画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

馬から下りている人物の絵(ジョシュア・レノルズの『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』とヴァン・ダイクの『狩場のチャールズ1世』)

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メトロポリタン美術館の収蔵品『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』の肖像画です。

この「下馬している人物」の絵のルーツは、ヴァン・ダイクの傑作『狩場のチャールズ1世』のようです。

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』 1782年 ジョシュア・レノルズ メトロポリタン美術館蔵
『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』 1782年 ジョシュア・レノルズ メトロポリタン美術館蔵

画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出ます。また、画像の左下にある「引用元」のリンクをクリックしていただければ、元のファイルをご覧になることができます。「引用元」の表示が無いものは、この記事内に掲載したpublic domain の元ファイルから、解説のために必要な部分を拡大したものです。

目次

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』( Captain George K. H. Coussmaker, Grenadier Guards ) 1782年 ジョシュア・レノルズ

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』 1782年 ジョシュア・レノルズ メトロポリタン美術館蔵
『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』 1782年 ジョシュア・レノルズ メトロポリタン美術館蔵

引用元:『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』

ジョシュア・レノルズ(レイノルズとも表記、Sir Joshua Reynolds, 1723年7月16日-1792年2月23日)

イングランド出身の画家で、ロイヤル・アカデミーの初代会長であるジョシュア・レノルズの作品です。

レノルズは、ロココ期らしい、優美な人物画で知られています。

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』

この肖像画は『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』(p.51.)で、『カウスメイカー大佐』(Colonel George Cousmaker)として紹介されています。

所有しているメトロポリタン美術館の解説では「クースメイカー」氏は「大尉」となっています。

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉 (1759-1801年)』(Captain George K. H. Coussmaker (1759-1801))ですね。

クースメイカーは1776年に、近衛歩兵第一連隊の将校階級最下位であるエンスン及び中尉の任務につきました。その後中佐に昇進しましたが、戦地勤務のないまま1795年に除隊しました。レイノルズの記録には、1782年にこの若い男性に21回モデルになってもらい、おそらく8度くらい彼の馬を描いたことが記載されています。日記作家のファニー・バーニーは、クースメイカーは内気で寡黙ながら礼儀正しい男性だと記しています。この肖像画は、レイノルズの最も優れた自由でしなやかな作風を反映しており、助手の手は入っていないとされています。

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』(メトロポリタン美術館の解説)

「カウスメイカー」なのか「クースメイカー」なのかは発音や表記の問題だと思いますが(スペルもちょっと違いますけど)、気になるのは彼の階級です。

「大佐」?それとも「大尉」?

それはまた後ほど述べさせていただきます。

この、「馬から降りている」姿で描かれた肖像画には「もと」となった絵がありまして。

『狩場のチャールズ1世』( Charles I at the Hunt ) 1635年  アンソニー・ヴァン・ダイク

『狩場のチャールズ1世』 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク ルーヴル美術館蔵
『狩場のチャールズ1世』 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク ルーヴル美術館蔵

引用元:『狩場のチャールズ1世』

振り向いてこちらを見ているのは、チャールズ1世(Charles I, 1600年11月19日-1649年1月30日)。

イングランド王であり、スコットランド王です。

王の威厳に満ちた騎馬像と異なり、腰に手を当て、くつろいだ雰囲気ですね。

甲冑ではなく平服の姿ですが、高貴さ、上品さは隠せません。

この絵はフランスのルーヴル美術館に在ります。

描いたのは、イングランドに招聘されたネーデルラント出身のアンソニー・ヴァン・ダイク。

アンソニー・ヴァン・ダイク自画像 1620年頃-1627年頃 アルテ・ピナコテーク蔵
アンソニー・ヴァン・ダイク自画像 1620年頃-1627年頃 アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:ヴァン・ダイク自画像

