「東洋」を描いた画家ジャン=レオン・ジェローム

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自分たちのいる世界とはまた違った、エキゾティックなものや風習って惹かれますよね。

19世紀、通常は入れないハーレムやそこに住むオダリスクたちを「想像で」リアルに描いた画家ジェロームの絵を掲載しました。

『ブルサの大浴場』( La grande piscine de Brousse ) 1885年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ記念美術館蔵
『ブルサの大浴場』( La grande piscine de Brousse ) 1885年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ記念美術館蔵

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目次

ジャン=レオン・ジェロームによる神話や歴史を題材にした作品

『バテシバ』( Bethsabée ) 1889年 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵

『バテシバ』( Bethsabée ) 1889年 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵
『バテシバ』 1889年 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵

引用元:バテシバ

サザビーズの解説はこちらです。

エルサレムの街を一望できる場所で水浴する美しい人妻バテシバ。

周囲に人の目が無いため、開放的に振る舞っています。

まだ空は青いけれど、そろそろ夕暮れが迫る時刻。

王宮には人影がありますが、これは覗き見ている王ダヴィデの姿です。

彼女を見初めた王から呼び出しを受け、揺れるバテシバ。

もの思いに沈むバテシバを描いたレンブラントの絵が有名ですよね。

『ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』 1654年 レンブラント・ファン・レイン ルーヴル美術館蔵
『ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』 1654年 レンブラント・ファン・レイン ルーヴル美術館蔵

引用元:『ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』

ジェロームのバテシバの腰周りにいくらかついている脂肪。

私から見ればそんなのついている内に入らないのですが、この感じが艶めかしく、リアルだなと感じます。

サザビーズの解説によると、「準備段階の油彩スケッチは、完成したものと構成が似ているが、低木と花がない」とあります。

等身大の石膏版もあったようですが失われ、写真だけが知られているそうです。

他、多色の石膏版(高さ73cm)はフランスの個人コレクションに、金メッキ・ブロンズ版(高さ32cm)は米フロリダ州ジャクソンヴィルの the Cumner Art Gallery Florida にあるとのこと。

バテシバ(習作) 1889年 ジャン=レオン・ジェローム
『バテシバ』(習作) 1889年 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:バテシバ

バテシバ( Bethsabée )クレヨン画 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵
『バテシバ』 クレヨン画 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵

引用元:バテシバ クレヨン画 Vartan3 CC-BY-SA-4.0

旧約聖書の中の女性パテシバ以外にも、ジェロームは神話や歴史に出てくる人物や場面を描いています。

『ピュグマリオンとガラテア』( Pygmalion et Galatée ) 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム メトロポリタン美術館蔵

『ピュグマリオンとガラテア』 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム メトロポリタン美術館蔵
『ピュグマリオンとガラテア』 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム メトロポリタン美術館蔵

引用元:『ピュグマリオンとガラテア』

メトロポリタン美術館による解説はこちらです。

なんて美しいヒップラインなのでしょうか。

キプロス島の王であり、彫刻家ピュグマリオンは自分が彫った美しい女性像にキスをします。

女神アフロディテによって生命を吹き込まれた彫像ガラテアの、象牙から生身に変わるその瞬間が見所。

『ピュグマリオンとガラテア』( Pygmalion et Galatée ) 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム Bridgeman Art Library蔵

『ピュグマリオンとガラテア』( Pygmalion et Galatée ) 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム Bridgeman Art Library蔵
『ピュグマリオンとガラテア』 1890年頃 ジャン=レオン・ジェローム Bridgeman Art Library蔵

引用元:『ピュグマリオンとガラテア』( Copied from an art book )

『ピュグマリオンとガラテア』、『パテシバ』も載っています。ガラテアの美しい僧帽筋、脊柱起立筋に見入ってしまいます。

『闘鶏』( Jeunes Grecs faisant battre des coqs ) 1846年 ジャン=レオン・ジェローム オルセー美術館蔵

『闘鶏』( Jeunes Grecs faisant battre des coqs ) 1846年 ジャン=レオン・ジェローム オルセー美術館蔵
『闘鶏』 1846年 ジャン=レオン・ジェローム オルセー美術館蔵

引用元:『闘鶏』

オルセー美術館の解説はこちらです。

ジェロームの師ポール・ドラローシュに励まされ、1847年のサロンに出品。大成功を収めます。

『古代ギリシャの室内』( Le Gynécée ) 1850年 ジャン=レオン・ジェローム

『古代ギリシャの室内』( Le Gynécée ) 1850年 ジャン=レオン・ジェローム
『古代ギリシャの室内』 1850年 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『古代ギリシャの室内』

『ギリシャの室内(スケッチ)』( Intérieur grec ) 1848年 ジャン=レオン・ジェローム オルセー美術館蔵
『ギリシャの室内(スケッチ)』 1848年 ジャン=レオン・ジェローム オルセー美術館蔵

引用元:『ギリシャの室内(スケッチ)』

オルセー美術館の解説はこちらです。

オルセー美術館の解説には、本作は「1850-1851年のサロンに出品された絵画の習作」とありました。

『アレオパゴス会議のフリュネ』( Phryne vor dem Areopag ) 1861年 ジャン=レオン・ジェローム ハンブルク美術館蔵

『アレオパゴス会議のフリュネ』( Phryne vor dem Areopag ) 1861年 ジャン=レオン・ジェローム ハンブルク美術館蔵
『アレオパゴス会議のフリュネ』 1861年 ジャン=レオン・ジェローム ハンブルク美術館蔵

引用元:『アレオパゴス会議のフリュネ』

舞台は古代ギリシア。高級娼婦フリュネの裁判の場面です。

『ルイ14世とモリエール』( Louis XIV et Molière ) 1862年 ジャン=レオン・ジェローム Malden Public Library蔵

『ルイ14世とモリエール』( Louis XIV et Molière ) 1862年 ジャン=レオン・ジェローム Malden Public Library蔵
『ルイ14世とモリエール』 1862年 ジャン=レオン・ジェローム Malden Public Library蔵

引用元:『ルイ14世とモリエール』

同じテーブルに着く太陽王ルイ14世とモリエール。

『指し降ろされた親指』( Pollice verso ) 1872年 ジャン=レオン・ジェローム フェニックス・アート・ミュージアム蔵

『指し降ろされた親指』( Pollice verso ) 1872年 ジャン=レオン・ジェローム フェニックス・アート・ミュージアム蔵
『指し降ろされた親指』 1872年 ジャン=レオン・ジェローム フェニックス・アート・ミュージアム蔵

引用元:『指し降ろされた親指』

リアル過ぎて思う。「あれ、古代ローマに写真なんてあったっけ?」と。

『灰色の枢機卿』( L’Eminence Grise ) 1873年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵

