パルマ公妃マルゲリータ・ダウストリアの肖像(アントニス・モル作)

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目次

ネーデルラント17州総督(1559年-1567年)

1556年、カール5世が退位しました。

神聖ローマ皇帝の座はカールの実弟フェルナンドに、スペイン、ネーデルラントはカールの息子フェリペに受け継がれます。

サン・カンタンの戦いにおけるスペイン王フェリペ2世( Felipe II en la jornada de San Quintín ) 1560年 アントニス・モル エル・エスコリアル宮殿
サン・カンタンの戦いにおけるスペイン王フェリペ2世 1560年 アントニス・モル エル・エスコリアル宮殿

引用元:スペイン王フェリペ2世

フェリペはフランスとの戦争も受け継ぎ、ネーデルラントの民衆には戦費調達のための増税が重くのしかかりました。

1559年、フランスとの戦争を終わらせたフェリペは、異母姉であるマルゲリータをネーデルラント全域の執政に任命し、自身は8月にスペインに帰国。

フェリペは、ネーデルラント貴族のオラニエ公ウィレム1世をホラント、ゼーラント、ユトレヒトの3州、エフモント伯を2州の総督に任命しネーデルラントの統治を委ねたのですが、実際にはフェリペの気に入りの家臣に実権を与えたのです。

さらにフェリペはネーデルラントの司教区の数を増やし、その統括者に自身の息のかかった外国出身の聖職者を据えました。

ネーデルラントの人々は当然これらの人事やスペイン寄りの政策に不満を抱き、反撥します。

下の肖像画はフランス出身の聖職者で、カール5世に仕えたグランヴェル枢機卿です。

アントワーヌ・ド・グランヴェル(1517年-1586年) 1550年 アントニス・モル 美術史美術館蔵
アントワーヌ・ド・グランヴェル(1517年-1586年) 1550年 アントニス・モル 美術史美術館蔵

引用元:アントワーヌ・ド・グランヴェル

美術愛好家でアントニス・モルの後援者でもあったグランヴェルは、カールの息子フェリペによってマルゲリータの顧問に任命されましたが、ネーデルラントの人びとから強く嫌われます。

総督就任にあたりマルゲリータは、フェリペの反カルヴァン主義政策の緩和、反乱の勃発を防ぐための調停を期待していたようですが、グランヴェルの助言に従わなければならないこともあったようです。( Wikipedia:Margaret of Parma , Margherita d’Austria

瀬原義生氏の『皇帝カール五世とその時代』から引用します。

またネーデルラント総督マルガレーテを補佐する機関として、多彩な構成員からなっていたこれまでの国務会議を有名無実化し、それに替えるに、フェリペの取り巻き連中からなる枢密顧問会議をもってし、その指導者となったのがアラス司教で、枢機卿であるグランヴェルであった。しかし、これまでの国政参与権を奪われた大貴族たちが承知するはずがなく、ひそかにグランヴェル排除の計画がすすめられた。そして一五六四年三月、グランヴェルは追放されたのであった。しかし、この解任劇は高くつき、辞職したマルガレーテに代わって、一五六七年総督に就任したアルバ公によるエグモント伯、ホールネ伯の処刑(一五六八年六月五日)という犠牲を払わねばならなかった。さらにアルバ公は全ネーデルラント規模で、血の法廷を繰り広げ、断頭台で命を失った者は六〇〇〇余人にたっしたのである。

瀬原義生(著). 2013-12-10. 『皇帝カール五世とその時代』. 文理閣 p.353.

グランヴェルは1564年に解任され、スペインに呼び戻されました。

乞食党

1565年、エフモント伯がスペインに渡ります。

ネーデルラント貴族による政治権限の強化と、プロテスタントへの弾圧の緩和をフェリペ2世へ訴えるためでしたが、フェリペ2世はこれを認めませんでした。

1566年、400人余りの中小貴族が異端審問の緩和と、全国議会の開催を求める請願書を執政マルゲリータに提出します。

このとき、集まっていた貴族たちに対し、マルゲリータの配下が蔑みを込めて「乞食」と呼びます。

しかし貴族たちはこの呼び方に対し誇りを持ち、自らを「乞食党」と称しました。

乞食党の動きに、民衆も呼応。カトリックの教会や修道院を破壊するなどの運動が各地に広まって行きます。

オラニエ公ウィレム、フェリペ2世と対立する

神聖ローマ皇帝カール5世が現役の頃は仲が良かったというフェリペ2世と、オラニエ公(オランイェ公)ウィレム。

ウィレムは神聖ローマ帝国の宮廷で育てられ、カール5世からの信頼も厚い人物でした。

しかしウィレムはフェリペの政策に反対し、ネーデルラント側に立ちます。

オラニエ公ウィレム(1533年ー1584年) 1555年 アントニス・モル カッセル市立美術館蔵
オラニエ公ウィレム(1533年ー1584年) 1555年 アントニス・モル カッセル市立美術館蔵

