狂女王フアナの孫娘『デンマークのクリスティーナ』

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イングランドで活躍した画家ハンス・ホルバインの『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』。「狂女王」フアナの孫娘です。

Christina of Denmark, Duchess of Milan, 1538, Hans Holbein the Younger, Oil on wood (Baltic/Polish oak, identified), 179.1 × 82.6 cm, Inventory number NG2475, The National Gallery,『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 1538年 ハンス・ホルバイン(子) ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 Christina of Denmark, Duchess of Milan 1538年 ハンス・ホルバイン(子) ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
目次

Christina of Denmark, Duchess of Milan / 『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 1538年 ハンス・ホルバイン(子) ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』( Christina of Denmark, Duchess of Milan ) 1538年 ハンス・ホルバイン(子) ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 Christina of Denmark, Duchess of Milan 1538年 ハンス・ホルバイン(子) ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』

ナショナル・ギャラリーChristina of Denmark, Duchess of Milan

英国で活躍した画家・ハンス・ホルバイン(子)による、「デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃」の肖像画です。

Christine de Danemark / Christine af Danmark / クリスティナ(クリスティーヌ・ド・ダヌマルク、1521年11月 – 1590年8月10日)

クリスティーナ(デンマーク語名はクリスティナ)は、デンマーク王クリスチャン2世と イサベル・デ・アウストリアの末子として、デンマークで生まれました。

Portræt af Christian II (1481-1559), Michiel Sittow 1468 – 1525, 1514 – 1515, Maleri, Inventarnummer KMSsp789, Olie på træ, 31 centimeter (h) x 22 centimeter (b), Statens Museum for Kunst, 『デンマーク王クリスチャン2世(1481年7月1日 - 1559年1月25日)の肖像』 1514 - 1515年 ミケル・シトウ コペンハーゲン国立美術館蔵
『デンマーク王クリスチャン2世(1481 – 1559)の肖像』 Portræt af Christian II (1481-1559) 1514 – 1515年 ミケル・シトウ コペンハーゲン国立美術館蔵

引用元:クリスティアン2世

コペンハーゲン国立美術館Portræt af Christian II (1481-1559)

Isabella of Austria (1501-1526) c.1510-15, Attributed to the workshop of Pieter van Coninxloo (active 1479-1513), Oil on panel | 36.2 x 24.0 cm (support, canvas/panel/stretcher external) | RCIN 403466, the Royal Collection, 『イサベル・デ・アウストリア(イサベラ・ア・ブアグン)』 1510年 - 1515年頃 Pieter van Coninxlooの工房に帰属 ロイヤル・コレクション蔵
『イサベル・デ・アウストリア(イサベラ・ア・ブアグン)』 Isabella of Austria (1501-1526) 1510 – 1515年頃 Pieter van Coninxlooの工房に帰属 ロイヤル・コレクション蔵

引用元:Isabella of Austria (1501-1526)

ロイヤル・コレクションIsabella of Austria (1501-1526)

The Children of Christian II, King of Denmark (1481-1559) 1526, Jan Gossaert (c. 1478-1532), Oil on oak panel | 34.2 x 46.2 cm (support, canvas/panel/stretcher external) | RCIN 405782, the Royal Collection, 『デンマーク王クリスチャン2世(1481年~1559年)の子どもたち』 1526年 ヤン・ホッサールト ロイヤル・コレクション蔵
『デンマーク王クリスチャン2世(1481年~1559年)の子どもたち』 The Children of Christian II, King of Denmark (1481-1559) 1526年 ヤン・ホッサールト ロイヤル・コレクション蔵

引用元:Three children of King Christian II of Denmark by Jan Gossaert (1526)

ロイヤル・コレクションThe Children of Christian II, King of Denmark (1481-1559)

母イサベルの死後描かれた子供たち。3歳のクリスティーナと、兄ハンス、姉ドロテアです。

1523年、父のクリスチャン2世が王位を追われ、一家でフランドルへ亡命。

困窮の中、大伯母であるマルグリット・ドートリッシュに引き取られます。

1533年、クリスティーナは、ミラノ公フランチェスコ2世・スフォルツァと結婚しました。

しかし夫とは2年後に死別し、帰国します。

Da Tiziano – Portrait of Francesco XII Sforza, 113×94 cm, olio su tela, FC 708, esposto nella villa del Principe di Genova, DORIA PAMPHILJ, 『ミラノ公フランチェスコ2世・スフォルツァ(1495 - 1535)の肖像』 ティツィアーノの工房 ドーリア・パンフィーリ美術館蔵
『ミラノ公フランチェスコ2世・スフォルツァ(1495 – 1535)の肖像』 Portrait of Francesco XII Sforza ティツィアーノの工房 ドーリア・パンフィーリ美術館蔵

引用元:ミラノ公フランチェスコ2世・スフォルツァ Sailko CC-BY-3.0

(サイトには、伊英版とも Portrait of Francesco XII Sforza とあります)

1538年、ブリュッセルの宮廷に居たクリスティーナを、イングランドの宮廷画家であるハンス・ホルバインが訪ねてきます。

その前年に 3番目の妃 ジェーン・シーモアと死別した イングランド王ヘンリー8世が、「4番目のお妃」となる女性を探しており、王に見せる肖像画(お見合い写真のようなもの)を描くためでした。