『影の枢機卿』 1873年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵
『影の枢機卿』 1873年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵

引用元:『灰色の枢機卿』

書物(聖書)に目を落とす修道僧に、帽子を取り、頭を下げる貴族たち。

どうやら彼は大きな権力を手にしているようです。

『クレオパトラとカエサル』( Cléopâtre et César ) 1886年 ジャン=レオン・ジェローム 個人蔵

『クレオパトラとカエサル』 1886年 ジャン=レオン・ジェローム 個人蔵
『クレオパトラとカエサル』 1886年 ジャン=レオン・ジェローム 個人蔵

引用元:『クレオパトラとカエサル』

カエサルの前に姿を現した古代エジプト女王クレオパトラ。

奴隷市場

『ローマの奴隷市場』( A Roman Slave Market ) 1884年頃 ジャン=レオン・ジェローム ウォルターズ美術館蔵

『ローマの奴隷市場』 1884年頃 ジャン=レオン・ジェローム ウォルターズ美術館蔵
『ローマの奴隷市場』 1884年頃 ジャン=レオン・ジェローム ウォルターズ美術館蔵

引用元:『ローマの奴隷市場』

ウォルターズ美術館の解説はこちらです。

神々しいというか、官能的でありながら、触れてはいけない気にさせる美しい肉体です。

ウォルターズ美術館によると、ジェロームは、「古代ローマまたは19世紀のイスタンブールを舞台にした6つの奴隷市場のシーンを描いた。」とあります。

本作は後ろ姿ですが、ジェロームは別の方向(正面)から見た場面も描いています。

サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館所蔵の『ローマの奴隷市場』ですが、鑑賞者はちょっと離れた所にいる売り物の女性を観客の頭越しに眺めています。

『ローマの奴隷販売』( Slave Market in Ancient Rome ) 1884年 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵

『ローマの奴隷販売』 1884年 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵
『ローマの奴隷販売』 1884年 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵

引用元:『ローマの奴隷販売』

エルミタージュ美術館の解説はこちらです。

奴隷商人が熱くこの奴隷を売り込んでいるようです。

中央に立つ女性は腕で顔を隠し、全てを諦めている表情。

壇にいるもう一人の女性も表情なく座って膝を抱えています。

現代に生きる著者が、紀元前115年、トラヤヌス帝の治めるローマにタイムスリップをし、1日市中を案内してくれる『古代ローマ人の24時間』。

午前11時、著者はローマ市内の奴隷市場を訪れます。

 市場に近づくにつれて、筆舌に尽くしがたい光景が見えてくる。展示スタンドのように木製の台が並べられ、その上に、売りに出されている奴隷が「陳列」されているのだ。まさに人間の売り物だ。男も女も、子どもまでいる。しかも、まるでスーパーの店頭にならんだワインやオイルの瓶のように、それぞれが自分の特徴を明記した札を首から下げている。情け容赦のない表現で、奴隷商人が一人ひとりの出身国や資質だけでなく、場合によっては欠点も手短に記すのだ。

アルベルト・アンジェラ(著). 関口英子(訳). 2012-4-20. 『古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活』. 河出文庫. p.250.

札にある奴隷の出身地は「ヌビア」「ガリア」。

特徴として「知識が豊富で、ギリシア語を話す」「ダキアの王族の娘」などとも書かれています。

奴隷たちの資質や短所を口にしていく奴隷商人。

既に大きな悲劇に見舞われた奴隷たちの顔からは表情が消えています。

残るのは諦め、恐怖心…。

これまでの生活は永遠に終わり、このわずかな時間のあいだに、まったく違った道を歩みはじめねばならないことを知っているのだ。そして、それがおそらく翻せないものとなることも……。

アルベルト・アンジェラ(著). 関口英子(訳). 2012-4-20. 『古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活』. 河出文庫. pp.251-252..

『奴隷市場』( Achat d’une esclave ) 1857年頃 ジャン=レオン・ジェローム

『奴隷市場』( Achat d'une esclave ) 1857年頃 ジャン=レオン・ジェローム
『奴隷市場』 1857年頃 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『奴隷市場』 CC-BY-2.0

無遠慮に口の中をチェックされる女性。

 まるでくじ引きで人生を決めるように彼らの「持ち主」が決まっていくのを、私たちは目の当たりにしていた。台から台へと見てまわりながら、動物を取引きするかのような非人道的で残酷なやりとりに、言葉を失うばかりだ。台の上で奴隷に口を開けさせ、歯並びと口臭を客に確認させている奴隷商人がいるかと思うと、太って汗ばんだ客がいやらしい目で見つめる前で、女性の胸を触り、腹部を撫でてみせる商人もいる。また別の商人は、売りものの奴隷が強靭で、非の打ちどころがないことを示すために、大きなゲルマン人の肩や胸を叩いたり、腿やふくらはぎを撫でてみせたりしている。

アルベルト・アンジェラ(著). 関口英子(訳). 2012-4-20. 『古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活』. 河出文庫. pp.252-253..

貴族の家に使用人として引き取られればまだ良いですが、強制労働で酷使されたり売春宿に売られたりしたら、奴隷としての人生は相当につらいものだったでしょうね。

『奴隷市場』( Le Marché d’esclaves ) 1866年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵

『奴隷市場』( Le Marché d'esclaves ) 1866年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵
『奴隷市場』 1866年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵

引用元:『奴隷市場』

スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュートの解説はこちらです。

前の絵と似た構図ですね。

こちらも諦めの表情の女性が中央に立ち、身体を検査されています。

スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート(クラーク美術館)の解説によれば、

「ジェロームは登場人物が着ている衣服や周囲の建造物の建築様式に対し細心の注意を払っています。

その衣服や建築様式のディテールは、ジェロームが数ヵ月費やしたスケッチ旅行先のエジプトやトルコの各所を思い起こさせます。

また、想像と観察の両方から構築されたこの非人道的な場面は、イスラム社会を奇妙で、暴力的で、堕落したものとして描いています。そのような絵画は、フランスが北アフリカに植民地帝国を拡大するにつれて、フランスの道徳的優位性に対する思い込みにアピールしました。」

とのことです。(スミマセン、訳してみましたが、間違っていたら教えてください…)

『奴隷市場』( The Slave Market ) 1871年 ジャン=レオン・ジェローム シンシナティ美術館蔵

『奴隷市場』( The Slave Market ) 1871年 ジャン=レオン・ジェローム シンシナティ美術館蔵
『奴隷市場』 1871年 ジャン=レオン・ジェローム シンシナティ美術館蔵