「あら、イングランド王の肖像画がなぜフランスの美術館に?」と思った方、ハイ(^^)vどうも有難うございます。

この絵は一時、18世紀のフランス国王ルイ15世の寵姫・デュ・バリー夫人の所有でした。

この絵がルーヴル美術館にあるのは、クロムウェル政権による処分の結果ではなく、描かれてすぐ王からフランスに送られたためである(王妃ヘンリエッタ・マライアの母マリー・ド・メディシスへの贈り物という説もある)。その後著名な収集家クロザの手を経て、ルイ15世によって買い上げられ、その愛人デュ・バリー夫人に贈られた。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.45.
妻ヘンリエッタの母で、フランス国王アンリ4世妃。マリー・ド・メディシス(1575年-1642年) 1622年 ルーベンス プラド美術館蔵
妻ヘンリエッタの母で、フランス国王アンリ4世妃。マリー・ド・メディシス(1575年-1642年) 1622年 ルーベンス プラド美術館蔵

引用元:マリー・ド・メディシス

チャールズ1世の妻・ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(1609年-1669年) 1636年-1638年頃 ヴァン・ダイク サンディエゴ美術館蔵
チャールズ1世の妻・ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(1609年-1669年) 1636年-1638年頃 ヴァン・ダイク サンディエゴ美術館蔵

引用元:ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス

フランス国王ルイ15世寵姫・デュ・バリー夫人(1743年-1793年) 1781年 ヴィジェ=ルブラン フィラデルフィア美術館蔵
フランス国王ルイ15世寵姫・デュ・バリー夫人(1743年-1793年) 1781年 ヴィジェ=ルブラン フィラデルフィア美術館蔵

引用元:デュ・バリー夫人

清教徒革命

目利きでもあったチャールズ1世は在位中、美術品の収集に注力しました。

しかし、彼は清教徒革命が起き、1649年に処刑されてしまいます。

チャールズ1世の素晴らしいコレクションは、オリヴァー・クロムウェルの政権によって国外へ売却されました。

オリヴァー・クロムウェル(1599年-1658年) ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
オリヴァー・クロムウェル(1599年-1658年) ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:クロムウェル

ヴァン・ダイクの『狩場のチャールズ1世』はその時国外に流出したものではなく、それよりもずっと前にフランスへ渡っていたのです。

『クロムウェルと棺の中のチャールズ1世』 1831年 ポール・ドラローシュ ハンブルク美術館蔵
『クロムウェルと棺の中のチャールズ1世』 1831年 ポール・ドラローシュ ハンブルク美術館蔵

引用元:『クロムウェルと棺の中のチャールズ1世』

『クロムウェルと棺の中のチャールズ1世』はフランスの画家・ポール・ドラローシュによる歴史画です。

斬首されたチャールズ1世の遺骸をクロムウェルが見つめていますが、現実にはこのような場面はありませんでした。

画家アンソニー・ヴァン・ダイク(アントニーとも表記 Anthony van Dyck, 1599年3月22日-1641年12月9日)

ヴァン・ダイクは、バロック期に活躍したネーデルラント出身の画家です。

ルーベンスに師事し、ルーベンスと交流のあったチャールズ1世によってイングランドに招かれました。

チャールズ1世はイタリア出身の画家オラーツィオ・ジェンティレスキ(1563年-1639年)もイングランドに招いていました。

ヴァン・ダイクはジェンティレスキの姿も描いています。

アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたオラツィオ・ジェンティレスキ 1635年頃 大英博物館蔵
アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたオラーツィオ・ジェンティレスキ 1635年頃 大英博物館蔵

引用元:アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたオラーツィオ・ジェンティレスキ

『チャールズ1世三面像』 1635年 ヴァン・ダイク

『チャールズ1世三面像』 1635年 ヴァン・ダイク ロイヤルコレクション蔵
『チャールズ1世三面像』 1635年 ヴァン・ダイク ロイヤルコレクション蔵

引用元:『チャールズ1世三面像』

このチャールズ1世の三面像は、チャールズ1世が自分の胸像をローマのベルニーニに依頼した時に、ヴァン・ダイクによって描かれたものです。

同じバロック時代の巨匠、天才ベルニーニです。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの自画像 1623年頃
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの自画像 1623年頃