Autoritratto, Hans Holbein der Jüngere, 1497 / 1498 - 1543, ハンス・ホルバイン(子)自画像 1542 - 1543年頃 ウフィツィ美術館蔵
ハンス・ホルバイン(子)自画像 Autoritratto, Hans Holbein der Jüngere 1542 – 1543年頃 ウフィツィ美術館蔵

引用元:ハンス・ホルバイン(子)自画像

Portrait of Henry VIII of England, Ritratto di Enrico VIII, 1540, Holbein Hans, Numero Inventario: 878, Fondo Nazionale: F.N. 750, Gallerie Nazionali Barberini Corsini, 『ヘンリー8世(1491年6月28日 - 1547年1月28日)の肖像』 1540年 ハンス・ホルバイン(子) 国立古典絵画館蔵
『ヘンリー8世(1491 – 1547)の肖像』 Portrait of Henry VIII of England, Ritratto di Enrico VIII 1540年 ハンス・ホルバイン(子) 国立古典絵画館蔵

引用元:ヘンリー8世

国立絵画館Ritratto di Enrico VIII

3月12日、彼女は3時間だけホルバインのモデルになることに同意しました。

絵の中の彼女が黒い衣裳なのは、これが喪服だから。

その場で描かれた素描は、イギリス公使によって「まさに完璧」と判断された。ホルバインはロンドンに戻ってから油彩の肖像画を仕上げたに違いない。

エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書. p.126.

カンペキ (゚д゚)!

正面向きのポーズ(ヘンリーの花嫁候補たちを描いたホルバインの他の肖像画にも共通の特徴)は、王の指示で選ばれたとする指摘がある。他の向きではモデルの欠点が隠されてしまう恐れがあると、王は懸念したのかもしれない。

エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書. p.126.

ヘンリー8世の4番目のお妃となったアン・クレーヴズの肖像画も、正面から書かれています。

Portrait of Anne of Cleves, Portrait d'Anne de Clèves (1515-1557), reine d'Angleterre, quatrième épouse de Henri VIII, 1539, huile et vélin sur toile,  65 × 48 cm, Holbein le Jeune, Hans, INV 1348 ; MR 756, Hauteur : 0,65 m ; Hauteur avec accessoire : 0,73 m ; Largeur : 0,48 m ; Largeur avec accessoire : 0,745 m, huile sur vélin collé sur toile (à l'origine collé sur bois), Musée du Louvre, Département des Peintures,『アンナ・フォン・クレーフェ(アン・オブ・クレーヴズ) (1515 - 1557)の肖像』 1539年 ハンス・ホルバイン(子) ルーヴル美術館蔵
『アンナ・フォン・クレーフェ(アン・オブ・クレーヴズ) (1515 – 1557)の肖像』 Portrait d’Anne de Clèves (1515-1557), reine d’Angleterre, quatrième épouse de Henri VIII 1539年 ハンス・ホルバイン(子) ルーヴル美術館蔵

引用元:アン・オブ・クレーヴズ

ルーヴル美術館Portrait d’Anne de Clèves (1515-1557), reine d’Angleterre, quatrième épouse de Henri VIII

美人に描き過ぎたのか? アン・オブ・クレーヴズの肖像

実物より美人?『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』(ハンス・ホルバイン(子)作)

とてもとても魅力的なクリスティーナの肖像ですが、超美人だった、というわけでもないようです。

非常な美人だったという話はないものの、クリスティーナは手の優雅さを大いに賛美されていた。そこで、この絵の中の手の部分で、ホルバインは肌の繊細な美しさを際立たせるために、リネンやビロード、毛皮、皮、金、宝石の質感の違いを描き分けている。

エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書. p.126.

手の美しさも美人の条件なんですね。

でもモデルの人柄が滲み出るような、いたずらっぽいクリスティーナの微笑みにとても惹かれます。

ホルバインとクリスティーナの話も載っています

ヘンリー8世の最初の妻 キャサリン・オブ・アラゴン

ヘンリー8世の最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴンは、クリスティーナにとって母方の大叔母に当たります。

Katherine of Aragon, attributed to Lucas Horenbout (or Hornebolte), watercolour on vellum, circa 1525, 1 1/2 in. (38 mm) diameter, Primary Collection, NPG 4682, National Portrait Gallery, London, キャサリン・オブ・アラゴン(1487年12月16日 - 1536年1月7日) 1525年頃 Lucas Horenboutに帰属 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
キャサリン・オブ・アラゴン(1487 – 1536) Katherine of Aragon 1525年頃 Lucas Horenboutに帰属 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:キャサリン・オブ・アラゴン

