ラフ、カートウィール・ラフ、リバト、エリザベス・カラー、メディチ・カラー、レタス襟など、16世紀から17世紀の襟のいろいろ。
『侯爵夫人ブリジダ・スピノラ・ドーリアの肖像』( Portrait of Marchesa Brigida Spinola-Doria ) 1606年 ピーテル・パウル・ルーベンス ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
なんと魅力的な女性の肖像画でしょう。
薔薇色の頬、豪華な衣装にアクセサリー。そして、大輪の花のような襞(ひだ)襟「カートウィール・ラフ」。
この女性はジェノヴァの貴族であるジャコモ・マッシミリアーノ・ドーリア( Giacomo Massimiliano Doria )のいとこで花嫁、ブリジダ・スピノラ・ドーリアです。
この肖像画は新郎によって依頼されました。
ブリジーダは壮麗な建造物のそばに、扇子を持って立つ。歩くたびに衣ずれの音が聞こえそうなサテン地のドレスは、幾つもの凝った金糸の留め具で飾られている。上からはおっているのは、重たげなウェディング・ガウン。長く裾を引いていた。結婚一周年記念作なので、改めて身にまとっている。
そして何層も重ねた首周りのラフは、当時「大車輪」と呼ばれた特大のもので、驚くばかりに丹念に描写されている。最下層のレースから垂れる短い糸が一本一本(百本は下らない)数えられるほどなのだ。精巧な髪飾りや巻き毛も輝き、ラフには白いハイライトが入れられ、ブリジーダの顔を華やかに彩る。
中野京子(著). 2018-7-13. 『美貌のひと』. PHP新書. pp.67-68.
ふたりは1605年7月9日に結婚。婚礼衣装に身を包むブリジダは当時22歳だったそうです。
『スイカズラの下のルーベンスとイザベラ・ブラント』( Rubens und Isabella Brant in der Geißblattlaube ) 1609年-1610年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス アルテ・ピナコテーク蔵
画家ルーベンスと新妻イザベラの肖像画。
ふたりの背後にあるスイカズラには「愛の絆」「献身的な愛」の意味があります。
ルーベンス本人の襟とイザベラの襟、形は違いますが、どちらも豪華ですね。
ラフ(英語 ruff )/ フレーズ(フランス語 Fraise )
ラフとは?
ラフとは「襞襟(ひだえり)」とのこと。
襞襟の始まりはスペインだったと言われます。
ある高貴なスペイン婦人の喉首に醜い腫れ物ができ、美貌が台無しになったと日夜嘆いていた。この腫れ物をどうにかして隠すために、首とあごをすっかり覆う大きなレースのラッフルが考え出されて、これがラフ誕生になったというのである。そしてたちまちスペインじゅうの人々の首にラフの花が咲いたというわけだった。
レスター&オーク(著). 古賀敬子(訳). 『アクセサリーの歴史事典 上』. 八坂書房. p.125.
有名人の首元
カール5世( Karl V., 1500年2月24日-1558年9月21日)
引用元:神聖ローマ皇帝カール5世
当時、衣服に使われる色としては最高のものとされた黒。着ける宝石を引き立たせる色です。
ラフの登場は1550年代と言われますから、カール5世の襟元はまだシンプルです。
16世紀後半の男性ファッションに関して、『ファッションの歴史(上)』によると、
ラフ、つまり襞衿は、一六世紀の初めにもてはやされたシャツのネック・フリルから発展していったものである。ラフが現れた一五五五年ごろには、それほど目立たない大きさだった。しかし、もうシャツの衿ではなく独立して、針金の枠を入れ、紐で首に結ぶようになっていた。素材は薄手でしかも腰のある高級なローン、リネン、キャンブリックまたはレースを、かたく糊付けして、特別のポーカー型アイロンを使って、襞をつけていくのだ。仕立てのいい黒っぽいガウンに、繊細な襞をたたんだ真っ白な衿の印象は、いかにも洗練されて、きりっと威厳をそえた優雅さだったろう。貴族の肖像画にはもってこいの魅力なのだが、実際に着るとなると別問題だ。
J. アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史(上)』. PARCO出版. p. 262.
ポーカー型アイロンは「ポーキング・アイロン」( poking-iron )とも表記する、ラフの襞を付けるための道具。
最初はシャツの襟だったものが独立し、着脱可能な「飾り」へと発展していきます。
シャルル9世( Charles IX de France, 1550年6月27日-1574年5月30日)
引用元:シャルル9世
首元に飾りが見られますが、そんなに主張していないので、先に上等そうな毛皮の質感に目が行きます。
エリザベート・ドートリッシュ( Élisabeth d’Autriche, 1554年6月5日-1592年1月22日)
引用元:エリザベート・ドートリッシュ
神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の皇女で、フランスに嫁いだエリザベート。
新婚のエリザベートを飾る宝石の美しさもさることながら、繊細な指先の表現も素晴らしいですね。
アンリ3世( Henri III de France, 1551年9月19日-1589年8月2日)
引用元:アンリ3世
引用元:アンリ3世
兄シャルル9世は父親アンリ2世に可愛がられましたが、アンリ3世は母親カトリーヌ・ド・メディシスはアンリ3世を可愛がりました。
アンリ3世は読書や美しい衣装を好み、王になると一番に宮廷のエチケットに悩んだとか。
カトリーヌがイタリアから持ち込んだフォークを、積極的に使用したのはこのアンリ3世です。
フォークのおかげで、絵に描かれているような美しい襟を汚さずに済んだのでしょうね。
フェリペ2世( Felipe II, 1527年5月21日-1598年9月13日)
引用元:フェリペ2世
神聖ローマ皇帝カール5世の息子。父親から大帝国スペインを受け継ぎます。
カール5世と同じように威厳のある黒を着ています。
首元のラフ、手が込んでいますね。
アナ・デ・アウストリア( Ana de Austria, 1549年11月1日-1580年10月26日)
引用元:アナ・デ・アウストリア
フェリペの実の姪で4番目の妃となった、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の長女アナ・デ・アウストリア。シャルル9世妃エリザベートの姉です。
姉アナはスペイン、妹エリザベートはフランスへと、同じ年に嫁ぎました。
イサベル・クララ・エウヘニア・デ・アウストリア( Isabel Clara Eugenia de Austria, 1566年8月12日 – 1633年12月1日)
同一人物の肖像画ですが、下のラフは車輪のように大きく豪華なラフですね。
イサベル・クララ・エウヘニアは、スペイン国王フェリペ2世と、カトリーヌ・ド・メディシスの娘エリザベート・ド・ヴァロワの長女です。
後のネーデルラント総督であり、ルーベンスの有力なパトロンとなりました。
イサベル・クララ・エウヘニアの継母になったのは、従姉で、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘アナ。
イサベル・クララ・エウヘニアの夫は、アナとエリザベートの弟アルブレヒトです。
伊東マンショ(1569年?-1612年11月13日)
引用元:伊東マンショ
首周りのラフ、大きいですね。
伊東マンショは、天正遣欧少年使節のひとりとしてローマへ派遣されました。
1584年、伊東マンショらは当時聖職に就いていたアルブレヒト7世の王宮に招かれ、スペインのマドリードでは国王フェリペ2世に歓待されています。
引用元:『南蛮人渡来図』
引用元:『南蛮人渡来図』
歴史の教科書や資料集で見たことアルアル、『南蛮人渡来図』です。
中学生・高校生の時はなんとなーく見ていた「南蛮人」たちの格好も、改めて「襟」に注目してみると、1600年頃にはこんなラフを着けていたんだな、と思います。興味深いですよね。
フェリペ3世( Felipe III, 1578年4月14日-1621年3月31日)
引用元:フェリペ3世(部分)
フェリペ2世とアナの息子。
父フェリペ2世の装いはシンプルでシックでしたが、フェリペ3世の襟はデカい。
質素を好んだフェリペ二世(在位一五五六~九八)の頃には控えめで、フランドル渡りの最高級品のレース編みの襟飾りが繊細な美しさを保っていた。この襟飾り、つまりカラーが、フェリペ三世(在位一五九八~一六二一)の御代になると極端に肥大化しはじめ、まるで大輪の花のように巨大となる。
岩根圀和(著). 2004-5-25. 『物語 スペインの歴史 人物篇』. 中公新書. pp.149-150.