引用元:ベルニーニ自画像

この三面像は「見本」としてローマに送られました。

1637年、完成した胸像にチャールズ1世は狂喜しますが、残念ながらこの像は焼失。

現在は復刻版しか残っていません。

ベルニーニによる胸像の実物を見てみたかったですね。

『馬上のチャールズ1世』 1633年 ヴァン・ダイク

『馬上のチャールズ1世』 1636年 ヴァン・ダイク ロイヤル・コレクション蔵
『馬上のチャールズ1世』 1636年 ヴァン・ダイク ロイヤル・コレクション蔵

引用元:『馬上のチャールズ1世』

『馬上のチャールズ1世』の構図は、ルーベンスの『レルマ公騎馬像』(1603年)が元。

この絵も共和政時代に売却されて国外に流出しかけたが、王政復古の際に買い戻された。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.43.

『チャールズ1世騎馬像』 1638年頃 ヴァン・ダイク

『チャールズ1世騎馬像』 1638年頃 ヴァン・ダイク ナショナル・ギャラリー蔵
『チャールズ1世騎馬像』 1638年頃 ヴァン・ダイク ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『チャールズ1世騎馬像』

小柄なチャールズ1世ですので、下の絵では馬が大きく見えます。

この絵と、『狩場のチャールズ1世』の背景はよく似ていますね。

右側から上部にかけて樹木が茂り、左方に見晴らしが開けているところなどまさに瓜二つだ。しかしこの類似は一見しただけでは分かりにくいかもしれない。両者の構想は根本的な次元で異なっており、その違いの方が印象を強く支配するからである。

ナショナル・ギャラリーの絵では馬上のチャールズ1世は画面のほぼ中央に位置している。よく見るとここにも従者がいるが、その姿のごく一部しか見えず、主従の関係は見誤るべくもない。いまさらことわるまでなく王侯の肖像画としてはこれが当たり前である。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.45.

画面左下には穏やかな平原風景が広がり、『狩場のチャールズ1世』では、リラックスして、若干上の方からこちらに眼差しを向ける王。

その右側にはチャールズ1世の馬が描かれています。

従者に手入れされている白馬も全身は描かれておらず、くらの中央で画面の縁によって切断されている。この大胆な構図が実に新鮮だ。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.45.

『チャールズ1世騎馬像』では馬の方が大きく見えていますが、『狩場のチャールズ1世』の中の馬は、

優美な曲線をなしつつ下げられた馬の首は、王の背丈を高く見せる上でも重要な役割を演じているのだ。そして画面上方の樹葉も、王の上半身をちょうど縁取る位置に広がって、その存在を強調している。数多いヴァン・ダイクのチャールズ1世像の中でも極めつきの名画とされるゆえんである。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.45.

『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』(『カウスメイカー大佐』)の「首を弓形に伸ばした馬のポーズ」も、『狩場のチャールズ1世』から着想を得ていますが、

首の長さは一段と強調されている。なだらかな弧形が優美な魅力をかもし出している。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.51.

(スミマセン、私は大尉本人にしか目が行かず、馬の首の長さまで気が回っていませんでした。)

『狩場のチャールズ1世』の絵は後の18世紀、イギリスの肖像画に大きな影響を及ぼしたようです。

この世紀はスタッブズのような馬の絵の専門家が脚光を浴びるほど馬の人気が高まった時代で、また優美なヴァン・ダイクの様式が肖像画の規範とされた時代だったから、この絵から着想を得た下馬姿の肖像が多々描かれたのも容易に納得がゆく。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.51.
『ポクリントン大尉とその家族』 1769年 ジョージ・スタッブズ ワシントン、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
『ポクリントン大尉とその家族』 1769年 ジョージ・スタッブズ ワシントン、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

引用元:『ポクリントン大尉とその家族』

18世紀イギリスの画家、ジョージ・スタッブス(George Stubbs, 1724年8月25日-1806年7月10日)。

馬を多く描いていて、正に「馬の絵の専門家」。

『狩場のチャールズ1世』の発想源

「「下馬肖像画」の系譜」として、傑作『狩場のチャールズ1世』の構図の元となった絵も『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』で紹介されています。

