 1533年6月25日)

引用元;メアリー・テューダー
画家ジャン・ペレアルは、フランス王家の人々の肖像を描いています。
1514年にロンドンに派遣されたぺレアルは、メアリー・テューダーの肖像画を制作しているそうです。
メアリー・テューダーの父は、イングランド王ヘンリー7世。 兄はヘンリー8世です。
1514年に、親子ほど年の離れたフランス王ルイ12世と政略結婚。
ルイ12世の死後は、恋人だったチャールズ・ブランドンと再婚します。
ふたりの孫娘にイングランドの「9日間女王」ジェーン・グレイがいます。
キャサリン・オブ・アラゴン( Catherine of Aragon, 1487年12月16日 – 1536年1月7日)

スペインのカトリック両王の末娘、カタリナ(キャサリン・オブ・アラゴン)。
1501年、ヘンリー7世の長男アーサーと結婚しましたが、アーサーは急死してしまいます。
キャサリンの持参金の返還を惜しむヘンリー7世は、自身も妻を亡くしていたこともあり、キャサリンを自分の妻に望みます。
しかし、これはスペイン側の怒りを買い、ヘンリー7世は次男のヘンリー(ヘンリー8世)とキャサリンを婚約させたのでした。
1503年、キャサリンは、亡き夫の弟 ヘンリーと結婚式を挙げました。
1505年夏。 ブルゴーニュ大使がイングランドを訪れます。
キャサリン・オブ・アラゴンを表敬訪問した大使が、「王のご覧に入れるためマルグリット・ドートリッシュの肖像画を持参している」と話すと、キャサリンはその絵を見てみたいといいました。
覆いを外し、肖像画を見たキャサリンは、「なかなかの絵ではあるけれど、ミケル・シトウであればもっと巧く描くだろうに」との感想を口にしたようです。(『冬の王』 トマス・ペン(著))
美術史美術館の収蔵品のモデルが、メアリー・テューダーかキャサリン・オブ・アラゴンか、または全然別の女性なのかは判りませんが、ミケル・シトウが優れた肖像画家であることはわかりますね。
イングランド王ヘンリー7世( Henry VII, 1457年1月28日 – 1509年4月21日)

引用元:ヘンリー7世
King Henry VII ナショナル・ポートレート・ギャラリー
最愛の妻エリザベスを出産で失ったヘンリー7世は、神聖ローマ皇帝マクシミリアンの娘 マルグリット・ドートリッシュに求婚します。
そのための「お見合い肖像画」が本作。
作者はミケル・シトウだと伝えられていましたが、近年では「ネーデルラントの画家」とされています。
「シットウが1503年から1505年頃にロンドンを訪れ、ヘンリー7世(ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー)の肖像画を描いたという説は現在では受け入れられていない。」そうです。(参考:Wikipedia Michael Sittow 、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート Michel Sittow) 私としては、ちょっと残念かなー。
マルグリット・ドートリッシュ( Margaret of Austria, 1480年1月10日 – 1530年12月1日)

引用元:マルグリット・ドートリッシュ
Margaret of Austria メトロポリタン美術館蔵
マルグリット・ドートリッシュの姿が描かれたこのパネルは、メトロポリタン美術館の解説によると、「おそらく二連祭壇画の左側」ではないかとのことです。
マルグリットは幼い時にフランスへ連れて行かれ、帰国後にスペイン王子フアン(キャサリン・オブ・アラゴンの兄)と結婚しましたが、フアンは急逝。 マルグリットもお腹の子どもを亡くしてしまいます。
しばらくしてサヴォイア公フィリベルトに嫁ぎますが、そのフィリベルトとも死別。
夫妻の間に子どもはいませんでした。
帰国したマルグリットは二度と再婚せず、父マクシミリアンを補佐。
ネーデルラント総督に就任し、宮廷で兄フィリップの遺児となった甥姪を養育しました。
甥 カール(1500年2月24日 – 1558年9月21日)は、後の神聖ローマ皇帝カール5世、スペイン王カルロス1世です。
アラゴン王フェルナンド2世( König Ferdinand II. (1452-1516) von Aragon, 1452年3月10日 – 1516年6月23日) 15世紀末 – 16世紀初頭 ミケル・シトウ(?) 美術史美術館蔵