昔の貴族たちは外出する時、マントを着るのが礼儀でした。
しかし、マントを着てしまうと、下の豪華な胴衣が隠れてしまう。
そうなると、今度は見えている襟や袖にお金をかけることになります。
汚れたら取り替え可能、威厳を示す小道具(大道具?)と大活躍の襞襟。
いろいろなデザインが登場しました。
『図説 ヨーロッパ服飾史』(河出書房新社)によると、襞襟は「繊細なレースでつくられたスペイン風と、亜麻や紗などの薄い布を鏝で8の字が連続するような襞取りにした重厚なフランドル風とがある」とあります。
ラフ
引用元:1620年代のラフ Livrustkammaren (The Royal Armoury) / Göran Schmidt / CC-BY-SA-3.0
ラフの作り方も載っています。
支え(サポータス / Supportasse )
裏から見る機会って、あまり無い。
立ち上げるには支えが要りますよね、やっぱり。
支えは針金の枠、サポータス( Supportasse )、アンダー・ブロッパ―( Underpropper )などと呼ばれます。
引用元:『ヴァージナルの前の少女』
薄いリネンの襟の下に、金色の針金があるのが見えます。
引用元:『ヴァージナルの前の少女』
下の女性の襟には、赤い枠が見えますね。
引用元:『レースの襟を着けた女性』
リバト( Revato )
1580年から1635年頃、処女王エリザベス1世、文豪ウィリアム・シェイクスピアの時代に流行しました。
引用元:ウィリアム・シェイクスピアの肖像
引用元:リバトの着装例 Yale Center for British Art released under Creative Commons CC-BY license. Archived from the original on 2011-09-03.
「レースの襟またはリバトの下に布で覆われたサポータスが見える」と解説にあります。(Wikipedia)
引用元:リバトの着装例
引用元:『ヴァージナルの前の少女』
繊細で、豪華な襟がだんだん大きくなってきます。
引用元:リバト
引用元:リバト
この画像は襟(リバト)の裏。支えとなるフレーム、こんな風になっているんですね。
メトロポリタン美術館のサイトに行くと「表」が見られます。
荷馬車の車輪のようなラフ(カートウィール・ラフ/ Cartwheel ruff )
まるで車輪のような形状のラフ。英語でも「 Cartwheel (車輪)ruff 」です。
幅の狭いラフは、襞の厚さが三インチ以上もあった。その名もカートウィール・ラフという。まるで荷馬車の車輪のようにばか大きなラフも現れた。厚さは薄いが、細く削った木か厚紙をしんにして、サテンでくるんだラフで、肩にのせてつけたのだ。
J. アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史(上)』. PARCO出版. p. 263.
手首にもラフ
各肖像画の手首にもアンサンブルとして小型ラフがありますね。
洗濯糊と色
色は衣装に合わせて、白・赤・緑・青などがあったそうです。喪服用に黒いラフもあったとか。
洗濯糊(スターチ)の登場により、ラフがぱりっとし、美しい形を長く保つことができるようになりました。
ここにスターチなる液が登場してくる。悪魔が、ラフをこれにつけて洗うようにと、彼らに知恵をつけたのだ。スターチが乾けば、ラフがしっかり立つのである。スターチの原料はさまざまで、小麦粉や草木の根からつくられ、色もさまざ。白、赤、ブルー、紫などがあるのだ」
J. アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史(上)』. PARCO出版. p. 265.
洗濯糊の成分によって色のヴァリエーションも広がりました。
「カラー屋」なる職業
儀礼用とは言え、着けている方は大変だったでしょうねえ。デカいカートウィール・ラフのようなラフ(カラー)を着けていたら足元が見えないですもん。何か落としても自分では拾えません。
身分の高い貴人なら自分で拾わなくても、誰かが拾ってくれるでしょうけどね。
芯を入れたり、針金を入れたり、糊付けしたり、アイロンでかたちを整えたり…、ラフをケアする側はもっと大変だったと思います。
カラーもこれだけ大きくなってくると素人の手に負えないので「カラー屋」なる職業が生まれてくる。リンネルやモスリン、レース編みなどを放射状にひだをつけて糊で固め、熱した鏝でひだのひとつひとつに火熨斗をかけて形を整える。それでも足りないときは、見えないところに針金を入れて補強する。そのうえ特殊な粉を振りかけ、ほんのりと微妙に青みをつける。
岩根圀和(著). 2004-5-25. 『物語 スペインの歴史 人物篇』. 中公新書. p.150.
これだけ手間暇がかかっていれば、当然かなりの高額だったようです。
「レタス襟」
大きくなっていくラフを、当時の批評家は「煙突」「肥満キャベツ」「パイプオルガンの管」などと揶揄したそうです。
スペイン語でラフは「 Lechuguilla 」。レタスです。
威厳に満ちた、国王フェリペ3世の首を載せる盆や台のようなラフですが、
その形が畑のレタスに似ているところから、この襟飾りをレタス襟というのだとの説がある。別の説によると、これだけ大きな襟になると首がつっぱって俯くのもままならない。おっかなびっくりで足元を探るように歩かざるをえない。その格好がまるで、農夫が畑のレタスを踏みつけないようにそろりそろりと畦道を歩く姿に似ているからだという。どちらの説に真実味があるかはともかくとして、この襟飾りにもひとつ利点がある。ある貴族が暴漢に襲われた。このとき、大きな襟飾りが邪魔をして首を落とせなかった。焦った暴漢がいくら短剣をふるっても、頑丈に糊づけされたカラーは頑として刃を受け付けなかったのである。
岩根圀和(著). 2004-5-25. 『物語 スペインの歴史 人物篇』. 中公新書. pp. 150-151.
刃が受け付けない襟って、一体…(@_@;)
レタス襟禁止令
フェリペ4世( Felipe IV, 1605年4月8日-1665年9月17日)
引用元:フェリペ4世
フェリペ3世の息子、フェリペ4世です。
ベラスケスによって美化されているというウワサの肖像画ですが、祖父フェリペ2世のようなシックな黒衣に、首元はだいぶ大人しいラフですね。
同じベラスケスの筆によるフェリペ4世の妹マリア・アナの姿。
こちらはまだ大きなラフを着けています。
父フェリペ3世と違い、「レタス襟」を快く思っていなかったフェリペ4世。
1623年、レタス襟の禁止令を出します。
これによりレタス襟の時代は終わりを迎え、「カラー屋」は失業。
以降、襟飾りは下へ垂れ下がり、肩にかかるようになります。
引用元:『フラガのフェリペ4世』
「レタス襟」の話は本書にあります。
エリザベス・カラー( Elizabethan collar )
引用元:エリザベス・カラー Karelj CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0
現在「エリザベス・カラー」というと、このような姿を思い浮かべますが、「エリザベス」という名はイングランド女王エリザベス1世から来ています。
処女王エリザベスが着けていた襟はこんな感じでした。
引用元:『アーミン・ポートレート』
ふんだんに飾られた真珠や汚れない白いオコジョは、女王の「純潔」や無垢さを表していますが、着けている豪華な宝石やレースの襟が「富」や「権力」を象徴しています。
イングランド女王エリザベス1世( Elizabeth I, 1533年9月7日-1603年4月3日)の肖像画
引用元:13歳のエリザベス
スクエアに開いた胸元にはブローチ。賢そうな少女時代の肖像画です。
引用元:『ペリカン・ポートレート
絶対重いだろうなと確信するような、縫い付けられたすごい量の宝石。胸のペリカンがわかりにくい程。
引用元:ダーンリー・ポートレート
引用元:アルマダ・ポートレート
引用元:アルマダ・ポートレート
引用元:『ディッチリー・ポートレート』
前開きのラフ。デコルテを見せています。
引用元:Procession portrait of Elizabeth I of England c. 1601.