引用元:『奴隷市場』

Google Arts & Culture (『奴隷市場』)の解説はこちらです。

解説によると、「ジェロームの絵画のスタイルは非常にリアルで、顔、身体、建物 風景が正確に描写されています。

彼の最も典型的な主題には、奴隷の少女、ハーレム、その他神秘や官能、退廃、残虐性の中心地として「オリエント(東洋)」をステレオタイプ化したイメージの、エキゾティックでエロティックな場面がありました。

奴隷制と奴隷市場は、1870 年代のエジプトでもまだ行われており、この地域を幾度も旅行したジェロームはそれを目撃しているかもしれません。」

ジェロームは売られるのを待つ奴隷たちを、彼らの絶望を描いています。

ひとり、完全なヌードになっている女性がいますが、非難されるべき奴隷売買という場面でありながら、性的な可能性も感じさせます。

画家や鑑賞者はこの非人道的な取引きの様子を同情の目で見つつ、同時に欲望や性的な空想を抱く、といったところでしょうか。

新古典主義、アカデミスム

18世紀前半、イタリアで古代ローマの遺跡が発掘されました。

古代文明への憧れは絵画芸術だけでなく、衣装にも古代ギリシアや古代ローマの影響が現れます。

1789年にフランスで革命が起こり、「ロココ」の享楽的な貴族文化が終わりを迎えます。

『ぶらんこ』 1768年頃 ジャン・オノレ・フラゴナール ウォレス・コレクション蔵
『ぶらんこ』 1768年頃 ジャン・オノレ・フラゴナール ウォレス・コレクション蔵

引用元:『ぶらんこ』

貴族に代わって市民階級が力を持ち、新たな文化の花を咲かせた次の世紀。

古代ブームの中で生まれた芸術様式「新古典主義」は、古代芸術の模倣を通じて、美の理想を達成しようというものでした。

『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』 1805年-1807年 J.L.ダヴィッド ルーヴル美術館蔵
『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』 1805年-1807年 J.L.ダヴィッド ルーヴル美術館蔵

引用元:『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』

西洋諸国は領土拡大のため、アフリカや新大陸、中東、アジアの国々に侵出していきます。

訪れた異国の地で、西洋の人々は “奇妙” な風習や珍しい品物を目にしました。

ダヴィッドの弟子のアングルは、トルコの後宮(ハーレム)に仕える女性(オダリスク)を描いています。

女性が持つクジャクの羽団扇や足元の水煙草、頭のターバンも含めてとてもエキゾティックな雰囲気を漂わせていますね。

『グランド・オダリスク』(「横たわるオダリスク」) 1814年 ドミニク・アングル ルーヴル美術館蔵
『グランド・オダリスク』(「横たわるオダリスク」) 1814年 ドミニク・アングル ルーヴル美術館蔵

引用元:グランド・オダリスク』

社会における性的モラルが厳しいなか、官能的な女性のヌードを描くにはきちんとした理由が必要でした。

つまり、

「この裸の女性は人間ではなく、女神なんです」

「この裸の女性が開放的に振る舞っているのは、遠い古代ギリシアや古代ローマに生きている女性だからなんですよ」

というような、「言い訳」ですね。

ヌードを鑑賞する側も「いや、これは神話や聖書の場面だから」「女神様だから」と言えるわけです。

『テピダリウム』( The Tepidarium ) 1853年 テオドール・シャセリオー オルセー美術館蔵
『テピダリウム』 1853年 テオドール・シャセリオー オルセー美術館蔵

引用元:『テピダリウム』

『ヴィーナスの誕生』( Naissance de Vénus ) 1863年 アレクサンドル・カバネル オルセー美術館蔵
『ヴィーナスの誕生』 1863年 アレクサンドル・カバネル オルセー美術館蔵

引用元:『ヴィーナスの誕生』

新古典主義の画家たちの多くが芸術アカデミーの中で活躍していたため、新古典主義はアカデミスムの美術とも呼ばれました。

代表格であるアレクサンドル・カバネルはフランス皇帝ナポレオン3世のお気に入りの画家。

『ヴィーナスの誕生』は1863年のサロンで評判になり、ナポレオン3世が買い上げました。

ナポレオン3世(1808年4月20日-1873年1月9日) 1865年 アレクサンデル・カバネル 
ナポレオン3世(1808年4月20日-1873年1月9日) 1865年 アレクサンデル・カバネル

引用元:ナポレオン3世

また、ナポレオン3世の従弟ナポレオン公( Prince Napoléon )は、ジェロームの『ギリシアの室内』を購入した人物でした。

ナポレオン公ジェロームとクロティルデ 1859年 ロイヤルコレクション蔵
ナポレオン公ジェロームとクロティルデ 1859年 ロイヤルコレクション蔵

引用元:ナポレオン公ジェロームとクロティルデ

ナポレオン公の妻はイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の娘クロティルデで、年の離れたナポレオン公とは1859年に政略結婚をしています。

19世紀、侵出した先のエキゾティックな「未開の地」から入ってきた珍しい品物が欧州の市中に出回り、芸術家たちに多大な影響を与えます。

そこにオリエンタリスト(東洋趣味)という画家たちの一群が生まれ、ジェロームは彼らの中心的人物でした。

 また、当時の西洋人には、イスラーム圏を中心とする東方の人々は、性的に淫らで野蛮であるという偏見があった。東方を描くということは半ば、性的な表現をすることを意味していたのである。

 アカデミスムを代表するカバネル〔1823-89年〕やジェローム〔1824-1904年〕といった画家たちは、オリエンタリスティックな主題で裸婦像を多数残している。

春燈社(編). 2019-8-5. 『ヌードの絵画史 「裸の芸術」黄金期に描かれた女性たち』. p.29.

東洋趣味

『スフィンクスを前にしたナポレオン・ボナパルト』( Bonaparte ante la Esfinge ) 1886年 ジャン=レオン・ジェローム California State Parks Museum Collections 蔵
『スフィンクスを前にしたナポレオン・ボナパルト』 1886年 ジャン=レオン・ジェローム California State Parks Museum Collections 蔵

引用元:『スフィンクスを前にしたナポレオン・ボナパルト』

ナポレオン・ボナパルトのアフリカ遠征をきっかけに、フローベール、ドラクロワら多くの作家や画家も異国の地を踏みます。

ジャン=レオン・ジェロームも実際にコンスタンティノーブルやエジプトを旅行し、たくさんのスケッチや小物を携えて帰国しました。

英国のトルコ大使夫人モンタギューが著した『一八世紀トルコからの書簡』の影響、かつてカットされて紹介されていた性的な部分を加えての、バートンによる『千夜一夜物語』の再翻訳。

