2022年のメトロポリタン美術館展で『ヴィーナスの化粧』が来日しました。本作はポンパドゥール侯爵夫人のベルビュー城のために描かれた作品ですが、これと対になる『ヴィーナスの水浴』も併せてご紹介します。
『ヴィーナスの化粧』( The Toilet of Venus ) 1751年 フランソワ・ブーシェ メトロポリタン美術館蔵
引用元:『ヴィーナスの化粧』
18世紀の画家フランソワ・ブーシェによる、愛と美の女神ヴィーナス(ウェヌス)の化粧風景です。
軽やかで華やかな貴族文化が花開いたロココの時代。 古代神話の女神というより、私室にいる貴族女性のようですね。
この女性が女神であるというのは、キューピッドや、画面上に置かれた薔薇、鳩、真珠、貝殻のフォルムなどの小道具からわかります。
薔薇も鳩もヴィーナスの持ち物(アトリビュート)ですが、真珠や貝殻(ホタテ貝)形の水盤など海を思い起こさせる小道具は、ヴィーナスは海に投げ捨てられたウラノスの男根の泡から生まれたとされているためです。
引用元:『ヴィーナスの化粧』
寝椅子の装飾も優雅な曲線を描いていますね。
ヴィーナスの乳房が小振りなのはこの頃の好みのようです。
引用元:『ヴィーナスの化粧』
引用元:『ヴィーナスの化粧』
足元の布はヴィーナスが生まれた海の、波や泡を連想させます。
香炉の脚も蹄(ひづめ)のようで特徴的。
下には画家のサインが。
次に、本作の対である『ヴィーナスの水浴』です。
『ヴィーナスの水浴』( The Bath of Venus ) 1751年 フランソワ・ブーシェ ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
引用元:『ヴィーナスの水浴』
ナショナル・ギャラリー The Bath of Venus, 1751
こちらはヴィーナスの水浴風景。
ルーヴル美術館の『オダリスク』『ディアナの水浴』、スウェーデン国立美術館の『ヴィーナスの勝利』に見られるような青い布が敷かれ、美しい肌色をさらに引き立てていますね。
引用元:『ヴィーナスの水浴』
引用元:『ヴィーナスの水浴』
現実世界の不安や憂いなど全て払拭するような、美しく甘く優雅な世界です。
『ヴィーナスの化粧』『ヴィーナスの水浴』は、フランス国王ルイ15世の公式寵姫ポンパドゥール侯爵夫人のために造られたベルヴュー城に設置されていました。
ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソン( Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, 1721年12月29日 – 1764年4月15日)
引用元:『ポンパドゥール夫人』
Madame de Pompadour, 1756 アルテ・ピナコテーク
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フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装
セーヌ川上流、「パリとヴェルサイユの中間に位置する小高い丘」で、1748年、莫大な費用をかけて城の建設が始まりました。
城は比較的小さかったが、広大な敷地内にはいくつもの離れが建っていた。狭い屋外通路の先に、主に3つの部屋からなる「湯殿のアパルトマン」が建っており、最初の部屋は浴室で、その左右に化粧室があった。左の扉の上には《ヴィーナスの水浴》(1751年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)、右の扉の上には《ヴィーナスの化粧》が、どちらも楕円形の木工細工にはめ込まれて設置されていた。
『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』(2021-22). p.148.
引用元:ポンパドゥール夫人の時代のベルヴュー城。中庭からの眺め Jacques Rigaud
ポンパドゥール侯爵夫人がいた頃ってこんな感じだったのね( ゚Д゚)とイメージし易いですね。
芸術の庇護者 ポンパドゥール侯爵夫人はセーヴル窯の開窯にも尽力しています。
不振続きのヴァンセンヌ窯に巨額の資金を投入したポンパドゥール侯爵夫人は、1756年、国王の賛同を得て、自身の館のあったベルヴューに近いセーヴルに製作所を移転させます。
翌1757年、ヴァンセンヌ窯は、「フランス王立セーヴル磁器製作所」として開窯しました。
ベルヴュー城では展示即売会が行われ、完成した作品は招待された王侯貴族や大商人たちによって購入されました。
ポンパドゥール夫人自身ももちろん購入
ベルヴュー城( Château de Bellevue )
1757年頃のベルヴュー城の再現図
引用元:1757年頃のベルヴュー城の3D再現 Franck devedjian CC-BY-SA-4.0
『世界の光(羊飼いたちの崇拝)』( La Lumière du monde ( Adoration des bergers )) 1750年 フランソワ・ブーシェ リヨン美術館蔵
ルーヴル美術館のサイトによると、この絵はベルヴュー城内の礼拝堂のために描かれました。
1750年のサロンに出品され、ポンパドゥール侯爵夫人の死後の1766年に売却されたそうです。
引用元:『世界の光(羊飼いたちの礼拝)』
La Lumière du monde (Adoration des bergers) ルーヴル美術館
ベルヴュー城内の装飾品
引用元:1755年頃のポンパドゥール侯爵夫人の salon de compagnie Franck devedjian CC-BY-SA-4.0
こちらも再現図。 ポンパドゥール侯爵夫人のラウンジだそうです。
飾られている絵画はカルル・ヴァン・ロー(またはシャルル=アンドレ・ヴァン・ロー)の作品です。
『コーヒーを飲むポンパドゥール夫人』 1755年 シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー エルミタージュ美術館蔵
雅宴画で知られるカルル・ヴァン・ローによる、ポンパドゥール夫人の肖像画です。
本作はポンパドゥール夫人のトルコ風寝室に飾られていました。
絵の中のポンパドゥール夫人は、威厳のあるスルタンの妃に扮しています。
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フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装