引用元:Procession portrait of Elizabeth I of England c. 1601.
1600年代に描かれた衣装はスタンド・カラーと前開きの襟ですね。
引用元:『虹の肖像』
もちろん糊付けだけではこのように立ち上がりませんので、鯨の骨などをワイヤーのように使っています。
「レティセラ」( reticella )というレースの手法がありますが、『虹の肖像』の衣装にはこのレティセラが使われています。(参考:wikipedia 『レティセラ』)
レティセラ(reticella)とは、布地に刺繍を施した後、糸を引き抜いて数本の糸を残し、ボタンホールステッチで補強して幾何学的な模様を作る技法である。すべてのニードルレース技法の源とされ、これがプント・イン・アリアへと発展していった[1]。ヴェネツィアの刺繍師たちが、1540年代に発明したとされる[2]。ポアン・クペはレティセラより原始的な、カットワークであり、布をカットしてかがることで透かしを入れる技法であり、レティセラの前身とされる[1]。
『レティセラ』(Wikipedia)
下はヴィクトリア&アルバート美術館所蔵のラフ、のレース縁。
イタリア製のニードルレース、1600年-1620年頃のものだそうです。
上部はレティセラで、画像を拡大すると精巧な幾何学模様を見ることができます。
引用元:フェデリコ・デ・ヴィンチョロによるレティセラのパターン CC-PD-Mark PD-Art (PD-old default) PD-Art (PD-old-70)
引用元:「プント・イン・アリア」 CC-PD-Mark PD-old-100-expired Images uploaded by Fæ
引用元:ポアン・クペ Flickr https://flickr.com/photos/126377022@N07/14782309582
メディチ・カラー( Medici collar )
マリー・ド・メディシス( Marie de Médicis, 1575年4月26日-1642年7月3日)
ラフの一種である「メディチ・カラー」の名はこのマリー・ド・メディシスに由来しています。
引用元:マリー・ド・メディシス
豪華なレースの襟は首の後ろで直立しており、前開きになっています。
デコルテはずいぶん大きく開き、ドレスは特徴的な形をしていますね。
イタリア名はマリア・ディ・メディチ( María de Médici )です。
名門メディチ家に生れたマリー(マリア)は、莫大な持参金を携えて、フランス国王アンリ4世と結婚。
後の国王ルイ13世の母となります。
アンリ2世妃カトリーヌ・ド・メディシスとは遠縁です。
引用元:アンリ4世
カトリーヌ・ド・メディシス( Catherine de Médicis, 1519年4月13日-1589年1月5日)
引用元:カトリーヌ・ド・メディシス
衣装に縫い付けられた真珠や宝石をご覧くださいませ!重くないかな?重いよね?