それまでに描かれていた君主たちの威厳に満ちた騎馬像ではなく、「下馬した皇族を描いた珍しい絵」がチャールズ1世の父・ジェイムズ1世の治世下で偶然にも2枚ありました。

まず、こちらの女性の絵から。

画家はヴァン・ダイクの先輩に当たる、フランドル出身の宮廷画家・ソーメルです。

『ジェイムズ1世王妃アン』 1617年 パウル・ファン・ソーメル 

『ジェイムズ1世王妃アン』 1617年 パウル・ファン・ソーメル ハンプトン・コート宮殿蔵
『ジェイムズ1世王妃アン』 1617年 パウル・ファン・ソーメル ハンプトン・コート宮殿蔵

引用元:アン・オブ・デンマーク

女性はアン・オブ・デンマーク。

イングランド王ジェームズ1世(スコットランド王も兼ねる)の妃で、チャールズ1世の生母です。

美女としても知られていますが、超浪費家としても有名です。

『皇太子ヘンリー・フレデリク』 1610年 ロバート・ピーク(父)?

次に、18歳で亡くなってしまった、チャールズ1世の兄・ヘンリー・フレデリクです。

『皇太子ヘンリー・フレデリク』 1610年 ロバート・ピーク(父)? ロイヤルコレクション蔵
『皇太子ヘンリー・フレデリク』 1610年 ロバート・ピーク(父)? ロイヤルコレクション蔵

引用元:皇太子ヘンリー・フレデリック

中央の少年がチャールズ1世の兄、ヘンリー・フレデリクです。

横の少年は、第3代エセックス伯ロバート・デヴァルー。

清教徒革命時の議会軍総司令官で、父である第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーはエリザベス1世の寵臣であり、最期は処刑された人物です。

ヘンリー・フレデリクが下馬している理由。それは、

狩に出た皇太子ヘンリーは当時の儀礼に従って、たおした大鹿の首に刃を入れた後で、剣をさやに収めているところである。

傍らの廷臣が身をかがめているのは身分の違いの表明でもあるが、皇太子の体格の小ささを隠蔽いんぺいする配慮も加味されていたはずである。かなり立派に描かれているもの、当時のヘンリーはまだ9歳だった。この幼さではいくら王位継承者でも、堂々たる騎馬像に仕立てるのは無理というものだ。ちなみに7年後の16歳のときに描かれた騎馬像を見ても、体躯たいくの貧弱さは見紛みまがうべくもない。

王妃アンの肖像も舞台は狩場で、王妃は猟犬をつないだ鎖を左手に握り、右手を腰に当てたいくぶん気取ったポーズで、落ち着いた眼差しをこちらに向けている。モデルが貴婦人である以上、いかに狩猟が好きでも騎馬像を描くわけにはゆかなかった。

『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.51.

王妃アンが馬から下りて描かれているのは、「当時の高貴な女性が両足を大きく広げて馬に跨るのにはかなり抵抗があったから」です。

もちろん男性と同じように馬に跨り、狩猟を楽しむ女性もいましたが、ひとりで楽しむ分にはそれほどのスピードは必要ありません。

女性たちは特別の鞍を誂え、横向きに優雅に座りました。

しかし横向きの姿勢では当然不安定です。

落馬事故の危険とは常に隣り合わせでした。

さて。

ヘンリー・フレデリク王子の背後には、馬がいます。従者もいて、お手入れされているようですね、

王妃アンのポーズにもまた目を向けてくださいませ。

腰に手を当て、こちらを見やる仕草です。

そして、この王妃の絵を左右反転させて見ると、樹木や馬の配置、奥に広がる風景が、『狩場のチャールズ1世』の構図によく似ている…。

どうやらこの2枚の絵から、ヴァン・ダイクは『狩場のチャールズ1世』の着想を得ていた、ということのようです。

『クースメイカー大尉』、彼は大尉か?大佐か?