19世紀末には『アラビアン・ナイト』のブームが起き、『アラビアン・ナイト』風エロティックなポルノ小説も登場します。

人々はトルコやアフリカに強い異国情緒を感じると共に、多くの美女たちがはべるハーレムに関心を寄せ、次第に東方(オリエント)といえばハーレム、ハーレムにはトルコ風呂が付きもの、のようなイメージが出来上がっていきます。

『トルコ風呂』( Le Bain Turc ) 1862年 ドミニク・アングル ルーヴル美術館蔵

『トルコ風呂』( Le Bain Turc ) 1862年 ドミニク・アングル ルーヴル美術館蔵
『トルコ風呂』 1862年 ドミニク・アングル ルーヴル美術館蔵

引用元:『トルコ風呂』

画家アングルのもとに、あるフランスの貴族(ナポレオン公)から「トルコのハーレムの絵を描いて欲しい」との依頼が来ました。

 当時の貴族にとって、トルコはあこがれの場所。アングルもトルコの浴場の様子が書かれた旅行記を読み、このトルコの浴場を題材に裸婦たちの姿を描きたいと思い続けていたのだ。

 ついにその思いをはたすときが来たと喜んだアングルは、究極の裸体画の制作に没頭する。

NHK『迷宮美術館』制作チーム. 2008-7-30. 『迷宮美術館 アートエンターテインメント』. 河出書房新社. p.33.

アングルは『トルコ風呂』を制作して納品。(完成時アングルは82歳だったとか)

しかしナポレオン公の妻クロティルデはこの絵を淫らであるとして嫌い、アングルは夫妻に絵の受け取りを拒否されてしまいました。

(参考:FLAMINIA.Mag ”Art and bathroom : the ” Turkish bath ” of Jean-Auguste-Dominique Ingres“ )

(参考:『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』 池上英洋(著) 筑摩書房)

一夫一婦制のヨーロッパに比べ、後宮には何百という美女たちがおり、風呂でその美しい肢体を日々磨く…。

それはヨーロッパの男性たちにとって大きな憧れ、性的な空想を著しく刺激するものでした。

「民俗誌学の画家」ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)

ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)
ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)

引用元:ジャン=レオン・ジェローム Art Renewal Center

フランスの画家・彫刻家。

16歳でパリに出てポール・ドラローシュに師事しました。

ジェロームの画風に大きな変化が現れたのは、1853年にトルコを旅行してからだったそうです。

 画中の人物の服装や装身具、化粧、調度品、市場や浴場の光景など、できる限り現実に近づけようと模索し、さまざまな品を収集したことから、「民俗誌学の画家」とも呼ばれた。

春燈社(編). 2019-8-5. 『ヌードの絵画史 「裸の芸術」黄金期に描かれた女性たち』. pp.80-81.

周囲に配置された小道具がリアルだと画面の迫真性が増し、実にホンモノ、事実っぽい。

これってホントにあったことだよね?とアタマから思ってしまいそうです。

実は子供の頃、私はアングルの『グランド・オダリスク』を見て、「ハーレムの女性は皆裸で生活してたんだ」と思っていました。

こうした巨匠の作品は真実(史実)を描いているのだとも。

その後、『トルコ風呂』で身をよじる女性たちを見て…あれ、西洋人??顔立ちが「オリエンタル」じゃないよね…と気がついた。

後宮の寵姫たちって、全員西洋人??そんなワケないよね…?と。

書籍『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』(フィルムアート社)から

『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』のパート2、その中の「エキゾティシズム」の項が興味深かったので引用します。

 北アフリカに最初に旅行で訪れたアーティストは、その地の文明が西洋の文化にほとんど接してこなかったことを発見した。豊かな色彩、派手な衣装、馴染みの薄い習慣は、主題に素晴らしく新しい領域をもたらし、パリのサロン展の壁を賑わせることになった。オリエンタリストとして知られるようになるこうした画家たちの最初の世代は、自らを観察者であり、報道記者でもあるとして考え、眼前に広がる魅力的な日常の光景を描き出した。  

フィリップ・フック(著).中山ゆかり(訳). 2016-12-22.『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』. フィルムアート社. p180.

豊かな色彩、派手な衣装、の箇所で、多くの作品の中からこのジェロームの絵を思い出しました。

メトロポリタン美術館ガイドの表紙にもなっています。

見ている端末によって色の出方は異なると思いますが、それでも布の質感、鮮やかさは伝わりますよね。

リアルさに、当地の風俗そのままを写し取っているような気になりますが、実際の兵士がこのような優美な衣装をこのように綺麗な状態で常に着用している、とはちょっと考えづらい。

しかし異国情緒などの雰囲気は充分で、「異国の兵士のイメージ画」として部屋に飾りたい一枚です。

『バシボズク』( Bashi-Bazouk )  1868年-1869年頃 ジャン=レオン・ジェローム メトロポリタン美術館蔵
『バシボズク』( Bashi-Bazouk )  1868年-1869年頃 ジャン=レオン・ジェローム メトロポリタン美術館蔵

引用元:『バシボズク』

この印象深い人物画は、ジェロームが1868年初頭に4ヶ月の中近東遠征からパリに帰還し、画家として頂点を極めていた頃の作品です。彼がレバント地方から持ち帰った織物をアトリエでモデルに着せています。「リーダー不在」という意味のトルコ語の作品のタイトルは、残虐な非正規兵を連想させますが、実際の兵士がこのように優美なチュニックに身を包んでいたとは考えにくいでしょう。繊細な質感の表現で知られるジェロームはこの大作でその力量を存分に発揮し、彼の他のオリエンタリズムの作品には見られない威厳がこの人物に感じられます。

メトロポリタン美術館 『バシボズク』日本語版解説
メトロポリタン美術館ガイド 日本語版(エリクセン・トランスレーションズ・インク (監修) ミュージアム図書)

分厚くて重い本ですが、読み応えは充分。読み終わる頃にはなんだかホントに美術館に行った気になれるかも。

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かつて修業のためにイタリアを訪れていたヨーロッパの画家たちは、19世紀に入ると、イタリアよりも東方世界に関心を寄せ始めます。

 一九世紀の後半には、他の多くのヨーロッパ諸国の画家たちがアラブ世界に集まってきた。彼らはさらに遠い国々をあちこち歩き回った。エジプトや聖地パレスチナ、シリア、トルコ、そしてペルシャですらも。フランスの詩人テオフィル・ゴーティエは、アーティストの巡礼の地として、中東がイタリアの王座を奪いつつあると指摘している。「そこで彼らは太陽について学び、光を研究し、独創的な人物たちや習慣、そして旧約聖書的なふるまいを見いだすのだろう」。だが、その世紀も後半になると、サロン展のためにサハラ砂漠に向かう道は、むしろあまりに踏破されつくしてしまっていた。

フィリップ・フック(著).中山ゆかり(訳). 2016-12-22.『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』. フィルムアート社. p181.

