1756年に描かれたポンパドゥール夫人の肖像画。その衣装に見られる優雅で美しい「ピエス・デストマ」「アンガジャント」など、画像付きでご紹介します。
『ポンパドゥール夫人』( Madame de Pompadour ) 1756年 フランソワ・ブーシェ
引用元:『ポンパドゥール夫人』
Madame de Pompadour, 1756 アルテ・ピナコテーク
フランソワ・ブーシェの代表作のひとつ、ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人の肖像画です。
素敵なローブ・ア・ラ・フランセーズに身を包んだ夫人。
首と胸元をリボンで飾り、頭や胸、袖口には造花をあしらっています。
ブーシェによる1756年のポンパドゥール夫人の肖像画には, 典型的なローブ・ア・ラ・フランセーズが描かれている. 前身頃がぴったりと身体にそった前開き形式のローブとジュップは艶やかなサテン製で, 胸にはリボン結びの列(エシェル). V字形にあいたローブの下に三角形のパネル状のピエス・デストマ, お揃いの首のリボン, 最高級レース製の三重のアンガジャント, ローブの衿から裾, ジュップの裾にかけて重ねられた共布の縁飾り, その上に銀糸レースとバラの造花. さらに造花は胸, 頭, 袖口の飾りにも繰り返されている. なかでも着装する度に縫い止められていたピエス・デストマは, 絹地に装飾がされたもの. エシェルなど, 特に豪華に装飾された部分であり, コルセットによって持ち上げられた乳房を, より魅惑的に強調していた. 過剰装飾は全体としての完璧な調和を保ち, 洗練された精細な美の表現を見せている. ローブ・ア・ラ・フランセーズはフランス革命期まで宮廷用衣装として続いた.
深井晃子(監修). 2010-4-15. 『世界服飾史』. 美術出版社. p.90.
フランス風ドレス ローブ・ア・ラ・フランセーズ( Robe à la Française )
下の画像は、ローブ・ア・ラ・フランセーズを後ろから見た図です。
引用元:ローブ・ア・ラ・フランセーズ
Woman’s Dress (Robe à la française) ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵
背中に流れる美しい襞(ひだ)は、画家アントワーヌ・ヴァトーの名にちなみ、「ヴァトー襞」「ヴァトー・プリーツ」などと呼ばれます。 ヴァトー( Watteau )は「ワトー」とも表記されます。
ヴァトーが好んで描いた後ろ姿
ロココ貴婦人が纏うドレスの「ヴァトー・プリーツ(ヴァトーの襞)」
この優雅で嵩張ったドレスの下は、こんな感じ。
Woman’s Corset ロサンゼルス・カウンティ美術館
宮廷での正式な女性服はローブ, つまり現在のスカートにあたるジュップ(ペティコート)とローブが前開きの場合には胸部に三角形のパネル状のピエス・デストマ(ストマッカ―)で構成され, これらがコルセットとパニエという造形的な下着の上に着装された.
深井晃子(監修). 2010-4-15. 『世界服飾史』. 美術出版社. p.89.
引用文にあるパニエ( panier )とは、下着(ファウンデーション)のことで、この上にスカート(ジュップ)を着用します。
引用元:ポルトガル製ペティコート
Woman’s Petticoat ロサンゼルス・カウンティ美術館
ピエス・デストマ( Pièce d’estomac )
引用元:『ポンパドゥール夫人』 Vassil CC-Zero
前出の引用文(『世界服飾史』)には「胸にはリボン結びの列(エシェル). V字形にあいたローブの下に三角形のパネル状のピエス・デストマ, お揃いの首のリボン」とありました。
ローブの前面を飾るのは、逆三角形のパネル「ピエス・デストマ」。
刺繍を施したり、真珠などを縫い付けて装飾します。
ピエス・デストマはローブの前に留めて使われました。
Woman’s Stomacher ロサンゼルス・カウンティ美術館
ピエス・デストマは英語ではストマッカ―( stomacher )といいます。
英語の「stomach(胃)」を知っていると、装着する場所を連想し易いかもしれません。
胸はコルセットで持ち上げられ、乳房の半分ほどがのぞいています。(こぼれそう)
盛り上がった豊かな胸、パニエによって細く見えるウエストと、女性的な魅力を最大限に発揮しているようです。
アンガジャント( engageante )
アンガジャントはしばしばレースなどで作られ、ローブの袖口を飾りました。
引用元:『ポンパドゥール夫人』 Miguel Hermoso Cuesta CC-BY-SA-4.0
『ヴェルサイユの女たち』に、お洒落で衣装持ちだったポンパドゥール夫人の所持品についての記述があり、
彼女は衣装ケースをまるまるひとつ分レースを持っている。当時、レースは、長い時間をかけ、じっと針先を見つめ続けて細かい形を手作業で作りあげていく、最高に繊細な仕事から生まれるものだった。もっぱら女性の仕事とされていたのは、やはり女性のほうが手先が器用だからだろう。ポンパドゥール夫人はベルギーのブリュッセルレースやマリーヌレース、フランスのアルジャンタンレースといった、最高級品を持っていた。
アラン・バラトン(著). 園山千晶・土居佳代子・村田聖子(訳). 2013-3-29. 『ヴェルサイユの女たち 愛と欲望の歴史』. 原書房. p.139.