クースメイカー氏の階級が「大尉」Captain なのか「大佐」Colonel なのか。

よくわかりませんが、絵を所有しているメトロポリタン美術館の方を信じようと思います。

先に挙げたメトロポリタン美術館の日本語版の説明文のなかにエンスンとありました。

「近衛歩兵第一連隊の将校階級最下位であるエンスン及び中尉の任務につきました」

エンスン(Ensign)はイギリス海軍の階級のひとつだと思います。

英語版では、

For this work of exceptional quality, Reynolds gave close attention to the dashing lieutenant and captain in the first regiment of Foot Guards, …

メトロポリタン美術館 英語版の解説

となっていますが、あれ?エンスンて単語が見当たらないのですが。

…ともかく、lieutenant という単語だけなら「中尉」の意味、Foot Guards は「近衛(このえ)歩兵連隊」で良いかと思います。

ですので、彼の所属は「近衛(このえ)歩兵連隊」であって、「海軍」ではないと思うのですが…。

もし違っていたり、詳しい方がいらしたら是非お教えください。

タイトルに「captain」と付けられていて、さらに、(昔の英国の)陸軍と海軍では「captain」の階級の重みが違いますので、私の極小脳みそ大混乱です。

Captainは海軍では「大佐」を、陸軍では「大尉」を指す

日本語では上から順に、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、となっていますが、これは既に西欧で完成した軍隊の階級システムの翻訳だそうです。

陸軍と海軍が別々に階級を作っていた英国では、1748年に階級がはっきりと決められました。

陸軍と海軍が別々に階級を作っていたため、奇妙なことが起きてしまった。英和辞典を引いてみるとキャプテン captain の説明の中に「陸軍大尉、海軍大佐」などと書いてある。つまり同じキャプテンという階級なのに、陸軍と海軍とでは三階級も違うことになってしまっている。これは、後になって英国の陸海軍がそれぞれの階級が相手のどのランクと同等か、という無理なすりあわせをした結果である。

(『軍服の歴史5000年』 彩流社 P90)

同じ「キャプテン」という語なのに、海軍では「大佐」、陸軍では「中隊長」で「大尉」の意味でした。

既に固定していたので、変更は不可能。

それで同じ単語で身分違いのランクを指すようになったということです。

『軍服の歴史5000年』にはこの説明(由来)がきちんと載っていますので、ご興味があればぜひそちらをお読みください。

大佐(colonel)の語源

アラゴン王フェルナンド(神聖ローマ皇帝カール5世の祖父)は、パイク兵(パイクは槍の一種)、火縄銃兵、帯剣盾兵で構成される常設の歩兵部隊を導入しました。

アラゴン王フェルナンド2世(1452年3月10日-1516年6月23日) 15世紀末-16世紀初頭 ミケル・シトウ 美術史美術館蔵
アラゴン王フェルナンド2世(1452年3月10日-1516年6月23日) 15世紀末-16世紀初頭 ミケル・シトウ 美術史美術館蔵

引用元:アラゴン王フェルナンド2世

歩兵は約1000名からなる「コルネラス」に分けられて、それぞれ「カーボ・デ・コルネラ」が指揮を執りました。

カーボ・デ・コルネラはスペイン貴族のうち、軍人として特に優秀で経験豊富な者が選ばれました。

このコルネラスを元に、20年後、カール5世によってテルシオ(Tercio)(軍事編成のこと)が創設されます。

英語の「カーネル(大佐)」はこのコルネラから来ているそうです。(参考:『戦闘技術の歴史 3 近世編』 創元社 P191)

かつて「大佐」の下は「大尉」だった

官職が売買されていた時代、階級が上がれば上がるほど、官職の値段は高くなりました。

国王から託される権限は富と名声の象徴でしたが、更に、連帯の評価や地位によっても値段が決まることから、大佐には、自分の隊に適切な装備と訓練を施すことが求められました。

部隊の基本的な維持費は国から支給されましたが、不足分はすべて連隊の保有者が補填(゚д゚)!。

大佐は自身の負担分を部下に押し付けることに。

大佐の下の大尉は自分の中隊の状態に責任を負います。

中尉も同様の責任の貢献を期待されていましたが、その財政負担は大きく、軍歴の途上で巨額の負債を抱えたり破産に追い込まれたりする貴族もいたそうです。

当然すべての大佐が同じように責任を遂行したわけではなく、戦争が始まると、連隊によって準備にはばらつきがあることがわかりました。

兵力や装備が不足することを避けるため、ルイ14世は新たに中佐という階級を設けて、大佐が自身の責務の重大さを認識するように仕向けたのだそうです。(参考:『戦闘技術の歴史 3 近世編』 創元社 p.219.)

