トウガラシ、ハンガリーにやってくる。

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ハンガリーを代表する料理グヤーシュにはパプリカ・パウダーが使われています。この「パプリカ」は何処からやってきたのでしょうか。

「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画
「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画

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目次

南米原産のトウガラシ、スペインへやってくる

ハンガリー料理・グラーシュ( Hungarian Goulash Recipe )
ハンガリー料理グヤーシュ( Hungarian Goulash Recipe )

引用元:ハンガリー料理グラーシュ( Hungarian Goulash Recipe ) Valeva1010 CC-BY-SA-4.0

ハンガリーの代表的な料理、グヤーシュ(ドイツ語でグラーシュとも表記)に欠かせないのがパプリカ・パウダーです。

パプリカはトウガラシの一種。

トウガラシはナス科トウガラシ属 Capsicum に含まれる多くの植物から取れるということですが、

熱帯アメリカに自生し、恐らくメキシコが起源である。少なくとも数千年前から人間によって利用されてきた。トウガラシ属のどの種であっても、非常に多くの変わり株がある。例えば一年草の Capsicum annuum には、ピーマン、甘唐辛子、赤唐辛子、バナナペッパー、パプリカ、カイエンペッパーをはじめ、他にも色々なものが含まれる。タバスコは多年草の Capsicum frutescens から取れる。

P. ルクーター, J. バーレサン(著). 小林 力(訳). 2011-11-25. 『スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質』. 中央公論新社. p.26.

とのこと。

現在スーパーで買える赤くて丸っこくてデカい「パプリカ」はハンガリーで作られた品種で、ハンガリーはその一大生産地でもありました。

パプリカはハンガリー語で「ピーマン」を意味します。

パプリカ
パプリカ

引用元:パプリカ Aldipower~commonswiki  CC-BY-SA-3.0-migrated

トウガラシは、スペイン女王イサベルの支援を受けたコロンブスによってヨーロッパにもたらされました。

カスティーリャ女王イサベル1世(1451年4月22日-1504年11月26日) 1490年頃 プラド美術館蔵
女王イサベル(1451年4月22日-1504年11月26日) 1490年頃 プラド美術館蔵

引用元:女王イサベル

クリストファー・コロンブス(1451年頃ー1506年5月20日) 1520年頃 リドルフォ・ギルランダイオ
クリストファー・コロンブス(1451年頃ー1506年5月20日) 1520年頃 リドルフォ・ギルランダイオ

引用元:クリストファー・コロンブス

レオンハルト・フックスによるトウガラシの絵

コロンブスが初めてトウガラシを持ち帰ったのは1493年でした。

トウガラシに興味を持ったドイツの医師であり植物学者のレオンハルト・フックス( Leonhart Fuchs, 1501年1月17日-1566年5月10日)は、1543年にトウガラシの絵を描いています。

「カルカッタ・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画
「カルカッタ・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画

引用元:「カルカッタ・ペッパー」

「インド・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画
「インド・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画

引用元:「インド・ペッパー」

「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画
「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画

引用元:「インド・ロング・ペッパー」

南米から入ってきたにも関わらず、名前には「インド」「カルカッタ」の地名が見受けられますが、コロンブスが目指したのは南米ではなくインドだったため、この名があるのだと思われます。

トウガラシは当時のスペインで歓迎されたようです。

セルビア人のニコラス・デ・モナルデスは著書『新たに見つけられた世界からの喜ばしい知らせ』(1565年-1574年出版)の中で、トウガラシを「コショウに似た香辛料」としています。

モナルデスはこのように記述しています。

 連中(スペイン人たち)はコショウの一種を運んできた。連中がロングペッパーと呼んでいるものである。東インド諸島から運ばれてくるコショウよりも香りがきついし、むともっとピリピリしている。アジアや東インド諸島産のものよりも香りは穏やかで、においもよい。肉の味付けに適しているからこの国の人々(スペイン人)はみな用いている。私も味わってみたが、黒コショウよりもピリピリしているが、香りはもっとよい。私は肉の味付けにオリエンタル・ペッパーの代わりに用いたがこちらの方が穏やかな味になった。

山本紀夫(著). 2016-2-25. 『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』. 中公新書. pp.59-60.