ナショナル・ポートレート・ギャラリーKatherine of Aragon

ヘンリー8世はキャサリンの侍女だったアン・ブーリンに夢中になり、キャサリンと離婚しようとします。

神聖ローマ皇帝カール5世は叔母の離婚に反対し、教皇クレメンス7世に圧力をかけました。

Bildnis Kaiser Karls V. im Lehnstuhl, 1548, Tiziano Vecellio, gen. Tizian, Leinwand, 204,5 x 122 cm, Malerei, Inventarnummer 632, Bayerische Staatsgemäldesammlungen – Alte Pinakothek München, 神聖ローマ皇帝カール5世(1500年2月24日 - 1558年9月21日) 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ アルテ・ピナコテーク蔵
『神聖ローマ皇帝カール5世(1500 – 1558)』 Bildnis Kaiser Karls V. im Lehnstuhl 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:神聖ローマ皇帝カール5世

アルテ・ピナコテークBildnis Kaiser Karls V. im Lehnstuhl, 1548

Portrait of Pope Clement VII / Ritratto di papa Clemente VII, 1525 - 1527, Luciani Sebastiano (Sebastiano del Piombo) 1485 ca./ 1547, olio su tela, cm 145 × 100, Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte, Napoli (Campania, Italia), Entry number 17830, 教皇クレメンス7世(1478 - 1534) 1525 - 1527年頃 セバスティアーノ・デル・ピオンボ カポディモンテ美術館蔵
『教皇クレメンス7世(1478 – 1534)の肖像』 Ritratto di papa Clemente VII, 1525 – 1527年頃 セバスティアーノ・デル・ピオンボ カポディモンテ美術館蔵

引用元:教皇クレメンス7世

しかし、ヘンリー8世は国の宗教を変えてまでキャサリンを離婚。

キャサリンは娘メアリー(後の女王メアリー1世)を残して他界します。

メアリー1世の真珠と「ラ・ペレグリーナ」

2番目の王妃となったアン・ブーリンは女児エリザベスをもうけたのみで王の跡継ぎを産むことができず、王の寵愛は別の女性に移ってしまいました。このエリザベスが後のエリザベス1世です。

ところが、世継ぎとなる男児エドワードを産んだ3番目の王妃ジェーン・シーモアも亡くなってしまい、ヘンリー8世は新しい王妃を探していたのです。

クリスティーナは、寵愛を失ったアン・ブーリンが投獄され、斬首されたことを聞いて知っていました。

イングランド王のお妃候補に、と話があった途端、急いで結婚してしまう女性もいたそうです。

クリスティーナは「私に二つの頭があったら、王と結婚いたします。」(ひとつは王の好きにしていいけれど、一個しかないから斬られたら困る)とやんわりと断ったのでした。

クリスティーナの再婚

1541年、クリスティーナは バール公フランソワ(ロレーヌ公フランソワ1世)と再婚します。

バール公フランソワ(ロレーヌ公フランソワ1世)(1517年8月23日 - 1545年6月12日) François Ier, duc de Lorraine et de Bar 美術史美術館蔵
バール公フランソワ(ロレーヌ公フランソワ1世)(1517 – 1545) François Ier, duc de Lorraine et de Bar 美術史美術館蔵

引用元:バール公フランソワ(ロレーヌ公フランソワ1世)

フランソワは、ヘンリーの 4番目の王妃となったアンナ・フォン・クレーフェ(英語名アン・オブ・クレーヴズ)のかつての婚約者でした。

ヘンリー8世妃アン・オブ・クレーヴズ(アンナ・フォン・クレーフェ)が着る1530年代のハイ・ファッション

クリスティーナとの間には 1男2女が生まれます。

フランソワは1544年に公爵となりましたが、翌1545年に亡くなり、クリスティーナは再び未亡人に。

幼い長男がロレーヌ公シャルル3世となり、クリスティーナは長く摂政を務めました。

Portrait de Christine de Danemark, duchesse de Milan puis de Lorraine (Nyborg ou Copenhague, novembre ou 5 décembre 1521-Tortona, 10 août ou 10 septembre 1590), François Clouet dit Janet, Daté en haut à droite 1558, Huile sur panneau, Lot 33, Sotheby's, デンマークのクリスティーナ 1558年 フランソワ・クルーエ
デンマークのクリスティーナ 1558年 フランソワ・クルーエ

引用元:デンマークのクリスティーナ

Sotheby’sPortrait de Christine de Danemark, duchesse de Milan puis de Lorraine (Nyborg ou Copenhague, novembre ou 5 décembre 1521-Tortona, 10 août ou 10 septembre 1590)

意志が強く威厳のある女性であった彼女は、公国を慎重に統治し、皇帝を公然と支持したが、1552年にロレーヌ三司教領を奪取して支配権を握ったフランス王アンリ2世によって廃位された。シャルルはフランス宮廷に送られ、将来の妻となるアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの次女クロードを含む王室の子どもたちと共に育てられた。クリスティーヌは2人の娘と共にメヘレンに隠棲し、シャルル3世が王国に復帰した1558年にようやくナンシーに戻った。その後、彼女はイタリアのトルトーナに居を構え、ミラノ公爵未亡人としてその地を統治した。