引用元: アラゴン王フェルナンド2世
König Ferdinand II. (1452-1516) von Aragon 美術史美術館
カスティーリャ女王イザベル1世の夫。 イザベルとともにグラナダを落とし、レコンキスタ(国土回復運動)を終結させました。
王子フアン、「狂女王」フアナ、キャサリン・オブ・アラゴンの父親で、マルグリット・ドートリッシュや マルグリットの兄フィリップ美公にとっては義父にあたります。
カスティーリャ女王イサベル1世( La reina Isabel la Católica, 1451年4月22日 – 1504年11月26日)

引用元:カスティーリャ女王イサベル1世
La reina Isabel la Católica プラド美術館
カトリック両王のひとり。 コロンブスのパトロンで有名ですね。
ドイツ系スカンジナビア人の血を引くミシェル・シトウは、1469年頃ハンザ同盟の港町レヴァル(現在のエストニア、タリン)で生まれました。
1482年に画家だった父が亡くなると、1484年から1488年にかけてハンス・メムリンクの工房で学びました。
1492年からイサベル1世に宮廷画家として仕えており、イサベルの宮廷において最も多額の報酬を得ていたようです。
次に高額の報酬を得ていたのはフアン・デ・フランデス。 少女時代のフアナ、キャサリン・オブ・アラゴンを描いています。
フアン・デ・フランデスとシトウは、イサベルのために共同で、イエスと聖母マリアの生涯を描いた一連のパネル絵を作成。
イサベルが亡くなった1504年まで、シトウが宮廷画家だったと公式には記録されていますが、実際はそのニ年前にスペインを離れていたそうです。
イサベルの娘フアナと結婚したハプスブルク家出身のフェリペ美公のために、おそらくフランドルで活動しており、サヴォイア公フィリベルト2世の肖像画を描いているということです。(参考:Wikipedia ミケル・シトウ)
ブルゴーニュ公フィリップ4世(フィリップ美公 Philipp “der Schöne”, 1478年7月22日 – 1506年9月25日)

Philipp “der Schöne” (1478-1506) 美術史美術館蔵
母譲りの美貌で「美公」と謳われたフィリップ。 神聖ローマ皇帝マクシミリアンの息子で、マルグリットの兄です。
マルグリットは スペイン王子フアンと結婚しましたが、フィリップは フアンの妹フアナ(狂女王フアナ)と結婚しました。
狂女王フアナ( Johanna “die Wahnsinnige” (1473-1555), 1479年11月6日 – 1555年4月12日)

引用元:フアナ
Johanna “die Wahnsinnige” (1473-1555) 美術史美術館
カトリック両王の娘で、フィリップ美公と政略結婚。 後の神聖ローマ皇帝カール5世、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世、フランス王フランソワ1世妃エレオノールの母親です。
母イサベルの死後カスティーリャ女王となりますが、フィリップの女性関係から精神を病み、「狂女王」とも呼ばれています。
フィリップが急死した後子供たちの養育ができず、子供たちは義妹であり義姉でもあるマルグリット、フアナの父・アラゴン王フェルナンドによって養育されました。
フィリベルト2世・ディ・サヴォイア( Filiberto II di Savoia, 1480年4月10日 – 1504年9月10日)

引用元:フィリベルト2世
マルグリット・ドートリッシュの二番目の夫。
マルグリットの幼馴染みで友人だったルイーズ・ド・サヴォワの実弟です。
美術史美術館所蔵のフィリベルトの肖像画。作者は不明

デンマーク王クリスチャン2世( Portræt af Christian II (1481-1559), 1481年7月1日 – 1559年1月25日) 1514年 – 1515年頃 ミケル・シトウ コペンハーゲン国立美術館蔵