カトリーヌ・ド・メディシスはフランス王アンリ2世の王妃。
後のフランス王フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の母后。
17世紀前半 王侯貴族のメディチ・カラー
引用元:シャルロットの肖像
襟の形が綺麗な扇状(ファン・カラー / Fan collar )。
フランス国王アンリ2世、カトリーヌ・ド・メディシスらに仕えたモンモランシー元帥の孫娘、シャルロット嬢。アンリ4世に追いかけられ、夫と共に国外に逃亡します。
引用元:マリー・ド・メディシス
貫禄の出てきたマリーの姿。彼女の娘はイングランド王チャールズ1世の妃となります。
スペイン国王フェリペ3世の娘として生まれ、フランス国王ルイ13世に嫁ぎます。
チョコレート愛好家、スペイン国王フェリペ4世の姉、フランス国王ルイ14世の母親。
画家アンソニー・ヴァン・ダイクは、ルーベンスの助手を経て、イングランド王チャールズ1世の宮廷画家となりました。
この絵は、前出のルーベンスの作品『侯爵夫人ブリジダ・スピノラ・ドーリアの肖像』から影響を受けていると言われます。
17世紀の襟元
1630年代のオランダ、様々なかたちの「襟」が集う『テュルプ博士の解剖学講義』。
引用元:『テュルプ博士の解剖学講義』
引用元:『マウリッツ・ホイヘンスの肖像』
引用元:『フアン・デ・パレーハ』
上のおふたりは王族ではありませんが、暗い背景に浮かぶ白いレースの襟が印象に残ります。
下の画像、チャールズ1世妃ヘンリエッタ・ド・フランスとチャールズ2世妃キャサリン・オブ・ブラガンザ。彼女たちは美しいデコルテを見せています。
いとこであるルイ14世妃となったマリー・テレーズ・ドートリッシュの衣装はスペイン・ファッション。
17世紀になると、女性たちの袖やスカートはナチュラルになっていきます。
16世紀のモードを牽引してきたスペインの衰退は、フランスなど周辺諸国も巻き込んで、金・銀・ビロードは王族に限るなどといった贅沢禁止令を呼ぶ。ラフや、宝石や刺繍などの装飾は、次第に廃れていき、オランダ風の新しいモードが導入された。
能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社. p.87.
引用元:マリア・テレサの肖像
かつてのようなラフが姿を消しても、レースの人気は衰えません。
17世紀半ば、ヴェネツィアン・レースが大人気となり、フランスが輸入する量・費用は莫大なものになります。
ルイ14世の通商大蔵大臣を務めたコルベールは何度も禁止令を出しましたが、レース人気は衰えません。
国外への自国通貨流出を危惧したコルベールは、1665年8月、国内に王立レース製作所を創設しました。
引用元:コルベールの肖像
胸元のレースが超豪華。
- レスター&オーク(著). 古賀敬子(訳). 『アクセサリーの歴史事典 上』. 八坂書房.
- 徳井淑子(著). 2015-10-30. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社.
- J. アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史(上)』. PARCO出版.
- 岩根圀和(著). 2004-5-25. 『物語 スペインの歴史 人物篇』. 中公新書.
- 能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社.
- 中野京子(著). 2018-7-13. 『美貌のひと』. PHP新書.
コメント
コメント一覧 (2件)
ハンナさん、こんにちは。
襟の歴史、とても面白いですね。
レースは、襟でなくても、とても品があると思います。
ラフで、印象が深いのは、ご紹介されていた天正の遣欧使節の少年、安土桃山時代の南蛮人、ヨーロッパではやはりエリザベス1世です。
流行のものを身に着けることは、少々我慢が必要、と言う話を聞いたことがありますが、ヨーロッパ王侯貴族がこぞって、着心地より最新ファッションを追いかけたのだろうなと思うと、くすっと笑えます。
今暑いせいか、ヘンリエッタというかたの、青色のドレスが、つややかで、涼しげで、とても素敵に思えました。
そして、男性の黒い衣装。
きりっと見えていいですね。
もし、私なら…今はギリシャ風のゆったりしたドレスがいいなぁ。
ラフは、つけなくていいです。(笑)
毎日とても暑いですね。
どうぞ、体調を崩しませんよう、お気を付けくださいませ。
ぴーちゃん様
今回も読んでくださって有難うございます。
襟も袖も髪型も、その歴史や変遷は、私にとってはとても面白いものです。
伊東マンショや南蛮人が着けている襟のように、かつてぼーっと目にしていた、学校の教科書や資料集の肖像画や歴史画の衣装に、こんな意味があったんだーとわかった時には大変高揚しました。
このブログの中では、カール5世の黒衣、ヘンリエッタ妃の涼し気なドレスなどが個人的には好きです。
ラフやメディチ・カラーはコレクションしたい…。着けたくはないけど、飾ってみたいです。
黒(衣)の歴史も結構面白いですが、ぴーちゃん様のお言葉で、次はレース特集(範囲が広いので絞りますが)にしようかなと思っています。
ヒントも、いつも有難うございます。
まだまだ暑さも続きそうです。ご無理なさらず、どうか、ご自愛くださいますように。