長らく「ラ・ペレグリーナ」とされてきた、メアリー1世の胸の真珠。近年では「メアリー・テューダー・パール」といわれています。以前投稿した『肖像画に見る1500年代前半の首飾りとメアリー1世の真珠「ラ・ペレグリーナ」』を書き直しました。

Mary I of England / イングランド女王メアリー1世(1516年2月18日 – 1558年11月17日)
イングランド王ヘンリー8世と、スペイン王女キャサリン・オブ・アラゴンの一人娘、イングランド女王メアリー1世。

引用元:メアリー1世のブロンズ製メダル sailko CC-BY-SA-3.0
Jacopo da Trezzo作メアリー1世のメダル
ナショナル・ポートレート・ギャラリーQueen Mary I
ヴィクトリア&アルバート美術館Mary Tudor, Medal, ca. 1554 (made)

引用元:イングランド王ヘンリー8世
異母妹は、後のエリザベス1世です。

引用元:Darnley Portrait
ナショナル・ポートレート・ギャラリーQueen Elizabeth I
メアリーは熱心なカトリック教徒で、多くのプロテスタントを弾圧、処刑したことから「血まみれメアリー(ブラッディ・メアリー)」と呼ばれています。
María Tudor, reina de Inglaterra / イングランド女王メアリー1世 1554年 アントニス・モル プラド美術館蔵
1553年にイングランド女王に即位したメアリー。
イングランドとスペインの連合のため、メアリーは従兄弟である神聖ローマ皇帝カール5世の息子、フェリペと婚約します。
フェリペはメアリーより11歳年下で、最初の妻とは死別していました。
メアリーとフェリペは、1554年7月にウィンチェスターで結婚。
プラド美術館の解説によると、画家アントニス・モルは、カール5世の命を受けて1554年に渡英しメアリーの肖像画を描いています。

引用元:メアリー1世
プラド美術館María Tudor, reina de Inglaterra
このメアリーのポーズは、ラファエロのユリウス2世の肖像画(1512年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)、イザベル・ド・レケセンスの肖像画(1518年、パリ、ルーヴル美術館蔵)をモデルにしています。
イザベル・ド・レケセンスの肖像画は【hannaと美術館】でご覧いただけます
上質な衣装に身を包んだメアリーは、豪華な肘掛け椅子に座り、右手にテューダー家を象徴する赤いバラ(テューダーローズ)、左手には宝石を散りばめた手袋を持っています。

引用元:メアリー1世
フレンチフードと呼ばれる被り物は真珠と宝石で飾られ、さらに袖口、ベルト…と目がくらみそうですね。
メアリーは「宝石や上質な錦の織物、繊細なレースの襟飾りをとくに好んだ」そうです。(『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』 原書房)
首にはフェリペから贈られた宝石を下げています。

引用元:メアリー1世
画家モルは、女王メアリーの容姿を美化することはしませんでしたが、逆境に負けない彼女の芯の強さを出すことに成功しています。
下は、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に収蔵されている肖像画です。

引用元:メアリー1世
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館Mary Tudor, Queen of England
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の解説では、この肖像画は、神聖ローマ皇帝カール5世が、息子フェリペとメアリーの結婚を記念して、1554年11月中旬から12月20日にかけて、画家アントニス・モルに依頼して複数制作させたうちのひとつ。
メアリー1世のコレクションだったもので、メアリーから、重臣ヘンリー・ジャーニンガム卿(1509/10-1572)への贈られたとのことです。

引用元:メアリー1世
イングランド女王メアリー1世の結婚
父ヘンリー8世が女官のアン・ブーリンに心を移したことで、母キャサリン・オブ・アラゴンは疎まれ、父に溺愛されていたメアリーも一時は庶子同様の扱いをされます。

引用元:キャサリン・オブ・アラゴン
ナショナル・ポートレート・ギャラリーKatherine of Aragon

引用元:メアリー1世
ナショナル・ポートレート・ギャラリーQueen Mary I

引用元:アン・ブーリン
ナショナル・ポートレート・ギャラリーAnne Boleyn
メアリーは母キャサリン・オブ・アラゴンとも引き離されます。
アン・ブーリンはメアリーに、娘エリザベスに仕えることを要求。
アンによるメアリー殺害計画の噂など、メアリーは若い頃から大変苦労を重ねました。
もともとメアリーは魅力的な女性だったそうですが、年よりずっと老け込んだ印象だったそうです。
1554年7月20日。
メアリーは、従姉妹マリア・フォン・エスターライヒ(神聖ローマ皇帝カール5世の妹)のすすめもあり、同じカトリック信仰を持つスペインのフェリペと政略結婚します。