オリエント世界に押しかけるヨーロッパの人々。

ヨーロッパ文明の海の中へ、東方の習俗は急速に埋もれていきます。

アラブ世界がより西洋化されるにつれ、その神秘性やとらえどころのなさの多くは失われた。そのかわりに、訪れた画家たちによって再創造されたエキゾティシズムがより工夫され、またより誇張されたかたちで育まれていった。アーティストたちは、ますますヨーロッパ化されたアラブ世界のイメージを生み出し始めた。つまり、パリやロンドンのブルジョワの顧客たちが手軽に消費できるようにパッケージ化されたイメージということだ。なかには、実際にアラブの国に足を踏み入れることは一度もないまま、エキゾティックな東洋の光景を描く者すらいた。良いではないか。アーティストたちはこれまでだって、一度も訪れたことのない古代ローマや十七世紀のオランダをもっともらしく表す作品を生み出してきたのだから、というわけである。

フィリップ・フック(著). 中山ゆかり(訳). 2016-12-22.『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』. フィルムアート社. p184.

誰も見たことのない、はるか昔の古代ローマや古代ギリシアです。

遺跡からの出土品を添えたり研究論文をもとにしたりしたとしても、画家たちは想像でその光景を描き出すしかできません。

オリエント画家が描く「エキゾティックなアラブ世界」にも、西洋的な解釈の空想や偏見が盛られます。

浴場やハーレムで繰り広げられる光景。「エロティックだけど、仕方ないよね、だって、遠い異国の地でのことだもん。彼ら、異教徒だし。エキゾティック、最高!」との声が絵画から聞こえる気がします。

そこから西洋人優位的な思い込みや偏見を感じるのは私の感想ですが、言い過ぎでしょうか。

 十九世紀を通じて、アーティストを魅了し続けた中東のテーマが一つあった。それはハーレムであり、奴隷市場や公衆浴場が付随する主題として描かれている。フランスの作家で写真家のマクシム・デュ=カンは、カイロの奴隷市場について、「ここの人々は、ぼくらがヒラメを買いに市場に行くように、奴隷を買いに行く」と書いている。これを読んだ平均的なヨーロッパ人は、表面的には嫌悪を気取ったかもしれないが、しかしまた次に魚屋の前を通るときには、むしろ何か物欲しそうに思いをはせていたかもしれない。中東の公衆浴場は午後は女性専用になっており、ハーレムの女性たちが専属の奴隷のあかすり師をともなって訪れていた。そうしたマッサージの光景は、パリのサロン展ではいわば絵画のダイナマイトとして、人々に大きなショックを与えた。しばしば奴隷は黒人で、ハーレムの側室たちは白人だったから、裸婦の肉体は肌色のコントラストが特に興奮に満ちた味わいをもって強調されていた。エロティックであることは、エキゾティックであることによって覆い隠されていた。心配しないで、ヨーロッパの市民は安全だ。彼らは遙かかなたに住む異国人で、そしてこれが彼らのふるまい方なのだから、というわけだ。だが、若い娘たちを描写する自然主義や彼女たちの身体のもつリアリティは、この「どこか別の国」という論理に妥協していたわけではない。こうした絵画を見るヨーロッパの観客のために写実性が高められていたが、それを可能とした好都合な要因の一つは、イスラムの女性たちはアーティストのモデルを務めることを禁じられており、したがってここに描かれている女性たちの大半は、東洋のアクセサリーでそれらしく飾られたヨーロッパ人モデルだったということだ。パリの女性たちの私室と東洋のハーレムの間の境界線は実際のところ、世紀が進むにつれて曖昧になっていく。後年のオリエンタリストの絵画に描かれるハーレムの住人たちは、煙草を手にし、物憂げなポーズをとってはいるが、その姿はフランスの首都で手近に雇える娼婦に似てきていた。ただ、その舞台設定のみがいくらかエキゾティックなだけなのだ。

フィリップ・フック(著). 中山ゆかり(訳). 2016-12-22.『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』. フィルムアート社. pp. 184-186.

「興味深いエキゾティックな風習」を鑑賞するのだと言いながら堂々と眺めるヌード。

異国の浴場という設定のなかでポーズをとるモデルはヨーロッパ人でした。

ハーレム、浴場の女性たち

『ムーア人の浴場』( Moorish Bath ) 1870年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵

『ムーア人の浴場』 1870年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵
『ムーア人の浴場』 1870年 ジャン=レオン・ジェローム ボストン美術館蔵

引用元:『ムーア人の浴場』

ボストン美術館の解説はこちらです。

ミレーの『落穂拾い』、ドーミエの『三等客車』とほぼ同じ時期の画壇で人気があったジェローム。

『ムーア人の風呂』のような作品で「オリエンタリスト」の画家として評判を築きます。

 一人は白人種で裸体をさらし、タイルばりの大きな浴室のような部屋の壁にもたれかかっています。一方、もう一人の黒人種の女性は、大きな金だらいをかかえて、ヌードの女性の背中にお湯を流そうとしています。ここがどうやら中東地域のどこかであることが、浴室のタイルの模様などからうかがえます。

 一八世紀のおわりにはナポレオンによるエジプト遠征などもありましたから、中東地域の文物や情報はヨーロッパにもかなり入ってきていました。イギリス発の産業革命がひととおりいきわたったヨーロッパは、世界各地に植民地を作り、単にそこの住民に税をかけるだけでなく、ヨーロッパ製品の市場としても機能させていました。こうしてヨーロッパは、自らが最強の大陸となり成熟した文化を持っていることを自覚するようになったのですが、そうなると不思議なもので、見知らぬ文化に対する興味(エキゾティチズム)も一層強くなります。おまけに、鉄道や蒸気船のおかげで、人々にとって”長距離を移動すること”が、グランド・ツアーのように限られた階層にのみ許されることではなくなり、ただの夢物語ではなくなりつつありました。

池上英洋(著). 2012-2-10. 『西洋美術史入門』ちくまブリマー新書174. pp.99-100..