しかし、トウガラシとコショウは植物学的にはまったくのベツモノ。共通するのは「からい」という点。

モナルデスは、トウガラシは辛いだけでなく、体を元気にし、心がときほぐれ、胸の病気に効く薬としても絶賛しています。

薬味としても薬としても大いに期待されたトウガラシ。

 こうして、トウガラシは十六世紀半ばごろにはスペインのいたるところで栽培されるようになった。その背景には、トウガラシは、当時高嶺たかねの花であったコショウと違ってスペインの環境に適して容易に栽培できたという事情もあったはずだ。モナルデスも、トウガラシが「庭園でも菜園でも植木鉢でも」栽培されていて、その辛さに応じて、生のままでも焼いても食べられ、広く料理の味付けに使われるほか、観賞用に用いられたと述べている。

山本紀夫(著). 2016-2-25. 『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』. 中公新書. p.61.
『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』

当時のヨーロッパ人が経験したトウガラシの辛さ。

同じように新大陸から持ち込まれたトマトやジャガイモにはあった偏見が、このトウガラシに対してはどうだったのか?現在のヨーロッパ諸国のトウガラシ料理は?ハンガリーで栽培が盛んになったのはなぜか?日本、中国、韓国では?などなど、食の歴史にも興味ある方、ぜひご一読を。

トウガラシがハンガリーへやって来た

『ハンガリーを知るための60章【第2版】』によると、トウガラシは、

16世紀には植物収集家のネットワークを伝わってハンガリー地域にも現れている。ただし食用ではなく、「インド胡椒」「トルコ胡椒」などの名で、大貴族や植物学舎などが鑑賞用に育てていた。

羽場久美子(編著). 2018-1-31. 『ハンガリーを知るための60章【第2版】 ドナウの宝石』. 赤石書店. p.121.

ということですが、ここに「トルコ胡椒」の名称が出て来ました。

同書には、香辛料としてはオスマン帝国方面から「パプリカ」の名とともにやって来たようだともあります。

同様のことが『トウガラシの世界史』にも書かれていますが、トウガラシは「インド胡椒」「トルコ胡椒」「赤いトルコ胡椒」などとも呼ばれ、大貴族や知識人に鑑賞されていたそうです。

また、「パプリカ」の語源ですが、

 香辛料としては、南のオスマン帝国方面から「パプリカ」の名とともにやって来たようである。パプリカの語源は、ギリシア語やラテン語で胡椒を示す語に、南スラヴ語の指小辞がついたものである。セルビア語・クロアチア語でもパプリカなので、そこから入ってきたと考えられる。

羽場久美子(編著). 2018-1-31. 『ハンガリーを知るための60章【第2版】 ドナウの宝石』. 赤石書店. pp.121-122.

とあります。

私の近所のスーパーで売られている、大きくて赤くてむしろ甘く感じる「パプリカ」は、英語では「Bell Pepper」。やっぱり「胡椒( pepper )」の言葉が入っていますね。

各国へ広がるトウガラシ

コロンブスがスペインに持ち帰ったトウガラシは、

ポルトガル人によってアフリカを回り、インドを経て、さらに東に向かった。五十年も経たないうちに、唐辛子は世界中に広がり、地方料理、とくにアフリカや東南アジアの料理に瞬く間に取り入れられた。

P. ルクーター, J. バーレサン(著). 小林 力(訳). 2011-11-25. 『スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質』. 中央公論新社. p.26.

オスマン帝国には、ホルムズ(ペルシャ湾)やディーウ(インド)などのポルトガルの植民地を通して16世紀前半に、16世紀末から17世紀初頭頃にイタリアへ広まったそうです。

オスマン帝国から香辛料として入ってくる

ハンガリーの地図
現代ハンガリーの地図

引用元:ハンガリーの地図

西暦1683年のオスマン・トルコ帝国の領土
西暦1683年のオスマン・トルコ帝国の領土

引用元:西暦1683年のオスマン・トルコ帝国の領土 Kaiser&Augstus&Imperator CC-BY-SA-4.0

17世紀、オスマン帝国経由でトウガラシが香辛料としてハンガリーに入ってきたようです。

その興味深い「起源伝説」をご紹介します。

 さて、食用としての普及は南から、すなわちオスマン帝国経由といわれる。この点については有名な伝説がある。それを近刊の『スパイスの歴史』(二〇一四)から引用してみよう。