引用元:マリア・フォン・エスターライヒ
メトロポリタン美術館Mary (1505–1558), Queen of Hungary

引用元:神聖ローマ皇帝カール5世
アルテ・ピナコテークBildnis Kaiser Karls V. im Lehnstuhl, 1548

引用元:フェリペ2世
プラド美術館Felipe II
フェリペはスペインの国益のため、父である神聖ローマ皇帝カール5世に従い、メアリーと結婚します。
カール5世は、イングランドの金と軍隊を目当てに、イングランドとの同盟を強く望んでいたからです。
しかし、フェリペ2世の肖像画を見たメアリーは、彼に恋をしてしまいました。
一方、メアリー自身は、このことを何も知らなかった。彼女は自分の結婚がすばらしいロマンスになると思っていた。誰かに愛されたくてたまらなかった彼女は、若くてハンサムな夫を見せびらかすのを楽しみにしていた。哀れなメアリーは、フェリペを神からの授かりものと信じていたが、それはすべて幻想に過ぎなかった。
ブレンダ・ラルフ・ルイス(著). 樺山紘一(日本語版監修). 高尾菜つこ(訳). 『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』. 原書房. 2010-6-30. p.168.
王女メアリー、エリザベスを差し置いて、なぜジェーンが女王の座に就いたのか。メアリー即位前夜の話はこちらへ

フェリペから贈られた宝石
「メアリー1世の真珠」(Mary Tudor Pearl)とは
プラド美術館の解説にあった、メアリーの首から下がる「フェリペから贈られた宝石」。

引用元:メアリー1世
Objetos presentados
Joyas: Destaca el tocado, el collar, cinturón y pulseras, todos ellos elaborados en oro, perlas y piedras preciosas. Lleva en el pecho una joya, regalo por el príncipe Felipe. Es preciso señalar que este joyel se compone de oro, piedras preciosas y la Perla Peregrina. Esta perla fue descubierta por un esclavo en el archipiélago de las Perlas (Panamá) y constituye una rareza por su aspecto en forma de lágrima.
María Tudor, reina de Inglaterra
(提示されたオブジェクト
宝飾品: 頭飾り、ネックレス、ベルト、ブレスレットはどれも目を引くもので、金、真珠、貴石で精巧に作られています。胸元にはフィリップ王子からの贈り物である宝石を身につけています。この宝石は金、貴石、そしてラ・ペレグリナ真珠で構成されている点が特筆に値します。この真珠はパナマの真珠諸島で奴隷によって発見されたもので、涙滴型をしていることから希少価値が高いとされています。(Google翻訳))
「ラ・ペレグリーナ」(La Peregrina)といえば、俳優リチャード・バートンが、妻で女優のエリザベス・テーラーに贈ったものとして有名です。
「ラ・ペレグリナ」(la Perla Peregrina)とプラド美術館の解説にもあることだし、16世紀のイングランド女王の胸の真珠が、現代の大女優の胸元を飾るなんてロマンよねえ、と思っていたら、メアリー1世の真珠は「La Peregrina」ではない。現在では別モノ、「メアリー1世の真珠」(Mary Tudor Pearl)とされています。
2011年のオークション落札時の記事『エリザベス・テイラーの真珠のネックレス、9億円超で落札』にも、イングランド女王メアリー1世が着けた真珠、との記述はありません。
「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」と呼ばれるこの真珠は、16世紀にパナマ(Panama)湾で発見され、スペインのフェリペ2世が所有。以後、スペイン王家に伝わり、17世紀にベラスケス(Velazquez)が描いた王女の肖像画にも登場している。
その後、ジョゼフ・ボナパルト(Joseph Bonaparte)が短期間スペインを統治した間にフランスに渡ったが、1969年、オークションに出品され、テイラーさんの当時の夫だった俳優リチャード・バートン(Richard Burton)さんが3万7000ドル(約290万円)で落札した。
エリザベス・テイラーの真珠のネックレス、9億円超で落札
2011年12月15日の記事