1558年、この絵画の上部に記されている日付の通り、クリスティーヌは息子とクロード王女の結婚式に出席するため、初めてフランス宮廷を訪れました。おそらくカトリーヌ・ド・メディシスの依頼により、王室御用達の肖像画家フランソワ・クルーエが、公爵夫人と同行した娘ルネの肖像画を描きました(ロンドン、大英博物館、所蔵番号1910,0212.70)。これはクリスティーヌの最初の肖像画ではなく、彼女はすでに著名な画家たちの肖像画を描いていた。1526年のヤン・ゴッサールト(ハンプトン・コート、ロイヤル・コレクション、インベントリー番号405782)、1538年のハンス・ホルバイン(子)、1545年のミヒール・コクシー(オハイオ州オーバリン、アレン記念美術館、インベントリー番号AMAM 1953.270)、そして1554年のアントニス・モル(ロイヤル・コレクション、インベントリー番号405799)などである。これら公爵夫人の肖像画すべてにおいて、ハプスブルク家特有の突き出た唇がなく、同じ長い顔、濃い茶色の目、まっすぐな鼻、尖った顎、小さな口が見られる。彼女の美しさは確かに有名だったが、敬虔なクリスチャンは常に装飾品や宝石を一切つけず、黒い服に白い頭飾りをつけて現れた。それは、最初の夫の死後から身につけ、二度目の結婚生活の間もずっと着続けた未亡人の装いだった。(Google翻訳)

Sotheby’s Portrait de Christine de Danemark, duchesse de Milan puis de Lorraine (Nyborg ou Copenhague, novembre ou 5 décembre 1521-Tortona, 10 août ou 10 septembre 1590)

クリスティーナの容貌について、「ハプスブルク家特有の突き出た唇がない」とありますね。

ホルバイン(子)による肖像でも、特に気になるようなことも無いですもんね。

ミヒール・コクシー (Michiel Coxcie, 1499 – 1592) によって下の肖像画が描かれたのは、1545年。

コクシーは、クリスティーナの叔母「ハンガリーのマリア」の宮廷画家でした。

Portrait of Christina of Denmark, Michiel Coxcie (Flemish, 1499–1592), 1545, Oil on oak panel, Overall: 27 15/16 × 21 7/8 in. (71 × 55.6 cm), Object number 1953.270, Allen Memorial Art Museum, 『デンマークのクリスティーナの肖像』 1545年 ミヒール・コクシー アレン記念美術館蔵
『デンマークのクリスティーナの肖像』 Portrait of Christina of Denmark 1545年 ミヒール・コクシー アレン記念美術館蔵

引用元:デンマークのクリスティーナ

アレン記念美術館Portrait of Christina of Denmark

Portait of Charles III, Duc de Lorraine et Bar (1543 - 1608), Studio of François Clouet, oil on panel, in a 16th century frame, Probably collection of Eugène Kraemer; Lot 187, Sotheby's, ロレーヌ公シャルル3世 (1543年 - 1608年) 16世紀 フランソワ・クルーエの工房
ロレーヌ公シャルル3世 Portait of Charles III, Duc de Lorraine et Bar (1543 – 1608) 16世紀 フランソワ・クルーエの工房

引用元:ロレーヌ公シャルル3世

Sotheby’sPortait of Charles III, Duc de Lorraine et Bar (1543 – 1608)

ちなみに、息子シャルルの名はクリスティーナの伯父であるカール5世にちなんで付けられたそうです(「シャルル」はカールのフランス語読み)。

この肖像画は、おそらく1571年から1572年頃の巨匠による失われた素描または絵画に基づいている。同じ構図の素描(これもクルーエの作品と考えられている)がルーヴル美術館グラフィックアート部門(Inv.33.436)に所蔵されている。肖像画のモデルであるロレーヌ公シャルル3世(1543-1608)は、1570年11月のシャルル9世とオーストリアのエリザベートの結婚式に出席するため、この時期にパリに滞在していたことが記録されており、1571年1月末までパリに留まった。また、1572年8月には、フランスのマルグリットとナヴァールのアンリの結婚式に出席するためパリを訪れている。この作品の元となったクルーエの肖像画がオリジナルであると仮定すると、これはクルーエの最後の作品の 1 つであり、1572 年 9 月にクルーエが亡くなる直前に制作されたものと推定される。この頃、クルーエの工房は繁盛しており、クルーエの死後、宮廷画家としてクルーエの後を継いだジャン・デクールは、クルーエにとって最も重要な協力者であった。デクールに関する資料は少ないが、おそらくクルーエの弟子であり協力者であったと考えられ、この作品のいくつかの側面、特に宝飾品や衣装の描写には、デクールの影響が見られる。

シャルルはロレーヌ公フランソワ 1 世とデンマークのクリスティーナの息子である。彼の治世は進歩と繁栄で知られている。彼は公国の司法と財政を改革し、経済発展を奨励した。1572 年、彼はポンタムッソンに大学を設立し、首都ナンシーを拡張した。(Google翻訳)

Sotheby’s Portait of Charles III, Duc de Lorraine et Bar (1543 – 1608)

引用文中のジャン・デクール(Jean de Court または Jehan De Court, ジャン・ド・クールとも表記、1530年頃 – 1585年頃)とは、フランスの画家。

フランソワ・クルーエの後を継ぎ、フランス宮廷の肖像画家となりました。

息子シャルルの妃は、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスの娘、クロード・ド・ヴァロワです。