  十七世紀、ハンガリーの首都ブダペストを含む東ヨーロッパ一帯はオスマン帝国に支配されていた。伝説によると、メフメットというトルコのパシャ(高級官吏)がハンガリーの美しい水汲みずくみ娘を見初めて、自分のハレムに連れ去った。パシャの庭園に閉じ込められた娘は、あらゆる種類の植物に親しむようになった。その中に大きな赤い実をつけるつる性植物があり、トルコ人たちはその実をいて粉にして料理のアクセントにしていた。娘はこんなにおいしいものを食べたことがなかったので、こっそり種を集めた。ハレムにはパシャが非常事態に備えて掘らせていた秘密の抜け穴があり、娘は毎夜その抜け穴を通って、恋仲だった農民の少年と密会していた。あるとき娘が少年に種を渡し、少年が種をまくと、一年後、ブダペストの町と近郊の農村部にパプリカが生えた。それからハンガリー人はこのあたらしいスパイスを利用するようになったという。その後トルコ人たちはハンガリーを追われたが、パプリカは国を代表するスパイスになった。

 ここでも述べられているように、かつてハンガリーの大半は、今日のトルコ共和国の前身であるオスマン帝国の領土だった。

 このような歴史的な流れから見れば、トウガラシがトルコからもたらされたという説にも納得がゆく。そして、それゆえにハンガリーでは、トウガラシが「トルコ胡椒」「赤いトルコ胡椒」などと呼ばれるようになったのであろう。

山本紀夫(著). 2016-2-25. 『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』. 中公新書. pp.75-76.

南米(メキシコ産)のスパイスに名が残る「インド」に「トルコ」。

広い世界を感じてわくわくしちゃいますね。

さて、今度はハーレム(引用の書籍では「ハレム」)、ハーレムに仕える女性、と興味を引く言葉が出てきました。

ハンガリーにおけるトウガラシの始まりを聞いて、つい連想してしまうのはこちらのカップルです。

ロクセラーナとスレイマン1世 1780年 アントン・ヒッケル the Landesmuseum in Meinz
ロクセラーナとスレイマン1世 1780年 アントン・ヒッケル the Landesmuseum in Meinz

引用元:ロクセラーナとスレイマン1世

この絵が描かれたのは18世紀です。

ヒュッレム・ハセキ・スルタン、通称ロクセラーナはスラヴ系の女性でした。

スレイマン1世の寵愛を受け、彼の子供(セリム2世)を産んでいます。

16世紀 オスマン帝国によるハンガリー侵出

スレイマン1世( 1494年11月6日-1566年9月6日)

スレイマン大帝(1500年代) Nakkaş Osman トプカプ宮殿
スレイマン大帝(1500年代) Nakkaş Osman トプカプ宮殿

引用元:スレイマン大帝(1500年代) Nakkaş Osman

26歳で第10代皇帝となったスレイマン1世。壮麗王、大帝などとも呼ばれます。

在位中に13回もの遠征を行い、西はアルジェリアから東はイラク、北は黒海北岸・ハンガリー、南はエジプトに至る三大陸を支配しました。

1522年に「ロードス島包囲戦」に勝利。

1526年、「モハーチの戦い」でハンガリー王ラヨシュ2世を撃破。ハンガリー中央部を平定します。

ハンガリー王ラヨシュ2世(1506年7月1日-1526年8月29日)

ハンガリー王ラヨシュ2世( 1506年7月1日-1526年8月29日) 1522年頃 Hans Krell 美術史美術館蔵
ハンガリー王ラヨシュ2世(1506年7月1日-1526年8月29日) 1522年頃 Hans Krell 美術史美術館蔵

引用元:ハンガリー王ラヨシュ2世

ハンガリーとボヘミアの王ラヨシュ2世の妻マリアはハプスブルク家の出身です。

ラヨシュの姉アンナは、マリアの兄であるフェルディナント(後の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世)の妃でした。

また、ラヨシュ2世妃マリア、フェルディナント、そして彼らの長兄カール(神聖ローマ皇帝カール5世)は、先に出てきたスペイン女王イサベルの孫にあたります。

マリア・フォン・エスターライヒ(1505年9月17日-1558年10月17日) 16世紀前半 Jan Cornelisz Vermeyenにちなむ メトロポリタン美術館蔵
ラヨシュ2世妃マリア・フォン・エスターライヒ(1505年9月17日-1558年10月17日) 16世紀前半 Jan Cornelisz Vermeyenにちなむ メトロポリタン美術館蔵

引用元:マリア・フォン・エスターライヒ

夫ラヨシュの死後マリアは再婚せず、叔母マルグリットのあとを継いでネーデルラント総督を務めました。

神聖ローマ皇帝カール5世(1500年2月24日-1558年9月21日) 1548年 アルテ・ピナコテーク蔵
神聖ローマ皇帝カール5世(1500年2月24日-1558年9月21日) 1548年 アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:神聖ローマ皇帝カール5世