1750年代以降、男性服に襟が登場

1700年代前半の貴族の男性ファッションでは、前のボタンを留めずに、下に着た美しい刺繍を施されたヴェストを見せています。

『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵
『牡蠣の昼食』 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵

引用元:『牡蠣の昼食』

ボタンを外せば襟が折れて裏返ってしまうため、初めから上襟に折り返しをつける「テーラード・カラー・デザイン」が登場します。

1780年代頃には、貴族の乗馬用の上着も登場。

クースメイカー大尉の肖像画が描かれた時期と重なりますね。

彼が着ている上着の襟など、かなり今日のスーツの襟に近いです。

上流階級のアウトドア用ウェアとして広まった「フロック(frock)」という上着がありますが、それまでの前裾が長いものだと乗馬には向かないため、前だけカットし、お尻だけ長く裾を伸ばした「燕尾服(テイル・コート、tailcoat)」が出てきます。

乗馬の際は強い風に耐えなければなりませんから、「ダブルの前合わせ」が現れ、ボタンをきちんと留めて、防寒します。

さらに、立てた上襟(カラー、collar)にホックを付けて閉じると、もっと防寒度アップ。

姿勢が良くなって見栄えも良いということで、立ち襟、詰め襟が登場し、特に軍人に好まれるようになります。(参考:『軍服の歴史5000年』 彩流社 p.58.)

では、ロココから近代の軍服に戻ってきたところで、 今回はお開きとさせていただきます。

付き合ってくださって有難うございました。

主な参考文献
  • 『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』
  • 『軍服の歴史5000年』 彩流社
  • 『戦闘技術の歴史 3 近世編』 創元社
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コメント

コメント一覧 (16件)

  • sakumana (id:sakura_marina)様
    コメント有難うございます。
    書いて貰った本人としては、今で言う記念写真とか、親族への近況報告、臣下への贈呈品であったかもしれませんね。それらを今こうして「名画」として、外国の、後世の人間が観ているのって不思議ですよね。
    画家の力量もあるのでしょうが、表情もほんとに豊かで、そこにはちょっとした感情さえ感じられます。
    勿論、ある程度「盛って」、より優雅に、品よく描いていると思います。
    私は人物画そのものより、背景の布や家具、陶磁器、人物が身に着けている装身具が好きで、絵の来歴や見方、時代背景を調べ始めました。今でも先にヒカリモノに目が行きます(笑)。
    sakumana さんが仰るように、ご本人たちはどう思っているんでしょうねえ。
    イザベラ・デステがティツイアーノに肖像画を描いて貰ったら若い自分が描かれていて、「私はこんなに美しくなかった」といったそうですし、ヴィジェ=ルブラン夫人やルーベンスは貴族たちに引っ張りだこだったらしいので、みんなやっぱり少しでも良く描いてくれる画家が良かったんだなと思うくらいですが、いろいろ想像するのも楽しいですね。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • ハンナさん、おはようございます。
    絵画の人物像、改めて見ると、大変興味深いですね。
    これまで、全体的な印象や風景に惹かれて絵画を鑑賞していて、人物をじっくり見ることはあまりなかったように思います。
    絵のタッチや、描き方はそれぞれ違っても、どの作品の人物も表情が活き活きとしていますね。
    おそらく、写真も動画もない時代に、自分の姿を記録して残しておく、唯一無二の手段であったのだろうと思います。
    もしかしたら写実ではなく、気に入ってもらえるように描き手の方が修正しているのかもしれませんが・・。
    時を経て、芸術作品として鑑賞されていることを、当時の方々はどのように感じておられるのか、興味が湧いてきました😊