引用元:クリスティアン2世
Portræt af Christian II (1481-1559) コペンハーゲン国立美術館
フィリップ美公に仕えて、1502年にネーデルラントに戻ったシトウ。 1505年末か1506年初頭にはブラバントに滞在しています。
1506年以降は遺産整理のため故郷のレヴァルに留まっていました。
1507年末には芸術家ギルドの会員に。
1509年、最初の結婚をしています。(再婚は1518年7月)
1514年、レヴァルから呼び戻されたシトウは、コペンハーゲンへ向けて出発します。
マルグリットが養育していた姪 イサベル・デ・アウストリア(イサベラ・ア・ブアグン 狂女王フアナとフィリップ美公の娘)の将来の夫、デンマーク国王クリスチャン2世の肖像画を描くためでした。
Wikipedia Michael Sittow に、「コペンハーゲン国立美術館に所蔵されている肖像画は、おそらく失われたオリジナルの複製か、シットウに注文された複製である。」(Google翻訳)とありましたが、コペンハーゲン国立美術館の解説に特に言及はありませんでした。
しかし、ブダペスト美術館による Virgin and Child の解説中に、「彼はデンマークにも旅行し、デンマーク国王クリスチャン2世を描いたことは間違いありません。現在コペンハーゲンに所蔵されている国王の肖像画(1515年、国立美術館)は、おそらくこの失われた作品の複製であると思われます。」(Google翻訳)との記述がありました。
ハンス・ホルバイン(子)による肖像画『デンマークのクリスティーナ』

Christina of Denmark, Duchess of Milan ナショナル・ギャラリー
デンマーク国王夫妻の娘が、ハンス・ホルバイン(子)の肖像画で有名な、「デンマークのクリスティーナ」です。
1523年にクリスチャン2世が王位を追われ、一家はフランドルへ亡命。
困窮した一家は、マルグリット・ドートリッシュに引き取られました。
1515年。 シトウはメッヘレンにいた ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュに仕えていました。
シトウは同年にスペインを再訪し、カスティーリャ女王イサベル1世に、未払いの報酬を請求しています。
「請求の根拠となる文書の中で、彼が「(オーストリアの)マルガリータ王女の画家」、つまり「 pintor criado de madama la prinçesa doña Margarita 」と記されていることは重要である。これは少なくとも1年前には既に言及されていた可能性が高い。」(参考:Google翻訳 Wikipedia Michael Sittow )
スペインのバリャドリッドを訪れた後、1516年にネーデルラントに戻り、マルグリットの甥カール(後の神聖ローマ皇帝カール5世)に仕えます。
1518年にレヴァルに戻ったシトウは、1525年または1526年に亡くなりました。
参考:Wikipedia Michael Sittow 、ミケル・シトウ、絵画館 Maria mit dem Kind 、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート Michel Sittow
神聖ローマ皇帝カール5世が退位した時、隠居先のユステ修道院にシトウの作品を複数持ち込み、私室で巨匠ティツィアーノの作品の隣に飾らせたといいます。 このことからも、シトウの絵画は高い評価を受けていたことが窺えますよね。
ティツィアーノはカール5世、その息子フェリペ2世の気に入りの画家でした。プラド美術館には多くの作品が収蔵されています。

引用元:『カール5世騎馬像』
Carlos V en la batalla de Mühlberg プラド美術館
アン・オブ・クレーヴズの姉 ザクセン選帝侯妃ジビュレの肖像画

引用元:イサベル・デ・ポルトゥガル
La emperatriz Isabel de Portugal プラド美術館蔵
カールの妻でいとこ、ポルトガル王女イサベルです。美しいですね。
下はティツィアーノによる、皇太子時代のフェリペ2世です。

引用元:スペイン王フェリペ2世
ヴェルディ『ドン・カルロ』ヒロインのモデル、エリザベート・ド・ヴァロワ
ディエゴ・デ・ゲバラ( Portrait of Diego de Guevara (?), 1450年 – 1520年) 1517年頃 ミケル・シトウ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

Portrait of Diego de Guevara (?) ナショナル・ギャラリー・オブ・アート
ディエゴ・デ・ゲバラ( Diego de Guevara )は、マルグリット・ドートリッシュの財務官でした。
若い頃からブルゴーニュ宮廷に仕えていた可能性があり、1477年の「ナンシーの戦い」では シャルル突進公(豪胆公)の従者として参加。
シャルルは戦死しますが、その遺体を守るために自らの身を投げ出したとされています。
その後はシャルルの娘であるマリー・ド・ブルゴーニュに、マリーが1482年に亡くなった後はマリーの息子 フィリップ美公に仕えました。
1501年、ディエゴ・デ・ゲバラは侍従長に就任。
1506年頃大使として、イングランド、アラゴン王フェルナンドの宮廷に派遣されています。
(1505年夏に、マルグリット・ドートリッシュの肖像を携えてイングランドを訪れたブルゴーニュ大使とは、もしかしてこの方…?)
1506年にフィリップ美公が亡くなると、ディエゴ・デ・ゲバラはフィリップ美公の息子である シャルル(神聖ローマ皇帝カール5世)に仕え、顧問兼侍従長に就任します。
カラトラバ勲章の騎士であり、熱心な美術コレクターでもあったゲバラは、1520年にブリュッセルで亡くなりました。
参考:Wikipedia Diego de Guevara 、絵画館 Maria mit dem Kind 、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート Michel Sittow
ディエゴ・デ・ゲバラのコレクションだった『アルノルフィーニ夫妻像』(1434年)