ふたりのハンガリー王

ラヨシュ2世の戦死により、ハンガリー王位は断絶。

ハンガリーの中小貴族たちはトランシルヴァニア公サポヤイ・ヤーノシュを新国王に推しますが、ラヨシュ2世妃マリアの兄で、ハンガリー王女を妻に持つオーストリア大公フェルディナントが異を唱えます。

神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(1503年3月10日-1564年7月25日) 16世紀中頃 Hans Bocksberger der Ältere 美術史美術館蔵
オーストリア大公フェルディナント1世(1503年3月10日-1564年7月25日) 16世紀中頃 Hans Bocksberger der Ältere 美術史美術館蔵

引用元:フェルディナンド1世

フェルディナントは王位を主張し、ハンガリーの大貴族たちはこれを支持。

ハンガリーにはふたりの王が立つことになりましたが、どちらも譲りません。

 業を煮やしたオーストリア大公フェルディナントは、一万五〇〇〇の兵をハンガリーに送り、トカイでヤーノシュを敗走せしめている。しかし今やハンガリーの行く末を決めるのはハプスブルク家でもないし、大貴族の議会でもない。ましてや中小貴族を束ねるトランシルヴァニア公サポヤイ・ヤーノシュでもない。

 ハンガリーの運命はスレイマン大帝の手に握られていたのである。大帝はモハーチの戦いの後、易々と王都ブダを攻略した。そしてわずか二週間足らずのブダ滞在の後、次の戦略のためにさっさとイスタンブールに帰った。

菊池良生(著). 2019-12-30. 『ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』. 河出書房新社. p.31.

ハプスブルク家のフェルディナントとの戦いに敗れたヤーノシュはオスマン帝国に接近、スレイマン大帝のもとに下ります。

スレイマン大帝はこのヤーノシュをハンガリー王にして、帝国の意のままにに操ろうと考えていました。

1529年、オスマン帝国側は「第一次ウィーン包囲」を仕掛けます。

1536年、スレイマン大帝はフランスの国王フランソワ1世との間に、対ハプスブルクのための同盟を締結。

1540年、サポヤイ・ヤーノシュが亡くなります。

スレイマン大帝はハンガリーに侵攻し、首都ブダとハンガリー中央部を占領。東ハンガリーをサポヤイの息子ジグモンドに与えます。この地はオスマン帝国の保護下に置かれました。

ジグモンドは一五七〇年、正式にハンガリー王位を諦め、七一年にその見返りとしてトランシルヴァニア公国開基を認められた。むろんこの公国はオスマン・トルコの保護下にある半独立国家のままであった。これに対してかつてのハンガリー王国の北部と西部、すなわち現ハンガリー西部とクロアチア、スロヴァキア、それに現オーストリアのブルゲンラントの諸領地は王領ハンガリーと呼ばれ、ハプスブルク家の支配下にはいった。こうしてこののち約一五〇年間にわたって続く、ハンガリーの三分割体制が出来上がったのである。

菊池良生(著). 2019-12-30. 『ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』. 河出書房新社. pp.43-44.
トランシルヴァニア公国の地図(1570年 – 1711年)
トランシルヴァニア公国の地図(1570年 – 1711年)

引用元:トランシルヴァニア公国の地図 DirectX3 CC-BY-SA-4.0

ハンガリー王国、オスマン帝国、ワラキア、モルダヴィア、ポーランド王国に囲まれたトランシルヴァニア公国。

『ハンガリーを知るための60章【第2版】』ではトランシルヴァニア国となっていますが、この記事では国と表記しています。

話はそれますが、15世紀のワラキア公といえば有名なのが、吸血鬼ドラキュラのモデルとなった「串刺し公」ヴラド3世ですね。彼はオスマン帝国と戦った人物ですから、改めて、ハンガリーの地では激しい攻防が続いていたんだなあと思います。

17世紀 第二次ウィーン包囲

1683年、オスマン帝国はウィーンを攻撃しますが、駆け付けたヨーロッパ諸国からの援軍により、オスマン帝国の軍は敗走。

この時オスマン帝国軍が残していったコーヒーをある人物が密使の報酬として貰い受け、ウィーンにカフェを開く…という「ウィーンのカフェ起源伝説」もよく知られています。

クロワッサンの原型といわれるハンガリーの伝統的なペストリー・キフリ(ドイツ語ではキプフェル)の三日月形にも、第二次ウィーン包囲に絡む「起源伝説」があります。

キプフェルン(左は塩付きのもの)
キプフェル(左は塩付きのもの)