やっぱり高級レースが大好きだったんだなと様子が伝わってきます。
履き物はミュール( mules )
引用元:『ポンパドゥール夫人』
足元は、可愛らしいデザインの履き物、ミュールですね。 刺繍が素敵。
下は、実際に1700年代前半に使われていた履き物です。
引用元:18世紀初頭のミュール CC-Zero
ロココ貴婦人の足もと
ロココ貴婦人のミュールとジャン・オノレ・フラゴナールの『ぶらんこ』
ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソン( Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, 1721年12月29日 – 1764年4月15日)
引用元:『ポンパドゥール夫人』
Madame de Pompadour (Jeanne-Antoinette Poisson, 1721 – 1764) スコットランド国立美術館
ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソンは、フランス王ルイ15世の公式寵姫です。
平民階級の出身でしたが、両親は、娘が幼い頃から貴族の子女と同等の教育を受けさせます。
公式寵姫になるには貴族の既婚女性であることが必須でした。
ルイ15世は断絶していたポンパドゥールの侯爵位を復活させ、その領土をジャンヌに与えて宮廷に迎えます。
「ポンパドゥール侯爵夫人」となっていますが、実際には、夫だった人物が侯爵なのではなく、ジャンヌ自身が侯爵です。 marquise de Pompadour、ポンパドゥール(女)侯爵ですね。
ポンパドゥール夫人は芸術の庇護者でした。
ブーシェやカルル・ヴァン・ローら芸術家を引き立て、セーブル磁器にも深く関わっています。
42歳で病没するまで、政治に関心の無いルイ15世に代わり、政治や外交を取り仕切りました。
ブーシェによる肖像画の中にも「国王に代わり政務をこなす有能な寵姫」を感じさせる小道具が…。
引用元:『ポンパドゥール夫人』
夫人の周囲にさり気なく置かれている手紙、羽ペン、蜜蝋、そしてスタンプ。
「読み書きができる」アピールでもあり、忙しく「仕事」もしている様子が見て取れますね。
1751年、フランスの啓蒙思想家ディドロやダランベールらによって「百科全書」が編纂されます。
自然科学や産業技術など当時の最先端の知識が総集され、のちのフランス革命にも影響を与えた百科全書。
ポンパドゥール夫人は啓蒙思想家たちとも交流があり、百科全書の刊行を援助しました。
多くの貴族女性が本など読まない時代に、ポンパドゥール夫人は大変な読書家でした。
肖像画の背後にも書物が描かれていますが、夫人の蔵書は3525冊。 ジャンルは歴史、哲学、詩集と多岐にわたっていたそうです。
肖像画の書棚があまり整頓されていないのは、これらの本を「しょっちゅう読んでいる」から、という演出のようです。
「ポンパドゥール・ピンク」のポプリ・ポットも掲載。夫人が尽力したセーヴル磁器
彫刻家ファルコネも夫人に引きたてられたひとり
画家フランソワ・ブーシェ( François Boucher, 1703年9月29日 – 1770年5月30日)
ロココを代表する画家フランソワ・ブーシェは、肖像画や神話画などの油彩、エッチング、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作などとても多くの作品を残しました。
引用元:フランソワ・ブーシェの肖像
父ニコラ・ブーシェ、画家フランソワ・ルモワーヌ( François Lemoyne または François Le Moine, 1688年 – 1737年)の下で修業し、1720年代初めには図案家・版画家として働いていました。 1725年には、ヴァトーの作品をもとに版画を制作しています。