リチャード・バートンは、ハンス・イワースによる「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)を着けた」姿のメアリー1世の肖像も入手していました。

引用元:Queen Mary I
ナショナル・ポートレート・ギャラリーQueen Mary I
しかし後の調査で、メアリー1世が着けているのは「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)ではない」ことが判明。
バートンは、メアリー1世の肖像画を所有していなかったナショナル・ポートレート・ギャラリーに絵を寄贈しています。
そのナショナル・ポートレート・ギャラリーの解説では、この絵が描かれたのは1554年とされています。
この肖像画は1554年にモデルとして描かれたもので、メアリー1世と従兄弟のスペイン王フェリペ2世との結婚交渉の一部であった可能性がある。フェリペ2世はメアリーに初めて会った時、彼女の魅力を誇張して描いた画家たちを呪ったと言われている。37歳で即位したメアリーは、個人的には独身でいたいと願っていた。しかし、王位継承を確実にするためには子供を産む必要があったため、それは不可能だと分かっていた。ハンス・エワースは、チューダー朝イングランドで活動していた数少ない画家の一人で、定期的に自分の作品の作者を主張していた。最近の技術分析により、この肖像画の左上に彼の「HE」モノグラムの小さな銘文が発見された。彼のメアリーの肖像画は、等身大からこの絵のような持ち運び可能な小さな作品まで、さまざまなスケールで制作する彼の能力を示している。(Google翻訳)
ナショナル・ポートレート・ギャラリーQueen Mary I
『図説 真珠の文化誌』(2023年 原書房)では、「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」の発見は16世紀初頭、1560年、1570年代、1574年と異なった年代が挙げられています。
プラド美術館やナショナル・ポートレート・ギャラリーの肖像画が描かれたのは1554年。
もし1560年以降の発見だとすれば、メアリー1世が着けている真珠は「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」ではなく別モノということになりますね。
Medieval Histories の記事「The Tudor Pearl」では、「ペレグリナが最初に記録されたのはメアリー チューダーの死後21年後の 1579 年であるため、メアリー チューダーがそれを身につけることはあり得なかった。(Google翻訳)」と書かれています。
フェリペが贈ったのは母の宝石?
カトリック両王の孫、ポルトガル王マヌエル1世の王女、神聖ローマ皇帝カール5世の従姉妹にして妻、後のスペイン王フェリペ2世の母、イサベル。

プラド美術館蔵La emperatriz Isabel de Portugal
この肖像画はイサベルの死後に描かれました。
当時流行したネックレスとブローチのデザインですが、胸元に下がるのは「涙滴型の真珠」(プラド美術館解説)です。