Herzogin Claudia, Tochter Heinrichs II. von Frankreich, François Clouet (Werkstatt) (1522-1572), Eichenholz, 31,4 x 23,3 cm, Französische Malerei, Inventory number 1489, Bayerische Staatsgemäldesammlungen – Alte Pinakothek München, クロード・ド・ヴァロワ(1547 - 1575) 1522 - 1572年 フランソワ・クルーエの工房 アルテ・ピナコテーク蔵
クロード・ド・ヴァロワ(1547 – 1575) Herzogin Claudia, Tochter Heinrichs II. von Frankreich 1522 – 1572年 フランソワ・クルーエの工房 アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:クロード・ド・ヴァロワ

アルテ・ピナコテークHerzogin Claudia, Tochter Heinrichs II. von Frankreich

クロード・ド・ヴァロワの娘のマカロン

カトリーヌ・ド・メディシスとアイスクリームとジャム

このクリスティーナやシャルルの子孫が、ロレーヌ公(ロートリンゲン公)フランツ、その娘マリー・アントワネットです。

1590年8月10日、クリスティーナはトルトーナで亡くなりました。

Christine of Denmark, Nepoznati umetnik, Lombardija, Portret Kristine Danske, 16. vek, ulje na platnu, 110 x 83 cm., National Museum, 『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃の肖像』 16世紀 作者不明、ロンバルディア地方 台帳番号 132 セルビア国立博物館蔵
『デンマークのクリスティーナの肖像』 Portret Kristine Danske 16世紀 作者不明、ロンバルディア地方 セルビア国立博物館蔵

引用元:Portret Kristine Danske

Christina of Denmark (1522-90) Signed and dated 1554, Anthonis Mor (1512-16-c. 1576), Oil on panel | 111.8 x 91.2 cm (support, canvas/panel/stretcher external) | RCIN 405799, the Royal Collection, 『デンマークのクリスティーナ』 1554年 アントニス・モル ロイヤル・コレクション蔵
『デンマークのクリスティーナ』 Christina of Denmark (1522-90) 1554年 アントニス・モル ロイヤル・コレクション蔵

引用元:Christina of Denmark (1522-90)

ロイヤル・コレクションChristina of Denmark (1522-90) Signed and dated 1554

画家はプラド美術館の『メアリー1世の肖像』を描いたアントニス・モル。

この絵が描かれた1554年当時、モルはイングランドに滞在していました。

アントニス・モルは1554年にイングランドで活動しており、そこでこの肖像画を描いた可能性がある。当時、サヴォイア公エマニュエル・フィリベールもイングランドに滞在しており、ミラノ公爵夫人兼ロレーヌ公爵夫人と結婚することが提案されていた。結婚交渉は実現しなかったが、この肖像画の依頼と、最終的にクリスティーナの求婚に失敗した男性の肖像画と並べて描かれた理由を説明できるかもしれない。(Google翻訳)

ロイヤル・コレクション Christina of Denmark (1522-90) Signed and dated 1554

英国王への輿入れを断ったデンマーク王女クリスティーナ。

と、そこだけ聞くと「ふーん」だったのですが、彼女が狂女王フアナの孫娘で、ヘンリー8世の最初の妻キャサリンの姪の娘で、神聖ローマ皇帝カール5世の姪、と知るとまた少し「深く」見えてくるような気がしました。

この時代、有名人が「ほとんど親戚同士」で、名前も似ている(同じ)なので混乱する × 混乱する。

しかも困窮したクリスティーナたちを迎え入れたのは、マルグリット・ドートリッシュ。

まあ、それは親戚だしね、と思うのですが、マルグリットはカールやイサベル(・デ・アウストリア)のために私設学校をつくり、そこには後にヘンリー8世の王妃となるアン・ブーリンも留学していた…。

となるとミーハーな私としては興味深過ぎます。

それでは、狂女王フアナの家族、子供たちについても見て行きたいと思います。

クリスティーナの祖母 フアナ

Juana la Loca(「狂女フアナ」 1479年11月6日 – 1555年4月12日)

Königin Juana "Die Wahnsinnige" (1479-1555), nach 1495/1496 | Meister der Magdalenenlegende, Meister der Magdalenenlegende (tätig um 1490 - um 1526 in Brüssel (?)), Auf der unteren Rahmenleiste: Madame.Jehanne.de.castille, Ambraser Slg., Johanna I. (1504-1555), Königin von Kastilien und León, seit 1516 auch Aragon (1479 - 1555), Holz, Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, Inv. Nr. Gemäldegalerie, 4450, nach 1495/1496, Gemälde, 36 × 24,5 cm, カスティーリャ女王フアナ(1479年11月6日 - 1555年4月12日) 1495 - 1496年頃 美術史美術館蔵
カスティーリャ女王フアナ(1479 – 1555) 1495 – 1496年頃 美術史美術館蔵

引用元:カスティーリャ女王フアナ

美術史美術館Königin Juana “Die Wahnsinnige” (1479-1555)