引用元:キプフェル Hu Totya CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0

18世紀以降のグヤーシュ

『ハンガリーを知るための60章【第2版】』によると、18世紀初頭、セルビア国境に近い地域の課税台帳に「パプリカ・イシュトバーン」という名の農民が登場したそうです。

18世紀末には、パプリカがグヤーシュと結びつき始めたとの記述もあるとのこと。

その後19世紀前半にかけて、ハンガリーのエリート層の人々が農民や牧夫の文化に注目するようになります。

ハプスブルクの中央集権化政策に対抗するかたちでハンガリー人の伝統や慣習を探し、グヤーシュ料理に注目しました。

この時に目をつけたのがグヤーシュという名前であり、料理だった。1848年革命に続く戦争に敗れた後、政治活動が禁止されると、料理や服装に政治的な意味が付されるようになった。このような状況のなか、パプリカ入りのグヤーシュはハンガリーのシンボルとして定着していき、エリート層の食文化にも入り込んでいく。大平原の農民の間では、グヤーシュが結婚式など催事の料理へと地位を上げた。これらの過程と並行して、料理本や国外に移住する人々によって、ハンガリーのシンボルとしてのグヤーシュが世界に広まっていった。

羽場久美子(編著). 2018-1-31. 『ハンガリーを知るための60章【第2版】 ドナウの宝石』. 赤石書店. p.122.

「グラーシュ」を食べた時、そんな背景を全然知らずに食べました。美味しかったです。

本で見て一度は味わってみたかったのですが、当時はよく知らずにドイツ料理のひとつだと思っていたので、この記述を読んで申し訳ない気持ちになりました。

グヤーシュはハンガリーの象徴、ハンガリー人としての帰属意識を表すシンボルだったのですね。

日本人としての私が思う日本のソウルフードは、お寿司、おみそ汁、お蕎麦かな。

実際にはもっともっとありますが、すぐに思いつくのはこんな感じです。

思い浮かぶどの料理も、「美味しいですよ!」と自信を持って外国のひとに言えるもの。

しかし、通常は料理を食べるだけで、由来など何も気にしていません。

四季折々の料理一品ごとに背景や意味がある。

ということを常に噛み締めて食事しているわけではありませんが、今後各国の伝統料理を味わう機会ができた時には、その由来なども気にしてみたいと思います。

最後に、ハンガリーのことわざを。

「名声を欲する人もいれば、富を望む人もいる。しかし、グヤーシュはすべての人が切望する」

山本紀夫(著). 2016-2-25. 『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』. 中公新書. p.89.

私もグヤーシュを切望するひとり。

ハンガリーを知るための60章【第2版】―ドナウの宝石

旅行前にガイドブックと一緒に読むとより理解が深まります。こういう書籍の電子化希望。

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19世紀のハンガリー中貴族層が抱いていた、反ハプスブルク的意識。『図説 ハンガリーの歴史』でも読むことができます。

『ウィーン包囲: オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』

「ウィーン包囲」中心に書かれた本は少ないと思います。オスマン帝国との歴史を知るには良い。一読の価値あり。

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主な参考文献
  • 山本紀夫(著). 2016-2-25. 『トウガラシの世界史 辛くて熱い「食卓革命」』. 中公新書.
  • 羽場久美子(編著). 2018-1-31. 『ハンガリーを知るための60章【第2版】 ドナウの宝石』. 赤石書店.
  • P. ルクーター, J. バーレサン(著). 小林 力(訳). 2011-11-25. 『スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質』. 中央公論新社.
  • 菊池良生(著). 2019-12-30. 『ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』. 河出書房新社.
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ハンナさん、こんにちは。
    トウガラシ、珍重されたのですね。
    日本でおなじみのトウガラシは、ヨーロッパのトウガラシの同じ種類なのでしょうか。
    中華料理でも、よく使いますね。
    ハンガリー料理、初めて知ったのがグヤーシュです。
    この記事で、知りました。(笑)
    食べてみたいです。

    • ぴーちゃん様

      今回も見てくださって有難うございました。
      遅くなって本当に申し訳ありません。今回はかなり早めに返信した…筈だったのですが、見たら無かった…すみません。

      ええと、ドイツで食べたグヤーシュなんですが、今では「美味しかった」との記憶しかありません。
      お取り寄せで見つけたので、今度改めて食してみようかと思っています。(自分で作ろうとはしない)
      麻婆豆腐やキムチも好きなトウガラシ料理ですが、ししとうを焼いて食べる方がシンプルで好きかな。

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