Tudor Times によると、この真珠がイサベルの娘のひとりフアナに受け継がれた、とあります。

引用元:フアナ・デ・アウストリア
プラド美術館Juana de Austria
従兄弟であるポルトガルのジョアン・マヌエル王子と結婚したフアナは、1554年に彼が亡くなるとスペインに戻ります。
その後、真珠はフアナの兄であるフェリペに渡され、結婚交渉の一環としてメアリー1世に贈られたということです。
メアリーの真珠は64.5カラット、258.12グラムで、既知の天然真珠の中で3番目に大きい。先端のダイヤモンドを含めると、なんと69.8カラットにもなる!
(中略)
メアリーが身につけていたペンダントでは2つの宝石が繋がっているため、彼女はそれを1つの品物と考えていたのかもしれない。しかし、それが彼女の遺贈に対する私の最初の解釈ではない。
これまで、真珠はメアリーの死後スペインに返還されたとされてきたが、彼女の遺言書には、彼が彼女に贈った他の宝石(大きなテーブルダイヤモンドなど)は明記されているものの、真珠については何も記載されていない。(Google翻訳)
Tudor Times, 3. The Mary Tudor Pearl
メアリーの死によって、少なくともダイヤ部分はフェリペのもとへ返還されたようです。
真珠は…1セットとして一緒に返却されたのでしょうかね。
この真珠は、1574年にオーストリアのフアナの死去に伴って作成された宝石目録に記載されていたものと同一であると推測されている。その後のオークションで落札されなかったこの真珠は、最終的に1581年に銀細工師のディエゴ・ルイスによって3,300レアルで購入された。
その後、2004年に15万5000ポンドで購入されるまで、その姿は人々の目に触れることはなかった。現在はシンボリック&チェイス社が所有している。(Google翻訳)
Tudor Times, 3. The Mary Tudor Pearl
フアナの財産目録に載り、1581年にディエゴ・ルイスに購入されたあと、2004年まで歴史の表舞台から姿を消していた真珠。
所有者であるシンボリック&チェイス社 (Symbolic & Chase) は、真珠を「クウェートの真珠」 (the Pearl of Kuwait) とし、「これがテューダー・パールである」と主張。
「この真珠は現在スミソニアン博物館に貸し出されているが、博物館側はその歴史や由来について何も主張していない」のだそうです。(参考:Wikipedia Mary Tudor pearl)
メアリー・テューダー・パールの画像が掲載されています
Medieval Histories の The Tudor Pearl 考察記事
The Economist の記事。参考まで
書籍『宝石 欲望と錯覚の世界史』から
Tudor Times によれば、フェリペはこの真珠をメアリーに贈ります。
関係がありそうな箇所を、書籍『宝石 欲望と錯覚の世界史』から引用します。
フェリペは、非常に大きくて「ラ・グランデ」と呼ばれたダイヤモンドを四角にカットし、丁寧に固定して、そこに真珠をぶら下げさせた。フェリペにすっかり夢中になった女王メアリは、この宝石を受け取ってからというもの、描かせる肖像画のほとんどすべてで、ブローチやペンダントとして、この真珠を身につけていた。
エイジャー・レイデン (著). 和田 佐規子 (編集). 『宝石 欲望と錯覚の世界史』. p.178.
また、フェリペはメアリーにこちらも贈ったようです。
バラの形のテーブルカットのダイヤモンド、マルケス・デ・ラス・ナヴァスを結婚前に送ってきた。1000ダカットの値打ちものだ。
エイジャー・レイデン (著). 和田 佐規子 (編集). 『宝石 欲望と錯覚の世界史』. p.206.
「ラ・ペレグリーナ」(La Peregrina)について調べていたときに見つけた記述ですが、真珠だけでなく、このダイヤの来歴なども気になります。
1554年7月25日にウィンチェスター大聖堂でフェリペ2世と結婚した際、「メアリーは「バラの形をした台座にダイヤモンドがはめ込まれ、胸元には大きな真珠が垂れ下がっている」を身につけていた。イタリアの結婚式の記録では、「胸元にはダイヤモンドが中央に嵌め込まれた宝石が飾られており、王子がスペインから贈り物として送ったもので、60,000スクーディの価値があり、四方八方に輝いていた。それに5,000スクーディの価値があると推定される真珠のペンダントが付いていた」と記されている。この宝石は、ハンス・エワースとアントニス・モルによる彼女の肖像画に描かれている可能性がある。(Google翻訳)
Wikipedia, Jewels of Mary I
「この宝石は、ハンス・エワースとアントニス・モルによる彼女の肖像画に描かれている可能性がある。」って、これは興味深いですね。
国民が女王メアリーにイングランド人の夫を迎えるように望んでいたにも関わらず、メアリーは、母方の親戚であるスペイン人のフェリペを夫に選びました。
その結果、イングランドはスペインとフランスの戦争に巻き込まれ、大陸に所有していた領土カレーを失ってしまいます。
フェリペとの間に嫡子を熱望していたメアリーは懐妊を知って喜びますが、それは想像妊娠で、胎児だと思っていたのは腫瘍でした。
1558年11月17日、メアリー1世は妊娠を信じたままこの世を去ります。
メアリーの後継者となったのは、憎い異母妹エリザベス1世でした。
夫だったフェリペは既に彼女を見限り、メアリーがまだ存命中のうちから、エリザベスに求婚していました。
ロンドン考古協会「メアリー1世の肖像」