フアナは1479年11月6日、「カトリック両王」と呼ばれた、カスティーリャ女王イサベル1世と、その夫のアラゴン王フェルナンド2世の娘として生まれました。

おとなしく、読書好きな子どもでした。

フアナの兄と妹

フアナは5人きょうだいの3番目で、兄にフアン、妹にカタリナ(英語名はキャサリン・オブ・アラゴン)がいます。

Joan d'Aragó, príncep de Girona i d'Astúries, fill dels Reis Catòlics., La Virgen de los Reyes Católicos, Maestro de la Virgen de los Reyes Católicos, 1491 - 1493. Técnica mixta sobre tabla, 123 x 112 cm, Número de catálogo P001260, Museo del Prado, アストゥリアス公フアン(1478年6月28日 - 1497年10月4日) 1491 - 1493年 プラド美術館蔵
アストゥリアス公フアン(1478 – 1497) 1491 – 1493年 プラド美術館蔵

引用元:Joan d’Aragó i de Castella

プラド美術館La Virgen de los Reyes Católicos

キャサリン・オブ・アラゴン( Catherine of Aragon, 1487年12月16日 - 1536年1月7日) 1525年頃 Lucas Horenbout ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
カタリナ(キャサリン・オブ・アラゴン)(1487 – 1536) 1525年頃 Lucas Horenbout ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:キャサリン・オブ・アラゴン

フアナの夫とその妹

1496年、フアナは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長男である ブルゴーニュ公フィリップ(フィリップ美公)と結婚します。

Philipp "der Schöne" (1478-1506), um 1500 | Juan de Flandes, Juan de Flandes (?) (nachweisbar ab 1496 - 1519 Palencia), Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, Philipp I. (1482-1506), Herzog von Burgund, seit 1504 König von Kastilien und León (1478 - 1506), Eichenholz, Gemälde, 30 × 19,3 cm, Inv. Nr. Gemäldegalerie, 3872, ブルゴーニュ公フィリップ4世(フィリップ美公)(1478年7月22日 - 1506年9月25日) 1500年頃 フアン・デ・フランデス 美術史美術館蔵
ブルゴーニュ公フィリップ4世(フィリップ美公)(1478 – 1506) 1500年頃 フアン・デ・フランデス 美術史美術館蔵

引用元:フィリップ美公

美術史美術館蔵Philipp “der Schöne” (1478-1506)

兄のフアンは フィリップ美公の妹・マルグリット(マルガレーテ)と翌年の1497年に結婚するという、スペイン王家とハプスブルク家の「二重結婚」でした。

Portrait de Marguerite d’Autriche, de Bernard Van Orley (vers 1515-1518), exposé dans les collections du musée des Beaux-Arts, マルグリット・ドートリッシュ(1480年1月10日 - 1530年12月1日) 1515 - 1518年頃 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵
マルグリット・ドートリッシュ(1480 – 1530) Portrait de Marguerite d’Autriche 1515 – 1518年頃 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵

引用元:マルグリット・ドートリッシュ

結婚当初はフアナを情熱的に愛してくれたフィリップでしたが、元々女性関係が派手だったこともあり、次第に他の女性に目を移していきます。

激しい嫉妬と猜疑心に、フアナの精神は蝕まれていきました。

狂気の芽は既にイザベル女王の母親に見られたのですが、フアナにもその兆しが表れたのです。

家族の死

1497年、スペインの王位継承者だったフアンが亡くなります。

このときマルグリットは妊娠中でしたが、後に死産。

マルグリットは、実の娘のように可愛がってくれたイザベル女王の元にしばらく留まった後、1500年に帰国しました。

1504年にはフアナの母イザベル女王が癌で崩御。

そして、最愛の夫であるフィリップが1506年に急死します。

フアナはついに正気を失いました。

ふたりの間には6人の子供がいましたが、フアナに子供の養育は出来ない状態に。

そのため、レオノール、カルロス、イサベル、マリアの4人は義妹(かつ元兄嫁)だったマルグリットが。

次男フェルナンドと末妹カタリナは、フアナの父フェルナンド2世が育てることになったのです。

マルグリットは愛情込めて幼い甥と姪たちを養育、彼らのために私設学校を開きました。

この私設学校には、後にヘンリー8世妃となるアン・ブーリンも留学します。

アン・ブーリン マルグリット・ドートリッシュの私設学校への留学

アン・ブーリンはレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を見掛けたか?

ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ

フアナの子どもたち

レオノール(1498年11月15日 – 1558年2月25日)

Königin Eleonore von Österreich (1498-1558), 1532/33 | Joos van Cleve, Eleonore Tochter des Philipp von Habsburg (1498 Löwen - 1558 Talavera de la Reina), Eichenholz, Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, 1532/33, Gemälde, 35,5 × 29,5 × 0,6 cm, Inv.Nr.Gemäldegalerie, 6079, エレオノール・ドートリッシュ(レオノール・デ・アウストリア)(1498年11月15日 - 1558年2月25日) 1532年 - 1533年 ヨース・ファン・クレーフェ 美術史美術館蔵
エレオノール・ドートリッシュ(レオノール・デ・アウストリア)(1498 – 1558) 1532 – 1533年 ヨース・ファン・クレーフェ 美術史美術館蔵

引用元:レオノール・デ・アウストリア(エレオノール・ドートリッシュ)

美術史美術館Königin Eleonore von Österreich (1498-1558)