引用元:オラニエ公ウィレム

1567年8月、アルバ公着任

1566年8月10日、過激なカルヴァン派は聖人の彫像などを破壊する「聖画像破壊活動」を起こしました。

1566年8月20日、アントワープの聖母大聖堂の破壊の様子(Vernieling van de Onze-Lieve-Vrouwekathedraal te Antwerpen op 20 augustus 1566. (gravure gemaakt door Frans Hogenberg)
1566年8月20日、アントワープの聖母大聖堂の破壊の様子(Vernieling van de Onze-Lieve-Vrouwekathedraal te Antwerpen op 20 augustus 1566. (gravure gemaakt door Frans Hogenberg)

引用元:1566年8月20日、アントワープの聖母大聖堂の破壊の様子

フェリペ2世は、この機会に猛将アルバ公と1万の軍隊をネーデルラントに送り込みます。

フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(第3代アルバ公爵、1507年-1582年) 1549年 アントニス・モル リリア宮
フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(第3代アルバ公爵、1507年-1582年) 1549年 アントニス・モル リリア宮

引用元:フェルナンド・アルバレス・デ・トレド

1559年6月30日午後、フランス王アンリ2世の事故

アルバ公は1567年8月15日にブリュッセルに到着しました。

9月5日、アルバ公は「血の評議会」と呼ばれる特別法廷を設置。新教徒たちを逮捕し、処刑するなど厳しい弾圧を行います。

1568年6月5日、ブリュッセルの市庁舎広場で処刑された貴族の中には、旧知の間柄だったエフモント伯も含まれていました。

マルゲリータは「1566年にエフモント伯がフェリペ2世に対して起こした訴えが失敗に終わった時、フェリペ2世に、異端者に対する規制を緩和するように精力的に要請した」し、アルバ公の宗教弾圧についても、「アルバ公の行動が大惨事につながるとフェリペに警告した」そうです。( Wikipedia:Margaret of Parma , Margherita d’Austria

しかし警告は受け入れらず、1567年マルゲリータは辞任。後任はアルバ公が就任しました。

 アルバ公は1567年にブリュッセルに到着すると騒擾そうじょう評議会(裁判所以外で開かれる特別法廷)を設置し、エフモント伯やホールネ伯を逮捕します。これに憤ったマルハレータがネーデルラントの執政を辞任したことで後任にはアルバ公が就きました。

水島治郎(監修). 2023-8-30. 『一冊でわかるオランダ史』. 河出書房新社. p.63.

ネーデルラント総督としてのマルゲリータについて、記述は多くないものの、辞任のいきさつが『一冊でわかるオランダ史』にはちゃんと書かれています。ひとつの国の歴史がわかり易いこともあり、おススメです。

その後

マルゲリータは1568年にイタリアに戻ります。

父カール5世から贈られたアブルッツォの領地に住み、直接統治を開始。

チッタドゥカーレに1572年まで滞在したあとラクイラに移り、1586年にオルトーナで亡くなりました。

アブルッツォ州
アブルッツォ州

引用元:アブルッツォ州 Ruthven CC-BY-SA-4.0

ラクイラにはマルゲリータに由来する「マルゲリータ宮殿」( Palazzo Margherita )があります。

マルゲリータ宮殿
マルゲリータ宮殿

引用元:マルゲリータ宮殿 Lasacrasillaba CC-BY-SA-3.0

マルゲリータの霊廟(サン・シスト教会、ピアチェンツァ)
マルゲリータの霊廟(サン・シスト教会、ピアチェンツァ)

引用元:マルゲリータの霊廟

ドン・フアンとパルマ公ファルネーゼ

1573年の乞食党との戦いで敗北したことをきっかけに、アルバ公が更迭されます。

後任のレケセンスは事態を打開しようと試みますが失敗に終わり、1576年に急死。

フェリペ2世の異母弟で「レパントの海戦」の英雄・ドン・フアン・デ・アウストリアが、ネーデルラント総督となります。

フェリペの異母弟ドン・フアン・デ・アウストリア 1545年-1592年) 1567年 アロンソ・サンチェス・コエリョ Convent of Las Descalzas Reales
フェリペの異母弟ドン・フアン・デ・アウストリア 1545年-1592年) 1567年 アロンソ・サンチェス・コエリョ Convent of Las Descalzas Reales