引用元:メアリー1世
ロンドン考古協会Panel Painting Portrait of Queen Mary I
この肖像画は、「メアリー1世の38歳の誕生日(1554年2月18日)の頃に描かれたものと思われる」そうです。
プラド美術館のアントニス・モルによる肖像画よりも古く、メアリーは画家ホルバインが確立した慎ましい女性のポーズをとっています。
ちなみに、背景は装飾のための赤いベルベット。格子状になっていますが、この起源は、王侯の移動時に一緒に持っていくためベルベットを箱詰めした際にできたしわ、つまり「折り目」を表しているのだそうです。
ロンドン考古協会による解説には、メアリーの胸に光るブローチについても言及があります。
メアリーは胸に真珠のペンダントが付いたテーブルダイヤモンドを身につけている。このブローチは、キャサリン・パーの「女王の宝石」と書かれた箱の中の宝石目録の最初の項目、「アンティークが保管する美しいテーブルダイヤモンドと大きな真珠のペンダントが付いたウシュまたは花」と一致する。メアリーの目録では、この同じダイヤモンドが「アンティークが保管する大きな真珠のペンダントが付いた」最初の項目として記載されている。メアリーの腰から垂れ下がっているペンダントは、1521年のヘンリー8世の宝石帳に次のように詳しく記述されている。「金の板に聖遺物が埋め込まれたバーボーンの板と呼ばれるもので、3人の福音書記者、7つのサファイア(質の良くないもの)、5つの粗いバランスで飾られている。葉のガラスは多くの場所で割れており、いくつかの聖遺物が飛び出しており、留め金が1つ欠けており、10の金貨を積んでいる…1777オンス」。メアリーはこの壊れて放置された4人の福音書記者の聖遺物箱を王室の宝物庫で見つけ、自分のために修理させた。メアリーがシンプルな金のフープの結婚指輪(1554年末のアントニオ・モールによる彼女の肖像画にははっきりと描かれている)をしていないという事実は、この絵が結婚前に描かれたことを示している。代わりに、彼女は左手の薬指に2つの指輪をはめており、どちらもダイヤモンドがあしらわれている。そのうちの1つは戴冠式の指輪だった。ハンス・エワース(1540~1574年頃活動)がこの作品の画家であると初めて特定したのは、1913年にライオネル・カストであった。1540年にカトリック教徒の多いアントワープで初めて記録されたエワースとその兄弟は、1544年に「異端者」としてプロテスタントのアムステルダムへ逃れ、その後1549年までにプロテスタントのロンドンへと移った。しかし、ハンスのその後のイングランドでのキャリアは、最後の2年間を除いて、カトリックのネットワーク、とりわけメアリー女王の肖像画家としての活動に依存していた。(Google翻訳)
ロンドン考古協会Panel Painting Portrait of Queen Mary I

引用元:メアリー1世
こちらのブローチは、元はキャサリン・パーのものだったようですね。
キャサリン・パーとは、メアリーの実父 ヘンリー8世の妃となった才媛です。
王女時代のエリザベスはキャサリンを母親のように慕い、キャサリンはメアリーとも良い関係を築いていました。

引用元:キャサリン・パー
ナショナル・ポートレート・ギャラリーKatherine Parr
人差し指にした指輪の意味とは

「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」と呼ばれる真珠
1500年代、パナマで大きな洋梨型(Pear-shaped)の真珠が発見されました。
この真珠は「巡礼者」、「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」と呼ばれます。
「一粒の真珠がフェリペ2世に献上されるためにパナマから廷臣ディエゴ・デ・テメスによって持ち込まれてきた。この真珠は形といい、良質のマスカダインのようだった」。この真珠の上部は洋梨と同じように長く伸びた形をしていた。底の部分にはちょうど洋梨のような小さなへこみがあった。全体は鳩の卵のように大きく、きれいな球形だった。
エイジャー・レイデン (著). 和田 佐規子 (編集). 『宝石 欲望と錯覚の世界史』. p.178.
発見時、この真珠の重さは、223.8グレイン(55.95カラット、11.2グラム、約0.4オンス)。
これまでに見つかったなかで、最も大きい真珠でした。(参考:Wikipedia La Peregrina pearl)
確かにまるく、美しい。そして、でかい。