引用元:『アルノルフィーニ夫妻像』
The Arnolfini Portrait ナショナル・ギャラリー
絵の完成後はモデルとなったアルノルフィーニが所有していたようですが、晩年にアルノルフィーニ家の友人だったディエゴ・デ・ゲバラが所有者となりました。
ゲバラは本作を、マルグリット・ドートリッシュに譲渡。
マルグリッドが亡くなると、次のネーデルラント総督マリア(マルグリットの姪。カール5世の妹)が相続し、マリアの死後はスペイン王フェリペ2世が相続しました。(参考:Wikipedia アルノルフィーニ夫妻像、絵画館 Maria mit dem Kind)
持ち主が豪華すぎる…。
ディエゴ・デ・ゲバラの肖像の対になる作品 『幼子を抱く聖母マリア』( Maria mit dem Kind, 1515年 – 1518年頃)

引用元:『聖母子』 Miguel Hermoso Cuesta CC-BY-SA-4.0


衣装の赤に背景の暗さ。血の気を感じる頬の色。『幼子を抱く聖母マリア』は、シトウの作品の中でも最も美しい作品ではないでしょうか。
メムリンクの絵を思い起こさせるような聖母子像です。
二枚を並べて見た時、聖母マリアが幼子を抱いた手を置いている敷物が右に延びて、右側から見つめるゲバラがその敷物が掛けられた欄干に手を触れていることが判ります。
『マグダラのマリアとしてのキャサリン・オブ・アラゴン』( Catherine of Aragon as the Magdalene ) 15世紀 – 16世紀 ミケル・シトウ デトロイト美術館蔵

引用元:Catherine of Aragon as the Magdalene
Catherine of Aragon as the Magdalene デトロイト美術館蔵
壺を手に、目を伏せる若い女性の姿は長らく「キャサリン・オブ・アラゴン」といわれてきましたが、デトロイト美術館の解説によれば、キャサリンの母でカスティーリャ女王イサベル1世の可能性もあるようです。
ミシェル・シトウによる、バラで飾られた壺を手にした、うつむいた若い女性の肖像画は、歴史的にスペイン生まれでイングランド王ヘンリー8世の最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンの姿とされてきた。別の解釈では、彼女の青いローブ、敬虔な表情、そして軟膏の壺は、イエスの生涯で重要な人物であり、中世の伝説では王家の血筋であると信じられていたマグダラのマリアの象徴であると考えられている。こうした理由から、この絵はシトウの主要なパトロンであるカスティーリャ女王イサベル1世を描いているのではないかと示唆されている。「スペイン女王」と呼ばれた最初の君主であるイサベルは、1492年のクリストファー・コロンブスのアメリカ大陸航海への資金提供など、広範な遺産を残した。(Google翻訳:デトロイト美術館蔵) Catherine of Aragon as the Magdalene
『聖母の被昇天』( The Assumption of the Virgin ) 1500年頃 ミケル・シトウ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
ナショナル・ギャラリー・オブ・アートには、シトウの『聖母の被昇天』が収められています。
フアン・デ・フランデスによる『キリストの誘惑』も同美術館にあり、来歴に「カスティーリャ女王イサベル」「マルグリット・ドートリッシュ」の名前があることから、シトウとデ・フランデスが制作した「一連のパネル絵」とはこれらのことかと。

引用元:聖母の被昇天
The Assumption of the Virgin ナショナル・ギャラリー・オブ・アート
『聖母子』( Virgin and Child ) 1480年代半ば ミケル・シトウ(?) ブダペスト国立西洋美術館蔵