『友情』 1753年 ジャン=バティスト・ピガール ルーヴル美術館蔵
引用元:『友情』
L’Amitié sous les traits de Madame de Pompadour (1721-1764) ルーヴル美術館
現在はルーヴル美術館に収められているピガールの彫刻 ” L’Amitié sous les traits de Mme de Pompadour ” です。
1750年にポンパドゥール侯爵夫人から依頼されて制作されました。
ポンパドゥール侯爵夫人がルイ15世とベッドを共にしていたのは約5年程といわれ、それ以降はルイ15世とは「友人」の間柄になったといわれています。
” L’Amitié sous les traits de Mme de Pompadour ” は『『友情』としてのポンパドゥール夫人』の意味でいいかなと思います。
『音楽』 1752年 エティエンヌ=モーリス・ファルコネ ルーヴル美術館蔵
引用元:『音楽』
唇に手を当てるキューピッド像で有名なファルコネ作。
この彫刻もピガールの作品同様ポンパドゥール侯爵夫人によって注文されました。
『音楽』は、『詩』の対になるものとして、ベルビュー城の前庭の龕(がん)に置かれた、とのことです。
『詩』 1752年 ランベール=シジスベール・アダム ルーヴル美術館蔵
引用元:『詩』
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ポンパドゥール夫人時代のベルビュー城を再現したサイトが参考になります
彫刻家エティエンヌ=モーリス・ファルコネ( Étienne Maurice Falconet, 1716年12月1日 – 1791年1月24日 )
ファルコネは彫刻家ジャン=バティスト・ルモワーヌ(子)に師事した後、彫刻家ピガール、パジューに会い、フランソワ・ブーシェとも知り合ったことでポンパドゥール侯爵夫人に縁ができました。
ブーシェは磁器の下絵を描くなどセーヴル窯に深く携わっていますが、ファルコネはセーヴル王立磁器製作所の、彫刻工房の責任者に就任しています。
Portrait of Étienne Maurice Falconet (1716–1791) メトロポリタン美術館
引用元:『クピド』 Ricardo André Frantz (User:Tetraktys), 2007 CC-BY-SA-3.0
L’Amour menaçant ルーヴル美術館
Jean Baptiste Lemoyne (1704-1778), sculpteur ルーヴル美術館
ルーヴル美術館 Portrait du sculpteur Jean-Baptiste Pigalle ( 1714-1785), assis, en habit de chevalier de l’ordre de Saint-Michel.
引用元:オーギュスタン・パジューの肖像
Portrait de Pajou, sculpteur ルーヴル美術館
ファルコネのキューピッド像
オーギュスタン・パジューの「デュ・バリー夫人」胸像
ブーシェによるポンパドゥール侯爵夫人の肖像画
『ポンパドゥール夫人』( La Marquise de Pompadour (1721-1764) ) 1700年代前半 ルーヴル美術館蔵
引用元:『ポンパドゥール夫人』
La Marquise de Pompadour (1721-1764). ルーヴル美術館
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ルーヴル美術館にある『ポンパドゥール侯爵夫人』の肖像(ブーシェ作)
『化粧中のポンパドゥール夫人』( Marquise de Pompadour at the Toile ) 1758年 フォッグ美術館蔵
引用元:『化粧中のポンパドゥール夫人』
1966.47: Pompadour at Her Toilette フォッグ美術館
『ヴィーナスの化粧』のヴィーナスの顔はポンパドゥール侯爵夫人に似せているという話があります。
そういう目で見ているからか、うん、やっぱり似ている、と思います。
美しさでは後任の公式寵姫デュ・バリー夫人の方が勝っていたそうですが、知的で、とても魅力的な女性であったことは間違いないでしょう。
肖像画に描かれたポンパドゥール侯爵夫人の腕には真珠のブレスレットがあります。
『化粧中のポンパドゥール夫人』では、ブレスレットに肖像がはめ込まれている様子が見えますが、これはルイ15世の肖像画です。
『ポンパドゥール侯爵夫人』( Portrait of Marquise de Pompadour ) 1759年 ウォレス・コレクション蔵
引用元:ポンパドゥール侯爵夫人
Madame de Pompadour ウォレス・コレクション
高級レースで飾られたドレスに身を包んだポンパドゥール夫人。
ブーシェが手掛けた夫人の肖像画の、最後のものだそうです。
ポンパドゥール夫人はこの肖像画から5年後に病死しました。
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フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装
バロック芸術からロココ芸術の流れ、ブーシェやフラゴナールについても解説されています。『ヴィーナスの化粧』もカラーで掲載。著者は信頼できる高階秀爾氏と高橋裕子氏です。
自宅でブーシェの絵を楽しみたい時は
女神様たちの持ち物(アトリビュート)について
コメント
コメント一覧 (2件)
ぴーちゃん様
コメント有難うございます。
青のコントロールカラーを思いつく貴女が偉い。すごい。確かに確かに。
拝読して初めて、「あ、なるほど!そっか!(゚д゚)!」と思いました。
コントロールカラーなんて、まったく思いつきませんでしたよ…。
女子力無いのがバレバレ。_| ̄|○
恥ずかし。
ヴィーナス、やっぱり似てますよね!
ブーシェ先生も描き甲斐があったでしょうね。
できることならこの時代にタイムスリップして、文化や芸術が洗練されていく様を横で見てみたいなあとよく思います。
今回も有難うございました。
ハンナさん、こんにちは。
わたしも、ヴィーナスの顔はポンパドゥール侯爵夫人に似ているなぁ、と思います。
ヴィーナスの青い敷物の話。
お化粧する時に透明感を出すための青っぽいコントロールカラーがありますね。
ブーシェも本能的に青が白い肌を引き立てることを知っていたのでしょうか。
プロの目は凄いです。
それにしても、ポンパドゥール侯爵夫人は知的で美しくて…最強ですね。