イングランドの宮廷で活躍したドイツ出身の画家・ホルバインは、細密肖像画にもその才能を発揮しました。
ホルバインの作品のなかに、ヘンリー8世の五番目の妃だったキャサリン・ハワードではないかと言われている肖像画があります。
彼女の着けているネックレスと似たものを、別の王妃も着けているようです。

ミニアチュール(miniature)またはミニアテュア

引用元:ニコラス・ヒリアードの自画像
アンティーク好きの方なら、「ミニアチュール( miniature )」というフランス語の方でお分かりになるのではないかと思います。
現在、「ミニチュア」という言葉は日常的に日本語のなかに使われていますが、小型絵画を「ミニアテュア( miniature )」と呼ぶようになったのは17世紀からなのだそうです。
高橋裕子氏の著書『イギリス美術』ではその語源に触れられています。
中世の写本装飾から、エリザベス1世の細密肖像画で有名なニコラス・ヒリアード(1547年-1619年)に至る話も面白いので、ご興味のある方は是非お読みになってください。
ハンス・ホルバインによる細密肖像画
ハンス・ホルバイン(子)( Hans Holbein ( der Jüngere ), 1497年/1498年-1543年)

かつてホルバイン作とされていた肖像画の中に、現在は追従者に帰せられているものが少なからずあることは、同時代におけるホルバインの影響力の強さをうかがわせる。しかし、彼の死後、一六世紀後半のイギリス絵画は、ホルバインの作風の二つの特性、つまり冷徹な写実性と重厚な記念碑性のどちらとも異なった性格を強める。瀟洒な細密肖像画が全盛をきわめるのである。が、意外なことに、その展開を準備したのもホルバイン自身だった。
彼はヘンリー八世の宮廷に仕えていたフランドル出身の細密画家から技術を学び、板に油彩の大規模な肖像画を手がけるかたわら、直径数センチの子牛皮紙の円形画面に水彩でモデルの胸像を描く、細密肖像画の制作にものりだしていたのである。
高橋裕子(著). 『イギリス美術』. 岩波新書. p.45.
「ヴェラム(vellum)」とは、子牛などの皮をなめして作った上質な「皮紙」のことです。
現在は主に表紙の材料として使われますが、昔は写本の用紙としても用いられました。
南ドイツのアウクスブルク生まれのハンス・ホルバイン(子)は、イングランドでヘンリー8世の宮廷画家として活躍しました。
ヘンリー8世を始め、『デンマークのクリスティーナ』や『アン・オブ・クレーヴズの肖像(アンナ・フォン・クレーフェの肖像)』、『エラスムス』『トマス・モア』など多くの肖像画を残しています。

アン・オブ・クレーヴズ( Anne of Cleves, 1515年9月22日-1557年7月17日)
アン・オブ・クレーヴズの細密肖像画 1539年

引用元:ミニアテュアボックスに描かれたアン・オブ・クレーヴズ

引用元:ミニチュアボックス The_Arty_Facts CC-BY-SA-2.5
アン・オブ・クレーヴズ、ドイツ語名をアンナ・フォン・クレーフェというこの女性はヘンリー8世の四番目のお妃となった人物です。
このボックスの直径は4.6㎝ほど。
ロイヤル・ブルーを背景に描かれています。
ルーヴル美術館にある彼女の「お見合い肖像画」と、恐らく同時期に制作されたようです。
ちなみに、お見合い肖像画の大きさは、高さ65㎝、幅48㎝です。

引用元:アン・オブ・クレーヴズの肖像画
第2代サフォーク公爵ヘンリー・ブランドン( Henry Brandon, 2nd Duke of Suffolk, 1535年9月18日-1551年7月14日)
第2代サフォーク公爵ヘンリー・ブランドンの細密肖像画 1541年頃

こちらの大きさも6㎝以下。
肖像画を囲む装飾がとても素敵ですね。

この第2代サフォーク公爵ヘンリー・ブランドンの細密肖像画は1541年頃のもので、ロイヤル・コレクションの収蔵品です。
ヘンリーの父は初代サフォーク公爵チャールズ・ブランドン、母はキャサリン・ウィロビーです。
ヘンリー8世の友人でもあったチャールズの前妻は、ヘンリー8世の妹メアリー・テューダー(マリー・ダングルテール)でした。
ふたりはイングランドの「9日間女王」ジェーン・グレイの祖父母に当たります。
キャサリン・ハワード? の細密肖像画 1540年-1541年頃
キャサリン・ハワード( Katherine Howard, 1521年?-1542年2月13日)

この女性は、ヘンリー8世の五番目の妃キャサリン・ハワードではないかと言われています。
ロイヤル・コレクションにあるこの細密肖像画の大きさも、直径5~6㎝ほどです。
アン・オブ・クレーヴズの侍女のひとりだったキャサリンは、その性的魅力がヘンリー8世の目に留まり、結婚。
彼に溺愛されますが、後に姦通の罪で斬首されました。
今でもハンプトン・コート宮殿の廊下には、助けを求めて逃げる彼女の幽霊が出るそうです。
今まで「これがキャサリン・ハワードだ」と断言できる肖像画は無いとされてきましたが、近年、歴史学者の方が、彼女が着けているネックレスから、この肖像画は“キャサリン・ハワードである”と確認したとのことです。
大変よく似たネックレスを、他の王妃も着けています。

ネックレスから「キャサリン・ハワードの肖像画である」と確認
三番目の王妃ジェーン・シーモアの肖像画

引用元:ヘンリー8世妃ジェーン・シーモア
こちらの女性はジェーン・シーモア(1508年-1537年10月24日)。ヘンリー8世の三番目の妃です。
細密肖像画ではありませんが、この絵もハンス・ホルバイン(子)によるものです。
ジェーンの首に輝く、豪華なネックレスにご注目ください。

引用元:ジェーンのドローイング

引用元:ネックレス
左と中央はジェーン・シーモアの肖像画の中のもの。
右は「キャサリン・ハワードではないか」とされている女性のネックレスです。
こうして並べてみるととてもよく似ていることがわかります。
ということは、やはりあの細密肖像画の女性はキャサリン・ハワード?
- 高橋裕子(著). 『イギリス美術』. 岩波新書.
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