ドン・フアンは「ヘントの和約」を受け、スペイン軍を撤退させます。

しかし体調を崩したドン・フアンは、1578年10月1日、31歳で病死してしまいました。

フェリペ2世は、甥のアレッサンドロ・ファルネーゼを次のネーデルラント総督に任命します。

フェリペの甥アレッサンドロ・ファルネーゼ(第3代パルマ公 1545年-1592年) 1557年 アントニス・モル パルマ国立博物館蔵
フェリペの甥アレッサンドロ・ファルネーゼ(第3代パルマ公 1545年-1592年) 1557年 アントニス・モル パルマ国立博物館蔵

画家アントニス・モル( Sir Antonis Mor, 1520年-1578年頃)

アントニス・モル( Antonis Mor )自画像 1558年 ウフィツィ美術館蔵
アントニス・モル自画像 1558年 ウフィツィ美術館蔵

引用元:アントニス・モル

オランダ出身、ユトレヒト生まれ。

後援者となったグランヴェルの仲介で、神聖ローマ皇帝カール5世に拝謁。

カール5世の家族の肖像画、フェリペ2世の妻でイングランド女王メアリー1世の肖像画を描いています。

カタリナ・デ・アウストリア(カタリーナ・フォン・シュパーニエン) 1552年頃 アントニス・モル プラド美術館蔵
カタリナ・デ・アウストリア(カタリーナ・フォン・シュパーニエン) 1552年頃 アントニス・モル プラド美術館蔵

引用元:カタリナ

狂女王フアナの末娘で、カール5世の妹カタリナ・デ・アウストリア19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ「狂女王」フアナ

ポルトガル王ジョアン3世(1502年6月6日-1557年6月11日) 1552年 アントニス・モル ラサロ・ガルディアノ美術館蔵
ポルトガル王ジョアン3世(1502年6月6日-1557年6月11日) 1552年 アントニス・モル ラサロ・ガルディアノ美術館蔵

引用元:ポルトガル王ジョアン3世

狂女王フアナの甥にあたるジョアン3世。カタリナ・デ・アウストリアの夫で、夫妻の娘はフェリペ2世の最初の妻ヴェルディ『ドン・カルロ』ヒロインのモデル、エリザベート・ド・ヴァロワ

フェリペとマリアの妹フアナ・デ・アウストリア(1535年6月24日-1573年9月7日) アントニス・モル 1560年 プラド美術館蔵
フェリペとマリアの妹フアナ・デ・アウストリア(1535年6月24日-1573年9月7日) アントニス・モル 1560年 プラド美術館蔵

引用元:フアナ・デ・アウストリア

カール5世の娘でフェリペ2世の妹。ポルトガルに嫁ぐが、フェリペ2世の不在時にはスペインの摂政を務めたフェリペ2世の妃たち エリザベートとアナ

エリザベート・ド・ヴァロワ 1560年 アントニス・モル  Várez Fisa Collection, マドリッド
エリザベート・ド・ヴァロワ 1560年 アントニス・モル  Várez Fisa Collection, マドリッド

引用元:エリザベート・ド・ヴァロワ 

カトリーヌ・ド・メディシスの娘で、フェリペ2世の三番目の妃エリザベートヴェルディ『ドン・カルロ』ヒロインのモデル、エリザベート・ド・ヴァロワ

シモン・ルナール(1513年-1573年) 1560年 アントニス・モル 時の博物館蔵
シモン・ルナール(1513年-1573年) 1560年 アントニス・モル 時の博物館蔵

引用元:シモン・ルナール

イングランド女王メアリー1世(1516年-1558年) 1554年 アントニス・モル プラド美術館蔵
イングランド女王メアリー1世(1516年-1558年) 1554年 アントニス・モル プラド美術館蔵

引用元:メアリー1世

メアリー1世 アントニス・モル イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
メアリー1世 アントニス・モル イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館蔵

引用元:イングランド女王メアリー1世

メアリーはフェリペ2世の二番目の妻。シモン・ルナールは、神聖ローマ皇帝カール5世の大使1553年、9日間女王レディ・ジェーン・グレイの処刑

フェリペ2世 1549年と1550年の間 アントニス・モル ビルバオ美術館蔵
フェリペ2世 1549年と1550年の間 アントニス・モル ビルバオ美術館蔵

引用元:フェリペ2世

主な参考図書
  • 中嶋浩郎(著). 2000-4-20. 『図説 メディチ家 古都フィレンツェと栄光の「王朝」. 河出書房新社.
  • 水島治郎(監修). 2023-8-30. 『一冊でわかるオランダ史』. 河出書房新社.
  • 瀬原義生(著). 2013-12-10. 『皇帝カール五世とその時代』. 文理閣.
  • 佐藤弘幸(著). 2019-5-30. 『図説 オランダの歴史』. 河出書房新社.
  • 松尾秀哉(編著). 2022-9-20. 『ベルギーの歴史を知るための50章』. 明石書店.
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