ボストン美術館の解説を参考にさせていただくと、ジェロームはフランスを出て、エジプト、シリア、アルジェリア、トルコを旅行し、多くのスケッチ、オブジェ、衣装を携えてパリに戻りました。

この女湯、非常に「ホンモノ」っぽく思えます。こんな習慣が本当にあり、それが頻繁に行われているような。

背景のタイルの壁や床、金属のたらい、ふたりの女性の肌の質感のせいでしょうか。

しかしジェロームはこのような女湯の光景を目撃したことはなく、代わりに彼のスタジオでポーズが取られた可能性があるとのことです。

旅行での取材や、洗練された技法を用いて事物を正確に描写するジェロームの才能。

そのため彼の絵画はしばしば「本物を描写している」と思われることがあったようです。

顔を伏せる白人種の女性に湯をかける有色人種の召使い。

この構図には、白人が優越的な立場であることが織り込まれているようです。

『ムーア人の浴場』( Moorish Bath ) 1874年-1877年頃 ジャン=レオン・ジェローム ロード・アイランド・スクール・オヴ・デザイン・ミュージアム蔵

『ムーア人の浴場』( Moorish Bath ) 1874年-1877年頃 ジャン=レオン・ジェローム ロード・アイランド・スクール・オヴ・デザイン・ミュージアム蔵
『ムーア人の浴場』 1874年-1877年頃 ジャン=レオン・ジェローム ロード・アイランド・スクール・オヴ・デザイン・ミュージアム蔵

引用元:『ムーア人の浴場』

ロード・アイランド・スクール・オヴ・デザイン・ミュージアムの解説はこちらです。

『ハーレムの浴場』( Une piscine dans le harem ) 1876年頃 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵

『ハーレムの浴場』( Une piscine dans le harem ) 1876年頃 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵
『ハーレムの浴場』 1876年頃 ジャン=レオン・ジェローム エルミタージュ美術館蔵

引用元:『ハーレムの浴場』

エルミタージュ美術館の解説はこちらです。

Throughout his artistic career Gérome made numerous visits to the Orient – to Egypt, Turkey, Syria, Palestine and Sinai. His unfailing interest in the depiction of scenes from the life of the Muslim world gave him a reputation as an “ethnographic” artist, of which he was very proud.

エルミタージュ美術館の解説(英語訳)より一部抜粋

繰り返しエジプト、トルコ、シリア、パレスチナ及びシナイを訪れたジェローム。

解説には an “ethnographic” artist(「民俗誌」の画家) との言葉が見られますね。

ハーレムのトルコ風呂を舞台に、触れるとひんやりしていそうな花柄のタイル、大理石の床、敷かれた赤い絨毯、化粧台や香炉などの小物類で雰囲気を演出。

本作にもかしずかれる側の白人女性と召使いの有色人種が描かれています。

手前の女性たちだけでなく、奥にも女性たちがいますね。

官能的なポーズで寝そべるオダリスクの、ねじれた身体のライン、輝くような肌の質感と、立ったままの召使いの衣装の暗色が対照的です。

『蛇使い』( The Snake Charmer ) 1879年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵

『蛇使い』( The Snake Charmer ) 1879年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵
『蛇使い』 1879年頃 ジャン=レオン・ジェローム スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵

引用元:『蛇使い』

スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュートの解説はこちらです。

ぱっと見の印象は、「わー、蛇を身体に巻き付けてる!小さな子なのに蛇なんか操って、すごーい!」でしたが、よく見ると男の子は裸。なぜハダカ?

大人たちは少年の蛇使いの技術…だけでなく、蛇というより裸体の少年を見ているのではないか?更に言わせていただければ、蛇は男性性を連想させるような…。

青色が幻想的なタイルの壁ですが、これはイスタンブールにあるトプカプ宮殿に着想を得ているようです。

石の床はカイロのアムル( Amr )のモスクに似ている、とのこと。

Painted with minute precision based in part on actual places—Istanbul’s Topkapı palace inspired the tiled wall, while the stone floor resembles that of the mosque of Amr in Cairo— this scene presents a European fantasy of life in the Islamic world. The assembled men, whose garments and weapons are derived from a combination of cultures, appear dazed as they watch a snake charmer. Their gaze upon the boy’s naked body calls attention to our own. This type of painting, referred to as Orientalist, reflected and shaped European prejudices about the world beyond its borders.

スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュートの解説

少年の裸体を眺める男たちの絵。

つい、現地の風俗としてホンモノっぽく捉えてしまいそうですが、この場面は異文化、イスラム世界に対するヨーロッパの偏見から創られた「ファンタジー」であるということすね。

『風呂上がり』( After the Bath ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵

『風呂上がり』( After the Bath ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵
『風呂上がり』 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵

引用元:『風呂上がり』

サザビーズの解説はこちらです。

1870年代から制作された浴女たちの絵。

この後ろ向きの女性の湿り気のある肌を見ただけでも、この絵の完成度の高さを感じます。

巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの『トルコ風呂』の裸婦たちも様々なポーズを取っていますが、彼女たちが官能的、エロティックに身をくねらせているのとは異なり、ジェロームは、人体とその骨格の構造、微妙な筋肉の動き、肌の質感を注意深く研究しています。

The architecture and decorations of After the Bath’s interior may have been assembled from photographs and Gérôme’s own props. When visiting Constantinople (now Istanbul) Gérôme met the famous Turkish photographers, the Abdullah brothers (founders of the Abdullah Frères firm); he used their images of the city, mainly its interiors, as sources for his compositions’ backgrounds. Further, the artist decorated his Paris studio with tiles, metalwork, fabrics and other Middle Eastern souvenirs. Gérôme’s visits to the Turkish city of Bursa’s Sinan baths were likely important inspiration for After the Bath. Working in the baths on Men’s Day (his presence among women would certainly have been forbidden), Gérôme naturally observed the casual society of the male bathers around him in the warm, steamy space.

サザビーズの解説より一部抜粋

コンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)を訪れたジェロームは、有名なトルコ人写真家アブドゥッラー兄弟に会います。

ジェロームは作品に街のイメージやインテリアを使用し、自身のパリのスタジオをタイル、金属細工物、布地、その他中東の品物で飾りました。

ジェロームがトルコの都市ブルサのスィナン浴場を訪れたことは、『風呂上がり』の重要なインスピレーションとなったようです。

もちろん女性の入浴日には行けないので男性の入浴日に出掛け、入浴者たちの気のおけない社交の様子を観察、スケッチしました。

差し込む光、冷たい大理石、水煙草の金属的な光沢、水面に映った表情。湿気や熱気までも感じられるようです。

あんまりにも真に迫り過ぎていて、これは実際にあった光景なんだろうと勝手に思ってしまいそうですが、解説によると、「入浴場面は、最終的にジェロームの想像力と美的な選択から構成されたもので、構図の視覚的な技巧とは対照的に、入浴場面の「現実」はジェロームの支持者である19世紀後半の偉大なアメリカの実業家やビジネスマンにとってはほとんど重要ではなかった」とのこと。

『入浴』( The Bath ) 1880年-1885年 ジャン=レオン・ジェローム サンフランシスコ美術館蔵

『入浴』( The Bath ) 1880年-1885年 ジャン=レオン・ジェローム サンフランシスコ美術館蔵
『入浴』 1880年-1885年 ジャン=レオン・ジェローム サンフランシスコ美術館蔵