では、「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」はいつ、どのようにスペインへ渡ったのでしょうか。
ラ・ペレグリーナがいつ、どのようにスペインへ渡ったのかは、もうひとつの謎だ。いくつかの情報では、それがスペイン王室の宝庫に入ったのは一五一三年、パナマを横断して太平洋に到達した初めてのヨーロッパ人、ヴァスコ・ヌーニェス・デ・バルボアがフェルナンド五世に真珠を贈ってからのことだとされている。別の説は、探検家ドン・ディエゴ・デ・テムスが真珠をフェリペ二世に持ち帰ったと主張する。
フィオナ・リンゼイ・シェン(著). 甲斐理恵子(訳). 『図説 真珠の文化誌』. 2023-6-30. 原書房. pp.170-171.
La reina Isabel de Valois / フェリペ2世妃イサベル・デ・バロイス(エリザベート・ド・ヴァロワ, 1546 – 1568)
イサベル・デ・バロイス、フランス名エリザベート・ド・ヴァロワ (Élisabeth de France または Élisabeth de Valois) は、フランス国王アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの娘として、フォンテーヌブロー城で生まれました。
1559年にスペイン国王フェリペ2世と結婚。ふたりの娘に恵まれますが、若くして産褥死しました。

引用元:エリザベート・ド・ヴァロワ
プラド美術館La reina Isabel de Valois
本作は失われたソフォニスバ・アングイッソラ (Sofonisba Anguissola, 1532 – 1625) の作品に基づいています。
頭部は豪華な宝石で飾られていますが、なかでも、垂れ下がるひと際大きな真珠に目が行きますね。

引用元:エリザベート・ド・ヴァロワ
プラド美術館の解説 (Objetos presentados 欄) に「涙の滴」型の真珠、とはありますが、「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」である、とは書いてありません。

Felipe III de España / フェリペ3世(1578 – 1621)
フェリペ2世と、4人目の妻 神聖ローマ皇帝皇女アナ・デ・アウストリアの間に生まれたフェリペ3世。
この肖像画『フェリペ3世の騎馬像』は、フェリペ4世からの依頼を受けたベラスケスによって制作されました。

引用元:Velazquez-felipeIII (cropped)
プラド美術館Felipe III, a caballo, Diego Rodríguez de Silva y Velázquez y otros
気になるプラド美術館の解説 (Objetos presentados 欄) には「Joyas: Perla peregrina」と。
スペイン王家の威信を示す肖像画に輝く「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」です。

La reina Margarita de Austria / フェリペ3世妃マルガリータ・デ・アウストリア=エスティリア(マルガレーテ・フォン・エスターライヒ, 1584 – 1611)
オーストリア大公カール2世の娘としてオーストリアのグラーツで生まれました。
兄は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世。
フェリペ3世と結婚し、アンヌ・ドートリッシュ(フランス王ルイ13世妃)、フェリペ4世(スペイン王)、マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン(神聖ローマ皇帝フェルディナント3世妃)らの母となります。

引用元:Velázquez – Queen Margaret of Austria on Horseback – Prado (cropped)
プラド美術館La reina Margarita de Austria, a caballo
『フェリペ3世の騎馬像』と対になる、妃マルガレーテ・フォン・エスターライヒ騎馬像。
プラド美術館の解説 (Objetos presentados 欄) には、胸元のダイヤ ( “el estanque” ) と真珠 ( “peregrina” ) について言及があります。
(Objetos presentados-
Joyas: Lleva en el pecho, el “joyel rico” formado por el diamante “el estanque” y la perla “peregrina”. )

引用元:L’etang diamant
「El Estanque」、フランス語表記で「L’Étang」、と呼ばれる100カラットのブリリアントカットダイヤモンド。日本語直訳で「池」の意味です。
この宝石は、フェリペ2世によってカルロ・アフェタート (Carlo Affetato) というフランドルの商人から8万スクードで購入され、3人目の妻となったエリザベート・ド・ヴァロワに贈られたものだそうです。
Isabel de Borbón / フェリペ4世妃イサベル・デ・ボルボン(エリザベート・ド・ブルボン, 1602 – 1644)
フランス王アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの娘として、フォンテーヌブローで生まれました。
フェリペ4世の最初の妃で、アストゥリアス公バルタサール・カルロス、フランス王ルイ14世妃マリア・テレサ(マリー・テレーズ)の生母。