1723年、ローマ賞を受賞したブーシェは、1727年から1731年まで、画家のカルル・ヴァン・ロー(シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー)、ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー、フランソワ・ヴァン・ローと共にイタリアを旅行。
ブーシェは、ポンパドゥール侯爵夫人から厚い庇護を受け、1765年に王立絵画彫刻アカデミー院長に就任。 1770年に亡くなりました。
『彼らが考えているのは葡萄のこと?』(1747年)の牧人の衣装
Are They Thinking about the Grape? (Pensent-ils au raisin?) アート・インスティテュート・オヴ・シカゴ
自然の中、近くに羊がいて、男女は牧人の服を身に着けてはいますが、これは現実の牧人の姿ではありません。 貴族の仮装姿のようですね。
羊飼いにしては優美過ぎるこの衣裳について、
女性のスペイン風の衣装(首のまわりを飾るひだ襟と膨らんだ袖付きのドレス)は当時の流行を反映し、ブーシェはこの種の服を着たルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人も描いている。まだ愛くるしさが残る中央の男女の人物像は幾度も模写され、タピスリーや陶器などの下絵のデザインとしてたびたび用いられた。
『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』. 同朋舎. p.41.
ブーシェによるポンパドゥール夫人の肖像画
1700年代前半 ルーヴル美術館
引用元:『ポンパドゥール夫人』
La Marquise de Pompadour (1721-1764). ルーヴル美術館
首周りの飾り、膨らんだ袖は『彼らが考えているのは葡萄のこと?』の女性の衣装とよく似ていますね。
関連記事
ルーヴル美術館にある『ポンパドゥール侯爵夫人』の肖像(ブーシェ作)
1750年頃 ウォデスドン・マナー
引用元:『ポンパドゥール夫人』
Sketch for a Portrait of Madame de Pompadour (1721 – 1764) ウォデスドン・マナー
解説によると、このスケッチはポンパドゥール夫人の肖像画の準備として描かれたそうです。
外出の準備中でしょうか。 残念ながら、その肖像画は現在は失われたとのこと。
夫人は片手で帽子を掴んでいます。 もう一方の手にはブレスレットが。
他の肖像画でも見られる、王の肖像画が描かれた真珠のブレスレットです。
1750年頃
引用元:ポンパドゥール夫人
1758年 ヴィクトリア&アルバート美術館
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』
Portrait of Madame de Pompadour ヴィクトリア&アルバート美術館
この絵が来日した『英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展』(1990-91)の図録によると、1741年頃、ブーシェとジャンヌ(ポンパドゥール夫人)は顔を合わせているそうです。
ジャンヌが「ポンパドゥール侯爵夫人」に叙せられたのは1745年。
夫人によって、ブーシェの宮廷内の地位は、いくらか保証されたのかもしれません。
本作品での夫人のポーズは、比較的早い時期に属する室内を背景とする幾つかの肖像画に比較することができるであろう。年記は1758年であるから、夫人は37歳。彼女の知的な興味のありようを示すように、本を手にし、もう一方の肘を別の本の上にあずけた姿で描かれている。夫人は大層知的で教養のある人物であったとの多くの記述があり、従ってこのポーズはモデルを実物以上に見せ掛けようとする絵画的な仕掛けというだけのものではない。溌剌とした表情、ドレスに注ぐ光の演出、そして夫人が摘んで足元に置いた野薔薇が殊に素晴らしい。
『英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展』(1990-91). p.120.