  • schun (id:schunchi2007)様
    コメント有難うございました。
    大尉もカッコいいけど、若い頃のヴァン・ダイク氏も美形でしょ(・∀・)?
    以前「大佐」の語源を知ったあたりで、「あれ、大佐の下って、中佐では??」と思ったことがあります。
    各国、各軍それぞれに事情、慣習があるのでしょうが、そういったことが詳しく書かれている本になかなか当たりません。文化史のひとつとして興味があるので探してはいるのですが。
    仰るように、編成なども時代によって少しずつ変わっていくのでしょうね。現代は陸海に加えて空軍もありますしね。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • ことぶ㐂(ことぶき) (id:lunarcarrier)様
    コメント有難うございました。
    こうして一緒に観てくださってとても嬉しいです。
    私はどうしても好き嫌いで判断してしまうので、解説本が無いと、その絵が何故名画と言われるのか(何故重要なのか、どんな意味があるのか)よく解りません。
    特に肖像画はとても難しいです。
    私にとっての興味の対象は、肖像画に描かれた衣裳、アクセサリー、家具だったりするからです( ;∀;)。その次に、描かれたひとの人生ですかね。何をしたひとなのかなというね。
    日本語はわかり易く「大佐」「中佐」…と「大中小」ですもんね。少将、中将、大将もね。
    確かに、lieutenantとかcolonelという言い方の役職だと、その下に新たな役職を作ってもあまり影響受けなかったんでしょうかね。ちょっと気になります。
    欧州の強国の軍の制服も調べてみると結構面白いです。難しいですけどねえ。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • ko-todo (id:ko-todo)様
    「狩場に来てモデルかよ…。」ww。わらったヽ(^o^)丿
    今なら年賀状とかに、旅行先で撮った一枚を載せて近況報告するのに、狩場で振り向いて近況報告かwww。もう、そうとしか見えない(笑)。多分一生。
    三面像、案外反響が大きくて驚きました。
    アレ、ヴァン・ダイクがある意味、ベルニーニに「挑戦」してるんですって。「ホラ、これくらいリアルに作れるかい?」って感じなんですかね。
    これかな?という復刻ものは見たことがあるのですが、王を喜ばせたホンモノが見てみたいと思いました。
    ステキなコメント有難うございました。(ブログはいつも外から拝読していますが、こちらからのコメント遅れててごめんなさい)

  • まーたる (id:ma-taru)様
    コメント有難うございます。
    そして、大尉だけでなくお馬さんもしっかり見て下さって有難うございます!確かに、この人物とその愛馬、なんかゴージャスですね…。
    『ベルばら』の肉体美の性悪な愛人風のデュ・バリー夫人のイメージが強いですが、実際には瞼の重たい、子供っぽい話し方をするひとだったそうです。断片的にですが彼女について描かれている記述を読むと、そんなに悪いひとではなかったんではないかなと思えて来ます。
    このルブラン夫人の肖像画の彼女はおっとりした感じに見えますよねえ。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • 森下礼 (id:iirei)様
    いつも来て下さって有難うございます。
    大尉、素敵ですよね。多くの女性に好かれそうです。しかし、我が国には我が国の良さがある。短足も味わい深いものです。
    森下様のブログ、外からは拝読しているのですが、仕事で力尽きて星・コメントに伺えませんでした。間が空いて申し訳ありませんでした。改めてお伺いしますね。
    有難うございました。

  • id:happy-ok3様
    今回も見て下さって有難うございます。
    清教徒革命他、もう少し描きたかったのですが、またまたすっごく長くなるためここで止めてしまいました。
    チャールズ1世、正面も横顔もやっぱりエレガントですね。美化もしているのでしょうが、やっぱりこんな感じだったのかなと思います。
    三面像、載せて良かったです(笑)。

  • おはようございます。
    ヴァン・ダイク自画像は女性かと思いましたが
    男性なんですね(^◇^;)
    目鼻立ちがとってもキリッとしていて、二枚目ですね(笑)
    大尉の次が大佐ってことがあったってこと
    初めて知りました。階級も時代時代で少しずつ変わっていくんですかね。
    今日もお勉強になりました。

