マリア・テレジアとコーヒー、書類に残るコーヒーの染み

  • URLをコピーしました!
 ※当ブログのリンクには広告が含まれています。
 ※画像の左下にある「引用元」のリンクをクリックしていただくと元のファイルをご覧になることができます。

ある朝、マリア・テレジアはコーヒーを飲みながら書類に目を通していました。

その時1滴のコーヒーが書類に落ちてしまいます。次に彼女が取った行動とは。

マリア・テレジア 1759年 マルティン・ファン・マイテンス ウィーン美術アカデミー
マリア・テレジア 1759年 マルティン・ファン・マイテンス ウィーン美術アカデミー

画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出ます。また、画像の左下にある「引用元」のリンクをクリックしていただければ、元のファイルをご覧になることができます。「引用元」の表示が無いものは、この記事内に掲載したpublic domain の元ファイルから、解説のために必要な部分を拡大したものです。

目次

1683年、第2次ウィーン包囲

カフェラテ
カフェラテ

引用元:カフェラテ Martin Fisch CC-BY-SA-2.0

美味しいコーヒーに美味しいスイーツ。

カフェ文化で知られるウィーン。

そのきっかけとなったのが、1683年の「第2次ウィーン包囲」と呼ばれる出来事でした。

1683年8月12日、トルコ軍から攻撃を仕掛けられたウィーンは陥落寸前でした。

イェジ・フランチシェク・クルチツキ( Jerzy Franciszek Kulczycki )

この時、イェジ・フランチシェク・クルチツキ(ドイツ名:ゲオルグ・フランツ・コルシツキー( Georg Franz Kolschitzky )という人物が密使に立ちます。

クルチツキはロレーヌ公国シャルル大公に救援を求めるため、トルコ軍戦線を突破することに成功。

その後ポーランドのヤン3世ソビェスキが救援に駆け付け、9月12日、トルコ軍を撃退することに成功しました。

見事密使の役目を果たした褒美にと、市の長老たちはクルチツキに欲しいものを尋ねます。

クルチツキは、敗走したトルコ軍が残して行ったコーヒー豆を希望しました。

…ということがよく言われますが、UCCコーヒー博物館(編)の『コーヒーという文化』では、「コルシツキーは初めてコーヒーをたてた人間では無く、密使も他に数十人いた」とあります。

この第2次ウィーン包囲以降、コーヒーはウィーンの人々の間に広まり、食事や休憩に欠かせないものになりました。

「女帝」マリア・テレジアもコーヒー好きで知られ、息子のヨーゼフ2世の時代には、ウィーンのコーヒーハウスに黄金時代が訪れます。

コルシツキーの話、ミルク入りコーヒーの始まりについては名画と歴史の中のブリオッシュ

オスマン帝国、第二次ウィーン包囲絡みトウガラシ、ハンガリーにやってくる。

マリア・テレジアの人となり、コーヒーの染み

マリア・テレジア( Maria Teresia, 1717年5月13日-1780年11月29日)

マリア・テレジア 1759年 マルティン・ファン・マイテンス ウィーン美術アカデミー
マリア・テレジア 1759年 マルティン・ファン・マイテンス ウィーン美術アカデミー

引用元:マリア・テレジア

当時の王族には珍しい恋愛結婚で結ばれた最愛の夫・フランツ・シュテファンとの間に多くの子供をもうけ、政治家として多くの国内外の諸問題に対応するマリア・テレジア。

1793年に処刑されたフランス王ルイ16世妃マリー・アントワネットの母親でもあり、娘のアントワネットに対して多くの助言を与える手紙を残しています。

一般に「女帝」とされていますが、マリア・テレジア本人がローマ皇帝の位に就いたことはありません。

ハプスブルク家の人間には珍しく、ウィーンの人々と親しく接したマリア・テレジアは、その気さくでユーモア溢れる彼女の人柄で多くの国民から好かれました。

ウィーンで頻繁に行われる聖体拝領や聖者に因んだ行列、または貴族の誰かれの祝賀パーティーや音楽会にも気軽に加わったり、夫のフランツと徒歩で市内を散歩し、ぶどうの収穫期の頃など、お忍びでフランツと散策に出掛けた近郊のマンナースドルフで、たわわに実ったぶどうを勝手に賞味した…のを管理人に見つかって、逮捕されたこともあるそうです。(参考:『ハプスブルク家』、『マリア・テレジア ハプスブルク唯一の「女帝」』)

宮廷においても、女官や従臣たちをよく食事に招待しました。

それまでの皇帝と異なり、一段高い場所ではなく、食卓を従臣たちと同じ高さにしてなごやかな雰囲気で食事をしたとのことです。(参考:『ハプスブルク家の食卓』)

ある日のティータイム

洋菓子研究家の今田美奈子氏は『ティー・パーティー お茶とお菓子の優雅なひととき』の中で、A・ヴァントルツカの歴史書に記された、女帝のある日のティータイムについて述べられています。

「オーストリアが近代国家を目指してとった啓蒙専制政治は、内外の諸問題が多く山積する日々でもあった。母として女帝として、気の休まるひとときもなかったのは当然である」とした後、

 ある朝、女帝はコーヒーを飲みながら書類に目を通していた。コーヒーの一滴が書類に落ちて、小さなしみができてしまった。すると女帝は、ペンでそのしみの部分を丸く囲み、汚してしまってたいへん恥ずかしい、と書き添えたという。ヴァントルツカは、恐らくウィーン風にクッキーをコーヒーに浸しながら食べていたのではないか、と記している。歴史を彩る偉大な女帝のこのしぐさは、彼女の人間味あふれる人となりを、余すところなく伝えてくれる。と同時に、一服のお茶を楽しむ、女帝の暮らしの一端がほの見えて、ほっとする思いだ。

今田美奈子.p.115.「「貴婦人たちのティータイム」.岡部隆男(編).1989.『ティー・パーティー お茶とお菓子の優雅なひととき』(別冊25ans ELEGANT COOK).婦人画報社.

