フランスに輿入れが決まった、皇女マリー・アントワネット。
彼女の肖像画を描きにやって来たフランスの画家ジョゼフ・デュクルーは大家族の女帝一家を見て、自分はどの皇女を描けばいいのか尋ねたそうです。
他のデュクルーの作品と自画像もどうぞご覧ください。
1769年のマリー・アントワネットの肖像画

ジョゼフ・デュクルーによる、14歳頃のマリー・アントワネットの姿です。
オーストリアとフランスは、中世以来ずっと戦争状態にあり、不仲でした。
しかし、政治上の思惑から両国は接近します。
フランス王ルイ15世の最側近であり、寵姫ポンパドゥール夫人の信頼厚いショワズール公爵が両国を行き来し、フランスの王太子とオーストリアの皇女の「結婚」という結びつきにこぎつけます。
ルイ15世の孫であるルイ・オーギュストと、「女帝」マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット(マリア・アントニア)の縁組が確定したのです。
1768年11月初めのことでした。
皇女の外見をフランス風に変えよう
マリー・アントワネット、1762年の肖像画(7歳) ジャン=エティエンヌ・リオタール

1762年10月13日。
6歳の神童モーツァルトは、シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で演奏を披露します。
その時宮殿の床で滑って転んでしまった彼を助け起こした皇女が、このマリア・アントニアでした。
モーツァルトが彼女に、「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという逸話は大変有名です。
マリー・アントワネット 1762年 ジャン=エティエンヌ・リオタール

引用元:マリー・アントワネット
(以前見てくださった方には申し訳ありません。画像を上のものと差し替えようとしてそのまま制作年代など中途半端になっていました。知人からの指摘で気付き、修正しました。貼りたかったのはこのリオタールの絵です。申し訳ありませんでした。)
母マリア・テレジアは、娘のためにパリから服飾の専門家たちを呼び寄せます。
皇女アントワーヌの外見は大きく変わりはじめた。ラルセヌール氏という本物の美容師がパリから呼ばれて、額の生え際が処理された。外見的な特徴のなかでも、この部分はとくに重要視されたー当時は誰もが生え際を気にしたーため、これに当たる美容師は最高の腕前をもつ者が推薦された。彼を推したのはショワズール公爵の姉妹だった。
ラルセヌール氏がマダム・アントワーヌの髪に施した「シンプルで上品なスタイル」には誰もが感銘を受けた。ウィーンの若い貴婦人たちはそれまでの巻き毛をやめて、王太子妃風(ア・ラ・ドーフィーヌ)のスタイルをいっせいにまねしたという。
『マリー・アントワネット』 アントニア・フレイザー(著) 野中邦子(訳) 早川書房 p.119.
このとき美容師の他に、ダンスの教師にノヴェール、文学やフランス語の家庭教師にヴェルモン神父も派遣されてきました。
画家ジョゼフ・デュクルーもそのひとりです。
1769年、未来の王太子妃マリー・アントワネットの肖像画を描くため、デュクルーはウィーンにやってきました。
この肖像画はヴェルサイユへ贈られるものだった(到着したばかりの画家は、マリア・テレジアの家族の多さに驚いて、宮廷にいる大勢の皇女のうち、自分はどのかたを描くのかと尋ねたほどだった)。しかし、この画家は美容師ほどの成功は収めなかった。アントワーヌは五回にわたって退屈なモデルを務めたが、結果はぱっとせず、描きなおしになった。こうして1769年5月にやっと絵を送ることができた。
『マリー・アントワネット』 p.119.
ともかく、この功績でデュクルーは宮廷画家になり爵位を得ました。
『マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女』の著者・石井美樹子氏もこのように描写しています。
1769年2月、フランスの画家ジョゼフ・デュクルー(1735-1802)がウィーンに派遣され、マリー・アントワネットの肖像画が制作された。制作にあたって、マリー・レクザンスカ王妃の結髪師で、小柄で猿のような顔つきのラルスヌールもウィーンに派遣された。彼の手により、マリー・アントワネットのいくぶんでっぱったおでこは、フランス風のシンプルで上品なヘアスタイルで目立たなくされた。また歯医者も送られ、デコボコの歯並びが矯正された。これには3ヶ月かかり「とてもきれいでまっすぐの歯並びに」なった。さらにフランス風のお化粧を施されて、頬に丸い頬紅をつけた。こうして、オーストリア風のところはすべて取り除かれ、肖像画は4月に完成し、ヴェルサイユ宮殿に送られた。原画は失われたが、同じ年にデュクルーが制作した模写が現存する。
マリー・アントワネットは、七分袖の縁に三段の襞飾りがつき、前が大きく開き、水色のラインが入った薔薇色の絹のフランス風宮廷服をまとっている。左肘を書物の上に置き、かすかな微笑をたたえている。肌は透明感のある薔薇色。初々しく美しいフランス風の皇女が誕生した。
『マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女』 石井美樹子(著) 河出書房新社 p.53.
この結髪師は『ローズ・ベルタン マリー=アントワネットのモード大臣』(白水社)では「ラルソヌール」と表記されています。
アントワネットの顔立ちの美しさについては意見がわかれるところだが、彼女には他の美点があった。当時にしては背が高く、やせすぎない程度にほっそりとしていて、姿がよく、均衡のとれた身体つき、要するに着映えのする容姿だった。衣装を用意する者にとっては願ってもない対象である。髪は豊かで美しいブロンド、つんとした態度、結い上げた髪や飾りものが映える頭部、プロにとっての逸材だ。
『ローズ・ベルタン マリー=アントワネットのモード大臣』(ミシェル・サポリ(著) 北浦春香(訳) 白水社 p.22.
時には尊大とも取られることのあった顔つきだったとも言われますが、とにかく所作がとてもエレガントだったようです。
大家族の「女帝」一家