エルミタージュ美術館Isabella de Bourbon, Queen of Spain
![La reina Isabel de Borbón, a caballo, Diego Rodríguez de Silva y Velázquez y otros, Número de catálogo, P001179, Hacia 1635. Óleo sobre lienzo, 301 x 314 cm, Hacia 1635, Dimensión Alto: 301 cm; Ancho: 314 cm, Procedencia Colección Real (Palacio del Buen Retiro, Madrid, 1701, [nº 249]; Palacio Real Nuevo, Madrid, paso de tribuna y trascuartos, 1772, nº 249; Palacio Real, Madrid, pieza de comer, 1814-1818, nº 241)., Fecha de ingreso 1819, Museo del Prado, フェリペ4世妃イサベル・デ・ボルボン 1635年頃 ディエゴ・ベラスケス プラド美術館蔵](https://hannaandart.com/wp-content/uploads/La_reina_Isabel_de_Borbon_a_caballo.jpg)
引用元:La reina Isabel de Borbón a caballo
プラド美術館La reina Isabel de Borbón, a caballo
![La reina Isabel de Borbón, a caballo, Diego Rodríguez de Silva y Velázquez y otros, Número de catálogo, P001179, Hacia 1635. Óleo sobre lienzo, 301 x 314 cm, Hacia 1635, Dimensión Alto: 301 cm; Ancho: 314 cm, Procedencia Colección Real (Palacio del Buen Retiro, Madrid, 1701, [nº 249]; Palacio Real Nuevo, Madrid, paso de tribuna y trascuartos, 1772, nº 249; Palacio Real, Madrid, pieza de comer, 1814-1818, nº 241)., Fecha de ingreso 1819, Museo del Prado, フェリペ4世妃イサベル・デ・ボルボン 1635年頃 ディエゴ・ベラスケス プラド美術館蔵](https://hannaandart.com/wp-content/uploads/La_reina_Isabel_de_Borbon_a_caballo-1-edited.jpg)
引用元:La reina Isabel de Borbón a caballo
フェリペ2世が所有して以来、歴代のスペイン王妃たちを飾ってきた「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」。
“La Pelegrina Pearl” (internetstones.com. Retrieved 2022-06-23.) によると、1660年に行われた王女マリア・テレサ(マリー・テレーズ)の結婚に際し、父であるフェリペ4世が「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」をマリア・テレサに「贈った」、また代理結婚式ではフェリペ4世が別の「ラ・ペレグリナ」という真珠を帽子に付けていた」とあります。
ルイ14世とマリア・テレーズの結婚は1660年に行われた。フィリップ4世はこの結婚に際し、娘に133.16グレインのラ・ペレグリナ真珠を贈った。彼はまた、フランスのルイ14世の宮廷で行われた結婚に関連する儀式にも出席し、スペイン王室の宝飾品から別の有名な真珠を帽子飾りとして身につけていた。この真珠こそ、223.8グレインの洋ナシ形の白い真珠、ラ・ペレグリナ真珠である。ラ・ペレグリナ真珠よりもさらに古い起源を持つ真珠である。ピレネーの和平とスペインとの結婚により、ルイ14世はヨーロッパで最も強力な君主としての地位を確立した。(Google翻訳)
internetstones.com, La Pelegrina Pearl
「ラ・ペレグリナ真珠」はふたつ存在する?
Google翻訳にするとどちらも「ラ・ペレグリナ真珠」ですが、原文だと、前者は「La Pelegrina Pearl」、後者は「La Peregrina Pearl」です。
スペイン王室の至宝は「La Peregrina Pearl」。
フェリペ4世が娘に贈った「ラ・ペレグリーナ」はもうひとつの「La Pelegrina Pearl」のようです。