江村洋氏も『マリア・テレジア ハプスブルク唯一の「女帝」』の中で、

王宮の裏の飼育場で採れる特別のミルクをたっぷり入れた、熱いコーヒーを喫するのが大好きだった。女王の日常生活を見守る役目をおおせつかっているタロウカは、彼女が湯気を立てたコーヒーをおいしそうに口にしているのを見て、今日も安心する。

江村洋(著).2013. 『マリア・テレジア ハプスブルク唯一の「女帝」』.河出文庫.河出書房新社.p.323.

と書き、 書類の上にコーヒーを落としてしまったマリア・テレジアのエピソードをこのように紹介しています。

すると、女王は直ちに筆でその周りに丸を書き、そこに、

「この染みをつけてとても恥ずかしい。ごめんなさい」

と書き添えた。

江村洋(著).2013. 『マリア・テレジア ハプスブルク唯一の「女帝」』.河出文庫.河出書房新社.p.323.

この添え書きのある書類の写真が、『ハプスブルク帝国』に掲載されています。

ココアも愛飲

マリア・テレジアはコーヒー愛好家であると同時に、ココアの愛好家でもありました。

現在のフランスのロレーヌであるロートリンゲン出身のフランツとの結婚により、スペイン宮廷で愛飲されていた高価なココアがハプスブルク家にもたらされたのです。

フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(1745年9月13日 – 1765年8月18日)(恐らくマイテンス画)
フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(1745年9月13日 – 1765年8月18日)(恐らくマイテンス画)

引用元:フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(恐らくマイテンス画)

妻に比べて政治的才能はあまり芳しくなかったフランツでしたが、財政や蓄財、美術品の収集に関しては目を瞠るものがありました。

マリア・テレジアの父・皇帝カール6世が創建した磁器工場アウガルテンに手を加え、マイセンと並ぶ優れた食器類や装飾品の生産地にしたのもフランツです。

アウガルテンは、1744年にマリアテレジアの勅命で王室直属の窯となりました。

「マリア・テレジア」の名が付けられたテーブルウェア
「マリア・テレジア」の名が付けられたテーブルウェア

引用元:「マリア・テレジア」テーブルウェア

アウガルテン様のHP

自然科学に造詣が深かったフランツは、内外の動植物を集め、素晴らしいコレクションを作り上げます。

『ハプスブルク家のお菓子 プリンセスたちが愛した極上のレシピ』(新人物文庫)によると、夫妻は宮廷庭園内の「シェーンブルン動物園」で特製ココアを楽しみながら、動物たちの生態を観察していました。

夫妻の子供たちも、珍しい動物たちが大好きだったようです。

フランツの死後、マリア・テレジアは喪服で過ごし、ウィーンのカプツィーナー教会の地下に眠る彼を訪ねては対話していたといいます。

そして、1780年11月29日。

フランツの古いガウンを纏い、ヨーゼフ2世を始めとする子供たちに囲まれながら崩御しました。

コルシツキーの話は『食で読むヨーロッパ史』にもあります

ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘

「ウィーン包囲」について詳しく書かれた書籍って少ないように思います。興味ある方、ぜひ。

\ Amazon のサイトに移動します /

主な参考文献
  • UCCコーヒー博物館(編).1994.『コーヒーという文化―国際コーヒー文化会議からの報告』.柴田書店.
  • 江村洋(著).2013. 『マリア・テレジア ハプスブルク唯一の「女帝」』.河出文庫.河出書房新社.
  • 江村洋(著). 1990-8-20.『ハプスブルク家』. 講談社新書. 講談社.
  • 岩崎周一(著).2017.『ハプスブルク帝国』.講談社現代新書.講談社.
  • 岡部隆男(編).1989.『ティー・パーティー お茶とお菓子の優雅なひととき』(別冊25ans ELEGANT COOK).婦人画報社.
  • 関田 淳子(著).2012.『ハプスブルク家の食卓 饗宴のメニューと伝説のスイーツ』.新人物文庫.
  • 関田淳子(著). 2011-2-13. 『ハプスブルク家のお菓子 プリンセスたちが愛した極上のレシピ』. 新人物文庫.
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (2件)

  • ハンナさん、こんにちは。
    コメント失礼いたします。
    マリア・テレジア、マリー・アントワネットなど、何をしてどうなったかは知っていても、その人となりまでは知りませんでした。こちらのブログはとても勉強になります。マリア・テレジアはコーヒー好きの、気さくな女性だったのですね。
    カフェ・マリア・テレジアはオレンジリキュールを入れるのですね、コアントローとかでしょうか?飲んだことはありませんが、美味しそうですね。ココアに少し入れても合うかもと思いました。
    アウガルテンのテーブルウェア、素敵ですね。私も、食器、大好きです。

    • 真ちゃん様

      今回も読んで下さって有難うございます。感謝しております。
      マリア・テレジアのコーヒーの染みの話、学校の世界史の授業では教えてくれないと思いますが、とても人間的なエピソードですよね。
      政策や戦争の話だけでなくこうした話や、アウガルテンの歴史について知るともっと世界史が楽しいと思うのですが。
      昔々ウィーンで「マリア・テレジア」を飲んだミーハーですが、浮かれていてどんな味だったかはっきり思い出せません(笑)。ただ美味しかったという記憶だけ。

      私も器も中身も大好きです。庶民が使っていたカップくらいしか残っていませんが、古い器で、それが使われていた場面を想いながら浪漫に浸るのが好きですね(*’▽’)。

コメントする

CAPTCHA


目次