引用元:『入浴』

サンフランシスコ美術館のサイトはこちらです。

本作でも濡れた肌や床、タイル、布。そして白人種と有色人種の登場人物。

Relying on sketches, photographs, and props brought back from various corners of the Ottoman Empire, Gérôme painted such scenes in the comfort of his Paris studio, hiring local models to act out the roles of women in an imaginary harem. In reality, as a man and an outsider, Gérôme could never have entered a space like the one depicted here. The harem was a private area reserved for women, children, and domestic workers (whether paid or enslaved) in wealthy Ottoman households. In the nineteenth-century European imagination, however, harems formed an object of prurient curiosity and the locus of imagined Eastern otherness, defined by luxury, sensuality, and cruelty. While both figures depicted here could be free or enslaved members of a harem Gérôme’s composition imposes a racialized social hierarchy (white bather vs. Black attendant) characteristic of European thinking in the period. -Emily A. BeenyOf course the real-life women playing both roles were likely professional models from Northern Paris, home in the later nineteenth century to significant working-class and French-Caribbean populations. Deeply informed by racist ideology and the French colonial enterprise, Gérôme’s harem paintings belong to a genre known as Orientalism.

サンフランシスコ美術館の解説より一部抜粋

ジェロームは、旅行先のオスマン帝国の各地から持ち帰ったスケッチ、写真、小道具をもとにパリのスタジオでこのような入浴シーンを描きました。

地元の雇われモデルが架空のハーレムでハーレムの女性を演じており、本物を見てスケッチしたのではありません。

ハーレムは女性、子ども、オスマン帝国内の裕福な家庭で働く奴隷や家事労働者たちで占められる私的なエリアでしたから、実際にジェロームのような部外者の男性はそのような空間に入ることはできませんでした。

しかし、19世紀のヨーロッパが考えるハーレムとは、エロティックな興味や好奇心をかき立てる場所。

空想のハーレムでは「白人の入浴者」が「有色人種の付添人」にかしずかれています。

ジェロームによる小道具や人体の表現に対する感動、興奮が治まってきたら、人種的な優劣の捉え方が気になってきます。

『ブルサの大浴場』( La grande piscine de Brousse ) 1885年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ記念美術館蔵

『ブルサの大浴場』( La grande piscine de Brousse ) 1885年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ記念美術館蔵
『ブルサの大浴場』 1885年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ記念美術館蔵

引用元:『ブルサの大浴場』

サザビーズの解説はこちらです。

ブルサとは、1335年から1363年にかけてのオスマン帝国の最初の首都。(ユネスコ世界遺産

1875年の最初のトルコ旅行から10年後、ジェロームは本作を制作しました。

This splendid evocation of ladies lounging around an octagonal hot pool in a Turkish bath is set under the great dome of the caldarium in Yeni Kaplica, Bursa’s ‘New Baths’ built in 1552 from designs possibly by the Master Builder Sinan (see also lots 140 and 144 for other constructions by Sinan). Bursa had been the ancient capital of the Ottoman Empire before the conquest of Constantinople in 1453.

サザビーズの解説より一部抜粋

トルコ風呂の八角形温水プールの周囲でくつろぐ女性たち。

建築家スィナンのデザインと思われる、1552年に建てられたブルサの「新しい浴場」であるイエニ・カプリッツァの、カルダリウム(高温浴室)の大きなドームの下で繰り広げられている光景です。

ジェロームは1879年にブルサを訪問しており、それがこの絵を生み出すきっかけとなったようです。

この滞在中にジェロームは、メフメト1世の霊廟を含む町の古いモニュメントのいくつかをスケッチしただけでなく、「新浴場」の内部をオイルスケッチで記録。

しかし、それらはその後失われたとのことです。

メフメト1世の霊廟
メフメト1世の霊廟

引用元:メフメト1世の霊廟 R Prazeres CC-BY-SA-4.0

『水煙草』( The Hookah Lighter ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵

『水煙草』( The Hookah Lighter ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵
『水煙草』 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム ハネンコ美術館蔵

引用元:『水煙草』( Scanned from Smoke: a global history of smoking (2004) ISBN 1-86189-200-4

『浴場の女性たち』( Women at the The Bath ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム

『浴場の女性たち』( Women at the The Bath ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム
『浴場の女性たち』 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『浴場の女性たち』https://archive.org/stream/catalogueillustr1898soci#page/10/mode/2up Salon de 1898 )

『裸婦』( Nude Woman ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム

『裸婦』( Nude Woman ) 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム
『裸婦』 1898年頃 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『裸婦』 CC-BY-2.0

『浴女たち』( Women in the bath ) 1900年より前 ジャン=レオン・ジェローム

『浴女たち』( Women in the bath ) 1900年より前 ジャン=レオン・ジェローム
『浴女たち』 1900年より前 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『浴女たち』

サザビーズの解説はこちらです。

1879年にブルサの「新しい浴場」を訪れてから6年後、ジェロームは入浴図シリーズの絵画の中で最も有名な『ブルサの大浴場』を制作。1885年のサロンで成功を収めました。

その成功でジェロームは一連の入浴場面を描くようになり、1880年代から1890年代にかけて、彼の作品の中で中心的な位置を占めることになりました。

青いタイル張りの壁のある室内は、写真や思い出、ジェロームの持つ小道具から構成された可能性がある、とのこと。

ジェロームのスタジオの一部は、彼が中東から持ち帰ったタイルで覆われていたそうです。

ジェロームは1875年に2度コンスタンティノーブルを訪問。

そこで有名なトルコ人写真家でアブドゥッラー・フレール社( the Abdullah Frères firm )の創設者であるアブドゥッラー兄弟、彼の昔の教え子であるセケル・アフメット・パシャ( Seker Ahmet Pasha, 1841年-1907年5月5日)に会います。

その後1877年までにアブドゥッラー・フレール社は街や室内の写真を手配し、ジェロームはそれらを絵の背景に使用しました。(参考:サザビーズの解説

自画像(Şeker Ahmed Pasha (1841-1907))
ジェロームの教え子だったセケル・アフメット・パシャ( Şeker Ahmed Pasha )の自画像

引用元:自画像(Şeker Ahmed Pasha (1841-1907))

『浴女たち』( Le Bain des femmes ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム

『浴女たち』( Le Bain des femmes ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム
『浴女たち』 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『浴女たち』