引用元:『フラガのフェリペ4世』
フリックコレクションPhilip IV of Spain
16世紀の襟の変遷。イサベル・デ・ボルボンの母、マリー・ド・メディシスも登場
「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」のその後
1808年、ナポレオン・ボナパルトの兄、ジョゼフ・ボナパルト(1768 – 1844)がホセ1世としてスペイン国王に即位します。
5年間の統治のあと、フランス軍の敗北でジョゼフ・ボナパルトはスペインを去りますが、そのとき「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」を含むスペイン王室の宝石を一部持ち去りました。
ジョゼフ・ボナパルトは遺言で、「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」を甥であるシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(1808 – 1873、後の皇帝ナポレオン3世)に遺贈。
晩年、イギリスに亡命していたナポレオン3世は、「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」をジェームズ・ハミルトン侯爵(後のアバコーン公爵、James Hamilton, Marquess and later Duke of Abercorn)に売却しました。
1969年に「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」はオークションにかけられ、俳優バートンが購入したのです。
そして2011年、オークションにかけられた「ラ・ペレグリーナ (La Peregrina)」は9億円を超える金額で落札。(庶民の)手の届かない世界へ消えて行ったのでした…。
「ラ・ペレグリーナ (La Pelegrina pearl)」
フェリペ4世の時代に登場した真珠、もうひとつの「ラ・ペレグリーナ (La Pelegrina pearl)」。
マリア・テレサ(マリー・テレーズ)が結婚するとき、父フェリペから贈られた真珠です。
洋ナシ形で、元の重さは133.16グレイン。
「 La Peregrina 」との混同を避けるためか、「La Pelegrina pearl」となっている、といわれています。

引用元:王女マリア・テレーサの肖像
美術史美術館蔵Infantin Maria Teresa (1638-1683)
ルーヴル美術館版『王女マリー・テレーズの肖像』(ディエゴ・ベラスケス)
1683年にマリー・テレーズは亡くなります。
その後この真珠はマリア・テレサの息子に受け継がれ、ルイ16世が手にしていた可能性があるそうです。
1711年に王太子ルイが亡くなると、真珠は長男のルイ・ド・ブルゴーニュ公に相続された。彼も1712年に亡くなり、おそらくその息子に譲られたのだろう。その息子は1715年にルイ14世の後を継ぎ、ルイ15世として即位した。こうして真珠はフランスの王冠の宝石となり、おそらくはフランス革命で処刑されたブルボン朝最後の君主、ルイ16世に受け継がれたのだろう。 1792年9月17日のフランス革命の混乱の中、6人の男が王冠の宝石を保管していた公的宝物庫であるガルド・ムーブルに侵入し、サンシー・ダイヤモンド、タヴェルニエ・ブルー・ダイヤモンド、リージェント・ダイヤモンドなど、重要な宝石を盗み出した。盗まれた宝石の中には、タヴェルニエ・ブルー・ダイヤモンドのように回収されず、後に犯罪の時効である20年の経過後に再び現れたラ・ペレグリナ・パールも含まれていた可能性がある。タヴェルニエ・ブルー・ダイヤモンドは、盗難からちょうど20年後の1812年9月にロンドンで再び現れた。一方、ラ・ペレグリナは、時効期間が過ぎた1826年にロシアのサンクトペテルブルクで現れ、ロシアの貴族ユスポフ家の莫大な富を持つロシアのタチアナ・ユスポフ公女によって購入された。(Google翻訳)
internetstones.com, La Pelegrina Pearl
ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ公女(タチアナ・ユスポフ公女、1861 – 1939)が購入した「ラ・ペレグリーナ (La Pelegrina pearl)」は、息子フェリックス・ユスポフ(1887 – 1967)に受け継がれます。
フェリックス・ユスポフは、「ラ・ペレグリーナ (La Pelegrina pearl)」をジュネーヴの宝石商ジャン・ロンバールに売却。
ジャン・ロンバールはその真珠を匿名のコレクターに売却。
そして、1989年。オークションにかけられた「ラ・ペレグリーナ (La Pelegrina pearl)」は落札され、現在に至るまで、真珠はその購入者の手元にあるのだそうです。
- 『アクセサリーの歴史事典 上』 レスター&オーク(著) 古賀敬子(訳) 八坂書房
- ブレンダ・ラルフ・ルイス(著). 樺山紘一(日本語版監修). 高尾菜つこ(訳). 『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』. 2010-6-30. 原書房.
- 『宝石 欲望と錯覚の世界史』 エイジャー・レイデン (著) 和田 佐規子 (編集)
- 『イギリス史』 山川出版社
- フィオナ・リンゼイ・シェン(著). 甲斐理恵子(訳). 『図説 真珠の文化誌』. 2023-6-30. 原書房.