引用元:神聖ローマ皇帝フランツ・シュテファンと女帝マリア・テレジアとその家族 1764年
マルティン・ファン・マイテンスによって1764年頃に描かれた、フランツ・シュテファンとマリア・テレジア夫妻、そして彼らの子供たちです。
マリー・アントワネットは左から5番目にいます。 一番末の皇女様ですね。
それより前の1755年頃の肖像画では、マリー・アントワネットは画面中央、ベビーベッドの中にいます。

引用元:神聖ローマ皇帝フランツ・シュテファンと女帝マリア・テレジアとその家族
『皇帝一家のサンタクロースの贈り物』 マリア・クリスティーネ 1763年頃

この絵を描いたマリー・アントワネットの姉マリア・クリスティーネが描いたものです。
マリア・クリスティーネ本人は左端に立ち、幼いアントワネットは姉と母マリア・テレジアの間で、クリスマスプレゼントの人形を持って立っています。
この後、フランス王妃となったアントワネットが、フランスを訪問したマリア・クリスティーネに対して冷淡な態度を取ったそうです。
しかし、このクリスマスの朝を迎えた女帝と皇帝の一家からは家庭的な雰囲気が伝わってくるようです。

ショワズール公爵エティエンヌ=フランソワ( Étienne-François de Choiseul, 1719年6月28日-1785年5月8日)

エティエンヌ=フランソワ・ド・ショワズール公爵はフランス王国の軍人であり外交官でもありました。
ポンパドゥール夫人から厚く信頼された人物で、彼女の死後も暫くは筆頭大臣の地位を保っていましたが、1764年の夫人の死後寵姫となったデュ・バリー夫人やその一派により失脚し、その地位を追われます。
二国間の婚約交渉にあたったショワズール公爵は、婚約成立後、フランスの宮廷にふさわしい花嫁に仕立てあげるために、マリー・アントワネットの衣装計画の指南役を務めた。
(『マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女』 p.52.)
皇女マリー・アントワネットの肖像画が描かれ、ヴェルサイユ宮廷に贈られたのが1769年。
1764年にポンパドゥール夫人が亡くなり、平民出身のデュ・バリー夫人がルイ15世に紹介されたのも1769年でした。
デュクルーの師モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール( Maurice Quentin de La Tour, 1704年9月5日-1788年2月17日)
ラ・トゥールの描く『ポンパドゥール夫人』