スペイン語名はレオノール・デ・アウストリア (Leonor de Austria) 、

フランス語名はエレオノール・ドートリッシュ (Éléonore d’Autriche) または エレオノール・ド・アブスブール (Éléonore de Habsbourg) 。

初めはポルトガル王マヌエル1世妃となりましたが、死別。

後にフランス王フランソワ1世妃となり、フランソワ1世とカール5世の橋渡し役を務めました。

Francis I of France, François 1er (1494-1547), roi de France.,1525 / 1550, INV 3256 ; B 1964, huile sur bois (chêne), 96 cm × 74 cm, Clouet, Jean, Louvre, フランス国王フランソワ1世(1494 - 1547年) 1525 - 1550年 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵
フランス国王フランソワ1世(1494 – 1547) 1525 – 1550年 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵

引用元:フランソワ1世

ルーヴル美術館François 1er (1494-1547), roi de France.

デンマークのクリスティーナ、エレオノールも登場

フェリペ2世の妃たち エリザベートとアナ

カルロス(1500年2月24日 – 1558年9月21日)

Bildnis Kaiser Karls V. im Lehnstuhl, 1548, Tiziano Vecellio, gen. Tizian, Leinwand, 204,5 x 122 cm, Malerei, Inventarnummer 632, Bayerische Staatsgemäldesammlungen – Alte Pinakothek München, 神聖ローマ皇帝カール5世(1500年2月24日 - 1558年9月21日) 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ アルテ・ピナコテーク蔵
神聖ローマ皇帝カール5世(1500 – 1558) 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:神聖ローマ皇帝カール5世

神聖ローマ帝国のローマ皇帝(在位:1519年 – 1556年)、およびスペイン国王(在位:1516年 – 1556年)。

スペイン国王としてはカルロス1世 (Carlos I) 。

スペイン語名ではカルロス、ドイツ語名ではカール、フランス語名ではシャルルです。

妻は、いとこのポルトガル王女、イサベル。

La emperatriz Isabel de Portugal, Vecellio di Gregorio Tiziano, 1548, Número de catálogo P000415, Óleo sobre lienzo, 117 x 98 cm, Procedencia Colección Real (¿Palacio del Buen Retiro, Madrid, 1772, nº 616?; ¿Buen Retiro, 1794, nº 440?; Palacio Real, Madrid, secretaría de Estado, 1814-1818, s.n.)., Museo del Prado, イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン(1503年10月23日 - 1539年5月1日) 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ プラド美術館蔵
イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン(1503 – 1539) 1548年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ プラド美術館蔵

引用元:イサベル・デ・ポルトゥガル

プラド美術館蔵La emperatriz Isabel de Portugal

イサベル自身もカトリック両王の孫にあたります。

イサベル(1501年5月18日 – 1525年1月18日)

Isabella of Austria (1501-1526) c.1510-15, Attributed to the workshop of Pieter van Coninxloo (active 1479-1513), Oil on panel | 36.2 x 24.0 cm (support, canvas/panel/stretcher external) | RCIN 403466, the Royal Collection, 『イサベル・デ・アウストリア(イサベラ・ア・ブアグン)』 1510年 - 1515年頃 Pieter van Coninxlooの工房に帰属 ロイヤル・コレクション蔵
『イサベル・デ・アウストリア(イサベラ・ア・ブアグン)』 (1501 – 1526) 1510 – 1515年頃 Pieter van Coninxlooの工房に帰属 ロイヤル・コレクション蔵

引用元:Isabella of Austria (1501-1526)

スペイン語名はイサベル・デ・アウストリア (Isabel de Austria) 、

デンマーク語ではイサベラ・ア・ブアグン (Isabella af Burgund) 、エリサベト・ア・ウストリ (Elisabet af Østrig) 。

デンマーク王クリスチャン2世の王妃であり、クリスティーナの生母。

デンマークを追われ、叔母のマルグリット・ドートリッシュの元へ身を寄せます。

フェルナンド(1503年3月10日 – 1564年7月25日)

Kaiser Ferdinand I. (1503-1564), Bildnis in ganzer Figur, Mitte 16. Jahrhundert | Johann Bocksberger d. Ä., Leinwand, Kopie nach:Jakob Seisenegger (?) (1505 Niederösterreich - 1567 Linz), 203,2 × 109,5 × 2,5 cm, Gemäldegalerie, 4386, Kunsthistorisches Museum, Kunstkammer Saal XXX, 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(1503年3月10日 - 1564年7月25日) 16世紀半ば Johann Bocksberger d. Ä. 美術史美術館蔵
神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(1503 – 1564) 16世紀半ば Johann Bocksberger d. Ä. 美術史美術館蔵