白いサテンのドレスが美しいですね。
本もバラの花も似合う美女です。
1758年 フォッグ美術館
引用元:『化粧中のポンパドゥール夫人』
1966.47: Pompadour at Her Toilette
フォッグ美術館この時代のメイクは頬紅濃い目。
手首のブレスレットにはルイ15世の肖像付きです。
この作品は最初、長方形の胸像の肖像画だったようですが、その後何度か形を変えているとのこと。
夫人の死後は弟のマリニー侯爵が相続したそうです。
1759年 ウォレス・コレクション
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人』
Madame de Pompadour ウォレス・コレクション
ブーシェが描いたポンパドゥール夫人の肖像画最後の作品。
美しくたおやかな風情のポンパドゥール夫人ですが、「なんか具合悪そう」な感じがするのは、夫人はもともと体が弱く、この5年後に亡くなることを私が知っていて見ているからか。
隣にいるのは夫人のペット、スパニエル犬イネス( Inès )です。
自宅でブーシェの絵画を楽しみたい方、どうぞ
モーリス=カンタン・ド・ラトゥールによる『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』
引用元:ポンパドゥール夫人
Portrait en pied de la marquise de Pompadour ルーヴル美術館
パステル画の名手 モーリス=カンタン・ド・ラトゥールによるポンパドゥール夫人の全身肖像画です。
ブーシェの肖像画とはまた趣が違いますが、光沢のある布地のローブ・ア・ラ・フランセーズ、夫人の知的興味を示す地球儀など小物の数々を見ることができます。
カルル・ヴァン・ローによる『美しい女庭師としてのポンパドゥール侯爵夫人』
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人』
Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, en “belle jardinière” ヴェルサイユ宮殿
ブーシェのライバルでもあるカルル・ヴァン・ローが、女庭師に扮したポンパドゥール夫人を描いています。
花を愛したポンパドゥール夫人。 ここでも、美しく咲いた花を籠いっぱいに入れています。
夫人の装いは、シンプルなモスリンのドレスに、青いサテンのリボン。
「ドレスを飾る青いサテンのリボンは帽子や髪に留められた花とマッチし、真珠のブレスレットとイヤリングは、この一見「無頓着な」外見に最高の洗練さを加えています。」(Google翻訳)と解説にもあります。
カルル・ヴァン・ロー( Carle van Loo, フランス名 シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー 1705年 – 1765年)
引用元:カルル・ヴァン・ローの肖像
父、兄も高名な画家です。
カルル本人は雅宴画で有名で、画家ド・トロワとともにフォンテーヌブロー城の食堂を飾った、『狩猟の合間の昼食』などを制作しました。
関連記事
ルイ15世の食堂を飾った、ジャン=フランソワ・ド・トロワの『牡蠣の昼食』
下の画像は、ポンパドゥール夫人の弟マリニー侯が、「夫人のほんとうの姿を表している」として、気に入っていた肖像画です。
ベルビュー城の、ポンパドゥール夫人のトルコ風寝室に飾られていた作品で、現在はエルミタージュ美術館の所蔵。
ポンパドゥール夫人時代のベルビュー城を再現したサイトが参考になります。L’Appartement de Mme de Pompadour
Les dessus-de-porte de Carle Van Loo で説明を読むことが出来ますポンパドゥール夫人はスルタンの妃に扮し、女性からコーヒーを受け取っていますが、凛とした威厳のある姿に描かれています。
宮廷のコーヒー文化
コーヒーを飲むルイ15世の寵姫たちの絵 デュ・バリー夫人とポンパドゥール夫人
ブーシェとカルルのイタリア行きには、ルイ=ミシェルとフランソワが同行しました。
ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー( Louis-Michel van Loo, 1707年 – 1771年)は、カルル・ヴァン・ローの甥です。
引用元:自画像
ルイ=ミシェルは、『百科全書』で知られるドゥニ・ディドロ(1713年 – 1784年)の肖像画も制作しています。
引用元:ドゥニ・ディドロ
ポンパドゥール夫人から厚く信頼されたショワズール公爵(1719年 – 1785年)。
ショワズール公爵は、ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚にも深く関わっています。
ポンパドゥール夫人の死後、ルイ15世の寵姫となったデュ・バリー夫人やその一派により失脚しました。
関連記事
輿入れ前のマリー・アントワネットを描いた画家ジョゼフ・デュクルー
- 『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』 同朋舎
- 深井晃子(監修). 2010-4-15. 『世界服飾史』. 美術出版社.
- 『美女と悪女の世界史』 祝田秀全(監修) 青春出版社
- 『図解名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』 木村泰司(監修) 洋泉社MOOK
- 『英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展』(1990-91)
- アラン・バラトン(著). 園山千晶・土居佳代子・村田聖子(訳). 2013-3-29. 『ヴェルサイユの女たち 愛と欲望の歴史』. 原書房.
コメント