引用元:ポンパドゥール夫人
才色兼備の、フランス王ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人(ジャンヌ=アントワネット・ポワソン( Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, 1721年12月29日-1764年4月15日)。
オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザヴェータ女帝と組み、プロイセンのフリードリヒ大王を追い詰めようとします。
優美なパステル画で有名なモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールは、デュクルーの師です。


引用元:ジャン=ジャック・ルソー
教科書で見る顔ですね。
フランスで活躍し、人々に多大な影響を与えた哲学者ルソーです。

引用元:ルイ15世
「最愛王」とも呼ばれる、美男のフランス国王ルイ15世。
26歳のデュ・バリーを公式寵姫にした時、王はもうすぐ60歳、彼女の若さと美によって老いを食い止めようとしたのだろう。すでに「こよなく愛される王」ならぬ、「こよなく無差別に若い女を愛する王」と成り果てており、宮廷人からの尊敬も民衆の人気も地に落ちていた。
息子は先に死に、孫(後のルイ16世)が王位継承者だったが、その嫁候補アントワネットを品定めして帰ってきた大使に向かい、真っ先に「胸は大きかったか?」と訊ねたという。
(『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』 中野京子(著) 光文社新書 p.126.)
確かに、デュ・バリー夫人は豊かなバストの持ち主でした。
しかしマリー・アントワネットはデュクルーの絵が描かれたときで14歳。
成熟した大人の女性になるにはもう少し間がありますよね。


ジャン=バティスト・グルーズ( Jean-Baptiste Greuze, 1725年8月21日-1805年3月4日)にも学ぶ
また、デュクルーは当時の人気画家ジャン=バティスト・グルーズからも油絵の技法をびました。

引用元:『壊れた甕』
ポンパドゥール夫人亡き後ルイ15世の寵姫となったデュ・バリー夫人の注文とされる絵画です。
このモデルは画家の妻とのこと。
少女のはだけた胸や割れた甕などが少女の「純潔の喪失」を意味しているそうです。

宮廷肖像画家ジョゼフ・デュクルー( Joseph Ducreux, 1735年6月26日-1802年7月24日)の作品
デュクルーはルイ16世の妹たちやマリア・テレジアの肖像画を手掛けましたが、1789年フランス革命が起こります。
子供の頃のマダム・エリザベート 1768年

幽閉中のルイ16世 1792年12月から1793年1月の間

引用元:タンプル塔に幽閉中のルイ16世
ルイ16世は1793年に、王女エリザベートは1794年に処刑されます。
デュクルーは一時ロンドンに亡命。
後に新古典主義の画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(ドミニク・アングルの師)の手助けで帰国し、画業に復帰しました。

引用元:『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』
デュクルーの自画像
では、そんなデュクルー氏の自画像をどうぞ。