引用元:神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世

美術史美術館Kaiser Ferdinand I. (1503-1564), Bildnis in ganzer Figur

神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(在位:1556年 – 1564年)。

オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王。

ドイツ語名はフェルディナント (Ferdinand)、スペイン語名はフェルナンド (Fernando) 。

同名の祖父・アラゴン王フェルナンド2世からとても可愛がられました。

Fernando II de Aragón / König Ferdinand II. (1452-1516) von Aragon, Ende 15. / Anfang 16. Jahrhundert | Michiel Sittow, Michiel Sittow (?) (1468 - 1525 Reval), Ferdinand II. (1474-1516), seit 1479 König von Aragon, 1474-1504, ab 1506 als Ferdinand V. König von (1452 - 1516), Holz, Gemälde, Ende 15. / Anfang 16. Jahrhundert, Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, 1772 in der Galerie nachweisbar, Inv. Nr. Gemäldegalerie, 830, アラゴン王フェルナンド2世(1452年3月10日 - 1516年6月23日) 15世紀末 - 16世紀初頭 ミケル・シトウ(?) 美術史美術館蔵
アラゴン王フェルナンド2世(1452 – 1516) 15世紀末 – 16世紀初頭 ミケル・シトウ(?) 美術史美術館蔵

引用元: アラゴン王フェルナンド2世

美術史美術館König Ferdinand II. (1452-1516) von Aragon

カスティーリャ女王イサベル1世、マルグリット・ドートリッシュに仕えた画家シトウ

ミケル・シトウによる肖像画

マリア(1505年9月17日 – 1558年10月17日)

Mary (1505–1558), Queen of Hungary, Copy after Jan Cornelisz Vermeyen Netherlandish, Oil on wood, 21 1/2 x 18 in. (54.6 x 45.7 cm), Paintings, Object Number: 1982.60.26, The Metropolitan Museum of Art, マリア・フォン・エスターライヒ(1505年9月17日 - 1558年10月17日) Jan Cornelisz Vermeyenにちなむ メトロポリタン美術館蔵
マリア・フォン・エスターライヒ(1505 – 1558) Jan Cornelisz Vermeyenにちなむ メトロポリタン美術館蔵

引用元:マリア・フォン・エスターライヒ

メトロポリタン美術館Mary (1505–1558), Queen of Hungary

ドイツ語名はマリア・フォン・エスターライヒ (Maria von Österreich) 。

ハンガリーとボヘミアの王ラヨシュ2世の王妃。ラヨシュの死後は再婚しませんでした。

兄カルロス(神聖ローマ皇帝カール5世)の命を受け、叔母マルグリット・ドートリッシュの後任としてネーデルラント17州の総督を務めました。

König Ludwig II. (1506-1526) von Ungarn, 1522 | Hans Krell (gest. um 1586 Leipzig), Ludwig II. (1516-1526), König von Ungarn und Böhmen (1506 Ofen - 1526 Mohács), Gemälde, Kiefer, Deutsch, Bildmaß: 31,4 × 27,4 × 0,8 cm, Inv. Nr.Gemäldegalerie, 4460, Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, ハンガリー王ラヨシュ2世(1506年7月1日 - 1526年8月29日) 1522年頃 Hans Krell 美術史美術館蔵
ハンガリー王ラヨシュ2世(1506 – 1526) 1522年 Hans Krell 美術史美術館蔵

引用元:ハンガリー王ラヨシュ2世

美術史美術館König Ludwig II. (1506-1526) von Ungarn

トウガラシ、ハンガリーにやってくる。

カタリナ(1507年1月14日 – 1578年2月12日)

La reina Catalina de Austria, Antonio Moro, 1552 - 1553. Óleo sobre tabla de roble del báltico, 107 x 84 cm, Número de catálogo P002109, Colección Real, Museo del Prado.カタリナ・デ・アウストリア(カタリーナ・フォン・シュパーニエン, 1507年1月14日 - 1578年2月12日) 1552 - 1553年頃 アントニス・モル プラド美術館蔵
カタリナ・デ・アウストリア(カタリーナ・フォン・シュパーニエン, 1507 – 1578) La reina Catalina de Austria 1552 – 1553年頃 アントニス・モル プラド美術館蔵

引用元:カタリナ

プラド美術館La reina Catalina de Austria

スペイン語名はカタリナ・デ・アウストリア (Catalina de Austria) 、ドイツ語名はカタリーナ・フォン・シュパーニエン (Katharina von Spanien) 。

いとこであるポルトガル王ジョアン3世の王妃。

ジョアン3世は、カール5世の妻イサベルの兄でもあります。

19世紀の歴史画には、幽閉中の母フアナと過ごした少女時代のカタリナも描かれています。

La reina Juana la Loca, recluida en Tordesillas con su hija, la infanta Catalina, Francisco Pradilla y Ortiz, 1906., Óleo sobre lienzo, 85 x 146 cm, Número de catálogo P007493, Museo Nacional del Prado., 『幽閉中のフアナ』 1906年 フランシスコ・プラディーリャ プラド美術館蔵
『幽閉中のフアナ』 La reina Juana la Loca, recluida en Tordesillas con su hija, la infanta Catalina 1906年 フランシスコ・プラディーリャ プラド美術館蔵

引用元:『幽閉中のフアナ』

プラド美術館La reina Juana la Loca, recluida en Tordesillas con su hija, la infanta Catalina

19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ「狂女王」フアナ

アン・ブーリンの章でキャサリン・オブ・アラゴンについても読むことができます。人物関係がわかると、クリスティーナの立ち位置が、より鮮明になります

主な参考文献
  • エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書.
  • 有地京子(著). 『名画の秘めごと 男と女の愛の美術史』. 角川マガジンズ.
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