ミケル・シトウ(?)となっていますね。
こちらも「二連祭壇画の左」との説明があります。
大きな成功を収めたシットウは、1492年にスペインに招聘され、カスティーリャ=レオン女王イサベルに10年間仕え、フアン・デ・フランデス(1465年頃-1519年)と共同制作を行いました。また、キャサリン・オブ・アラゴン(ウィーン、美術史美術館)やヘンリー7世(ロンドン、ナショナル・ポートレート・ギャラリー)を描いたとされる肖像画に基づき、イギリスへの渡航も提案されています。彼はデンマークにも旅行し、デンマーク国王クリスチャン2世を描いたことは間違いありません。現在コペンハーゲンに所蔵されている国王の肖像画(1515年、国立美術館)は、おそらくこの失われた作品の複製であると思われます。
文献による証拠はないものの、シットウの聖母像がブリュージュを代表する画家ハンス・メムリンク(1440-1494)の作品と非常に類似していることから、シットウはメムリンクの弟子であったと考えられます。このパネルは、1487年の制作年が記されたマールテン・ファン・ニューウェンホフの二連祭壇画『聖母子』(ブリュージュ、メムリンク美術館所蔵)に描かれたメムリンクの『聖母子』から明らかに着想を得ています。ブダペストに所蔵されているこの絵画は、リンゴを丁寧に持つ聖母の手や、脚を伸ばして欄干に座る幼子など、人物の所作を忠実に再現しており、逆さまの構図となっています。聖母子が自分の足の親指をつまんでいる愛らしいポーズは、メムリンクの失われた作品から派生したものともいえる。この作品には、巨匠の工房で制作されたもの(ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵)と、フアン・デ・フランデス作(個人所蔵)の2つのバージョンが知られている。しかし、ブダペストの「聖母子」には、柔らかく煙のような影を落とした非常に繊細な造形や、メムリンクの細長い楕円形の女性の顔とは異なる聖母の丸みを帯びた顔立ちなど、シットウの芸術の独特な特徴も表れている。「ブダペスト」の絵画は、ヤーノシュ・パルフィ伯爵のコレクションに所蔵されている。ロマン主義の強いハンガリー貴族は、豊富な美術コレクションを築き上げ、自身の様々な城に収蔵していた。コレクションには優れたイタリア絵画のほか、初期フランドルのパネル画も含まれており、その中には聖母子の愛らしく親密なテーマを表現したものもある。(Google翻訳:デトロイト美術館蔵 Virgin and Child)
Memling in Sint-Jan(聖ヨハネ病院)による解説
Diptiek van Maarten van Nieuwenhove
Memling in Sint-Jan引用文にある メムリンクの工房(メトロポリタン美術館所蔵)による『聖母子』もどうぞ
メトロポリタン美術館『キリスト降誕』( Geburt Christi ) 1510年 – 1520年頃 ミケル・シトウ 美術史美術館蔵

引用元:Geburt Christi
美術史美術館によると、本作はシトウの作品か「定かではない」のだそうです。
ジェラール・ダヴィッドの「キリスト降誕」と同様に、この絵画はフーゴ・ファン・デル・グースの作品に基づいていますが、そのオリジナルは保存されていません。この絵の実際のテーマは、主に幼子キリストから発せられる光の描写であり、その周囲には天使とヨセフのろうそく、背景の羊飼いのランタン、遠くの野原の火など、より弱い光源が巧みに分散して配置されています。エストニア出身で、オランダで訓練を受け、スペインで活動していた画家シットウの作品であるかどうかは定かではない。( Google翻訳:美術史美術館) Geburt Christi
Google翻訳で「ジェラール・ダヴィッド」と表記されていますが、こちらは初期フランドル派の画家「ヘラルト・ダヴィト ( Gerard David,1460年頃 – 1523年8月13日)」。
「フーゴ・ファン・デル・グース」も初期フランドル派の画家、「フーゴー・ファン・デル・グース( Hugo van der Goes、またはヒューホー・ファン・デル・フースなどとも表記、1440年頃 – 1482年)、ヴァロワ=ブルゴーニュ家時代のフランドル伯領の都市ヘント(現在のベルギーのヘント)に生まれています。
美術史美術館には、ヘラルト・ダヴィトによる「キリスト降誕」も収められています
『婦人の肖像』( Bildnis einer Dame ) 1489年 – 1491年頃 ミケル・シトウ 美術史美術館蔵