  • 『狩場のチャールズ1世』の説明を読んで、なるほど~と思いましたが、説明が無かったら、なぜ名画なのかわからなかったりします(^-^;
    絵を見に行くことは好きなんですけどね。
    大佐の下が大尉だったり、中尉が追加されたのが不思議に思いましたが、あちらのの階級には大中小がなくてlieutenant とかcolonelって名前なので間に何か挟んでも違和感ないですね。

  • 『チャールズ1世の三面像』
    斬新ですね。
    胸像を作るのに色々な角度の絵が必要だったのでしょうけれど、1枚に収めているのが面白いです^^
    「狩場に来てモデルかよ…。」ww
    今ならば、記念写真をパシャっとで済むのに…ね。
    この時代の画家さんは、一瞬で写真の様に記憶するサバン系の能力があると便利だったでしょうね^^
    それにしても…
    1枚目の絵のお馬さんが美しい…。

  • だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
    コメント有難うございました。
    レノルズ卿の絵の人物、特に女性は美人さんが多いように見えます。男性は軍人が多い印象ですが、皆気品に溢れている感じです。
    イングランドのロココ期の画家といえばホガースで、今はホガースの方が好きですが、レノルズも捨て難いですね。保守的は保守的て、良さがあります。
    チャールズ1世のヒゲについても言及したかったのですが、長くなるので今回は止めました。
    また、フランスの画家ドラローシュが、クロムウェルが処刑したチャールズ1世の棺をのぞき込むという歴史画を描いています。
    「清教徒革命」はまた世界史分野で改めてやりたいのですが、結構後になるかも。先にルイ16世関連記事でやるかもしれません。あまり言うとあっさりネタバレなので止めます。
    『牡蠣の昼食』、すごく好きな絵です。生きる喜び、食の悦びが伝わってくるようです。
    ワインもシャンパンも、ああ~飲み過ぎてえ~!!!
    カッコ付けて外食するより、カニとか牡蠣に関しては人目を気にせず、家でたらふくがっつきたいです。

  • こんばんは(о´∀`о)
    クースメイカー大尉、めちゃくちゃスマートで素敵ですねぇ(*☻-☻*)✨
    そして大尉もですが馬の姿に目が釘付けになりました❗️
    フサフサした毛がすごくリアルなたてがみ、立派な馬体、キラキラした瞳が大尉に負けず劣らずに素敵ですね〜(*☻-☻*)✨
    大尉と馬、この対がゴージャスで美しいなぁと感じました❗️
    デュ・バリー夫人、どうしてもベルサイユのバラのイメージが強いから、こんなに優しい穏やかな雰囲気のデュ・バリー夫人を拝見してみるとなんだか不思議な感覚ですσ(^_^;)
    でも国王の寵姫だけある気品の高さを持っておられたんだなと思います。
    今回も素敵な記事をありがとうございます(●´ω`●)

  • 足の長い西欧貴族、馬と釣り合いますね。これが日本の短足男性では、バランスが悪いです。それはそうと、最近、私のブログはとんとお見限りですね。たまにはいらしてください。

  • こんにちは。
    カウスメイカー大佐、凛々しいですね。
    チャールズ1世の、3画像がユニークですね。
    気高さ、上品さ、素晴らしいです。
    第2次のイングランドの内戦で処刑されたようですが、
    昔の宗教戦争は、政治と欲?のようなものも加わるので、私は悲しいです。
    画家の絵は、その画家の性格?というかそのようなものも、同じ物を描いてもでますね。
    3画像、すごく印象的です。
    今日も有難とうございます。

  • クースメイカー大尉男前!!いい男ですね。レノルズさんの描き方が素敵なのかな?
    チャールズ1世愛嬌ある顔してますね。清教徒ってピューリタンの事でしたっけ??
    チャールズ1世三面像は三銃士かと思いました(笑)みんな一緒の人だったの??
    牡蠣の昼食食べ過ぎじゃね??
    オイスターバーで白ワインと牡蠣を楽しみたいです。
    燕尾服一回着てみたいです!そして燕の様にかっこよく颯爽と歩きたい。なーんて思う次第です。

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