サザビーズの解説はこちらです。

19世紀絵画において、「浴女」の主題は珍しいものではありませんでした。

ドラクロワ、アングル、シャセリオーらはトルコの室内を舞台にした裸婦像で既に批評家から賞賛されていました。

アングルの1862年の作品(『トルコ風呂』)では、官能的でエロティック、エキゾティックなファンタジーの様が描写されています。

しかしジェロームの作品はアングルとは対照的に、エロティシズムを想起させる表現を避けています。

ここでの裸婦像は、アングルの女性像のように官能的なものに従事する姿ではなく、風呂で時間を過ごすという無害な社会活動を行っているものとして表現されています。

厳格でフランスのアカデミックな様式で描かれたジェロームの入浴場面は、ジェロームの友人で、同時代の画家エドガー・ドガが描いた入浴中の女性を思い起こさせます。

ドガの女性は自身の入浴を(鍵穴から?)覗かれていることに気づいていませんが、ジェロームの裸婦は自分が観察されていることを完全に認識して観察者と視線を合わせており、ドガの絵画が「前衛的で印象派のスタイルを採用している」のに対し、ジェロームの作品はより「急進的である」としています。(参考:サザビーズの解説

『オダリスク』( Odalisque ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム アップルトン美術館蔵

『オダリスク』( Odalisque ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム アップルトン美術館蔵
『オダリスク』 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム アップルトン美術館蔵

引用元:『オダリスク』

『浴女たち』( The Bathers ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵

『浴女たち』( The Bathers ) 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵
『浴女たち』 1889年頃 ジャン=レオン・ジェローム 私蔵

引用元:『浴女たち』( Copied from an art book )

クリスティーズの解説はこちらです。

ジェロームは1875年に2度イスタンブールを訪れ、トルコの宮廷画家アブドゥラ・シリーズ( Abdullah Siriez )と、かつての教え子であるセケル・アフメット・パシャ( Seker Ahmet Pasha )に会いました。

1877年までに、シリーズはイスタンブールの写真、主に室内を撮影するよう手配しています。後にジェロームはこれらを彼の絵の背景に使用しました。

次の10年間で、ジェロームはトルコを舞台にした絵のテーマを継続的に描いていますが、この「浴場」シリーズの中で最大かつ最も印象的な絵は『ブルサの大浴場』(1885年)でしょう。

ジェロームは、建築家スィナン作とされる16世紀の浴場で入浴する女性を描いており、いくつかのスケッチを制作。その多くは彼の絵に使われました。

本作はほぼ間違いなく『ブルサの大浴場』と同じ浴場が描かれていて、水煙管の近くの女性と湯に浸かるふたりの女性のいる構図は『ブルサの大浴場』の中心場面と似ています。

1889年から1990年にかけて、同じような入浴図が多く残されています。(参考:クリスティーズの解説

『風呂上がり』の女性の後ろ姿も思い起こさせますね。湿った浴場内に差し込む光や揺れる水面は他の絵と共通しています。

『後宮のテラス』( The Terrace of the Seraglio ) 1898年 ジャン=レオン・ジェローム

『後宮のテラス』( The Terrace of the Seraglio ) 1898年 ジャン=レオン・ジェローム
『後宮のテラス』 1898年 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『後宮のテラス』

「綺麗な身体だなー」と思いはしても、リアル過ぎてか若い頃はあまり好きではなかったジェロームの作品。

年を重ねると好みも変わってきます。

白人優位的な背景が見えてしまうと、東洋人のひとりとして「うーん」と思うものもありますが、今の私は彼が描き込んだタイルや水煙草、浴場で使用する靴などの小道具に興味があります。

人体の骨格、皮膚のハリ具合なども改めて観るとやっぱりすごい表現力、技術を持った画家だったんだなあと毎回思います。

今は結構好きなアーティストです。

各美術館の解説をGoogle翻訳などで確認しながら、なるべく原文に近くできるだけわかりやすく訳してみましたが、誤認・誤訳があるかもしれません。やっていて不勉強を痛感していました。もしお気付きの点がございましたら、どうぞお知らせくださるようにお願い致します。

主な参考文献
  • 原島 広至(著). 2018-12-31. 『名画と解剖学 『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』. CCC メディア・ハウス.
  • アルベルト・アンジェラ(著). 関口英子(訳). 2012-4-20. 『古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活』. 河出文庫.
  • 春燈社(編). 2019-8-5. 『ヌードの絵画史 「裸の芸術」黄金期に描かれた女性たち』.
  • 池上英洋(著). 2014-11-10. 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房.
  • NHK『迷宮美術館』制作チーム. 2008-7-30. 『迷宮美術館 アートエンターテインメント』. 河出書房新社.
  • フィリップ・フック(著).中山ゆかり(訳). 2016-12-22.『サザビーズで朝食を 競売人オークショニアが明かす美とお金の物語』. フィルムアート社.
  • 池上英洋(著). 2012-2-10. 『西洋美術史入門』ちくまブリマー新書174.

『ハーレムの浴場』(1876年頃)、『風呂上がり』(1889年頃)掲載

『奴隷市場』(1873年、ルーベ工芸美術館)、『バテシバ(バト・シェバ)』『浴場』『水煙草』『クレオパトラとカエサル』掲載

『ローマの奴隷市場』『ピュグマリオンとガラテア(ピュグマリオン)』『ムーア人の風呂』(1870年)『アレオパゴス会議のフリュネ』掲載

「エキゾティックなエロス」に関する記述もわかりやすい。そんなに厚いムック本ではありませんが、名画満載で、画集みたいです。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ハンナさん、こんにちは。
    西洋で、一定時期までは、東洋と言うと、今でいう中東の方を指しますよね。
    中国などはあまりにも遠い遠い、なじみもほとんど世界だったのでしょうね…。
    イスラム圏は、どの人もどの人も、美男美女揃いだし、西洋の人とは生活習慣もかなり違っているので、かなり神秘的にみえたのではないかと思います。
    あっ、ギリシャも美男美女揃いですね。(笑)
    豊満な女性…この歳になって見たら、見る方はいいけど、運動は足りていたのだろうかといらぬ心配をしてしまいます。
    今回も興味深く読ませていただきました。
    ありがとうございます。

    • ぴーちゃん様

      今回も覗いてくださってありがとうございます。
      当時のヨーロッパ人にとって、アフリカや中東なら行ける距離で、遠くて簡単には行けない中国や日本に比べれば手軽に?異国情緒を楽しめたのかなと想像します。
      自分たちとは違った人種、風俗、文化、言語、宗教、風景…きっと珍しいものばかりだったのでしょうね。楽しいだけなら良いですが、そこで生じた誤解、偏見、差別と、誤解された側にとっては不愉快な思いもあったかと。

      豊満な女性、私は母性を感じて結構好きですが、そうですね、肥満まで行ってしまうとやはり健康を案じてしまいますね。昔は豊かさの象徴でもあったのでしょうけど、今は肥満に伴う病気の方を考えてしまいます。
      食生活、運動、大事ですね。

      今回も有難うございました。

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