『男性の肖像』( Portret van een man ) 1510年頃 ミケル・シトウ マウリッツハイス美術館蔵

Portret van een man マウリッツハイス美術館
『ロザリオを持った男性の肖像』( Portrait of a man with a rosary ) 16世紀 ミケル・シトウ 個人蔵

引用元:Portrait of a man with a rosary
『赤い帽子をかぶった若者』( A Young Man in a Red Cap ) 1512年頃 ミケル・シトウ デトロイト美術館蔵

A Young Man in a Red Cap デトロイト美術館
シトウの色鮮やかで小ぶりな肖像画は、当時の宮廷生活を鮮やかに描き出しています。毛皮の裏地が付いた衣をまとった毅然としたこの若い男性は、画家の肖像画や彼らのパトロンである聖ルカの肖像によく見られる赤い頭巾をかぶっていることから、画家である可能性も考えられます。被写体のまっすぐな視線から、この興味深い作品は自画像である可能性さえ示唆されています。(Google翻訳:デトロイト美術館 A Young Man in a Red Cap )
もしこれがシトウの自画像だとしたら、面白いんだけどなあ。
『ロートレック子爵、通称「真珠の耳飾りの男」』( El vizconde de Lautrec, más conocido como El hombre de la perla ) 1515年 – 1517年頃 ミケル・シトウ マドリード王宮

引用元:El vizconde de Lautrec, más conocido como El hombre de la perla
Wikipediaの解説をご紹介します。
この作品は、画家の活動の晩年、オランダを経由してスペインに二度目に旅行した頃に描かれたものと考えられます。歴史家ホセ・ルイス・サンチョは、マドリードの元老院宮殿に保存され、レガネス侯爵の古いコレクションから来たオデ・ド・フォワの全身肖像画と非常によく似ていることから、この人物をコマンジュ伯爵、ロートレック子爵のオデ・ド・フォワ(1485年 – 1528年)であると特定しました。(Google翻訳:El vizconde de Lautrec, más conocido como El hombre de la perla )
『ピンクの花を持つ男性の肖像』( Portrait of a Man with a Pink ) 1500年頃 ミケル・シトウ ゲッティセンター蔵

引用元:Portrait of a Man with a Pink
Portrait of a Man with a Pink ゲッティセンター
この男性はピンク色のものを非常に目立つように持っていますが、肖像画におけるその意味は謎に包まれています。この花はもともと、花の形と開花時期(5月末、ペンテコステの頃)にちなんで名付けられ、オランダでは「ピンクスター」と呼ばれていました。おそらく、花びらの鋸歯状の縁が、ペンテコステの日にマリアと使徒たちに降り立った炎の舌に似ていると考えられていたのでしょう。炎の舌は、彼らがあらゆる言語を話し、神の言葉を広め、教会を築くことを可能にしました。また、「ピンクステン」はドイツ語で「50番目」を意味し、ペンテコステは復活祭の50日後に祝われました。
この肖像画はひどく損傷しているが、顔と花はマイケル・シトウの質感と光の効果に対する繊細さを示している。シトウは、彼特有の明るい表面を表現するために、半透明の塗料を幾重にも重ね塗りしている。被写体の憂鬱な表情もまた、シトウの肖像画の特徴である。(Google翻訳:ゲッティセンター ) Portrait of a Man with a Pink
誰を描いた絵で、なぜこの花を持って描かれたのでしょうね。
ピンクスターと聞いて、17世紀オランダの画家 ヤン・ステーンの作品『小さな集金者』(1663年 – 1665年)を思い出しました。
hanna and books の記事
ヤン・ステーンの風俗画(『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』から)
『男性の肖像』( Portrait d’un homme ) 1515年頃 ミケル・シトウ アントワープ王立美術館蔵

引用元:Portrait d’un homme, huile sur panneau, Anvers, KMSKA, inv. 537.
アントワープ王立美術館のサイト。『男性の肖像』が探せませんでしたが、見るだけでも楽しいですよ
ナショナル・ギャラリー・オブ・アートのサイト

シトウの作品を探して辿り着いた、ラサロ・ガルディアーノ美術館の公式ブログ( Blog oficial del Museo Lázaro Galdiano )。お目当ては探せませんでしたが、面白いのでぜひ

画家ミケル・シトウについてはほとんど載っていませんが、彼の生きた時代を知るにはこの辺かなあと思ってご紹介




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