引用元:『沈黙(自画像)』

引用元:『恐怖で驚く(自画像)』

引用元:『自画像』




主な参考図書
- 『マリー・アントワネット』 アントニア・フレイザー(著) 野中邦子(訳) 早川書房
- 『マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女』 石井美樹子(著) 河出書房新社
- 『ローズ・ベルタン マリー=アントワネットのモード大臣』(ミシェル・サポリ(著) 北浦春香(訳) 白水社
- 『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』 中野京子(著) 光文社新書
コメント
コメント一覧 (12件)
パンダ様
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
今回もコメントを有難うございました。嬉しいです。
ハイ、そうです、『ベルばら』世代?としてはやっぱり新年一発目はアントワネット様かな、と。
最初はデュクルー氏の自画像をご紹介したかったのですが、多分「え、誰?」な感じだと思い、アントワネット様にもご登場願いました。
宮廷文化と言い、雅宴画と言い、当時の有名人と言い、革命と言い、本当に興味の尽きない世界です。
ぜひまたお付き合いくださいますようお願い致します。
有難うございました。
まーたる様
今回も見ていただいて、有難うございました。
マリー・アントワネット、オーストリア皇女時代から肖像画もエピソードもたくさん残っていて、本当にひとりの人間の人生を追っている気になりますよね。本当に興味深いです。
その有名な肖像画の一枚を描いた画家デュクルー氏の「えっ、昔の人がこんな絵を!!」的自画像には感動すら覚えます。これだから歴史探索は止められません(笑)。
またお付き合いいただけると嬉しいです。
有難うございました。
ハンナさん、こんばんは。
遅くなりましたが、明けましておめでというございます。
新年にマリーアントワネット・・いいですね〜╰(*´︶`*)╯♡
マリーアントワネットはアニメの世界で一番触れましたが、わがままが許される美貌の持ち主、激動の時代を生きた女性、そんなイメージを持っていました。
今日も美しいものを見せていただき学ばせていただきました〜o(^▽^)o
ありがとうございます。
今年もよろしくお願いしま〜す♡
こんにちは❗️
マリー・アントワネット、『ベルサイユのばら』にハマってからどんな人だったのか興味がわきました。
革命の波、断頭台の露と消えたフランス王妃、この時代のフランス史はまさに激動ですが、その中でも大輪の花のような女性だったんですね(*☻-☻*)
ハンナさんの記事でさらにそう思いました。
デュクルー氏の自画像がものすごく人間味溢れていてビックリしました(´⊙ω⊙`)
この時代の絵画でこんなにイキイキとした人物画を初めて見たので(´⊙ω⊙`)
また一つ勉強になりました〜(*´∀`*)
ありがとうございます(●´ω`●)
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
デュクルーさん、スゴイですよね。ルイ16世の顔なんか胸に迫りますもの。
それなのに、宮廷画家だった人なのに、こんな自画像なんて。
発想も構図も素晴らしいしか出てきません。
Schun様にとっても素晴らしい年でありますように。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
マリーアントワネットの背景が肖像画とともによくわかり
今回もお勉強になりました〜
ただ、それ以上に衝撃なのがデュクールの自画像ですね。
画家の方でなければこのクオリティは出せないし、
こんな斬新な構図も描けない気がしました。
でも、こういった自画像だから逆に親近感も湧いて、
絵画の不思議さを感じることができました。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
佳き一年でありますように!!
ちゃき様
新年明けましておめでとうございます。
コメント有難うございました。
デュクルーの自画像を最初に見た時、18世紀の画家がこんなの描くのか❗と驚きました。
他の肖像画もラ・トゥールのものもどれも素晴らしいですよね。
明けましておめでとうございます。
官邸画家デュクルー肖像画、アントワーネットは綺麗ですね。
師のラ・トゥールの描く『ポンパドゥール夫人』、見事です。美しいですね。
しゅん様
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
革命で処刑されるインパクトが凄すぎますもんね。
しかし彼女は究極のお嬢様だったので資料もそれなりに残っており本もたくさん出ているので、知ると結構楽しいと思います(笑)。
ぜひまたお付き合いください。
よろしくお願い致します。
蝶々様
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
マリー・アントワネットは資料もたくさん残っているので、彼女の人生を通して「この時代ってこうだったんだ!」と思うことが多いです。「生え際ってすごく重要だったんだ!」とか(笑)。
それだけでなく、マリー・アントワネットの生涯って、やっぱり興味深いですよね。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
マリーアントワネットは、幼少期のことは
知らなかったので、勉強になりました。
あけましておめでとうございます🐭
マリー・アントワネットのお話はいつ読んでも深いですよね…🤭
今年も宜しくお願いいたします🍀